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2016年9月 4日 (日)

高島野十郎展~光と闇、魂の軌跡(4)~第3章 風景 旅する画家(1)

この展覧会で展示作品の数が多く、しかも比較的サイズの大きな作品が多いため、一番展示ボリュームの大きな展示です。欧州から帰国し、アトリエを構えて画家としての生活を始めたということで、高島が画業の中心としたのは風景画と静物画のようで、とくに、風景画については日本全国を旅して、気に入った風景を描いたそうです。このコーナーは、その風景画を集めて展示したものです。
Takashimarotus  展示作品は、大戦後の作品が中心で、帰国してから対戦中はアトリエのあった東京を離れて疎開生活を送ったというので制作はままならなかったと思いますが、戦前・戦中の作品の展示は少なく、あまり見るべきものもなかった印象です。そこで気になったのは、欧州滞在時は沢山描きたいので、どうしても渡欧前の執拗さが見られないのはしかたのないことなのでしょうが、帰国後に描かれた風景画を見ると、そういう執拗さといのか、濃密さが影を潜めてしまっていることです。また、往々にして欧州留学から帰朝した画学生がよく陥る、イタリアや南欧の明るく乾いた光の明確な景色と、日本の湿潤で重い光による曖昧な景色とのギャップにより、欧州で学んだ絵画技法がそのまま使えないことに悩むということがなかったのだろうか、という疑問です。
Takashimarotus2  「朝霧」という作品です。執拗さは前景のススキや下草を細かく描いているところで感じられるのですが、それが最初の頃の作品のように出しゃばって来ません。絵画として成熟してきたのかもしれませんが、初期の頃のような細部が画面を決めていくようなところがなくて、収まるべきところに収まっているので、全体として突出したところが、あまり感じられません。かといって、全体の構成で見せるかというと、風景の奥行きがなく平面的にみえてしまって、日本画の襖絵のような淡白なものになっています。存在感がないというのでしょうか。それは反面では幻想的に映るかもしれません。私の偏見でしょうか、初期の渡欧前の作品傾向と似ていることを基準に見ようとしていますが、その連続性を感じとれるのは、茶系統の色調を基調とした地味で落ち着いた印象でしょうか。その程度なのです。それゆえ、初期の作品のようなアクの強さが薄まっているように見えます。後景の立木は影絵のように形をなぞっていて、そのかたちには、初期の作品で目だったくねくねは見られません。しかし、その反面として初期のアクの強い作品に比べて、この「朝霧」の方が親しみ易い作品になっていると思います。高島にとって絵画はパフォーミング・アートのようなものだったのではないかという仮説を前にお話ししましたが、この作品をみると、偶然に左右されていたパフォーマンスを少しずつコントロールしてきているように見えなくもありません。そう考えると、高島の渡欧の意味合いについて、本場ヨーロッパの作品に触れるとか、本場で学ぶということ以上に、故国を離れて、係累もない異なる文化の中に放り込まれることによって、自身を孤独に落としこむことで、自身を深く見つめ直すことではなかったのか、と思えてきます。自身にとっての絵画のあり方を客観的に見つめなおした。そういうものが、この「朝霧」に表われてきているのではないかと思います。ただし、それが個性の弱まりのように、私には見えます。
Hishidafalleiseihasi  「すいれんの池」という作品を見ていきましょう。60号サイズの大作です。そのサイズにもかかわらず、びっしりと細密に描きこまれた濃密な作品です。蓮の池を描いた絵画作品としてはモネが晩年に多数の作品を描いたことは有名で、日本では愛好者が多数いると思いますが、モネの描き方と比べると、高島は几帳面なほど蓮の花や葉、あるいは池の周囲に茂る草や樹林の輪郭をくっきりと描いています。その細かさは点描のようです。ここで展示されている風景画のなかでも点描の手法を一部に使っている作品が何点もありました。細部から作品をつくり上げていくという高島の絵画の制作方法にとって、都合のよいものだったのかもしれません。だからというわけではありませんが、点描的な視野で風景の画面を作ろうとしていたと言えると思います。どこまでもくっきりしていて、それは結果として、空気遠近法の遠くになるに従って霞んでいくという描き方をとっていません。そのために、画面の空間に奥行きが感じられず、平面な図面とか図案のように見えます。