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2017年1月

2017年1月22日 (日)

クラーナハ展−500年後の誘惑(7)~6.宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて

Cranachluther  宗教改革者マルティン・ルターの肖像をクラーナハが数多く描いたということで、とくにひとつのコーナーが設定されたというものでしょうか。歴史の教科書で見たことのあるルターの肖像はクラーナハによるものだったのでしょうか。私には単にその程度の展示で、クラーナハの作品の中で、とくにどういう特筆すべきものがあるようには思えません。単にモデルが歴史上の有名人というものでの話題性でしょうか。数点展示されているクラーナハによるルターの肖像画については、その程度のものとしか私には見えませんでした。
 そんなものよりも、このコーナーではデューラーの「メランコリアⅠ」を見ることができたのは、思わぬ収穫でした。この作品を見ることができただけでも、この展覧会にきた甲斐があったとおもいます。その他にも、デューラーでは「騎士と死と悪魔」も見ることができて、有名な2作をみることができました。しかし、デューラーには触れずに、クラーナハの感想を続けることにします。クラーナハの「メランコリア」を見ましょう。デューラーの作品と同じタイトルで、しかも、デューラーの作品にインスパイアされるようにして制作された作品らしいのですが、あまりに違うので驚いてしまいます。デューラーの場合は版画ではありますが、線描によって対象物を捉え尽くそうという姿勢が強くうかがわれて画面の幾何立体や方陣、コンパスや砂時計や秤や梯子など、どれだけ謎めいた細部、様々に解釈できそうな余地を備えていようと、ハッキリした輪郭線が個々の事物を際立たせています。これに対してクラーナハの線には、画面内の人物とその背景、あるいは描かれる対象物相互の境界を撹乱し、溶解させる傾向が見られます。場面上、複雑にうねり絡み合う膨大なCranachmelancholy 線の集積は、デューラーの輪郭を浮かび上がらせる線とは対照的にすべてを呑み込み沈み込ませる線です。「メランコリア」の室内で、唐突に現われる異界は線遠近法に基づく空間構成からは逸脱していて、それは世界を縁どり、正確に認識しようとする態度とは別の動機で描かれている。これは、ヨーゼフ・ボイスの意見の引用です。ボイスは、このように説明して、クラーナハの絵画においては、合理に非合理が勝っていると結論付けます。このようなボイスの意見から見えてくる“二元論的図式によって、合理に対して非合理を、形式に対して不定形を、秩序に対して渾沌を、明瞭性に対して不明瞭性を、またルネサンスに対して中世的なものを優位に置く、ともかくも破滅志向のものだった。もっとも、個々の作品を見れば明らかなように、その破滅は、ごくわずかにしか表われない。現実と見紛うほどでは決してないが、かといって似ても似つかぬわけでもない、そんな偽物らしすぎず、本物らしすぎない微妙な再現性ゆえ、人はその絵画に感情移入しつつ、同時に居心地の悪さも覚えるという、両義的な体験を強いられることになる。…そもそも、この二元論的図式において重要なのは、相対する二者の間に優劣をつけることではなく、むしろ両者の間を行ったり来たりする、絶えず往復することであった。”とそのボイスの意見の説明があります。大袈裟な言い方とは思いますが、クラーナハの「メランコリア」を見ていて、居心地の悪さを感じるのは確かです。デューラーの「メランコリア1」が様々な解釈を生んでいるそうで、謎のネタがたくさんあって、ミステリアスだなというところで、そういうものとして安定しているのは確かです。これに対して、クラーナハの作品は下手そうなのだけれど、どう位置付けていいのか曖昧で、見ていて宙ぶらりんにさせられた感があり、それがデューラーにある見る者の安定感がなくて居心地の悪さに繋がると思います。むしろ、そういうところは、見てきたクラーナハのすべての作品に共通しているところで、それが露骨に見えるのがこの「メランコリー」という作品かもしれないと思いました。
Cranachmelancholy1

2017年1月21日 (土)

クラーナハ展−500年後の誘惑(6)~5.誘惑する絵─「女のちから」というテーマ系

Cranachunmatch  おそらく、この美術展独自のテーマなのだろうかと思います。主催者あいさつで“特異なエロティシズム”とか“官能的”という要素でクラーナハの特徴を述べられていましたが、その代表的な表われとして、よく分かるのが前のコーナーの裸体画でしょうか。そして、隠れたテーマ系として美術展のキュレーターがピックアップしたのかと想像します。“絵はひとを誘い、また惑わせる、クラーナハはそうした「誘惑」の作用を、誰よりもよく知っていたはずである、この画家が描き残した、じつに多様な作品群をあらためて眺め渡してみるとき、いくつもの絵が、それとなく共鳴しあっていることに気がつく。互いに無関係であるかに思えていた複数の作品が、ある種の集合的な「誘惑」のイメージとなって立ち現れてくるのである。つまり「女のちから」、また「女のたくらみ」と呼ばれるテーマ系を、クラーナハは、さまざまな異なる主題の絵画を通じて織り上げていたのだ。”そして、“クラーナハは、こうした「女のちから」というテーマ系を、おそらくは自身の芸術の根幹をなすものとみなし、何度となく、くりかえし描いた、そこにはもちろん、教訓的なメッセージが込められていた。まさに「女のちから」には気をつけよ、という男性に対する警告である。だが、問題なのは絵のなかの男たちが「女のちから」に負け、身を滅ぼすということだけではない。重要なのはあくまでも、クラーナハの絵そのものが、それを見つめるわたしたちを誘惑するということだ。ゆえに、ここでの「女のちから」とは、絵画が放つ「イメージのちから」のことでもある。後世の少なくないアーチストたちが、クラーナハによる「誘惑」の絵画に惹き寄せられてきたのも、どうやら偶然のことではない。”と引用が長くなりましたが、説明されていました。それは、私には、前のところで述べてきましたが、クラーナハの画面は見る者の視線を誘導するような構成が考えられている、と言うことではないかと思います。強引に自説を主張するつもりはありませんが、引用した解説のような「女のちから」ということがあるとしても、ここで展示されているクラーナハの作品で描かれた女性たちは、男たちや見る者を誘惑するほどの強い魅力に溢れているか。わたしには、とうてい、それほどの強い魅力を感じることが出来ないのです。絵画で描かれている題材が誘惑のストーリーであるとして、その誘惑というストーリーのなかで、誘惑が成り立つためには誘惑するものがなければならない、そのようなパーツ以上のものとは感じられません。この場合、女性よりも誘惑というストーリーが優先され、その誘惑というストーリーは、見る者の視線を誘導するという画面効果のために格好の題材として持ち込まれたといったほうが、私にはしっくりくるように思えます。これは、私という偏見をもった個人が、展示されているクラーナハの作品を見た印象から導かれたことです。
Cranachsamson  「不釣合いなカップル」という作品です。風刺画のように滑稽にデフォルメされているように見えます。そのデフォルメによって、画面の二人の人物のうち左側の男性の滑稽さ、愚かさの方が目立っていると思います。右側の女性には、誘惑しようと言う意志的なところが見えません。男性のニヤついている下卑た顔つきに比べて、女性は人形のように表情がありません。私には、クラーナハという画家が、イタリア・ルネサンスの画家たちのように描く題材がある程度決まっていて、女性であれば理想の体型を具現化した女神であったり、人として理想の姿といえる聖母マリアや聖女といった人、あるいは肖像画のモデルとなる人々であったり、を写実的に理想化して描くことに手練手管を尽くすといった方向には行かなかった。というより、行くことができなかった。それで、クラーナハは自身が画家として生き残るために、イタリア・ルネサンスの画家たちとは別の道を行かざるを得なかった。では、彼は自身、何ができるのか。彼が描くことができて、その描いたものに適した題材といったことです。それは、上述のイタリア・ルネサンスの画家たちのとは異なります。そこで、たまたま出遭ったのが、このような題材だったのではなかったのかと思います。そして、それが人々に受けた。それで、クラーナハは「これだ!」と思ったのではないでしょうか。それで、この題材の作品を量産するように多数制作した。そうしていくうちに、クラーナハ自身、この題材を描くことに習熟していった。それが、画面構成でストーリーを作り出し、見る者を導く手法を磨き上げることになったのではないか、と勝手なストーリーを妄想したくなります。
Cranachsamson2  「サムソンとデリラ」という作品です。旧約聖書の士師記にあるペリシテ人との戦いで超人的な怪力をふるって戦ったサムソンの力源泉である髪の毛を、デリラという女性が誘惑して眠らせている間に切ってしまうというエピソードです。いうなれば、誘惑する女の有名なエピソードのひとつです。これも、画面の視線は、誘惑して髪の毛を切ろうとするデリラよりも、だらしなく眠りこけるサムソンに集まるようになっていないでしょうか。主役はサムソンです。それは、背後の木陰にいる兵士たちの視線は二人、とくにサムソンに向けられていることと、サムソンが中央にいること、デリラはサムソンを見ているのに、サムソンは見返していないことなどから、サムソンが見られる存在として描かれていることは明らかです。それにしても、裸女をたくさん描いていて、しかも、旧約聖書の古代の誘惑する女です。私は19世紀世紀末の象徴主義のファムファタールの影響を受けすぎているかもしれませんが、例えば、ギュスターヴ・モローのようにデリラを主役にして、彼女の誘惑する存在であることを際立たせることだって可能なはずです。クラーナハはそれをしません。そういう時代で、節度が求められたということはあるかもしれませんが、「泉のニンフ」のような作品を描いた人ですから、モローほどではなくても、そのような方向性で描くことはできたはずです。しかし、クラーナハはしていません。そのことは誘惑の源泉として「女のちから」を描こうしたのではない、と私には思えます。
Cranachjudit  「ホロフェルネスの首を持つユディト」という作品です。展覧会のポスターでも使われている、この美術展の目玉のひとつなのでしょう。旧約聖書の外典「ユディト記」のなかで、アッシリアの強力な軍勢に包囲されていたユダヤの街ベトリアを若く美しい未亡人ユディトが救った話を題材にしています。彼女は自身の魅力的な振舞いによって、アッシリアの司令官ホロフェルネスを酒に酔わせ、その首を剣で斬り落とし、軍隊を敗走させました。“中世の伝統にしたがうなら、ユディトの像は例外なしに「美徳」を表わす。その場合、並外れて強力なちからをもった司令官ホロフェルネスに勝利した彼女は、サタンを打ち負かすマリアの予型ともなる。また寓意的な観点からすれば、ユディトは「節制」の美徳と同一視され、「快楽」という悪徳を克服するものとみなされる。けれども、かように肯定的な含意をともなった解釈が絶えずなされてきた一方で、ユディトの物語は15、16世紀には「女のたくらみ」と呼ばれる表現の枠内でも知られるようになった。すなわち、女性の魅力的なちからには気をつけよ、という警告を観者に向けて発する画像のことである。”と長い引用をしましたが、ユディトのエピソードが「女のちから」として捉えられるという説明です。で、この作品について、“敵将ホロフェルネスを惑わせ、その首を斬り落としたユディト。その姿はときに英雄的に、またときに蠱惑的に表わされてきた。だが、クラーナハが描いたほど醒めきった姿のユディトが、他に存在するだろうか。過剰なまでに豪奢にまとわされた装飾品の饒舌さとは裏腹に、そのユディトは自身の表情や身振りによって何も語ろうとしない。いや、彼女はみずからで明示的なメッセージを発することを避けるばかりか、こちらの感情移入までをも拒む。いっさいの情緒を抜きとられたかのようにして、斬り落としたホロフェルネスの首を、身じろぐことなく差し出すのである。”
Cranachcara  引用が長くなりましたが、この作品の場合には、作品自体以上に、この解説のように作品に付随するものが付加価値として作用しているように思えるので、敢えてそうしました。私は鈍感なのかもしれませんが、実際のところ、事前に何の情報もなくて、虚心坦懐にこの作品に向かって見ていると(今となっては、そんなことはありえず、あくまでも思考実験のようなことになりますが)、この作品の画面の中の女性の部分だけを取り出してみると、つまり、引用した解説の“過剰なまでに豪奢にまとわされた装飾品”を取り去って、物語の場面のようなところも取り去って、単に顔の部分だけを取り出して見ると、生気も表情もない能面のように見えるのです。他のクラーナハの作品で普通に見られる記号のような女性の顔としてみることのできるものであることが分かります。例えば、この作品と同じようなアングルで女性を描いている有名なダ=ヴィンチの「モナリザ」と比べるのもおかしいかもしれのせんが、「モナリザ」の場合には、背景などの女性以外のところはほとんど見ません。女性の微妙な表情に神秘性を感じるように、描かれている女性が中心です。このクラーナハのユディトに「モナリザ」の女性ほどのそれ自体で人を魅了してしまうほどの存在感とか生気とかは、残念ですが感じられません。では何があるかと言うと、その女性を印象的に見せている画面構成ではないかと思います。衣装とか、剣とか、背景とかホロフェルネスの首といった要素が画面にあって、それらがアンサンブルを作り出すようにユディトを際立たせ、見る人の視線を誘うようにしているところに、この作品の特徴があると思います。端的にいうと、この画面の女性はコスプレをして、画面全体は見る者を場面に誘い女性と、そこで共演するように錯覚させるように仕掛けている、端的に言えば風俗産業のイメクラのようなものではないかと思います。一方、ユディトのものがたりの場面としてのドラマチックな迫真さとかリアリティの点で見ると、カラヴァジョやジェンテレスキの作品のような映画を見ているような、目の前で事件が起こっているかのような作品に及ぶべくもありません。クラーナハの「ユディト」には、そういうリアルなところはなくて、さきほどいみじくもイメクラに喩えましたが、そのような偽物のまがいものめいた薄っぺらさがあります。例えば、カラヴァジョやジェンテレスキの作品とは違ってクラーナハのユディトはホロフェルネスの首のほうに視線を向けず、あらぬ方向を眺めています。つまり、画面の中で二人の関係が示されていないのです。カラヴァッジョやジェンテレスキの場合には、ユディトはホロフェルネスを敵として凝視するように視線を向けていますが、クラーナハの場合にはそれがなくて二人は画面の中で並列されているだけです、まるでテーブルの上に茶碗が並んでいるように、たまたま同じ画面にいるとでもいっているようです。それが、よく言えば記号性ということで、それが画面にリラックスしたような余白をつくり出し、そこに見る者の想像力を参加させる余地を作り出しているのではないかと思います。画面を見て、ユディトとホロフェルネスの首の関係をあれこれ想像して愉しむ余地を与えてくれているということです。おかしな喩えかもしれませんが、現代のサブカルチャーの世界で、マンガやアニメのキャラを使って二次創作のパロディ同人誌が作られていますが、ダ=ヴィンチやカラヴァッジョやジェンテレスキの作品からはそのような同人誌は生まれるとは思えませんが、このクラーナハの作品からは生まれる可能性がある、そのような性格の作品ではないかと思えます。
Cranachjudit2

