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2016年9月26日 (月)

スポーツの規制と障害者スポーツ

 あらためて考えてみると、スポーツには理不尽なところがある。例えば、どうしてサッカーは手を使ってはいけないのだろうか?当たり前のことのようにサッカーのゲームを見ているが、敢えてボールを扱うのに一番適している手を使うことを規制して、わざと不自由にしてゲームをする。ラグビーだって楕円形の不規則なバウンドのボールの動きは予測ができないし、パスを前方に出すことができない。これらは、あえて不自由になるように規制しているとしか思えない。
 それがゆえにとは必ずしも言えないが、そのせいもあって、結果として、サッカーの語源がassociation footballというようにチームの戦略で勝負するという性格のゲームとなっていった。現在でも、サッカー観戦の大きな醍醐味として対戦するチームの戦略(フィールドという空間をどのように表現するかという考え方もある)を見るということがあると思う。(日本のサッカージャーナリズムは、それを伝えたり、解説したりすることをしていないのが、とても残念だと思う)また、美しい軌跡を描くフリーキックやゴール前の空中戦などは手を使わないからこそ編み出された戦術的な身体の形式美とも言える。一般論としても、規制を受けながら、それを知恵と工夫、あるいは努力で乗り越えて、普通では考えられない身体の動きや姿勢を創出してみせてくれるというスポーツの見方があると思う。
 そうであるならば、そのサッカーを目隠しをしてみるという規制を考えてみると、スポーツのあり方として、至極当然のことではないか、ということになると思う。これは、パラリンピックの競技種目のブラインド・サッカー。つまり、この場合のハンデはカバーすべきものではなくて、創造や活性化の機縁となるものと考えることも可能だと思う。実際の話として、バルセロナのリオネル・メッシのボールが足に吸いつくような独特のドリブルは、ブラインド・サッカーのアイマスクをつけた選手のドリブルとそっくりだという。

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