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2016年10月 7日 (金)

ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち(6)~Ⅴ.ルネサンスの終焉─巨匠たちの後継者

Veniceparadise  16世紀の終わりになると3人の巨匠たちが次々に他界し、次の世代の継承者たちが現われます。彼らは、いわばルネサンスからバロックへの橋渡しの役割を果たし、豪華で装飾的なヴェネツィア絵画を定着させたといいます。
Venicemoro1_2  アンドレア・ヴィチェンティーノの「天国」という作品です。とにかく、この描かれた人の多さ、その人々が折り重なってうごめくような構図に圧倒されました。これが果たして天国の光景なのか、天国的とはこのようなイメージなのか、キリスト教徒でない私には何ともいえませんが、同じような光景を諸星大二郎の「妖怪ハンター」というまんがでみたことがあります。東北の寒村で、隠れキリシタンがいて、キリストに擬せられた若者に従って村民たちが昇天していくというストーリーですが、この「天国」という作品には、同じような数の迫力を感じました。描写としては、この人々のひとりひとりを丁寧に描いているわけではなくて、マスとして彩色を巧みにするとで、とにかく頭数を強調することと、画面上方からの天国の光に人々が照らし出される、その光のグラデーションで見せているという作品です。ちなみに、このヴィチェンティーノという画家は大群衆の作品を何点も描いているようで、戦争の場面で多数の兵隊が戦っているところといったスペクタクルを得意としていたのかもしれません。
Venicepalma1  パルマ・イル・ジョーヴァネの「聖母子と聖ドミニクス、聖ヒュアキントゥス、聖フランチェスコ」という作品です。今まで見てきた宗教画の中で、もっとも色彩が鮮やかで明るく、見栄えがする作品です。明るいといっても、フィレンツェ・ルネサンスのフレスコやテンペラによる明澄さとは違い、原色に近い鮮やかな色が映える明るさ、例えば空の青。そして、光の金色の輝くさま。色彩が、色調とか陰影とか質感を通り越して、独立した価値を、それは装飾としての独立性と言えるかもしれませんが、色彩の鮮やかさを見るという視点で、作品を見ることができるように進んでいると思います。聖人たちや聖母子、天使たちの描き方にはソツがなく、まとまっていますが、動勢はほとんど感じられず、これまでの画家たちによって描かれたポーズを上手くとりいれているように見えます。ただ、それはパターン化のきらいがあり、かたちはそれらしいのですが、生き生きとした表情とか、見る者に感情移入を起こさせるような点は薄まっているのではないかと思います。その代わりに、装飾的である点では、以前の画家たちを凌ぐと思います。そして、全体として、ティツィアーノのころから、色塗りで画面を仕上げていくことを進めてきたからでしょうか、輪郭線が消えて、形態があいまいになり、はっきりしなくなる傾向が強まってきているように見えます。それが、徐々に基本的なプロポーションが崩れてきたような印象もでてきます。最初は基本的なプロポーションか決まっていて、それをデフォルメして変形させていたのですが、ここに至ってくると、その元もとのプロポーションが崩れて、デフォルメしたものがデフォルトとして継承されて、それにアレンジを加えていくことによって、もともとのベースの形の感覚がなくなってきている、という印象です。
Venicepalma2  このような傾向は同じ画家の「スザンナと長老たち」を見ると、さらに顕著です。美しい人妻スザンナに浴場を抱いたユダヤの長老たちが、水浴中の彼女を襲って関係を迫ったところ、彼女の拒絶されてしまいます。長老たちは、その露見を恐れ、偽証によって彼女を断罪しようとしますが、若者ダニエルによって偽証を暴かれ、処刑されるという旧約聖書のエピソードです。暗闇に浮かび上がる、スザンナと二人の長老はぼんやりしていて、スザンナの白い裸体は目立っていますが、胸などの豊満さが強調されすぎて、人体のようには見えません。それは、現在で言えば、まんがやフィギアでロリ顔の巨乳というキャラ(少女の顔で身体つきは華奢であっても、その身体に不釣合いなほど乳房が巨大な姿)と同じような発想で、女性の身体をパーツごとに分けて、それぞれを好みの姿にして、あとでそれぞれのパーツをつなげるという一種のフェテシズムのような発想で描かれているように見えます。前のⅡのところでティツィアーノが同じようなポーズをマグダラのマリアとして描いていますが、そのバランスと比較してもらえれば、このスザンナの異様さがよく分かります。ここに至って、私にはルネサンスの基本的な姿勢の崩壊のあらわれと見えます。