2017年1月20日 (金)

クラーナハ展−500年後の誘惑(5)~4.時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相

Cranachvenus  ここからが核心部分です。主催者のあいさつやポスターの惹句に触れられているクラーナハの特徴、“特異なエロティシズム”とか“官能的”というのは、ここで展示されている裸体像から受けるイメージだろうと思います。
 「ヴィーナス」という作品です。“ニュートラルな黒い背景のなかに立つ、華奢な裸婦の魅惑、彼女は自身の恥部を、透きとおった布で覆っている。が、それは覆いとしての用をなさない。クラーナハはその布とともに、このヴィーナス像が観者に対して発するエロティックな刺激を強調してみせるのである。明るく照らされた肌は、暗い背景とコントラストを生み、優美な曲線の輪郭を浮かび上がらせる。それによって、品よくかたちづくられた柔らかな身体の動きが際立つのだ。これらと全く異質なかたちの戯れをなすのは、透明なドレイバリーが刻む繊細な襞である。それらは観者の視線を暗い背景から、本来であれば覆い隠されるべき身体の部位へと誘う。このように女性の刺激を攻撃的なまでに放つ表現は、美術史家たちが異口同音に語るところでは、ただひとつ、このヴィーナス像にのみ導入されているのである。”解説の説明を引用しましたが、そういうものだろうなという特徴をもれなく伝えていると思います。ただし、ここで説明されていることは、結果論としての議論と言えます。クラーナハの「ヴィーナス」が官能的であるであるという結果から、その要素を探し出しているという文章です。ここでは、クラーナハが官能であるとして、その官能の内容とか性格、つまり、どのようなものかは説明されていません。例えば、同じヴィーナスの裸体を描いたフィレンツェ・ルネサンスのボッティチェリとの違いは、恥部を隠しているかいないかだけではないはずです。というよりも、私にはクラーナハの作品に官能性を感じられるのか疑問が残るのです。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」に官能性を感じた人がクラーナハの「ヴィーナス」に果たして官能性を感じるのでしょうか。疑問を感じます。私の個人的な好みかもしれませんが、ボッティチェリのヴィーナスの方が女体としてアピールする要素をひととおり備えているように見えます。これに対して、クラーナハのヴィーナスにはボッティチェリのヴィーナスのように女体としてアピールする要素を満遍なく備えてはいないのです。例えば、引用した解説が触れている肌の色について見れば、ボッティチェリのヴィーナスの方が仄かに赤らむ艶やかさがあります。むしろ、クラーナハの方は蒼白く、硬い磁器のような感じがします。そこには、生き生きと息づき、発散するような生気がないのです。おそらく、クラーナハのヴィーナスに官能性を感じるという人は、そのような不完全さのところこそが、大きく惹きつけられるものなのだろうと思います。もし、ボッティチェリもクラーナハの作品そのものの女性が現実に目の前に現れたとして、そのどちらに惹かれるでしょうか。偏見かもしれませんが、男性が対する場合に、たとえ作品ではクラーナハの作品の方を好む人であっても、それが現実の女性ということになれば、ボッティチェリの女性の方を抱きたいと思うのではないでしょうか。極論になりますが、単純化して言うと、ボッティチェリのヴィーナスの官能性というのは官能的な女性を描いたというものであるのに対して、クラーナハの場合には、描いたものが官能的に見えるというものになっていると思います。
Bottivenus  細かいところの話からになってしまいますが、さきに例示したヴィーナスの肌を例にとって、クラーナハの作品に対しての私の感じ方を説明し易いので、ここで少しこだわることにします。前のコーナー、クラーナハの肖像画のところで、クラーナハの作品の人物が規格化、記号化される傾向があると述べました。つまり、人物をありのままに描くのではなく、描かれたものが人物と分かればいいのです。しかも、それが分かり易いのであればなおいい。まどろっこしいと思われるかもしれません。この二つが分けられることなく、二つとも兼ね備えた作品もたくさんあります。しかし、クラーナハの作品はそうではない。そのことは肖像画のところで述べましたが、それは作品の作られ方が、芸術作品であると同時に工業製品のような作られ方もしているというところからです。しかし、そのような規格化された人物表現からどうして官能性を感じることができるのでしょうか。それは、実際の女性の魅力として滑らかで柔らかな肌の艶を、そのまま作品に定着させることができれば、そこに女性の魅力が表されているといえます。ところが、それをリアルに表現するということは並大抵のことでは、できないと言えます。それを表すために画家たちは工夫や修練を重ねて、巨匠と言われる人は独自の表現で、それぞれに行なっているわけです。しかし、それを工房で巨匠でない職人が同じレベルでやるのは不可能に近い。そうであれば、規格化された描かれた人物に官能性が感じられるような仕掛けを考えることになります。クラーナハのヴィーナスの肌が蒼白く硬い磁器のようなのは、そういう仕掛けのためではないかと思われるのです。それは、ヴィーナスの背景が黒く塗られた抽象的な背景で、暗闇のような雰囲気を作り出していることと関係しているのです。つまり、この青白い肌は、それ自身が官能的というよりも、黒く塗られた背景との関係で官能性を生んでいると思えるのです。肌の白さは背後の黒い世界の中で際立って浮かび上がってくるように目に映ります。もし、かりにボッティチェリのヴィーナスのような赤みを帯びたグラデーションのある肌色がここにあっても、なかなか、それと分からないと思います。ボッティチェリのヴィーナスは地中海の輝かしい陽光に照らし出されるもので、このような暗い世界の中では、視野が限られてしまって、折角の肌がみえにくくなってしまいます。これに対して、クラーナハの不健康なほどの蒼白さは暗闇の中では、印象的に目立つのです。しかも、暗いところでは微妙な陰影まで見分けることができません。だから白一色がベタ塗りのように一様に塗られているほうが識別し易いのです。そこでグラデーションは最小限に抑えるほうが効果的ということになります。そういう描き方であれば、何も巨匠の芸術家でなくても、それなりの技術のある職人で十分です。これは、日本人であれば理解できる美意識ではないかと思いますが、昔の日本女性の美人条件は瓜実顔で色白の肌というのがありました。それは暗い日本の室内では、白い顔が浮かび上がり、顔の輪郭がハッキリしているタマゴ形の輪郭で、鼻が低くて平面的なほうが白い顔をよく見えるので、印象的なのです。クラーナハのヴィーナスも同じような効果で印象的に見せているといえます。また、身体つきについても、乳房が小さいのも、身体の凹凸による陰影をつけるよりも平面のようにして白い身体の輪郭を暗闇から際立たせるために必要だったというわけです。逆に下腹部が大きくなっているのは、その部分は横の広がりがあるため、凸凹の陰影でなくて輪郭でそうとわかる強調ができるためで、そこで女性らしい身体の輪郭を強調しているためと考えられます。
Cranachdiana  そうであれば、恥部を隠さずに“透きとおった布で覆っている。が、それは覆いとしての用をなさない。”ことの説明もできると思います。それは、以前にも触れたような、画面について見る者の視線を誘導する効果を狙っての仕掛けと考えることができると思います。あるかないか分からないような、薄い透きとおった布で蔽われていれば、何かがあると見る人の視線は、却って引きつけられます。そのひきつけられた先は恥部なわけです。意図的に、人々の視線を集めるような構成になっているわけです。その動きにしたがって恥部に視線を導かれることにより、女性の官能性ということに見る者は導かれることになるというわけです。したがって、このような画面の作り方をすれば、その描く対象は何でもいいということになります。重要なのは、画面のつくり方、描き方です。従って、描く対象が異なり、作品タイトルが違うものの、同じパターンの作品が量産できることになるわけです。
 クラーナハ(子)「ディアナとアクタイオン」という作品は、上で述べたクラーナハの官能性についての、自己パロディのような作品になっています。ここで描かれている裸婦たちは、一様です。この群像の中で、誰が女神アルテミスであるか見分けがつきません。それぞれの女性は女性の官能性の記号のようになっていて、それぞれの女性の個性とか存在感は考慮されていません。
Cranachninfu  「泉のニンフ」という作品です。ここには、「ヴィーナス」に加えて、さらに手の込んだ仕掛けがあるようです。解説で説明されていることを拾うと、女性の身につけている装飾品や頭の下に敷いている赤いビロードの衣装は、描かれた当時の16世紀のもので、古代のニンフではなくて、同時代の女性であることを明らかにしていること。画面左には、ラテン語の銘文があって、そこには「われは聖なる泉のニンフ。われは憩う。わが眠りを妨げることなかれ(FONTIS NYMPHA SACRI SOMNVM NE RVMPE QUIESCO)」と書かれていて、見る者は自身の欲望を自覚させられる、というのも、見る者はニンフの穏やかな眠りを妨げぬように欲望を抑えることを要求されていることになっていること。画面右手の樹木には弓と矢筒が吊り下げられ、その下方にはヤマウズラのつがいがいるのは狩猟の女神ディアナの存在を暗示しているが、ディアナはニンフたちに、誰にも裸を見せてはいけないと命じた女神であること(前の作品である「ディアナとアクタイオン」は誤ってディアナの裸を見てしまったアクタイオンは、その報いで女神に嬲り殺される)。また、この作品のニンフのポーズはほぼ同時代のティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」に代表されるような恥じらいのヴィーナスのポーズです。両者を比べると生々しさの違いが分かります。それも含めて、私には、クラーナハの作品を見ていると、官能性にということについて、操作的である、つまり観念性を感じる、ということはメタレベルで官能性とは、どのようなことであるかを意図的に試して、その観念に従って人工的に作ろうとしているように思えてきます。そんな面倒なことは、クラーナハと同時代の人々は考えもしなかったと思います。しかし、現代の私にとって、クラーナハの作品を見る意味は、そのような屈折したところにあるのではないかと思われてくるのです。
Cranachvenus2

