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2016年10月 4日 (火)

ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち(3)~Ⅱ.黄金時代の幕開け─ティツィアーノとその周辺

Venicemillar  ヴェネツィア独自の絵画は16世紀初めにジョルジョーネとティツィアーノによって確立されたということです。ジョルジョーネは若くして亡くなってしまったので作品も少なく、日本に作品が持ってこられることはおそらく無理でしょうから、ここでは、もう一人のティツィアーノの展示が中心ということになりました。その作風は“初期から中期の鮮やかな色彩による官能性豊かな自然主義的作風から、後期の悲劇的感情をはらんだパセティックな宗教画様式まで大きな振幅を示している”のですが、“その本質は、フィレンツェ派のレオナルド・ダ=ヴィンチやミケランジェロから刺激を受けつつ、光と影の効果や色彩の調和に対する素晴らしい感覚にある。彼はこうした表現力を駆使することで、柔らかい光に包まれた風景や官能的な女性像を若々しい詩的な感性で描き出した”と説明されています。
 Caravaggiomariatitu ティツィアーノの工房で制作された「ヴィーナス」です。「鏡を見るヴィーナス」のヴァリアントつまり、それをもとに工房で制作されたものということでしょう。「鏡を見るヴィーナス」は1550年ごろの制作ということですから、ティツィアーノ後期から晩年にかけての時期の制作ということになるでしょうか。工房の制作なので、画家本人の筆が必ずしも入っているとは限りませんが、輪郭線は明確でなく、形態はぼんやりし始めています。それはダ=ヴィンチのスフマートのような明確に形態をしっかりと描いて陰影をつけていって輪郭線を見えなくしていくのではなくて、初めから形態を明確にしようとしないという行き方のように見えます。しかし、ヴィーナスの豊満な肉体がドカッと画面に存在しているので、その量感とか質感で、見る者はヴィーナスをはっきりと認識できるのではないでしょうか。そして、それを見る者に認識させるべく、彩色において、陰影を巧みに施しています。工房作ということで仕上げは粗いというのか、顔の頬の赤みなや髪の毛の描き方などグラデーションの精緻さに欠けるところがありますが、上半身ほぼ全裸でベッドに腰掛けている女性は、身体は正面向きで、顔だけを右側に振り向けて、左手で胸を、右手で下腹部を隠しています。このポーズ、「恥じらいのヴィーナス」と呼ばれる古代ギリシャの彫刻に由来するものだそうで、本来は水浴する前の恥じらいのポーズだったものだそうですが、この作品では、豪華な衣装を身体の一部にまとわせることによって、豊満な裸体を隠そうとするようにも、衣装を脱いで美しい裸身をあらわにしようとしている、その両方にもとれる曖昧な身振りになっています。それだけ、見る側にとってはエロティックに映ることになるわけです。しかも、この女性は、耳に大粒のピアスをつけ、左手の小指に目立つ指輪をはめて、右手首に細い金の鎖を巻きつけて、下半身を豪華な衣装で包んだ当時のヴェネツィアの女性の姿です。ティツィアーノの描く官能的な女性像のひとつと考えてもいいのではないかと思います。ちなみに、ティツィアーノは、同じようなポーズで「悔悛するマグダラのマリア」という官能とも回心ともとれる作品を残しています。当時の社会情勢はプロテスタントに対してカトリックの側では対抗宗教改革が始まり、締め付けが厳しくなっていったころですが、ヴェネツィアは独立した自由都市であり、とりわけ他所に比べて性に対する自由があり、16世紀以来買春を目的とする旅行がフランスやイギリスから来ていたという資料が残されているそうで、そのような風土ゆえに検閲が緩やかであり、抑圧や弾圧に悩まされることなく、生の悦楽に満ちた絵画表現、つまり、この作品のようなエロティシズムの表現が可能であったといえます。ティツィアーノの女性の裸体作品は模倣や称賛の対象であり続けたのも、それゆえだろうということです。
Venicealvert  同じティツィアーノの「聖母子(アルベルティーニの聖母)」で、比較的小さな作品です。この後で見る「受胎告知」とおなじころの晩年の作品です。晩年の作風を特徴づける “素早く粗いタッチや震えるような光の表現”があらわれているといいます。たしかに全体にぼんやりとしていて輪郭がハッキリしないのです。左奥の背景は旧約聖書に語られる預言者モーセが目撃した燃える柴ということですが、マリアの純潔を象徴とするらしい、その燃える柴の明るさが光源となって、左上から柔らかな光によって、暗い中から聖母子の姿が照らされるように浮かび上がってきています。それは、闇に光をもたらすようにも見えます。そして、そういう描かれ方をした聖母の被っているヴェールはどうでしょう。まるで宙に浮いていてるような軽くて薄い透き通るような表現が、下を向いて幼児を見つめる表情をヴェールに隠すことなく明らかにしています。全体にぼんやりした中で、キリストを見守る聖母の表情、そしてそれに応えるように聖母をみつめる幼児のキリスト、両者の視線が浮かび上がってくるのです。ここには、マリアの象徴である青いヴェールや赤いドレスはくすんで色褪せてしまっている感じで、聖母子の聖性を表わすシンボルは殆どありませんが、その光に浮き上がるところや二人の視線や表情の高貴さによって、それとわかるように描かれているといえます。晩年のティツィアーノはそこまで内省的な表現をつきつめたというとでしょう。
