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2017年1月 3日 (火)

2016年のベスト・セレクション

 この1年間で印象に残った書籍と音楽を順不同にあげてみました。
 まずは書籍です。
「目の見えない人は世界をどう見ているのか」伊藤亜紗
 視覚の不自由な人というのは、例えば私がアイマスクをして視覚を遮断してしまえば、その体験ができるというのではない。私が普通に感覚を介して情報を得ている中で、視覚からの情報が欠如しているというのではなくて、視覚が不自由な人というのは、そもそも、情報の組み立て方が異なってくる。それは、自分の周囲にひろがる「世界」とか、「情報」とか、その「意味」が異なる。例えば、視覚がある人は視るという視点に視野が限定されてしまうけれど、逆に視覚が不自由な人は視点がないので視野の限定を免れることができる。視覚で空間を把握しようとすると、二つの眼で見て網膜というスクリーンに映して情報を得る(比喩的だけれど)ので、それは写真のようなイメージで空間を二次元の平面に置き換えて処理する傾向がある。富士山のイメージというのは裾野がのびている横からみたプロフィールのような、銭湯のペンキ絵のようなイメージではないだろうか。それこそ平面的になっている。ところが、そういう視覚がないとすると、実際に裾野から坂道を登って行って身体感覚でとらえていくと地面が盛り上がって坂道をつくりだす三次元のイメージとして捉えているという。視覚では富士山の向こう側は見ることができず、そもそも視野で形成される世界には存在場所がない。これに対して、富士山の周囲を一周して坂道の実感を綜合すると円錐として捉える。その両者にとって「空間」というのは、まったく違ったものとして捉えられることになろう。その異世界ともいえる捉え方から、視覚がある私たちの世界はどのようなものなるのか。それは、とても興味深い。
「漢文脈と近代日本」齋藤希史
 古代大和王朝の時に朝鮮を経由して仏教の経典とともに漢字が伝えられた。そのあと、蘇我氏や聖徳太子らの中国等の仏教をはじめとした大陸文化導入政策によって漢文による文書が作られるようになった。時代は下って平安時代に国風文化の風潮の中で漢字から派生するように日本独自の仮名がつくられた。日本史の時間にそのように習った。その際に、漢字が伝来する以前は日本語の文字とか文といったものはどうだったのかは習わなかったし、あまり気にしなかった。おそらく文字のない言語などというものが想像できなかったから気にも留めなかったのだと思う。
 漢字が伝来する以前に、そういうことがあったかどうは措いておいて、漢字による文の体系、つまり漢文が伝播したことによって、当時のアジア地域の普遍言語である漢文に対して地域のローカル言語として当時のヤマトの言葉とか書記ということが初めて意識された。もし、漢文が伝来しなかったら日本語は独自の書記体系を生み出たか疑わしい。
しかし、その漢文が教養とか文化として広まったのは近世以後のことで、それ以前は文書関係の専門職集団や僧侶に限られていた。それが徳川期に武士が行政官僚にシフトし、軍備が不要となった時の権威とかエートスのために漢文や儒学が武士階級に広まった。それを形式化し制度化したのが、江戸中期の寛政の改革における寛政異学の禁だった。これがベースとなって現代の漢文の授業でも使われる返り点や訓読の標準的な形式が整備された。
 その形式化があったからこそ、その応用として新しい概念を漢字を操作して繰り入れてしまうことが可能になった。それがあったから、幕末から明治の西洋の学問や技術を翻訳する時にヨーロッパ言語を形式の似た漢文に移し替えて、それを漢文の書き下し文(訓読)にして、機械的に日本語化することができたという。
 それだけでなく、公私とか恋愛といったメンタリティも漢文に移し替えて、それを換骨奪胎したからこそ日本語に移し替えることができた。それゆえの歪みも生じることになった弊害はあったかもしれないが。
 たしかに、アイデンティティというのは自分と他者との関係から形成されるものとして考えるとそうだろうし、中国という当時のグローバル・スタンダードのプレッシャーがあったからこそ辺境の日本がアイデンティティを形成することができたということなのだろう。日本という名前にしても、中国から見て、日(太陽)が出てくる本(日の出の方向である東に位置する)というのが由来だというから。