2017年1月19日 (木)

クラーナハ展−500年後の誘惑(4)~3.グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ

Cranachantony  当時の版画は大量に刷られて大衆に行き渡ったメディアのようなもので、そこで画家たちは実験的な表現を試みたと説明されていました。クラーナハは主に木版画を多く手がけたそうです。このような画面で画像として見るとそうでもありませんが、展覧会場で紙に刷られているのを見ると、油絵の作品に比べて小さくて、色もない、またガラスケースに収められたものを遠めに眺めるようになっているので、何とも見難くて、会場では素通りのようなものでした。したがって、軽く触れて、次のコーナーに行きたいと思います。
 「聖アントニウスの誘惑」という作品です。2作品が並べてありますが、左のはマルティン・ショーンガウアー、そして右の作品がクラーナハのものです。聖アントニウスの3世紀の人で、二十歳を過ぎて一念発起して信仰に生きるために苦行を始めます。その第一の苦行において、この作品の題材である「聖アントニウスの誘惑」といわれる、悪魔が現れては、財産、妹のこと、家族の絆、金銭欲、名誉欲、食欲、人生の楽しみごとといった、彼が断ち切っていた現世のもろもろのことをまず最初に、そして最後には美徳のきたなさ、美徳が要求する辛い労働を問題にしながら、苦行をすぐに止めるようにと挑みかかってきたのです。左側のショーンガウアーの作品は中央の老人の姿の聖アントニウスの周囲に群がるように怪物の姿をした悪魔がまとわりついて、アントニウスを引っ張ったり、叩いたりと、様々なことを仕掛けている場面が描かれています。これに対して、同じ題材を扱いながらクラーナハの場合には、ショーンガウアーと同じように怪物たちにまとわり付かれて空中に持ち上げられ、引っ張られ、叩かれと仕打ちを受けていて、それが怪物たちとアントニウスが渾然一体となって見分けがつかなくなっています。一見すると、アントニウスと怪物が融合してしまったように見えます。どこを探しても、眼を凝らしても、ショーンガウアーの作品にあるような老人の姿を見つけることはできないのです。しいて言えば、怪物たちに引っ張られたり、もみくちゃにされる隠者の僧衣があるだけなのです。このクラーナハの作品ではアントニウスという人物が描かれているというよりも、彼の衣装と怪物たちにまとわり付かれ、さまざまに仕打ちをうけるモノがあるだけなのです。そのしるしからアントニウスということが分かるので、ここで敢えてアントニウスを描く必要がないということです。それよりも、ここでショーンガウアーと違って際立っているのは、怪物である悪魔の仕打ちの凄まじさであり、画面の主役はクラーナハの作品では間違いなく怪物たちです。だから、怪物たちの現れている背景の町の風景や手前の樹木を描きこんでいるのです。その対比と、見る者にとっては、現実的な風景の中に怪物がいるかのように見せているで、作品の中に視線を入り込みやすくしていると言えます。

2017年1月17日 (火)