とくに、ダ=ヴィンチの作品などに特徴的に現われていると思いますが、ネルサンスの特徴として古代のギリシャやローマを模範としたところがありますが、この考え方のひとつとしてカオスに対するコスモスという考え方があります。カオスとは渾沌で、それに秩序を与えたのがコスモスということで、古代の人々はそれを理想としたといいます。コスモスという言葉は現在では宇宙という訳語が当てられていますが、この世界全体を整合性ある秩序と見ていたのです。同じように人に対しても、宇宙の縮図のようなミクロコスモスとして捉えられていました。人体がひとつの統一された秩序であるとして、仮に、その秩序のバランスが崩れるとそれは病気という状態としてあらわれるという考え方です。この場合、医学というのは、そのような人に秩序ある状態に戻してあげるということになるわけです。そういう古代を範としたルネサンスでは、絵画で人を描く場合には、バランスの取れた統合された全体として捉えようとしたわけです。ダ=ヴィンチが解剖を頻繁におこなって人体の骨格や筋肉などを知ろうとしたのは、統一体としての人体の秩序をしくみから理解して、それをもとに人を描くことを目指したからだと言えます。だから、ダ=ヴィンチの描く人物は、統一が取れていて見るからに自然で無理がありません。しかし、人というのは個性があって一様であるといえません。例えば、肥満体のひとは理想の秩序あるバランスからは逸脱しているかもしれませんが、人とはそういうものでもあるのです。そこに明らかな個性もあるのです。そういう様々な人がいることによって、人々の関係があり、そこにドラマが生まれるのです。人間の社会が常に安定した秩序が保たれているわけでもありません。戦争はしばしば起こります。しかし、そこに多くの人間ドラマがうまれ、例えば、バロックの画家たちは、そういうドラマを誇張しても、その劇的なところを描こうとしました。したがって、ルネサンスの理想としたコスモスは次第に保てなくなっていきます。そのひとつのあらわれが、ここで描かれているようなスザンナのようなコスモスを逸脱した部分の独走です。それは、おそらく、絵画を見る姿勢も変化してきていることにも原因していると思います。じっくりと絵画を鑑賞するということから、ぱっと見て刺激的な効果を期待するように方向に変化があったのではないか。そのために刺激的な効果を優先していくうちに、このような描き方になっていったのではないかと想像しています。これは、私の好みということなのでしょうが、私は、ここにひとつの頽廃を見ます。
Venicerucletia  レアンドロ・バッサーノの「ルクレティアの自殺」という作品です。スザンナと同じようなエピソードを題材にした作品ですが、こちらは精緻なほど細かく描き込まれています。暗闇で右上からの光に照らし出された半裸の女性の姿です。この右上からの光の光源はハッキリしませんし、彼女が、その光のほうを向いているのは誰を見ているのか分かりませんが、これらはおそらく、彼女の顔と半裸の肌をよく見せるためのものでしょうか。上気して肌が紅潮している様を強調して、よく見えるように描いています。あるいは、結っていたのが乱れて流れ出したような髪の毛や衣装の肌合いなど、精緻に描き込まれています。この素材は、右側のパルミジャニーノの作品が有名です。
Guerupermi  パドヴァニーノの「オルフェウスとエウリュディケ」という作品です。オルフェウスが亡くなった妻エウリュディケを冥界に連れ戻しに行って、振り向いてはいけないという約束を破ってしまったために、冥界に戻る妻を引き止めようとしているところです。というよりは、ギリシャ神話に名を借りて、逃げ去ろうとする若い女性を若者が必死で引き留めている諍いの場面と見ることができると思います。冥界という場所ということで暗闇という設定なのでしょうが、これも夜の諍いということになると、官能的な性格が強くなります。しかも、女性が身にまとっている衣装は透明で薄手のもので、僅かにまとわりついているだけで、その描き方は見事とは思いますが、今の視点でみれば、薄手のネグリジェが寝乱れてというように見えなくもありません。そして、この画家も輪郭を明確に描くことがなく、全体として形態がぼんやりした感じになっていて、ティツィアーノ以来のヴェネツィア絵画の特徴として定着したものということでしょうか。この作品では、それが、このような官能的な内容の生々しさを弱めることに結果的になっていて、神話のものがたりという弁解もあることから、夢幻的な雰囲気を作り出して、うまくごまかしている、というように見えます。これもぱっと見の刹那的な刺激の効果を優先しているように見えます。
Veniceolfe_2

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