「ボヴァリー夫人論」蓮実重彦
 学生時代の国語の授業で、文章の読解について、文字面だけを追いかけないで行間を読めと、習った。例えば、小説を読むときに表面的なストーリーだけを追いかけるところに留まることなく、作者が何を言いたかったのかというテーマとか主題を追究しろ、と。しかし、現実の実態を見てみると、我々は、その留まっていられないような文字面すらちゃんと読んでいない。たぶん、文字面→行間→主題→作者の思想(メッセージ)といった読解レベルの段階分けができて、後者に行くにしたがってレベルが高くなって、高いレベルを重視するにつれて低レベルの読解が軽視されたのだろう。そして、それに伴って高いレベルの読解による結果が、手っ取り早く取り出され、それが独り歩きしはじめたことによって、段階を進んでいくような読解という作業が軽視されて、読まなくても独り歩きしたメッセージを手に入れることができると勘違いしてしまうことが起こっている。これは、私の想像なのだけれど。
 著者はテクストをちゃんと読めば、『ボヴァリー夫人』という小説は、“田舎の平凡な結婚生活に倦んだ若い女主人公エマ・ボヴァリーが、不倫と借金の末に追い詰められ自殺するまでを描いた(wikipedia)”作品にとどまるものではないと言う。そのシンボリックな実例が、『ボヴァリー夫人』のどこを探しても、“エマ・ボヴァリー”という氏名が出てこない。つまり、作者は“エマ・ボヴァリー”という氏名を使っていないのである。重箱の隅をつつくようなことかもしれないが、実際には作者が使っていない氏名を、作者でもない者がどうしてわざわざ作り出してまで使っているのか。それは、“エマ・ボヴァリー”という氏名が出てこない。つまり、作者は“エマ・ボヴァリー”という『ボヴァリー夫人』についての言説が『ボヴァリー夫人』のテクスト以前に流通して、その言説を得た時点で完結してしまって、実際にテクストを前にしても、テクストを読む以前の言説の先入観で、その先入観の部分だけ都合よく情報として選択して取得しているのだろう。
 だから、著者の、ひたすら『ボヴァリー夫人』というテクストを読むということが、実は過激な行為になってくる。さらに、著者は、小説の作者であるフローベールがいかなる意図をもって文章を書いたのかという穿鑿を排除するという。つまり、テクストを読むという作業が、作者の意図とか意識を超えたところに行ってしまう。そのようにして読み込んだ『ボヴァリー夫人』は、じつに意外な様相で読者に迫ってくる。そのプロセスを追いかけるのは、予定調和でしかないミステリーをはるかに越えるスリルにみちていて、800ページに及ぶ大著だが一気に読めてしまう。
「敗戦後論」加藤典洋
 日本にとって1945年の戦争終結は敗戦であり、占領下にあった。今世紀でも湾岸戦争で敗戦したイラクはアメリカの占領下に入り、形式的な傀儡政権が続いている、これが敗戦ということ。日本の場合は敗戦を終戦と、占領を進駐と言葉を置き換え、事実を隠ぺいした。また、占領を解放と読み替えることも一般化している。これは、横暴な侵略者の専制下、じっと面従腹背を耐え忍ぶというのであれば、敗戦者には敗戦であっても理は自らにあると信じることができる。しかし、その戦争の理は唾棄すべきもの、非理であり不義であると認めざるを得ず、自分を支えていた真理の体系が崩壊した。その具体的な現われが、国を人々を守るために死んでいった人々を否定することになってしまっている。これを著者は「ねじれ」という。例えば、日本国憲法について占領下では、政府に主権がないのだから、主権を回復した時点で、そのままであるにせよ、改定するにせよ、追認か改定を決議する手続が必要ではないかと説く。それを経ないで、護憲の主張する人々は「ねじれ」から逃げているし、改憲の主張をする人々は「ねじれ」を無視していて、どちらも筋を通していないという。それは、社会論理の課題であると同時に、敗戦後を生きる著者をはじめとした個々の人の生き方の問題でもある。