クラーナハ展−500年後の誘惑(3)~2.時代の相貌─肖像画家としてのクラーナハ

 Cranachport1 前のコーナーで量産の工業製品になぞらえたように述べましたが、いってみれば個々の作品はコピーに近いようなものなので、ひとつかふたつ見れば十分で、とりたてて個々の作品に向き合って鑑賞するということを要求していないものではないかと思います。展示の解説の中で“素速い画家”と称賛されていたと説明されていました。それは、“子どもや多数の弟子たちとの効率的な協働制作のシステムを確立して、速度ある絵画の大量生産を行なった。”そのためには、“モデルとなった人々を、決して過度に理想化したり象徴化したりはしない。クラーナハはむしろ、ザクセン選帝侯をはじめとする人物たちの、広く社会に流通し、後々まで長く記憶されうる「顔」の定型をつくりあげたのである。その一方、女性の肖像画には、少し違った意味での類型化、または抽象化が見られる。”と説明されています。これが分かるには、ひとつの作品を見るだけでは十分ではなく、この展示のように相当な作品数が並べなられていると、真相を暴き立てられるように分かると思います。ただし、ここに展示されている肖像画をひとつ取り出して鑑賞する、ということではもの足りなくなると思います。だから、このコーナーについて書いていく量と、展示されている個々の作品に対する評価とは必ずしも比例するとは限りません。
 「ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミール」についてです。最初に見た(前のコーナー)「ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」と比べてみると、同じような帽子を被り、同じような毛皮の襟で、背景は色こそ違いますが一面に色を塗って人物のみを浮かび上がらせています。つまり、構成やパターンは同じです。そのパターンで描かれるモデルの人物の顔を当てはまることで、肖像画としての画面が出来上がることになります。まるで、工業製品の生産ラインでモジュールを組み立てて完成されるようなものです。例えば、自動車の生産ラインでは、一本のラインを自動車の車体が一体ずつ流れてきますが、プラットフォームという車体の土台がラインを流れてきて、そこにひとつひとつの部品ではなくて、部品をある程度まとめて部分となったものを車体に組み込んでいきます。その部分はある程度完結されていて、その中で調整がされていて、それを車体に組み込んで、他の部分と組み合わせて自動車の完成に導かれることになるわけです。また、このラインの中で、この組み込んでいく部品の種類を変えることによって、異なった種類の自動車を生産することができます。一本の同じラインで、ことなったブランドの自動車を同時に生産できるわけです。例えば、同じシャーシ、エンジンでも、別のギアサスペンションを組み込むことで、高速車体のスポーツ車体になったり、街中のストップと発車を頻繁に繰り返すファミリーカーになったりするわけです。話が肖像画から離れてしまいましたが、今、この二つの作品でみれば、単色を塗られた背景、帽子、毛皮の襟などの同じモジュールで共通化して生産ラインに流していて、顔のモジュールだけ変えて、別の完成品にするようになっているのではないかと思います。そこでは、肖像画の部品を組み合わせて顔という基幹部品を取り替えることによって、様々なひとの肖像画を効率よく生産することができる。それが、解説されていた“素速い画家”ということになるのではないかと思います。
Cranachwife  この場合、そういうクラーナハの肖像画の制作において顔が重要な部品ということになります。その顔を見てみましょう。同じ会場に展示されているデューラーの描く顔と比べると、クナーナハの特徴が浮かび上がると思います。デューラーの描く顔は、まるで解剖しているかのように骨格から筋肉の筋の一本一本が分かるくらいに陰影がつけられ、肉の厚みが彷彿できるように分厚く描かれています。これに対して、クラーナハの肖像画の顔は、ずっとあっさりとしていて、陰影の深さではデューラーには敵いません。例えば鼻の存在感はデューラーの場合には鼻梁に光が当たり、顔に影が生じる陰影が深く、鼻と頬のところの肌の色合いが微妙なグラデーションで塗り分けられています。デューラーに比べれば、クラーナハの場合には、陰影や塗りは薄っぺらになっていて鼻は顔で肉が盛り上がっている存在感は稀薄で、輪郭線が引かれて鼻のかたちが表わされているように見えます。これは、デューラーと比べた違いを際立たせるために極端に誇張した説明をしているので、実際のデューラーとクラーナハは上述の方向に寄っているくらいに受け取ってください。このようなクラーナハの顔の描き方について考えられることがあります。第一に、宮廷画家というお雇いの立場で、神聖ローマ帝国の諸侯や騎士といった身分の高い人々の肖像を描くのに、その身分の高い人々が肖像のモデルとなって画家の前に立ってくれる時間は僅かしかなかったでしょう。そこで、分厚く塗り込んで、詳細に描き込むことができるほど、モデルを十分に観察することはできなかったでしょう。そういう限られた条件で水準を満たす肖像画を完成させるためには、モデルの特徴を素早く把握して、その特徴をベースとなる肖像画のパターンにはめ込むことです。つまりは、標準的なベースモデルをカスタマイズすることに近いと思います。第二に、第一の点では限定された条件のもとで品質を落とさないで作品を制作するための方法を確立したことによって、今度は、当のクラーナハ自身の視覚にフCranachsibil ィードバックが起こったのではないか。第一の点と第二の点は、いわば卵が先か鶏が先かという循環した問題かもしれません。つまり、ベースモデルをカスタマイズするような制作方法を採るということ、そのような描き方をするということは、その前提としてそういう見方をしているということです。そして、そういう描き方を追求していくならば、その前提となる見方を進めていくことになります。それは、つまりデューラーのように物事を深く見極めるという方向ではなくて、物事の表面的な突出した特徴を瞬時に取り出す、そのためには類型的に物事を見て、その類型から飛び出してしまうものを特徴として見出せばいいわけです。そういう類型として物を見るということを突き詰めれば、記号に至るわけです。それは、デューラーのようにリアリズムとは異なる方向です。もともとクラーナハという人が、ルネサンスの画家たちのような写実的な見方をする人ではなかったのかもしれませんが、類型的、記号的な作品を描くということが、画家の見方に影響を与え、規制していった可能性は否定できないと思います。その結果として、クラーナハが描いている類型的、記号的な作品は、実はクラーナハに見えている世界を映し出しているものであった。ということは言えないでしょうか。クラーナハという人は、そのようなものの見方をする人だった。そして第三に、この辺りから私の個人的妄想の様相を呈してきますので、眉に唾をつけて備えてほしいと思います。前のコーナーのところでクラーナハの作品の画面構成力について触れましたが、見る者の視線を誘導して、画面を見ることによるストーリーを作り出していくことができるということでしたが、そういう画面作りをしていくためには、作品内の登場人物などは記号的な方が適しているわけです。記号的であれば、画面の中で人物を操作しやすくなります。また、見る人も視線も画面内の人物が生き生きとしていて存在感があれば、そこで止まってしまって、画面の構成から物語に引き込むことが難しくなってしまいます。これも、記号的な人物が先か、画面構成でものがたりを作る志向が先か、はっきりしたことは言えませんが、少なくとも、記号的な人物の描き方がなかったらクラーナハの作品のものがたりを感じさせる構成はできなかったはずです。そして、最後の第4点目として、そういう画面によってものがたりを作り出すということは、クラーナハは世界を、そのように見る視点を持っていたことを強く推測させることになります。つまり、世界が現実にあって、それを忠実に見て、画面に写すというリアリズムとは異質な、視線によって世界を自分で構成してしまおうという志向です。おそらく近現代の画家たちのように理論によって、そのようなことを方法論的を組み立てることなどなかったはずですから、クラーナハという画家の身体感覚で、眼で、そのように世界を感じていたのではないかと思えるのです。それが、この後で見ていく、およそリアリズムとはいえない作品は、クラーナハにとっては身体感覚や眼で感じ取ったままを描いているものになっている、と思えるのです。
Cranachsaxon_maria  作品から離れたお喋りが長くなってしまいました。最初のところで男性の肖像画を見たので、女性の肖像画を見てみましょう。「ザクセン公女マリア」という作品です。この作品と「ジビュレ・フォン・クレーフェ」という作品を並べて見てみてください。同じ人物を描いた作品のように見えてしまいます。しかも、人物のポーズも衣装の形も同じようなもので、まるでマンガのキャラクターのようです。両方とも顔の大きさと身体のバランスがとれていなくて、顔が大きすぎて、しかも身体かに浮いているように感じられます。このことは、顔というパーツが肖像の人物を分けて、特徴づけるためのツールであることを顕わにしていると思います。これらの作品のように全く同じと言うわけには行きませんが、「シュライニッツの夫婦」の1対の肖像の夫人のほうを見ると、ポーズ(手の組み方、顔を描く向き)や衣装、頭の被り物、背景などはパターンを踏んでいるのが分かります。
 最後に、息子のクラーナハの描いた「ザクセン選帝侯アウグスト」という夫婦の全身像になると、類型性よりもリアリズムの傾向が強くなってくるので、この肖像画のコーナーで展示されていた作品の中で、一番見易かった。それだけ、クラーナハの作品というのは、リアリズムに慣れた眼からは異質に感じられる、悪く言うと下手に見える作品なのです。
Cranachaugust

2017年1月16日 (月)

