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2016年9月 7日 (水)

高島野十郎展~光と闇、魂の軌跡(7)~第4章 静物 小さな宇宙(1)

Takashimapearch 展覧会での解説を少し引用します。“風景とならんで野十郎の画業の中心となっているのが静物である。作品に取り上げられているのは、リンゴやブドウ、桃などの果実類か、菊やバラ、ケシなどの花卉類のいずれかである場合が多い。どの作品も卓上静物画で、壁かカーテンを背景にしたテーブルの上に、果実や花瓶に活けられた花が配置されている。しかも周囲の部屋の様子などは一切描かれず、対象に密着した空間に限定されている。果物や花の細やかな描写もさることながら、テーブルに敷かれた白布のしわやクロースの模様、また花瓶や皿の光沢なども念入りに表現され、画面の隅々まで疎かなところがない。戦前頃までは斜め上からの光線が作り出す陰影によって、立体感と質感が強調されていたが、しだいに光が全体を包み込み、ごく微細な部分まで均等に表現されて、息詰まるほどの濃密な画面になっている。仏教に深く親しんでいた野十郎は、すべてに等しくまなざしを注ぎ、見えるあらゆる細部を克明に描く自らの写実を「慈悲」という言葉で説明している。彼の静物画は、慈悲の光に満たされた小さな宇宙とでもいえるほどに、どんな微細な部分も輝いて存在している。”
 と長くなりましたが、全体的な高島の静物画の特徴を要領よく説明しているようなので、引用しました。実際にどうなのか、作品を見ていきましょう。
 「桃とすもも」という作品です。“みずみずしく、艶めかしくもある桃とスモモが、画面の中でいくつものV字を構成しながら配置されている。本作をはじめ、ものの配置や明暗が周到に計画されている野十郎の静物画は、息詰まるほどの緊張感に溢れている。桃には思わずふれてみたくなるようなやわらかな質感が与えられ、表面に生えた毛までが克明に描かれている。一方スモモは硬く、光沢感のある様子が生き生きととらえられている。複雑な模様を持つ机上の布や皿など、あらゆる面に野十郎の画力が光っている。背景に意味ありげなぶら下がった緑色の玉が目を引く。”ここまで、引用ばかりになってしまいました。我ながら自分の言葉で書かないのか、と少し自嘲したくなりそうですが、簡潔にそつなく説明されているので、引用しました。引用した説明を簡単に追いかけてみましょう。壁を背景にしたテーブルの上に果物が配置され、その果物や布が細密に均等に表現されている。仏教の「慈悲」にあたるような遍く視線をそれらに注ぎ、それぞれを微細なところにも疎かにせず表現している。そういうようなことがいると思いますが、作品を見ていると、それはそれで、ここの桃やスモモを見ていると分かるのですが、作品としてみると、どこかチグハグな印象を受けます。しかも、リアルに感じがしないで、画面に描かれた桃やスモモに存在感がないのです。それは、フル・コンピュータ・グラフィックスの精緻な画面をみて、精確に描写されているにも関わらず実写とは全く違った画面になっていてリアルな感じを持てなかったことに似ています。例えば、画面手前中央の2つの桃と4つのスモモはそれぞれ細かく丁寧に描かれています。しかし、テーブルの上に乗って在るようには見えません。また、真ん中向かって左側の桃とその右手前の緑色のスモモは接触しているのか、接触せずに離れて置かれているのか分かりません。つまり、テーブルとその上の6つの果物はバラバラでそれぞれの関係が描写されていないのです。どういうことかと言うと、些細なことなのかもしれませんが、柔らかく厚手の布の上に桃が置かれていれば、そのところが微妙に凹んだり皺がよったりするものです。また、丸形の果物が転がらずに、手前の緑色のスモモなどは安定のいいはずの下のヘタで支えるように置かれずに横向きに置かれています。そうであれば、転がってしまわないように後ろの桃に寄りかかるようになっているはずです。そのときに、柔らかい桃は、スモモの重さを預かることになるので、微妙な変化が起こるはずです。それだけでなく、それによって影も変化するはずです。しかし、画面を見ていると、布、桃、スモモは独立した完璧なほど精緻な描写で描かれていますが、それが別々に画面の配置された場所にはめ込まれているようなのです。同じように画面中央上の皿の3つの桃は、皿に載っているように見えず、そこで宙に浮いているようなのです。それらが、画面を全体としてみると“平面的”な感じがするのです。つまり、高島の作品に対して、私が平面的と言っているのは、二次元的というだけでなく、画面のなかにあるものとものとの関係が描かれていないということなのです。空間の中に、実体のある物体が在れば、それはその空間を独占するだけでなく、光を遮ったり、そこに空気は存在できない空気の流れが変わったり、その重量が接触する他の物体に影響を与えたり、と周囲となんらかの関係を構築しているはずなのです。絵画の遠近法は、その関係の一部を描写しようとした技法とも言うことができると思います。その関係のすべてではないにしても、ある程度以上表わすことができているのを、人は立体的と見ることがあると言えるのではないかと思います。奥行きというのは、その手近な感じ方ではないでしょうか。しかし、高島の作品、風景画も静物画もそうですが、を見ていると、そのような関係が考慮されていないように見えます。とくに、静物画は対象とする領域が狭く絞られているので、その特徴がハッキリ現われています。 

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