Veniceannunciation  「受胎告知」を見ていきましょう。4.1×2.4mという大画面です。展示は、この一作のためだけに、まるで教会の聖堂のような区画を設定し、そこに祭壇のような展示台をしつらえてありました。しかも、この美術館の倉庫のような高い天井が教会の高いドームのような効果をだしていて、神々しさを引き立てていました。ひろい展示室で、遠めに見上げる戸、その奥に高い天井が広がっているというのは、なかなか他の美術館では味わえない、この美術館ならではの光景でした。日ごろは敬遠しがちな美術館でしたが、この展示に関してはここでよかったと思います。想い起こせば、過去にグレコやラファエルの聖母像なんかも、このような展示で見たかったと、今更ながらに思いました。
 “ティツィアーノは、受胎告知の奇跡の瞬間を、晩年特有の力強く大胆な筆さばきと、金褐色を基調とする眩惑的な色彩によって、ドラマティックに描出した。大天使の出現に驚いたマリアは、読みかけの本を手にしたまま、身を引きつつも後ろを振り返り、耳元のヴェールを優雅に手でつまんで引き上げ、お告げに耳を傾けている。マリアのS字形の体の曲線、肉感的な唇、豊かな胸、マントの裾から垣間見えるつま先は官能的である。ティツィアーノが筆と油絵の具を自在に操り、色彩の表現力を最大限に引き出す様は、当時の批評家から「色彩の錬金術師」と評された、聖なる神の子が人間マリアのうちで生身の肉体を授かる神秘が、この世ならぬ輝きを放つ色彩そのものによって見事に表出された。”と説明されています。長い引用でしたが。
 Yosiokaanje ここで、盛んに言及されているティツィアーノ晩年様式について少し触れてみたいと思います。ちょっと教科書的なお勉強に近くなります。初期から中期にかけての若い頃のティツィアーノは細かな筆致で入念に描きこまれていて、近くで見ると、その精緻さに驚かされるものでした。これに対して、晩年になってくると、大づかみに対象を捉えるようになって大まかな斑点で絵の具を叩きつけるように描かれるようになります。そのため近くで見ると何が描かれているかわからなくなってしまうこともあるのですが、離れて見ると完璧な絵に見える。ただし、この大まかな斑点と言っても、何度も筆が入って、何度となく絵の具が塗り重ねられた結果であり、その結果、対象の輪郭は消え去り、描かれた事物は濃密な大気と溶け合い、震えているかのような動きが生まれます。暗い背景の上に無造作にばら撒かれた明るい絵の具の筆触は、内から発するような不思議な光を帯びて輝いている。そこではルネサンス絵画のような対象の自然主義的な再現を超えて、バロックに近いような神秘的な絵画空間が形作られているといえます。例えば、中央の光に照らし出された天使たちの輝くさまはどうでしょう、そして、光から遠ざかる天使たちの輝きのグラデーションは、大づかみでありながら精緻に光が伝わっていく様が体感できます。
Grecoannuncation2  それは、描き方だけでなく、全体の構成、空間デザインについても、フィレンツェ派のルネサンス様式のリアリズムに基づく清澄で古典的なものに比べて、神秘的で、ゴテゴテしていて過剰ともいえる要素の横溢、暗めの基調で光と闇の対比を強調したところなど、聖母の無垢さとか厳かさといったダ=ヴィンチやフラ・アンジェリコの受胎告知とはまったく異なる印象を与えます。受胎告知の奇跡の瞬間をひたすら劇的に盛り上げようという、それを見る者に強く印象付けようという画面です。それは、信仰を持たないものですら圧倒するような迫力で押し切るような力を志向しているところがあります。
 この構成や色調、とくにゴテゴテしたような過剰さと光と影の強烈な対比は、エル・グレコの作品とそっくりと思ったのでした。ちなみに聖母マリアの顔もグレコの描くのによく似ています。というより、グレコが真似たわけですから、グレコのユニークで迫力ある画面が、実はティツィアーノによるところが大きいということは、この作品を見ると、よく分かります。
Veniceannunciation2  ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルドの「受胎告知」です。今見たティツィアーノと比べると、ほとんど同時期に、同じヴェネツィアで、同じ題材で、これほど異なる作品が描かれていたということに、驚かされます。それだけティツィアーノが過激に進めてしまったということなのではないかと思います。しかし、ここにも穏やかな形ではありますが、光と闇の対比は取り入れられ、フラ・アンジェリコのような光に満ちた画面ではなく、暗さを基調とした中に、天使と聖母が光を受けて浮かび上がっています。ちなみに、天使やマリアのポーズや天使とマリアを横並びにしている配置、細かく描きこんでいるところなど、後のラファエル前派の構成を連想してしまいました。
Preraffaros1  ボニファーチョ・ヴェロネーゼの「嬰児虐殺」という作品です。福音書の中のエピソードでイエスの誕生を知ったヘロデ王がベツレヘム周辺の2歳以下の男の子をすべて殺すことを命じた様を描いたものです。右奥に椅子に座ったヘロデ王がいて、画面では虐殺が実行されていますが、その一つ一つの場面が迫真をもって細かく描かれています。それぞれの場面の一人一人の表情もそれぞれに生き生きと説得力あるもので、その丁寧さには感心しました。そして、兵士や母親のポーズや赤、緑などの衣装の色彩の鮮やかさが華やかさ、豪華な雰囲気を作り出して、題材は残酷なものですが、飾り物としての豪華に飾ってしまうところにヴェネツィアの自由さ、あるいは貿易商人のたくましさが感じられます。おそらく、そういう風土の中からティツィアーノのような一筋縄ではいかないような画家が養われたのではないかともいます。この作品も、そういうヴェネツィアの幅の広さ、懐の深さをうかがわせるのではないかと思います。
Veniceverone

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