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2016年10月 5日 (水)

ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち(4)~Ⅲ.三人の巨匠たち─ティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノ

Venicetint1_2  16世紀半ば、ティツィアーノに続く世代としてヴェネツィアで活躍したヤコポ・ティントレットとパオロ・ヴェネローゼという2人のライバル、そして2人を尻目に独自の制作活動を展開してヤコポ・パッサーノの3人の画家に注目した展示ということです。著名な3人を並べたということでしょうか。
 Grecocon3 ティントレットの「聖母被昇天」です。ティントレットはマニエリスム様式から大きな刺激をうけ、劇的な空間構成、人物の力強い動勢、強烈な明暗表現を特徴として、その特長を生かした高揚を煽るような宗教画を次々と描いたと解説されていました。この作品は聖堂に飾られていた祭壇画で、埋葬された聖母マリアが昇天しようとする場面を描いたもので、取り残される地上には使途たちが画面下半分いっぱいに集まっていて、その上では聖母が両手をひろげ、衣をひるがえして上昇していきます。画面の下半分は、地上で聖母の昇天を見送る使徒たちの群像ですが、同じ群像で比べれば、前のコーナーで見たヴェネローゼの「嬰児虐殺」の赤ん坊を殺そうとする兵士ち守ろうとする母親たちの群像で、いくつもの攻防の場面がありますが、それぞれが画面を見る者に対して正面を向いて、それぞれが主役のようにポーズをとっています。それぞれが“らしく”サマになって描かれています。これに対して、「聖母被昇天」の下半分の群像は昇天する聖母を見ていて、見る者に半身になっていたり、背中を見せています。しかも、聖母の方を見上げるポーズをとるのと、画面上の構成の都合から多少無理な姿勢をとっているものもいます。例えば、画面の一番手前の左右の2人の人物などは、まるで、ミケランジェロの「最後の審判」の審判をうける人々のようなギリギリに近い姿勢を強いられているもののようです。この使徒たちの無理に身体をひねったような描き方はマニエリスム様式の影響と思われます。また使徒たちが一様に昇天する聖母に視線を向けているために、この画面を見る者は自然と、その使徒たちの視線に導かれるように聖母に視線を向けていく画面構成になっています。その一方で、これだけ多くの人々が描かれている中で、全身を全部描かれているのは画面中央上の昇天する聖母と画面手前の左右のさっき紹介した2人の人物で、画面ではこの3名が目立ちます、その目立つ3名はちょうど二等辺三角形の形にレイアウトされています。これが、見る者の視線を上に集めるのに対して、画面は全体として安定して、どっしりとしているのはそのためで、このような複雑な構成となっています。そのような安定した画面であるからこそ、画面中の人々が不安定なポーズをとっていても、全体の秩序が乱れない工夫がなされていると思います。また、昇天する聖母の衣装をみると、風に翻っているようですが、よくみると、シワの方向が上に向かって渦巻いてるようなのです。そのことによって、聖母のダイナミックな運動が表わされていて、それぞれの人物に躍動感があります。それが、人々の視線だけでなく、全体として上昇していく動きを画面に与えています。そういう、人々の身体の動きや、それを画面に統合していくところに、この作品の特徴があると思います。
Venicetint2  その一方で、聖母をはじめとして顔の描き方が丁寧さに欠けるというのか、ティントレットという画家は人体を描くほどには顔や表情を描くのに巧みではなかったようです。
Caravaggio2016final  同じティントレットの「アベルを殺害するカイン」という作品です。旧約聖書の創世記で、楽園を追放されたアダムの2人の息子、カインとアベルがそれぞれ農作物と子羊を神に捧げたところ、神がアベルの捧げた子羊のみを受け取ったため、カインが嫉妬にかられてアベルを殺害するというエピソードです。この作品での2人の筋肉隆々の男性が、かなり身体をひねって絡み合うのは、ミケランジェロの「最後の審判」や、後のカラヴァッジョの劇的な斬首を描いた作品のポーズを想わせます。しかも薄暗い森林のなかで、二人に光が当てられることによって劇的な効果を高めています。ここでも、格闘する2人の顔の表情は描きこまれておらず、画面の明暗や二人の身体のダイナミックなポーズや絡み合いが中心となっています。
