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2016年12月14日 (水)

文化財と経済原則のあいだ

 世界遺産でもいいし文化財でもいいですが、文化を保存するということについて、ちょっと考えていることを画然と明確にすることができず、微妙な点もあるだろうと考えている点もあるので、読んで下さる方は分かり難いかもしれませんが、お許し願います。例えば、日本の伝統工芸なんかで無形文化財といって、織物とか染色とか陶芸などの分野で技能を継承しているケース。外国人の好きな人などからは芸術とか文化とかいわれているもので、今は後継者がいなくて悩んでいるといったことなど。よくある話だと思います。そういうものを保護して、伝統だからと保存することを目的にするといったことについてです。これ自体、文化の保存ということなので、否定するつもりはないのですが。
 一方で、このような伝統工芸は、もともとは、それが生まれた時には需要があって、それが商品として売れて、つまり、採算がとれて、それだから生産が増えて、普及して、職人が増えていったものです。それが、今は後継者に悩むということは、そういう商品としての成長がない、需要がないものになってしまっている。芸術であり、文化かもしれませんが、それに関わっても採算がとれないものになっているものです。したがって、芸術とか文化とかいうことがなければ、市場で淘汰されて消えて行ってしまうものです。私は会社員で、企業というのは経済の市場原理に従って生きているもので、そこで競争に負けてしまったら、死んだということになるという世界にいます。工芸品の商品としてみれば、その同じ世界に生きていると言えると思います。そこで、死んでしまったものが、文化財ということで保護されて残っている。つまり、私の生きている世界では、文化財としての工芸品とか技術というのはゾンビのようなものなのです。この市場と世界では、どんなに凄い技術や画期的な発想や美しいものであっても、市場での競争に負ければ退場を免れることはできません。私の長くはない会社員生活のなかで見聞きしたものでも、凄いものでも市場で負けて退場し消えたものは、数え切れないほどあります。それが一時的には一世を風靡したものであっても、現在、跡形もないものは沢山あります。そういうものの凄い技術は、商品が消えれば、当たり前のように廃れてしまいます。それは市場では当たり前のことです。むしろ、市場の原理では、そういう消えるべきものが居座るように居残っていては、新たな技術や商品が登場してくることの障害になってしまうという考え方が強いです。いわゆるイノベーションというのも、そういう考え方のひとつの形態であると思います。用無しになった旧体質に、新しいものが替わって入ってくるということになります。
 さて、そのような考え方にあって、一方で、文化であるからとゾンビが居残っている。そのために、言い方は悪いかもしれませんが、その関係の業界が寄りかかるようにして、市場に居座っている。もし、市場の立場で考えれば、同じように市場から退場したもので、一部が保護されて居座って、その他は消えてしまった。消えてしまった側の立場で考えると、文化かどうかというのは主観的なもので、それによって決められてしまう、かなり不条理なことになっているのではないかと思うことがあります。

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