クラーナハ展−500年後の誘惑(2)~1.蛇の紋章とともに─宮廷画家としてのクラーナハ

 Cranachgeogea 展示の章立ては作品のジャンル別ということになるのでしょうが、クラーナハの時代にはジャンルによって様式が分けられることがありうるでしょうか。というのも、この展覧会のチラシやポスターにあるクラーナハの作品とは、全く異質の別人のような作品が、この章では展示されています。展示室に入って、最初のコーナーでポスターのイメージで官能的とかマニエリスムっぽいのとは、まったく異なる作品を提示されて、先入観を壊されるようなものでした。正直なところ、期待を裏切られた感じがしました。しかも、比較するように並べて展示されていたデューラーと比べると、正直いって負けている。優劣をここで言うのは適切ではないかもしれませんが、クラーナハの作品はデューラーの引き立て役のように見えてきてしまうのです。よく分かってしまうのは、ここに並べている騎馬像です。クラーナハの「馬上の聖ゲオルギウス」(左上図)は木版画であるために線を単純にせざるを得ないので、銅版画のデューラーの「騎士と死と悪魔」の線の多彩さと単純に比べることはできないかもしれない。馬のプロポーションや筋肉の厚みや陰影の描き方で、いかにも重量感を備えて、生き生きとした生命を感じさせるのは、リアルであるとかないとかという以前の圧倒的な迫力を感じざるを得ないと思います。この展覧会は、集めてきたクラーナハの作品数が少ないためなのか、比べてしまうと明らかにクラーナハを見劣りさせてしまうデューラーを並べて展示したり(展示の最後近くで、デューラーの有名な「メランコリア」を展示して、これだけで展覧会を見に来る価値があると思うほどだが、それにクラーナハの同名作品を並べて明らかに見劣りさせて、結果的に辱めることになってしまっている)、クラーナハの作品を味わうのに邪魔にしかならないテンションの低い現代絵画を引用して展覧会全体を薄味にしてしまっているのは、興ざめです。
Cranachsaxon  会場に入ってすぐに目に入ってくる作品がこの「ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」という肖像画です。ここに画家の特徴的なものとか、突出したものが見て取れるか。これを見てクラーナハという画家はこうで、これはすごいと思うかとか、その徴候を見つけ出すことができるか。そういう作品として見ることはできませんでした。肖像画という性格から、そうものなのでしょうけれど。よくできた肖像画と言えるもので、商品としての肖像画の品質は高いといえると思います。ただし、その品質についても突出して高い(例えばデューラーの作品であれば、肖像画として求められた枠を超えてしまう部分が垣間見えて、それが興味深いわけです)ところまでは言っていません。敢えて言えば、作品としては凡庸と言えるのではないかと思ってしまいます(下手であっても、突出して下手であれば、その方向で突出する可能性があると思います)。しかし、だからこそ分かり易い。人物を生き生きと描くとか、人格が滲み出るように表現されるとか、理想を表すとかといった肖像画としての機能の脇目をすることなく、モデルとなった人物に似ていて(だろう)、その人物を豪華に飾り立てることを高い品質でまとめられている。しかも、それを類似作品が多かったのでしょうが、品質を維持して多量に生産する。そこが、宮廷画家として工房を率いてメジャーな画家として売れたのだろうと思います。そして、このような肖像画を一定品質で量産するというようなところが、クラーナハの絵画のベースとして通底しているのではないかと思うのです。それは、必ずしも当時のルネサンスには当てはまらないものがあるように思えるのです。ここでは、何かクラーナハを褒めているように読んでもらえないと思いますが、否定的に見ているわけではありません。
Cranachmaria  「聖母子」という作品を見ていくと、ルネサンス風の、ああスフマートみたいな、ドイツの田舎の封建領主にとっては品質が高いように見えてくるように作られていると思います。それを中心に作られているように思います。例えば、工房で制作されたものなのでしょうけれど、聖母の顔と胴体が繋がっているように思えません。ウェブ上で、例えば2チャンなどでよく見られるコラージュのようです。おそらく、背景や胴体は工房の画工に描かせて、聖母の顔の部分だけをクラーナハ本人が後か先に描いたのではないかと思います。クラーナハは顔を描く際に全体のバランスを考えてもよかったし、最終的に作品が完成したかは親方であるクラーナハが是非を判断するので、このズレをクラーナハは認めているのでしょう。つまり、このようなズレはクラーナハには気にならなかった。クラーナハにとって絵画とは、そういうズレを気にするような体のものではなかったと思うのです。それを比較的若いころの作品には、直接的に表われていると思うのです。それは、これから後で具体的に作品を見ていく中で考えていきたいと思います。
 「天使に囲まれた聖家族」と「聖母の教育」という2枚組みセットの板絵作品です。祭壇の両翼のためのもので、祭壇の左右に置かれるように描かれていると言えます。この作品を見て分かるのは画家の画面構成力ではないかと思います。観る者の視線を誘導するように画面上の天使や聖母子が配置されている。デューラーの場合には、画面の人物が生き生きとした存在感があるために、却ってそれを盤上のコマのように配置して使うことが難しくなっているのではないか。そこが、デューラーとクラーナハの大きな違いなのではないかと思います。そういう視点で、この一対の作品を見ると、極論で誤解を招いてしまうかもしれないのかもませんが、2枚の絵画を一連のようで、まんがのコマ割りのように機能している、そういう性格があると思います。実際に作品を見てみましょう。「天使に囲まれた聖家族」では、画面上に多数いる天使たちは画面左手の聖母マリアに視線を向いています。そのため、この画面を観る者は天使の視線を追いかけるように画面左手の木の下の聖母マリアに導かれます。マリアは右側を向いているので、観る者は視線をそこに導かれる。その視線の先にあったのは、ここでは展示されていないのですが、本来、この作品が置かれていたはずの祭壇に視線が導かれることになると思います。もうちょっと細かいところを取り上げてみると、画面上手の空を飛んでいる天使たちは左下がりの斜めに並んで左手に向けて飛んでいるようで、そこでの天使たちは飛んでいる方向に視線を向けていて、空を飛ぶということは身体の姿勢は横たわっていてる姿勢なので、下方向に見下ろしているようで、その天使の並びを追いかけていくと、左方に立っている樹の幹に導かれ、太い樹の幹の縦の線に導かれるように樹の下にいる聖母マリアに届いていきます。また、この天使たちが並んで飛んでいる上下には樹の枝が左側の幹から伸びています。そこで、樹の枝から幹へ、そして幹の下の聖母マリアに導かれることになります。それは、またその視線のスタート地点はどこかというと、天使たちが右上がりに並んで飛んでいる、その並びの先は画面が切れてしまっていますが、この画面の右側は祭壇で、その祭壇の上部は、祭壇が捧げられているはずの神ということになるだろうと思います。つまり、画面には入ってこない祭壇からスタートして、観る者の視線はこの画面を通じて祭壇に還っていくという循環をするように導かれていく、ということになります。
Cranacheducation  Cranachafamily しかし、その反面、この一対の作品の左右に描かれた聖母マリア(赤いドレスを着た女性)は人間として生きていないし、フィレンツェのルネサンスの画家たちの描く聖母たちのように理想化された女性にもなっていません。祭壇を飾る絵画の画面の中に、必要な登場人物として聖母を入れなくてはならなくて、そのような条件を満たす部分としてあればいい。言わば記号のようなものとして、聖母を表す約束事を載せたものとして(例えば赤いドレスとか)画面の中に入れ込んだというように見えます。それは、上で見てもらった「聖母子」でもそうですが、輝かしい存在を、そういうものとして描こうとはしていないのです。だから、同時期のフィレンツェのルネサンスの画家たちのようなリアルとか、画家がこれを描きたいとか、こんな描き方をした作品をつくりたいとか、そのような姿勢では描かれていないのではないかと思います。一般化すれば、画家が主体を持った者として作品を制作して、作品を見る者の前に呈示する。クラーナハには、そういうところよりも、作品というのは見る者に提出する手段で、こういうものとして表すというよりは、それを見た人々の受ける印象、画家の側から見れば見る者に及ぼす効果の方に心が向かっているのではないかと思えてくるのです。だから、最初に比較したデューラーやその背後にあるルネサンスの画家たちが求めた表現とか理想とか方法論とは方向が異なっている画家ではないか。ただし、人々、とくに軽薄に流行を追いかけているような敏感な人々に受け容れられるために、道具としてデューラーなんかの作品に倣うように描いていた。ただし、手段として利用していただけで、クラーナハ自身の重心は別のところにあったので、そこに払う注意もそこそこだったということではないかと思います。しかも、器用さとか、天性の技量がある人でもなかったので、限られた力のなかでベストを尽くしたと思えるのです。

2017年1月15日 (日)

クラーナハ展−500年後の誘惑(1)

2016年11月 国立西洋美術館
Cranachpos  海外出張が終わって、帰国した日。早朝にホテルをチェック・アウトして、朝一番の便で向こうの空港を飛び立って、早起きと仕事が終わった疲れで、羽田空港に着いて、真っ直ぐに帰る気がしなくなった。午後の時間で、多くはないけれど、立ち寄るくらいの時間はあった。羽田空港から京浜急行で品川に出て、手近なところで上野まで足を伸ばして、西洋美術館へ。西洋美術館の前庭には沢山の人が集まっていて、少し驚いた。クラナッハ(この展覧会では画家の表記をクラーナハとしていて、多分正しく読むとそうなのだろうけれど、以前からの馴染んだ呼び方ではクラナッハ、というとある種の私の趣味嗜好が一部の方には分かっていただけるのではないかと思います)という、日本ではどちらかと言えばマイナーな画家の展覧会なのだけれど、混み合っているのか、それほど人気があるのかと、訝しく思った。しかも、あまり美術館で目にするような人々とは様相を異にする。それで入場券売り場には人影はなく、美術館の玄関は混雑しているのに、地下の企画展の展示室に降りて行くと、人影は急に減ってしまった。なんだろうかと思った。展覧会そのものは、むしろ空いていて、落ち着いて作品を見ることができた。
 あとで、展覧会を見終わってロビーに戻ると、団体ツアーのような集団がいて、天井だの床だのをガイドが熱心に説明しているのに、人々が耳を傾けているのを目にした。それで、この人たちは展示作品ではなくて美術館そのものに興味があることに気づいた。ああそうか。西洋美術館が世界遺産に認定されたことによって、西洋美術館を観光地として見に来る人々がたくさんいるのだ。
 あまり展覧会とは関係ない前振りが長くなったけれど、クラーナハという画家について、と展覧会の趣旨などについて、このところパターンになっている主催者のあいさつを引用します。“ドイツ・ルネサンスを代表する画家、ルカス・クラーナハ(父、1472~1553年)は、特異なエロティシズムを湛えた数々の女性像を生み出したことで、よく知られています。日本ではとくに、クラーナハが盟友マルティン・ルターの姿を描いた肖像画を、歴史の教科書などで眼にされた方も多いかもしれません。しかしこれまで、この画家の展覧会が日本で開催されたことはありませんでした。”と主催者あいさつのなかでは、クラーナハについては、この程度の簡単な言及しかしていないので、併記されていたウィーン美術史美術館の館長のあいさつの引用を追加します。“ルカス・クラーナハ(父)はデューラーやラファエロと同時代で、北ヨーロッパにおけるルネサンスを代表する最大かつもっとも特異な画家として知られ、愛されています。1472年に生まれ、16世紀半ばに没したこのドイツ人の画家は、「マルティン・ルターの肖像」や同時代の多くの有名人の肖像画によって、まさに宗教改革の時代を体現する画家となったばかりではなく、他とは一線を画す宮廷風の優雅なスタイルの絵画によってその名を上げました。半世紀近くにもわたり、ドイツ北部ヴィッテンブルクのザクセン選帝侯の下で宮廷画家を務めたクラーナハは、この地で早い時期に工房を開設すると、そこから多数の絵画作品を送り出して「クラーナハ様式」を各地に広めました。息子のルカス・クラーナハ(子)も、その後継者となるべく父の薫陶を受けることになります。この「クラーナハ工房」の作品の中でも特筆すべきは、官能的かつ甘美な魅力により、今日まで観る者を惹きつけてやまない裸体画の数々でしょう。たとえばクラーナハを大いに好んだピカソなど、多くの画家たちがそれらの作品から多大な影響を受けています。そのために、今回の展覧会では、クラーナハに向かい合って制作された、近代および現代美術の作品も選んで取り入れています。ウィーン美術史美術館が近年熱心に実施しているこの取り組みでは、現代美術の作家も取り入れることで、彼らと巨匠との対話が生まれることを目指しています。”
 この引用に書かれているクラーナハの作品と言うのは“特異なエロティシズム”とか“官能的”ということとされているし、展示されている作品にも、そういう性格のものがあります。しかし、それは一部の突出した要素のように見えてしまうのです。この展覧会でクラーナハの作品が集められた作品をまとめて見てみると、この画家というのが分からないという印象です。展示されている作品に筋が通っていない、というよりも、それを私が見出すことができない。たとえば、作品のバラエティが画家の成長に伴って、様々な方向性に広がって、このような作品もあるというようにも思えません。このチラシに引用された絵画と王族や聖職者の肖像画を同じ画家が描いたとは考えられないのです。もとより、この時代の画家は近代以降の作家性を求められるのとは違って職人の親方のようなものでクラーナハの場合も工房を組織していて、現代の日本で言えばアニメのスタジオシステムのようにスタッフが働いて作品を量産していたといいます。展示されている作品にはクラーナハの名義になっていますが、どこまで本人が筆をとって描いているかは分からないので、作品か一様ではないことは当然のことではあります。しかし、スタッフを使うと言っても、クラーナハが指示して描かせて、最終的に出来あがった作品を見て、承認したからこそクラーナハの名義を使わせているのですから、クラーナハの意向が反映しているはずなのです。従って、何らかの共通のものが認められるはずですが、それが私には見つけられませんでした。それが私にとっては分からないという結論になります。
 よく、絵画は(頭で)分かるものではなく、感性で直感するもので、美しいと感じられるかどうか、という議論を聞きます。学校の授業で芸術鑑賞をしたりとか、偉い批評家の啓蒙書などで言われることです。ここで言う「分かる」というのは、感性に対する知性、具体的には言葉、ロゴスで理解することではないかと思います。以前の展覧会の感想の中で、そういう感性で感じるというのは、芸術というヨーロッパ・ローカルに起源する美を、それは輸入品文化の日本で感じることのできるという優越感に裏打ちされたところがあるのではないかと述べたことがありました。ここでは、そのこととは別に、絵画を感じるということについて、これは私の絵画の見方ということになるのかもしれませんが、簡単に考えてみたいと思います。クラーナハの作品は近現代の抽象画のような観る者が自由に想像したりと、その見方を観る者に投げかけられ、任されるものとは違って、抽象画に対して具象画で、何が描かれているかという作品になります。抽象画の場合は、あえて何が描かれているかを切り取ってしまって、そこを宙ぶらりんにして、つまり、ロゴスを捨て去って感じるしかないように仕向けられたという性格が大きな要素としてあると思います。ところが、クラーナハのような具象画の場合には、何が描かれているかということが分かって、そこからその描かれているものとして美しいとか、といような感じるということをすることになります。この場合の美しいというのが、まず描かれているものが基準となって、それを感じるということをするわけです。例えば、裸体の女性を描いた作品では、描かれた女性の裸体として美しいか、そこで色彩が美しいといっても、裸体の色彩の使い方として美しいという感じ方になるわけです。そこでの感じるという感性の基底には、何が描かれているかという知性が存在しているわけです。もっというと感性は知性によって作られていることになります。そこでの知性が作られていないと、感性が働かないことになります。そうでなくて、感性だけで見ようとすると、それは抽象画としてみることになり、そういう可能性も否定できません。しかし、その場合には、抽象画として観ることを判断するという知性の働きが前以って為されているわけです。では、クラーナハの作品が分からないというのは、そういう感性を働かせるための基準、つまりベースができていないということになります。
 これをクラーナハのような描く側に立ってみると、画家は何かを描くという際に、見たものを、そのように描くということが原則になっていると思います。見ていないものは描けない、というわけです。この時の見たというのは、画家が見えたということで、たとえ、私から描かれたものが歪んでいたり、見えないはずと思っても、画家にはそう見えていたから描けたはずです。その見えたというのは、別の言葉で言えばパースペクティヴとかパラダイムというものです。私がそうだからといって、他の人もそうだとは一概に言えないかもしれませんが、パースペクティヴというのは何通りも持っていて使い分けるということなくて、ひとつしか持っていないのではないかと思います。そのひとつのパースペクティヴが、人生の転機を経て変化することはあるかもしれません。しかし、それはひとつのパースペクティヴが変化するというだけで、2つも3つもあるというわけではありません。画家の技法とか技術といったものは、そのパースペクティヴに従って形成されるもので、それが物体として結実するのが作品ということになるのでしょうか。私が作品を見るというのは、作品を通して、画家のパースペクティヴを見つけるということもあるのではないかと思います。それを、私は感性を通して知性によって分かろうとする。私が分かるとしても、それは画家のパースペクティヴと同じとは限りませんし、同じでなければならないわけではありません。その画家のとは違う、私の捉えたパースペクティヴが、私が画家の作品を感じる基準ということになると思います。
 それで、そういう基準を、私は掴めなかったが、他の人はどうなのかという藁をも縋る思いで、活字やウェブの世界を渉猟しましたが、そういうクラーナハとは、ということを提示してくれるものはありませんでした。だからどうだ、と言っても愚痴ということになり、何かの機縁で、この文章を読んでいただいた方には失礼になってしまいます。ですから、ここから、展覧会でのことを反芻していく作業のなかで、自分なりにもう一度、クラーナハの作品の感性の基準を探っていくという作業をしていきたいと思います。それについて、必ずしも見つけられることは保証できませんが。それでは、展示の章立てに従って、個別の作品を見ていきたいと思います。
 1.蛇の紋章とともに─宮廷画家としてのクラーナハ
 2.時代の相貌─肖像画家としてのクラーナハ
 3.グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ
 4.時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相
 5.誘惑する絵─「女のちから」というテーマ系
 6.宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて

