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2016年12月20日 (火)

M・H・ニコルソン著『暗い山と栄光の山』

 今でこそ登山というものが一般的に認知され山岳風景は当たり前になっている。しかし、それはずっとそうだったのではない。むしろ17世紀以前では山は大地の疣や瘤であり、病的で醜い邪魔者だった。このベースには地球が完全な球でなければならないという考え方があった。それは神によって作られたものは、その美は均整と調和にあった。現在の不規則な地表の凸凹は人間の罪に対する神の怒りと懲罰の表われだということだった。
それが17世紀の天文学の発達は宇宙空間の厖大な広がりを明らかにし、その中の地球の存在を取るに足らぬものにしたばかりでなく、月や惑星もまた完全な球でないことが明らかになり、宇宙や世界の完全な球体の観念は否定された。
 空間の厖大さに驚嘆した人間は、同じように時間の厖大さにも気がつく。そして長いときを経て大地が徐々に変化して現在の大地の姿になったことに思い至る。大地は神によって作られたものだが、自然の力によって変化を経てきたものと見方が変化する。そして、人間の醜い罪の表われであった山々が、自然の雄大な力の顕現として捉えられるようになって、自然の偉大さと驚異に目覚めていく。そして均衡と調和が美であったことから、新たな美が生まれた。広大な自然が喚起した畏怖と歓喜は“崇高”という新たな美の基準を生み出した。
 ヨーロッパにおける山というものの見方が大きく変化した軌跡を、その表現である詩の変遷から丹念に追いかけたもの。それはまた、古代のお手本をもとに詩をよむことから、詩人が個人として自立し自身のオリジナルな表現を創出していくという新しい創作のありかたの変化と同時期的に変化しているようにも思う。そこで例として引用されている詩のフレーズの多彩さに驚かされる。著名な詩人の作品に限らず、エポックメイキングなものを現代では忘れられた人を掘り起こしているようなのだ。山に関しての詩的表現の変遷を丹念に掘り起こしたものでもある。思うに、登山というのは、圧倒的に個によって為されるものである点で、他のレジャーやスポーツと決定的に区分されると思うからだ。

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