Veniceverone1  多分、ティントレットという人は近代的な個人とか、主体性といったことの認識がなかったのではないかと思います。さきの、「聖母被昇天」では群集の一人一人について丁寧に描いていながら、それはあくまでも画面を構成するパーツとて仕上げるということで、その一人一人の人物に個性を与えたり、それぞれが一人の人物として画面中で存在感を与えられるということにはならないのです。そのため、人物の内面とか感情といったことには顧慮されていません。あくまでも外形としての身体の動きなのです。そこがカラヴァッジョのような人物の内面が投影されるような、例えば宗教的な回心が起こる場面が人物のポーズや、そこに光があたることによって、画面を見る者にも実感できる、それによって共感を誘うということには至らないのです。ティントレットの場合には、劇的な画面に惹かれる、高揚するところまで、そこから先は、自分で考えなさいという作品なのです。それは、どちらがいいとか悪いとかという話しではなくて、時代背景も違えば、絵画をみてもらう対象となる人々も違うので、そういう外部的な影響も考えられますし、画家の資質、態度の違いもあると思います。すくなくとも、カラヴァッジョよりもティントレットの方がストレートに見る者に効果を与えることは確かです。野球であれば、ティントレットは速球一本勝負、これに対してカラヴァッジョは速球とチェンジアップの使い分けで、速球をより速く見せるという違いです。
Grecoadora3  次にティントレットのライバルであるヴェロネーゼは、ラファエロの様式を受け継いで、明るく華やかな色彩と調和の取れた古典主義的造形感覚を特徴としていると解説されています。まず、「レパントの海戦の寓意」という作品を見ましょう。画面は雲を境界にして、下半分はレパント海戦の戦闘場面、上半分は聖母マリアのいる天上の世界ということです。上部は天上の世界ということで輝かしく、明るく描かれています。これに対して下部は、とくに右半分は暗い世界です。みれは、海戦の敵側であるトルコ軍船のいる部分は暗さが支配し、左側のキリスト教側には、ちょうど上の左手で立っている聖母の真下から光がさして照らされている、つまり、聖母の加護が及んでいるので多少明るくなっているということでしょうか。この戦闘場面については、沢山の軍船と兵士や船漕ぎ人夫たちを頭数として数を描くこと、船の場合はマストを林立させることで、その数の多さと海上で錯綜している様子を表現している、つまり、構図で見せています。ティトレットに比べるとダイナミックな表現はとっていないようで、動勢の表現はそれほどやっていません。それは上部の描き方に一目瞭然で、ティントレットの「聖母被昇天」の使徒たちの不自然な一方でダイナミックな描き方と比べると、ヴェロネーゼの方は、一人一人は不自然なポーズをとっておらず、それぞれ人々がいるという感じで、赤い衣装を着ている聖母に視線があつまり、聖母がことさらに中心になって画面が構成されているわけではありません。ここでは、上と下の対照、そして、したの方でも左右の対照が中心で、聖母の称揚と、その加護によりトルコとの海戦の勝利したことが寓意的に描かれているといったものだろうと思います。ここでは、そういうバランスがあって、ティントレットのような高揚を誘うものではありません。
Veniceverone2_2  次に「羊飼いの礼拝」を見てみましょう。これはヴェロネーゼの工房で制作されたものです。聖母子を羊飼いたちが囲むようにしている場面ですが、ティントレットの「聖母被昇天」との様式の違いが、より明確に分かると思います。聖母子に光があたり明るくなっていますが、それが劇的効果をあげているわけでもなく、明暗の対比が強調されているわけではありません。全体として、平明な色調で穏やかに描かれていて、輪郭線をはっきりさせていないので、悪く言えばメリハリがなくて、刺激が少ないので、地味な印象です。しかし、聖母子を羊飼いたちが礼拝するという場面が誰にでも分かりますし、穏やかに聖母子を囲む平和な風景と見ることもできます。この作品はヴェロネーゼ本人というわけではないので、平均点以上でしょうで、特徴は継承しているとは思いますが、際立つほどではないかもしれません。しかし、聖母や人々の赤、青、黄色といった衣装の色の明るさや清らかに澄んだところなどは、見ていて心地よいもので、今でいえば癒し効果というのでしょうか、強烈に視線を集めるのではないが、見ていて邪魔にならず、しばらく眺めていたいと思わせるところがあります。それが、ティントレットとヴェロネーゼの様式の違いではないかと思います。