 たしかに、日本は近隣諸国を侵略した責任を負っている。著者への批判として、「侵略者である自国の死者への責任とは、死者としての死者への必然的な哀悼や弔いでも、ましてや国際社会の中で彼らをかばうことでもなく、何よりも、侵略者としての彼らの法的・政治的・道義的責任を踏まえて、彼らとともにまた彼らに代わって、被侵略者への償いを、つまり謝罪や補償を実行することでなければならない」という主張は正しい。しかし、この主張は正しいにもかかわらず、正しいからこそ、日本の総意とはならないし、実行されない。それは、論理的にも倫理的にも日本は鈍感で倫理的でないということでしか説明できない。しかも、それを貫徹したとすれば、例えば靖国神社を非とすれば、世界中の戦士の慰霊を否定することになる。現実に「ねじれ」をかかえ、対向していかなければならないのであれば、スタート時点において正しさとは離れた所にいるわけで、正しくあるには無理がある。
この著作は、発表時には、業界で話題となって、保守的とか改憲の主張とか戦後民主主義の否定といった批判がされていたと思うが、そういうのとは物差しをずらして、原点に立ち返ろうとした議論だということが分かる。しかし、個人の生きる姿勢まで遡るというスタンスをとっている限り、そのスタートの理由には遡っていない曖昧さが、最初は感覚、思いつきじゃないかと言われて、それに対する説明が為されていないので、腰砕けのように見えた。それが、真ん中部分の核心部の分かりにくさに通じているように思う。
「日本─呪縛の構図」Rターガートマーフィー
 外国人の著した日本論だろうかと思っていたら、そんな浮ついたものではなく、腰を据えて分析したもので、とくにここ数年の政権や国内企業の経営者の動きを、日本の外で少し距離をおいて見ることによって、日本の新聞等のマスコミとは異なった視点で、全体像を鳥瞰的に呈示してくれたのは、たいへん興味深く読んだ。しかも、読みやすかったので、上下二巻で約600ページ強を一気に読み通すことができた。
 著者によれば、日本は第二次世界大戦の敗戦以来、アメリカに外交や安全保障を依存し、従属国になっている。それは中国などからみれば、主権を持っていないように映るということです。しかし、そのアメリカは日本のことを親身に考えてはおらず、アメリカの利益、さらには最近ではアメリカの対日政策の専門家グループの保身の道具にされているという。他方では、日本の側においても明治維新では元勲たちが主体的なリーダーシップによって責任ある意志決定がされていたが、彼らが亡くなった後、主体的なリーダーシップがいなくなり政権が形骸化してしまった。そこで、本来リーダーシップの下で動く官僚機構が自動的に動くようになり、方向を示す者がいないままなし崩しに戦争に突入してしまった。敗戦後も占領軍は、軍隊と内務省という官僚は解体したが、それ以外の官僚(経済官僚)には手を付けなかった。その官僚機構が、アメリカのリーダーシップに服し、経済や財政という自分たちの持ち分の既得権益を保障してもらった。つまり、アメリカと日本の官僚が保身という共通の利害で、外交と安全保障の面で日本をアメリカに属国にしていたほうがよかったというわけ。いわば、アメリカの軍事官僚や利害関係者の思惑に「呪縛」された状態から、自主性を回復し、従属国から脱却しようとしたのが民主党の鳩山政権で、それに対して、アメリカ政府の態度が冷たく、日本の官僚、司法、マスコミが一世に敵対し、知らずうちに国民も加担してしまうという事態が起きてしまった。この主張は、陰謀史観のようでもあるけれど、呈示されている資料等からは説得力があって、個人的には、目から鱗が落ちるようだった。
 著者は、このような呪縛が、そもそもどうして日本に生じたかを敗戦という事実で偶然に生まれたものではなく、もっと根の深いものだとして、日本の歴史を遠く遡る。日本新の体質として、物事をあるがままに受け入れ、そして心のどこかで矛盾を感じても、それを追及することをしないのが「大人の態度」と考えるような思考様式が国民レベルで内面化されている、という。それは、不祥事を見て見ぬふりをするという面と、大災害で生活が崩壊してしまっても規律や秩序を失わないという面と、両面が表裏一体として表われているという。