具体的に言うと、画面手前左の突き出た土手に下草が繁茂しているところが前景で、池の中央に山か建物か分かりませんが影か映っているのをへて右手にこんもりとした樹木の茂みがあるところが中景、そして正面の池の奥と背後の樹林を後景として、三つの場面がそれぞれあって、それを池の水面がつなぎ目の役割を果たして、三つの景色が同じ空間にあるかのような構成になっています。油絵で西洋絵画の風景画の体裁をとっているので、あまり、そんな風には見えないかも知れませんが、この「すいれんの池」という作品は、前景、中景、後景と、それらをつなぐ池の水面という4つの平面から構成された作品であると思います。だから、例えば、江戸時代中期の琳派の思い切りデフォルメされたデザイン画のような屏風絵、例えばカキツバタの屏風と本質的にはかなり近いところにある作品といえるのではないかと思います。それは、画面空間が実は平面の組み合わせであること以外に、細密に描きこまれている池に浮かぶ睡蓮の花や葉が明確な輪郭で、まるで植物図鑑の図のように描かれていることが、現実的な存在感、リアリティをむしろ減退させて、図案のように見えてくるのです。睡蓮の白い花が池に浮かんでいますが、その花は、まるでコピー・アンド・ペーストしたように、個々の花に個性がないのです。この点でも琳派の屏風のカキツバタのデザイン図のような、一種の記号のように描かれているのと、手法の本質的なところは共通点が多いのではないか、と思います。初期の習作的な作品を見ている限りでは、高島という人は手先のところ、つまり細部から描き始め、その結果が全体を決めるという行き方をとっているように見えます。そのため画面全体が複雑な構成をとっている作品はありませんでした。高島本人にも、そのことに対する自覚はあったのかもしれません。その証拠というわけではありませんが、高島が渡欧した1930年代のヨーロッパではセザンヌに端緒とする新たな造形を試行する画家たちが活躍していた時代でもあったわけで、ピカソやブラックは言うに及ばず、エコール・ド・パリのムーブメントや抽象も現われていたのを、高島は無視するように、その影響のかけらも見られません。想像ですが、高島には、そういう新しい造形に必要とされていた構想力のようなものを自身欠いていたという自覚があって、そういうものに手出しできなかったのではないか、と思える。というよりも、渡欧したことで、高島自身、そのことに否応もなく気がつかされたのではないかと思えるのです。これは、私の妄想かもしれませんが、ここで展示されている高島の風景画を見ていると、題材とか、その題材の取り上げ方ということにはユニークさがなくて、むしろ凡庸ですらあるのです。端的に言えば、高島の風景画は絵葉書的なのです。しかし、高島の真骨頂はそこから先にあります。この「すいれんの池」では、コピー・アンド・ペーストされたような白い睡蓮の花のレイアウトで、その白をアクセントにした、一見地味な風景の中で様々な色彩が万華鏡のように点描の細かなボットで交錯しあう複雑さにあります。それは、変な比喩かもしれませんが、琳派の大胆なデザイン的な屏風を顕微鏡で描きなおしたようなものです。
Takashimafar  「筑後川遠望」という作品では、「すいれんの池」とは逆に遠景が全体として霞んでしまっているのをバックに満開の桜の枝が浮かび上がる作品です。点描的な細かさは、この作品では満開の桜の花です。粒子のような桜の花のピンクが強い印象となって、目に飛び込んできます。ここでは、アングルは素人の写真愛好家が好むような月並みなものですが、この一部が暴走するような一点豪華主義の突出があります。
 Takashimafriedrich04 「春の海」という作品です。これまで何度も高島の作品にフリードリヒとの類似を述べていますが、この作品もフリードリヒの「ドレスデン近郊の大狩猟場」という作品に似ていると思います。このフリードリヒの作品をてがかりに見ていくと、画面は手前の湿原(高島の「春の海」は干潟)と遠景の空の間には境界線のように木々の黒い影があって、その境界線をはさんで対立的な構図になっていて、視線は奥行きよりも水平線の方向、つまり湿原の広がりに導かれます。その行き着く先は、画面に描かれていない、画面という枠を超えた外側の広がりです。高島の「春の海」にも、明らかに同じような視線の方向があると思います。しかし、フリードリヒの作品のような対立的な要素は控えめになり、その分、緊張感は緩和され、視線を導く力は弱まります。その視線は、どこへ行くのかというと、手前の、春の新緑の海岸の草の細密な描写です。いわば、和歌でいう本歌取りのような手法で、風景の広がり、そこに点在する春の息吹に見る者の視線を導いていると言えます。
Takashimaspring

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