 最後に、バッサーノについては、ヴェネツィア内陸領土の町で活躍したので、ティントレットやヴェロネーゼとは離れていたところで、ジョルジョーネの流れを汲む情緒豊かな田園風景に託して聖書の主題や風俗的な連作を描いたと解説されてしました。「悔悛する聖ヒエロニムスと天上に顕れる聖母子」という作品です。幾つかの場面をつなぎ合わせて最終的にひとつの幻想的な画面に出来上がったと思えるような作品です。ここでは、下にいる聖ヒエロニムスは上の聖母子を見ているわけでもなく、聖母子が聖ヒエロニムスを見守ってもいません。また、この画面では、どちらかがメインというのでもなく、上と下を対照させているわけでもありません。修道院の祭壇に飾られていたということも考えれば、ティントレットの作品のような見る人を高揚させ、ひとつの方向に引っ張っていく効果を狙ったものではないし、バッサーノには、そういう志向は少なかったのではないかと思います。聖ヒエロニムスと背景の牧歌的な風景との間にも関連性がみられないし、聖母が空中に浮かんでいるのもちぐはぐで、パッチワークのようです。むしろ、この作品は、個々のパーツを見るべきなのかもしれません。背景となっている牧歌的な情景描写や上空で光に照らし出される聖母子や天使の姿は、エル・グレコの描く姿に似ていますが、グレコほどの劇的ではなく、平明さがあって親しみ易さが強くなっています。また、聖ヒエロニムスは他人を寄せ付けないような厳しさよりも、親近感を持たせるように描かれています。全体として、緊張感というより、穏やかで平明な身近な印象を与えるのではないでしょうか。それは、ティントレットの宗教画が見る者を高揚させて宗教的な感情を煽るようなのに対して、このバッサーノの作品は、より親しみ易くなっていると言えます。
Venicebassano  このようにして、ここで展示されているヴェネツィアの宗教画を見ていると、前のコーナーのティツィアーノも含めての印象として、次のようなことが考えられます。ひとつは、フィレンツェやローマのルネサンスで描かれた宗教画が、どちらかという、聖書の一節や聖人を単に視覚化する傾向があったのに対して、ここで展示されている宗教画は、よりものがたり性を包含させているように見えます。つまり、フィレンツェやローマの宗教画は聖母マリア像とか聖人像あるいはキリスト磔刑の風景といった画像の方向であるのに対して、マリアが受胎告知を受けているとか、聖母が昇天していくのを使徒たちが見守っているといった映像の方向になっています。そのため、画像では、その視覚的光景を忠実に再現しようとして写真のような客観的で写実的な、つまり、見る者がリアルと感じるように追求されるのに対して、映像では時間の経過という要素が入り込んでくるために、そこに動きの要素が入り込んでくるので、客観的な外形をなぞるだけでなく、それが動いているように見えてくるようになっています。それがダイナミックな動勢の表現で、そこに形をデフォルメするという操作が加わってきます。さらに、聖母と彼女が昇天するのを見守る使徒というように画面が単独の題材に限られず複数の題材を組み合わせるようになって、画面に表現される内容が複雑になってきます。そうなると、見る者は単独の題材を見たままで受け取るだけでは済まされなくなります。そこに見る者が画面に主体的に参加して自分なりに解釈するという機縁がうまれます。それは、客観的な画面の受け手から、作品に対する姿勢が主観的に変化しているのです。ここで展示されている作品には、見る者をそういう方向に導く工夫が施されていました。その最たるものが、ドラマチックな画面構成です。例えば、光と陰を対立的に扱い、暗闇に神の照らす光が届くとか、天使から受胎告知を受けるマリアが光を受けて神々しくなっていくとか。画面で展開されるドラマに見る者は惹き込まれ、主観的に参加していく、つまり、感情移入していくことになります。そこでは、フィレンツェの聖母像で表わされているような理想的な美の姿は、むしろ不要で、それ以上に市井のごくふつうの少女が天使のお告げをうけて聖母となるドラマの方が重要で、そこに近寄り難いほどの理想的な美は邪魔です。寧ろ、普通の少女がお告げをうけた戸惑いや畏れといったことを経て輝くという表現が重視されるわけです。そこで使われるのが、フィレンツェの絵画のような科学的なデッサンによる理想化された形態ではなくて、輪郭をあいまいにして、多彩な色遣いによって陰影をつくりだすことによって、例えば、顔を描く際に陰りをくわえることによって微妙な感情表現を可能にしていったのです。マネキン人形のような整った美しさがあるけれど冷たい顔よりも、多少の歪みはあっても哀しみを帯びている顔の方が感情移入できるわけです。そういう宗教画であるから、それを見る者は、ローマやフィレンツェの知識豊富で修行を積んだ僧侶や教養豊かな貴族、あるいはそのような人々を相手にする商人ではなく、ヴェネツィアでは一般市民や貿易によって来訪した世界中の人々であったと考えられます。そういう人々によりアピールするものであったのではないかと思います。この時、すでにバロック絵画の先駆的なもの手あったのではないかと思います。時には、宗教以外でも官能的な目的をも叶えるといった作品もあったと思います。

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