2017年1月11日 (水)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(7)~Ⅴ.再び音楽を定義するということ

 ここまで、勿体をつけて散々迂回をしてきました。そこで、最初のところでの[音楽]の定義に戻ります。
 音楽というものは、視点に基づきかたちとして成立する自由を有しています。だから、基本的な視点の異なるだけ、それに基づいて形成される音楽も異なってくるわけです。それは、砂浜に広げた網が、広げ方によってさまざまな図形を描くのと同じです。
 ここでの違いとは、Ⅱのところで考えた差異という概念を当てはめることが可能です。音楽の音の価値付けは、また各視点による音楽そのものの価値付けにも通ずるというわけです。差異は同一性を前提としている、ということはⅡのところで詳しくお話しました。差を感じるためには、同じ土俵の上で比較してみることが必要なのですから。ということは、色々な人が色々に[音楽]を定義してみせるのも、そこに或る共通なものを前提にしていることになるのです。それが一体何かは、これまでのところで、私なりにお話した通りです。そして、この共通なものこそが、最初のところで定義した「音楽以外の何物でもない」ものである、と私は思います。
 「音楽とは音楽以外の何物でもない」という定義は、一見同語反復に感じられます。しかし、音楽作品で一つの音形が繰り返される度に全体との関係で意味が異なってくるのと同様に、右の定義での二つの「音楽」という言葉は意味が異なるのです。ですから、これは「音楽」の定義の場合としてのみ、同語反復ではないのです。私としては、こういう定義の仕方自体が音楽的な遣り方に思えます。

2017年1月10日 (火)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(6)~Ⅳ.独断と偏見によるクラシック音楽を聴く時の「意味」(3)

④音楽は自由だについて
 かなり前ですが①の最後のところで少し触れたことについて、ここで考えてみたいと思います。自由というと、勝手気儘に音楽を聴いていい、というように受け取られるかもしれません。それでは前章の最後で述べたことと矛盾します。しかしここではまず、二つの次元で考えてみます。
 第一の自由は表現の自由とも言えるもので、表現と意味の間にみられるものです。これは①のところで述べたことです。つまり、ある音形がある意味を分節し形成したとして、この意味の内容とその音形の間には、必然的なつながりはないということです。つまり、表現と意味は表裏一体といいながら両者の間には、論理的な必然性などないのです。ではどうして、表現と意味は表裏一体といったことと矛盾しないのでしょうか。自由というのは、個人の勝手気儘というのではなく、例えば自然法則のように所与の必然ではないということです。表現と意味の結びつきは、人間の社会的営みの中で積み重ねられた文化によるものなのです。ですから逆説的な言い方ですが、表現と意味の絆の必然は、それが自由であるがゆえなのです。
 これに対して、第二の自由は、価値の自由とでも言うべきものです。前のⅢのところで、音楽の個々の音あるいは音形の存在価値は全体としての音楽との関係や他の音や音形との関係から決定されることをお話しました。つまり、ある音形が深遠な思想を表わしているというような音楽以外のところに存在する価値が反映していたり、音形そのものに個別絶対の価値があると言ったことはないわけです。それは、ひとつの自立した閉じた体系の中での相対的なものです。ですから同じ音形を別の音楽作品の中で用いた場合、その音形の価値は全く違ってくると言えるのです。また、音楽というものは、それに関わる人間の視点に依存するということを前章で明らかにしましたが、価値を決定する体系自体も、最終的には視点に左右されるということになります。このように、音の存在価値について、自然法則のような必然的なルールはないのです。むしろ、聴き手である私の視点のほうが音楽という体系によって規制されていることも考えられ、私は音楽外の現実を音楽を通して捉えているとも言えるのです。これが、価値の自由です。
 ここでの二つの次元での自由についてです。表現と意味のむすびつきによって表わされたものは、元々音楽という体系の網をかけることによって現われたものなのです。そこで表現と意味というのは、あくまでも音楽という体系の中でのこととなります。それゆえ、表現の自由は価値の自由の結果的産物と言うことができます。この第二の自由が、価値の恣意性ということであるなら、価値を生ぜしめる関係としてのタテとヨコの関係のいずれともかかわっているということは、当然言えることです。
 ところで、ここでの自由というのは、個人の勝手気儘ではなく、謂わば人間のつくる社会でのルールみたいな人工的な、もっと端的に言えば便宜的なものだということは前に述べました。しかし、これがルールをつくった社会の中で、個人にとって、それがつくられたものではなく、元からあった絶対的必然的なものとして感じられる、という転倒した事態が起こります。ルールがつくられた当初の生き生きとしたところを失い、惰性と化して、個人には拘束としか感じられなくなる。個人の意識の中で、ある音や音形と、特定の感情やイメージが分かち難く結び付いてしまっている。本来相互的な、表現と意味がそれぞれ独立して実体を持って存在しているかのように受け取られてしまう。それだけならまだしも、音楽という体系が視点によりかたちづくられたものではなく、あたかも実体があるかのように受け取られてしまうということがあります。
 これは、本来なら個人の内発的な活動であるべきものが、押しつけられたもの、自分とは無縁な必然の世界にがんじがらめに閉じこめられたものとなってしまったことによると言えます。例えば、音楽を作曲家や演奏家の具体的な感情や思想を伝達する手段と見做してしまう立場などは、そう言えるのではないでしょうか。もっと卑近な例で言えば、解説書に書かれていることを、唯一無二金科玉条の如くみなして、その通りに音楽を聴こうとする。それ以外を間違いとするような立場があてはまると思います。
 このような転倒した事態においてさえ、それが如何に必然的に見えようとも、表現の自由のところで述べた通りで、表現と意味の必然性はそれが自由である限りにおいてなのです。つまり、個人が社会というものを形成する過程において、営々と積み上げられてきた共通の文化の中においてのみ必然のように見えるのです。必然などと言ってももとをただせば単なる約束事なのです。でなければ、音楽表現の進歩などということは、不可能になります。このような約束事は個人の活動の集積です。だから約束事を変えるのもまた個人の行為であるはずなのです。たしかに自由というのは、勝手気儘ではありません。しかし、だからと言って、音楽を教科書通りに聴く必要などないはずです。何と言っても、それは人間のつくったものなのですから。

