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2016年12月21日 (水)

歌舞伎とシェークスピアの違いはビジネスの違いに通じる?

 とりたてて大ファンというのでもないのですが歌舞伎の世界では役者が舞台で演じる際に『型』というものがあります。演目の筋やセリフは台本に書かれていますが、どのように役を演じるかはここでこういうポーズをとってとかパターンができていて、それを『型』というそうです。その『型』は一通りと限らず、同じ演目の同じ役柄でも複数の『型』あるといいます。例えば、「仮名手本忠臣蔵」のお軽勘平のエピソード、五段目の鉄砲渡しの段の勘平には菊五郎の型と羽左衛門の型があります。二つの型の大きな違いは、お軽の実家で猟師となった勘平が鉄砲を担いでひと休みしている際に、右手で火縄をくるくる回しているかどうかで見分けることができます。その違いが、勘平という役柄の性格の微妙な違いに結びつくので、そのどちらをとるかは役者の個性や共演者などの理由によるのだそうです。
同じ演劇の分野でも、ヨーロッパ演劇、例えばシェークスピア劇では、スタニスラフスキー・メソッドという演技の方法論に基づいて俳優は台本を土台として役柄の人物になりきって、ハムレットやオフィーリアといった人格を表現するのだそうです。
 日本のユニークさを際立たせるような極端な例を用いているのかもしれませんが、歌舞伎とシェークスピアという演劇の性格の違いをひとつのシンボルのようにして、違いを思いついたので、簡単に述べてみたいと思います。飽くまで思いつきなので、矛盾や無理はあると思いますので、そのことを先に断っておきます。シェークスピアを演じる場合はメソッドつまり方法を固めてその方法に則る。これに対して、歌舞伎を演じる場合は『型』という演じた結果このようになるというお手本が決まっていて、その型にどのように行き着くかは役者の各自の経験や工夫に任されています。シェークスピアの場合のメソッドを簡易にしたものはマニュアルと言えます。これに対して歌舞伎の『型』はお手本ということです。
 この話をビジネスの方に転じて考えてみます。この辺で無理があると思われるかもしれません。企業の品質とか効率とかいった標準的な規格、欧米がリードするISOとかCEとかCOSOとかいろいろあるのですが、そこに共通しているように思えるのは方法論、メソッドといったものです。例えばISOの品質規格では、生産工程のひとつひとつの手順を明確にしてマニュアルをつくり、誰でも同じように作れるように整備することを原則的に求めています。シェークスピアの演劇の場合と同じように方法をしっかり固めることを重視します。これに対して日本企業ですが、私の経験しているのは一中小企業のものづくりの現場を見ているだけだけれども、発想が方法から少しズレていると感じています。今はズレは少なくなってきているとは思います。しかし、以前ではマニュアルのようにメソッドを明確化して固定化するという発想はあまりなかったです。では何が明確であったかというと、方法ではなくて、その工程によって出来上がった結果、例えば熟練した職人が作るのはこういうものだという出来上がった製品、つまりお手本です。それがはっきりしていて、それをどのように作るかは各職人が各自工夫する、方法論はマニュアル化できるような一様の固定化したものではありません。このお手本というは、まさに歌舞伎の『型』に通じるものではないかと思うのです。
 この違いは生産された製品の品質に対するリスクの考え方の違いにも表われていると思います。マニュアル重視の場合には正しい方法で実行することが第一で品質は、その結果として現われることになります。しかし、偶然的な事態があるので、正しい方法であっても欠品がでる危険はある、という考え方です。これに対して日本の場合は、お手本という結果が決まっているから、偶然でも欠品がでないことが目指されます。しかも、熟練した職人であれば、偶然の事態にも柔軟に対応できます。そこでは正しい方法から逸脱することもあるのですが、欠品を出さないことが前提です。
 また、教育や訓練でも、その違いが反映していると思います。マニュアルが整備されている場合には、手順が明確で規格化されているので、トレーニングの方法も明確になっています。したがって、だれでも一定の段階を踏んでトレーニングによって方法を身につけることができます。さらに、手順が明確でパターン化されているため機械化することも難しいことではありません。これに対して、お手本がはっきりしていて、それをどのように作るかは各職人が各自工夫するという場合には、どのように作るかは各人に任されているコツとか身体的な感覚に近いものであるため、方法論はマニュアル化できるような一様の固定化したものではなく。だから、教えられないので、技術を盗んで身につけるなどと比喩的に言われることになります。

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