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2016年9月 5日 (月)

「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は連載が長いからいいのか?

「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が終わるという。テレビのニュースで話題になっていた。取り上げた記者やアナウンサーは作品を読んだことがないのが、明らかに分かった。40年間連載が続いたとか、単行本が200巻になったとかいったことしか紹介しないのは変な気がする。それは、まるでサラリーマンが無遅刻無欠勤で永年勤続したのを称えるような口調で紹介されていたからだ。そもそも、まんがは表現のひとつであって、サラリーマンのような定時出勤の管理された生活とは異質の、本当かどうかは別にして自由なものとされてきた。休もうが寝坊しようが、傑作をものにすればいいというものと見られてきた。だからサラリーマンの永年勤続の大過無く継続するというのは、実は退屈なものなのだ。なぜかといえば内容は問われないから(実際は内容が伴わなければリストラにあって勤続を続けることも困難になってはきているのだが)。だから、たしかに水準が落ちれば続かないのは分かるが、長年続くというだけでまんが作品を評価するようなことは、私には勘違いではないかと思う。まんがとしての評価であれば、たとえ1回で打ち切られたものでも、ギャグのインパクトが衝撃的であれば、20年続いた作品より高い評価を得てしまうのが表現の世界であるはずなのだ。だから、なぜ、この作品が素晴らしい作品であること、どのようなところが凄いのかを、なぜ説明しないのか、疑問に思う。
 知ったかぶりではないが、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が始まった当時、一世を風靡していたギャグまんがに「がきデカ」があった。この影響力は絶大で、柳の下の2匹目のどじょうをねらったものマネのような作品が雨後の筍のごとく林立した。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」も実は、パロディ、あるいはひねったマネ作品で、主人公が警官なのはそのためだし、当時の作者名が山止たつひこ(後に秋本治に改名した)で、「がきデカ」の作者山上たつひこの明白なパロディだった。当時の印象では、「がきデカ」の破壊力はなくて微温的だったと思う。だから続けられたのかもしれないと思う。こんなことは、何もファンでなくてもリアルタイムで読んでいた人なら、だれでも知っていることで、そんなことすら紹介しないのか、まんがのマスコミでの受け取られ方とは、その程度なのかと寂しく思った。
 私の好みでは、ギャグまんがはアイディアが続かない(赤塚不二夫もそうだけれど、まんが家が身を削るように描いていたから続けられない)ので、短期間で爆発するようなインパクトの強い作品の方が好きだ。ジャンプなら「すすめパイレーツ」とか

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