2017年1月 9日 (月)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(5)~Ⅳ.独断と偏見によるクラシック音楽を聴く時の「意味」(2)

③かたちと実質
 表現と意味の表裏一体となった音楽とは、砂浜にひろげられた網のようなものです。この網次第で、砂浜には様々な模様が描かれることになります。そしてこの網自体は実体として存在するものではありません。この網をつくりひろげたのは人間ということができます。この網の目の織り成すのをかたちと呼び、かたちに対立するものとして実質というものを措くことにします。つまり、音楽の本質はかたちにあると言ってもよいと思います。 前の章で、音楽は感覚に訴えるものであるが故に、その表現が意味より優位に立つと言いました。例えば、ある音形をレガートで弾くか、スタカートで弾くかによって、その意味が変わってくるというわけです。そうなると、元の音形そのものはいったいどうなるのでしょうか。別々のものになってしまうのでしょうか。例えば、変奏曲において、聴き手は次々に変奏によって形を変えて現われるテーマを、形が変わっても同じものとして捉えます。この二つの例は一見矛盾するような様相を呈しています。しかし、これは同一性の問題なのです。
(注)同一性というと耳慣れないかもしれません。しかし、例えばアイデンテティの訳が自己(自我)同一性というと少しは身近に感じられるのではないでしょうか。ある人に対するのと、別の人に対するのでは、私は違う顔を示します。しかし、その私はひとつなので、それらの違う私に共通する同一のものがあるはずです。同一性をそういうものと受け取って下さい。かと言って、私は音楽を聴くことに、自分を見つけるということを重ねるような真摯な人間ではありません。
 同一性には、実は二種類考えられるのです。ひとつは実質のレヴェル、もう一つはかたちのレヴェルです。このことは、次のような例から説明することにします。A氏が昨日、東京駅午前九時発の「ひかり」を利用したという話を聞いたB氏が、「私も先月同じ列車を利用した」と答え、C氏が「私も昨日、Aさんと同じ列車に乗っていた」と言ったとします。ここで、B氏とC氏は、それぞれ「同じ列車」と言ったわけですが、この両者の内容は、その文脈から言って異なるものであることは、明らかだろうと思います。B氏の言う「同じ列車」は、列車の出発時刻、発着駅等の視点からみたもの、つまり時刻表上での同一性ということができます。これに対し、C氏の言う「同じ列車」は物理的な車輌、同じ乗務員という視点の同一性ということができます。この時、B氏の視点はかたちの視点C氏の視点は実質の視点と言うことができます。つまり「ひかり」という列車を構成しているのは、車輌の数とか素材、乗務員の構成や乗客の数といった実質ではなく発車時刻、発着駅、道程といった条件にほかならないのです。つまり、その「ひかり」を他の列車から区別する一切の差異、対立関係が「ひかり」の構成物なのです。
 音楽の表現とは、個々の音の物理的な鳴り響きといった実質ではないのです。もしそうならば、音楽と自動車のクラクションの音にかわりはないことになってしまいます。音楽は、一種の体系であると前のところで述べましたが、表現の面でもそれが当て嵌まるのです。音楽の表現において、かたちが本質的な構成をしているが、実質がそれを支えているわけです。
 次に、音楽の意味の面を見てみましょう。意味というものが、これまでの説明からかたちによって構成されていることは言うまでもないことだと思います。つまり、音楽の意味というものは実体として在るのではなく、ある視点によって切り取られ区分整理された一種の現象であるわけです。
 とすれば、意味の面での実質はどういうものと考えられるのでしょうか。比喩的にいえば、音楽の外に存在する人間によって体験可能なあらゆるものとでも言ったらよいでしょうか。これまで、音楽とは音楽以外のものを表わし、伝える手段ではない、と繰り返し述べてきました。それと矛盾するようなことがここに出て来てしまいました。これは、音楽以前にその対象となる現実が存在するのか、そして、その存在するとはどのようなことなのか、ということです。意味というからには、その指し示す対象を当然想定してしまいます。例えば、聴き手は音楽に、それが何を表わしているのか聴き取ろうとします。この対象は音楽外の現実と言ってもいいのでしょうか。これに対して、私は「否」と答える立場にあるのは、これまでの文章から明白です。仮に、作曲者や演奏家の「思い」とか「メッセージ」とか「感情」等を伝えようとするなら、言葉というより直接的なものがあるわけです。ウィアーザワールドのメッセージは専ら言葉、即ち歌詞のみによるものです。このメッセージの意味は言葉によって分節整理された言語の現実ということができます。音楽は、この言語と同じように、言語とは別個に音楽の現実を分節整理するのです。つまり、音楽以前に存在する現実とは、音楽というかたちの網の目をかけられる前の砂浜のようなものです。私の前のテーブルの上に、一つのコップがあるとします。このコップを私は、一杯の水を飲む道具としてみなす、つまり意味を与えることによって、はじめて単なるガラスの塊がコップとして私との間に関係が生じるわけです。私がコップを認識するのはその限りにおいてです。ここで、新たにかたちに対立する実質の性格が問題となってきました。表現や意味が、幾分かの留保を含むとはいえ、本質的にかたちであると言う場合にしても、現実に音楽が生ずる時には必ず、それぞれの実質に支えられていなければならないはずです。実際の個別の演奏なり作品なりが存在しているのは、実際の鳴り響きですし、それは音楽という関係において意味づけられた実質です。とすれば、実質というのは、表現や意味というかたちによって分節、区分整理されたものなりか、あるいはまた、音楽以前に存在する現実のことなのか。実質というものが両義的な性格を有していることになります。
 ここで、実質をかたちの対立概念とするならば、当然前者の性格のみをとることになるはずです。そこで、とり残された後者を、取りあえず仮に素材とよぶことにします。
 これまで議論はちょっと煩雑で、読んでいて混乱してしまったかもしれません。そこでここで整理してモデルを考えましょう。表現と意味には、かたちと実質という二項対立が実は、かたちと実質、そしてそれらと素材という二重の二項対立があったのです。表現の素材とは、かたちとは無関係の、音楽とは別個の単なる物質としての音です。これに対して、表現の実質は表現のかたちがあってはじめて存在する音楽の音、と対比的に言うことができます。これと同様に、意味の素材は、さきほども言ったように、音楽以前に存在する現実です。そして、これに対し意味の実質とは素材がかたちという網の目によって分節整理された、つまり意味付けされたものです。ここでの三者の関係は、素材はかたちによって分節整理される以前の、謂わば混沌として捉えられるものです。この素材を表現と意味というかたちを通して分節整理したものが実質です。音楽の聴き手にとって、聴き取られるのは、表現と意味が一枚の紙の裏表のように不分離一体の状態のもの、即ち表現イコール意味が、聴き手の心の中に残す刻印としてなのです。
 こう考えると、実質というのは聴き手がある視点で素材から切り取ったものだと言うことができます。ここでいう視点とは、かたちの網の目をかたちづくるものに他なりません。つまり音楽という体系(差異の関係)は、私という聴き手との関係によって意味を付与されて、はじめて存在しうるわけです。この意味で、音楽は聴き手である人間がつくる関係に先立っては存在しえないのです。音楽というものは、聴き手である私にとって、意味が付与されない限り、ただの音でしかないのです。聴き手である私は、素材である音に働きかけて、これに意味を付与する、つまりは素材を実質化する、それが音楽を聴くという行為の一環でもあるわけです。ここで、聴き手が素材に意味を付与すると言っても、それは勝手気ままに行なわれるというのではありません。その行為は他方で、意味を持つ音楽に規制されるものでもあるわけで。聴き手である私の意識もまた、一種の意味を与えられることになります。こうモデル化してみると、かたちというのは、音楽という閉じた体系の中での表現と意味との相互依存関係を形成するばかりでなく、聴き手が音楽を聴くという関係をも形成することがわかります。

2017年1月 8日 (日)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(4)~Ⅳ.独断と偏見によるクラシック音楽を聴く時の「意味」(1)