個人的には、歴史を遡る分析には、偏りがあり、知識が足りていないので目配りができていないと思わざるをえないところは残念で、司馬遼太郎を生半可に消化しているような印象で、そこがひっかかったが、著者の視点と、(鳩山政権について以外にも)現状の捉え方は、興味深く、説得力があった。
 へんな想像かもしれないが、取締役会で、社外取締役に求められる意見というのは、著者がこの本で日本について語っているようなスタンスの取り方のようなのではないかと思った。この部分は、蛇足。
「愛国、革命、民主:日本史から世界を考える」三谷博
明治維新を他国の近代社会への革命との比較で考え、それをもって現代を見ようとした著作。
 論点は多彩で興味深く、それをフィードバックして明治維新に再び目を向けると、その特異性が際立ってくるという、読書の楽しみを満喫させてくれる著作。
ナショナリズムと民主化との関係は、現代では相反する対立的に扱われるが、明治維新においてはナショナリズムこそが民主化を進めていた、という事実。幕末からの幕府という将軍を頂点とした権威主義的体制が崩壊した大きな要因に公論とか公議ということがあったという。これは、現在の視点では民主的な議論といったことになるかもしれないが、当時は、老中の寄合の結論を将軍が決裁するという手続が幕府の当初からあって、その展開と考えればいい。これは現代でいえば、会社の決定手続きに置き換えれば稟議制に近い。これが幕府の体制が形骸化するにつれて、形式化が進み、将軍といえども、この手続きを踏まないと権力を行使できなくなっていった。つまり、正当性の根拠が手続を踏むこと。外観からは近代ヨーロッパの民主政体の法の支配とっくりな形ができていた。その体制が成熟化したころにペリーの来航があり、老中の安倍正弘が前例を破り広く意見を求めたことを契機にいわゆる雄藩の大名が、その手続に参加しようとした。そうなると実力のある大名が新たに幕政に参加しようとするのと、従来の小藩の大名で実力のない老中との権力争いが生じ、将軍の継承争いも絡み、対立が先鋭化する。この雄藩の家来の西郷隆盛や橋本佐内、あるいは水戸の藩士たちが藩主のために根回しの奔走していたのが、ボトムアップの議論の発生を促す。このとき、雄藩の大名たちが自身の政策的意見の根拠としたのが、国のため、いわゆる人為的なナショナリズムであった。ただ、幕府内で、その主張するためには幕府=国としてしまうと改革ができない。そこで持ち出したのが天皇という別の権威だった。それが勤皇ということでだった。一方、ボトムアップの方向の議論が広がり長州などではエスカレートしていく。そして、正しい主張をしているのだから手段は正当化できると暴力と結びついていき、そのプロセスで勤皇が尊王に変質していった。それが討幕に発展していく。つまり将軍は公論の邪魔になるという正当化。ここに民主は出てこない。
 それが民主と結びつくのは、明治維新後の自由民権運動。こんどは反政府の主張は薩長の専横は国のためにならない公議を歪めるという、討幕の論理を逆に突きつけていく。この自由民権運動を支援したのが、地方の有力者、豪商や地主といった武士以外の人々。かれらは経済活動に従事していたので、内乱は経済活動の障害となることから、内乱を嫌い、議会での討論を支持、これが全国展開する。これが西欧列強からは市民に見えた。それを目ざとく発見した伊藤博文のような元勲たちが、西欧への受け狙いと、著者はエエカッコしいとか見栄を張ったという言い方をするが、後世へのかっこうつけのような、いい意味での矜持があったから、国会開設を決断したのではないか、という。
 一部を抜き出しただけだけれど、NHKの大河ドラマのような怒鳴り散らしながら若い男の子が刀を振り回す幕末ドラマなんぞより、意外性もあるし、展開に手に汗握るほどの面白さがある。
 次に音楽は、よく聴いたものもあれば、数回しか聴かなくても強烈な印象を残したものもあります。ただし、この1年間でリリースされたものとは限りません。
「LIVE AT WEMBLEY」BABYMETAL
プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」ユージャ・ワン
「Zephyros」藤井聡子
「25」アデル

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