 前章では、クラシック音楽全般を念頭に置いて、音楽というものの表れ方にについて考えてきました。そしてここからは、私が個々の演奏等を聴く時のことを主に、音楽の現われについて考えてみたいと思います。ですから、前章では音楽能力と対比の上での一般的な音楽を扱ったのに対し、この章では具体的な音楽と対比の上での一般的な音楽を扱うことになります。
 これまでの文章で散々[意味]とか価値とか意味などという言葉を濫用してきました。読んでいるうちに、おそらく頭が混乱してしまっているのではないかと思いますが、もう少し我慢して下さい。ここでは表現との関係で意味について考えてみたいと思います。
①音楽はものごとの伝達手段か
 作曲家や演奏家と聴き手の間に、ある程度の共通のルールの存在を音楽は前提にしているということは前章でのべました。その際、言葉というものの構造と比較しながら、それを参照しつつ議論をすすめてきました。しかし、私が音楽を聴くということと、言葉を聞いたり話したりということは、根本的に違うもののはずのように思います。音楽は言葉と似たような点が多々ありますが、言葉のような流通のしかたはしません。言葉は、それが事物であれ感情であれ概念であれ何かを指し示すように見えます。例えば、「いぬ」という言葉で、私は、現実の隣のポチだったり、動物図鑑の犬という種だったりのある生き物を連想します。一見それらは不可分にむすびついているようにも見えます。
(注)この言葉についての議論は、言葉というものがそういうものだ、ということではなく、一見そう見えるということです。言葉は決してある動物を犬と名付けるだけのものではありません。
 音楽には、こういうことは考えられないと思います。ある音形があるものを指す、ということが厳然とルールになっている、などということは聞いたことがありません。しかし音楽は言葉では表わせないもの、例えば感情等を伝えるではないかという反論がおこりそうです。たしかに、この音楽は深い悲哀の情に充ちているとか、あるいは生命を躍動させるような歓喜を謳いあげている、などという形容を用い、一定の特殊化された感情を音楽が表わし聴き手に伝えていると見做されているように見受けられます。また、短音階や短調は何か悲しい感情を表わすものと受け取られてもいるようです。しかしだからと言って音楽が「悲しい」という感情を表わし伝えるものだ、つまりは伝達の手段、コミュニケイションの道具だ、と言ってしまってよいものでしょうか。「悲しい」を伝えるのなら、何もまわりくどい音楽などというものに頼ったりせず、直接「私は悲しい」と言えば、それで終わりだと思うのですが。それ以上に、現実の日常生活で感じる喜怒哀楽というような個別に区分整理された感情は、あくまで言葉という関係の世界の中でのものだと思うのです。つまり、元々「悲しい」という感情があって、それを言葉で「悲しい」と名付けたのではなく、「悲しい」ということばが、ある種の感情か気分を「悲しい」という視点で異質に思われる感情か気分から区別したものです。「悲しい」というのは、書店の本棚という感情気分から言葉という私の好みで取り出した数冊の本というわけなのです。ですから「悲しい」はあくまでも言葉であってその以外ではないのです。日常の言葉の中で生活している私にとっては個別の感情は言葉の関係の中で区分されているものです。ですから私が音楽を聴いて、ある個々の感情を感じるのは、音楽がそれを表わし伝えているからではなく、音楽が聴き手である私に働きかける一種の効果・作用であると考えられます。つまり、音楽に「悲しい」感情を感じるというのは、あくまでも音楽を聴く際の随伴現象なのだと言うことができると思います。
 音楽の意味とは、音楽という閉じた体系の中での関係において成立するものだと思います。つまり、音楽外のあるもの(言葉によってあらわされたもの)を指し示すために、ある音形が存在するというのではないのです。その反対に、ある音形があって、それにより表わされるものが初めて生まれるのです。つまり、音楽自体が意味であって、また音のあらわれでもあるのです。この両者が表裏一体となって初めて音楽は成立するものと思います。ことば、ある感情気分の中から「悲しい」という言葉のあらわれをもって「悲しい」にあらわされる意味を分節区別したように、音楽もある音形をもって分節区分をすることにより意味を生じさせるのです。但し、だからち言って、聴き手である私がその音形と分節区分された気分感情を必然的なものとして結び付けなければならないか、というとそんな必然性はないはずです。つまり、ある音形とそれが分節区分したものの間に、両者を結びつける必然性はない、自由であるはずだと思うのです。これについては、後の章で詳しく議論したいと思います。
②表現と意味
 前章の内容から音楽が表現と意味を同時に有する二重の存在であることがわかっていただけたかと思います。音楽を一枚の紙に例えれば、表現と意味はその表と裏と言うことができます。もしこの紙の表に鋏を入れたとすると、表のみならず裏も切れてしまいます。 音楽において、表現と意味は相互依存の関係にあります。両者それぞれがお互いの存在を前提としているのです。前のところで、ピアニストがピアノを弾いたのと、猫が鍵盤の上を駆け回ったものとの違いを意味の有無で考えました。つまりこの両者が音の響きにおいて、全く同じだったとして、ピアニストの演奏を音楽と見做すのは、その響きに意味があると見做すからです。そしてその限りにおいてピアノの響きは音楽の表現であるわけです。ですから、表現の成立には意味の存在が前提されていると考えられます。また他方、音楽の意味は表現によって区分整理され、音楽という体系に位置付けられたものなのですから、意味は表現なしには成立しえませせん。但し、だからと言って、表現と意味が対称的とはかぎりません。音楽では意味に対し表現が優位に立つと考えられます。これは音楽というものが感覚に訴えるものであると考えるからです。つまり、一つの音形をピアノで弾く場合、もしこの音形とその意味が不可分で両者が対等なら、音形の意味がひとつなのだからそれをレガートで弾いてもスタカートでも同じことになはずです。ところが、レガートで弾くか、スタカートで弾くかでは、音楽では全然違うものになってしまうのです。 そして当面、表現と意味は不分離です。
 最後に、表現は単なる物理的な音ではないし、意味は音楽とは別個に存在する音楽外の現実を指すのではないということです。これを「うつわ」と「なかみ」に言い換えれば、表現は既成の「なかみ」を盛る「うつわ」ではなく、意味にしても「うつわ」という鋳型に流し込む「なかみ」に終わるものではありません。

2017年1月 7日 (土)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(4)~Ⅲ.クラシック音楽をもとに音楽の在り方を考える(2)

④音楽は対立を内包した体系
 音楽の音は音楽という体系によって意味付けされる、つまり価値を付与されることによって、物理的な音から[意味]をもつ音楽の音となります。これは、どういうことでしょうか。例えば、私が買物で、一冊の本を買うとします。私はその本に買うべき価値を見出だしたわけです。他に沢山の本がある中で、その本だけを特別のものとして、他から区別したのです。但し、この本の価値は、絶対的なものではなく、私という視点から見出だされた相対的なものにすぎません。げんに私以外の人は、その本を手に取ることもしないことだってあるのですから。つまり、私は自分の視点により、沢山の本の中から、一冊の本を他の本とは区別し、他とは違うということで、買うべき価値を与えたということになります。音楽という価値付けの体系も、これと同じ働きをします。
 音楽の中の音は、それが音である限りにおいて、皆同じです。まして、前章でものべたように、音それぞれの価値は、その音に固有のものではありません。ですから、個々の音を単独で取り出してみれば、その価値は同一なのです。この時、それぞれの音の価値は、私が沢山並んだ本の中から一冊の本を他とは違うと区別したことにより価値を見出だしたように、他の音とは違うということで決まるのです。[意味]付けとは、そういう働きです。音楽の音達は、相互に同一でありながら、他方でお互いの違いにより区別される、という相反するものの対立のなかにあります。音楽という体系は、このような対立を常に中にもっているのです。価値付けるということは、区別するということであり謂わば、差異を生み出すということで、この対立はこのような働きの前提となるものです。つまり、対立が価値を生み出すのと思うのです。
⑤関係とは何か
 音楽の音は、音楽という体系の中で価値付けられている、前章で述べました。それが、どういうしくみなのか、ここで少し考えてみたいと思います。前章で述べた通り、価値というものは固有の実体はないのです。あくまで、体系の関係の中で相対的にあたえられるのです。ということは、関係のしかたによって、価値というものの在り方もかわってくるわけです。音楽を私が聴くとき、ある音を美しいと思うか否かは、その音自体の絶対的な美しさというよりは、私の聴き方によって決まる、と思うのです。関係とは、この場合、私の聴き方に相当します。
⑥タテの関係とヨコの関係
A)タテの関係
 関係というものの現われ方で、まず考えられるのが顕在的なタテの関係です。ここでまた、少し脇道に逸れて、言語のことを考えてみましょう。たとえば[太郎が花子をなぐった]という出来事があったとします。現実に起こったことは、太郎の手が振り上げられ、それが空間を移動し、花子に到達したという過程です。これを図式的に捉えれば[太郎]から発した[なぐる]という行為が[花子]に到達したということになります。これをそのまま言語に置き換えてみると[太郎]─[なぐる]─[花子]という順番になります。ところが、この順番では日本語としては不自然に感じられます。つまり、[太郎]─[なぐる]─[花子]の過程という現実とは別に、言語は固有の規則のようなものを持っていると考えてよいのではないでしょうか。このように、単語では言葉が規則に従って配列され、それが文という関係を成し、そこに意味が表れてくると考えられます。ここでの、個々の単語の意味は、文での位置や他の単語との関わりによって生まれます。[なぐる]という単語が現実の[太郎]の行為と結びつくと聞き手に理解されるようになるわけです。このような表れ方をタテの関係と呼ぶことにします。但し、音楽と言語とは違います。音楽の場合は、言語ほど規則が厳しくはないと思います。音楽は単一の音の配列に収まりきるものではありません。主旋律のみならいざしらず、伴奏がつけば、そこに和声のつながりが生じ、また対位法的に複数の配列が並存したりします。しかし、聴き手の耳の前に表れて音の価値、関係を明らかに示すのがタテの関係であることは同じです。
B)ヨコの関係
 私が音楽を聴く場合、よく次の音を予想することがあります。ある旋律を途中まで聴いていて、次にはこんな風になりそうだ、この音がきそうだ、というようにです。それは、たいてい外れるのですが。これって結構楽しいものだったりして…。さて、旋律という中で、音は各々価値をもたされています。それを聴く私は、先の音を予想する中で、一つの視点で続くべき価値をもったある音を選択したわけです。ところが、実際は違う音が選択されていました。つまり、音楽として私の前に現われている音は、その背後に選択されてもいいのに選択されなかった音の群れを隠しているのです。この表れた音と、隠れた音群との並列的な関係をヨコの関係と呼びます。この関係はタテの関係と違って、音楽という体系の中で、音楽以外とは別の自立した規則ではありません。ひとつの音が選択されるには、選択する人の視点やイメージ、その他の理由によるからです。ある音の次にくる音は、必然的にこうなるというのは、選択する人にとっての必然性なのです。そこには音楽そのものに内在する規則の制約は希薄である、言うことができます。
C)タテの関係とヨコの関係
 この両者は、似た例でいうと、文法と辞書のようなものと言うことができます。両者は相互依存なのです。辞書から、いくつかの独立した語をもってきて文法に従って、語を並べるというのではありません。もともと辞書におさめられている語は、文の中で意味を与えられることを前提としているのです。また文法もまた、語の存在を前提としているわけです。私が音楽を聴く際、この両者によってあるパターンのようなものが頭にあって、それをよすがに、音楽を聴いているのだと思います。音楽の経験を積むとは、じつにこのパターンを色々積み重ねることに他ならないのではないでしょうか。ブラームスが分かると私がいう場合、このパターンを私がブラームスの音楽に見出だすということに他ならないのだと思います。

2017年1月 6日 (金)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(3)~Ⅲ.クラシック音楽をもとに音楽の在り方を考える(1)

 前のところで、[音楽]全般の概念について考えてみました。ここまで読んで気づかれた人もいるのではないでしょうか。これまでのことは音楽に特有のことではなく、コミュニケイションの媒介全般に当てはまることではないか。音楽を表現の一種と位置付ければ同様のことは言語にだって言えるはずです。これまではたしかにそうかもしれません。しかし元々、音楽と言語は別のものです。それを同じに議論しようというのは、どこかで無理が生じるものです。例えば、「いぬ」という言葉を、ソプラノの澄んだ声で言おうが、口の中でモグモグさせて聞き取りにくく言おうが、「いぬ」に変わりはありません。しかし、音楽の場合は、この両者を同じとしてしまうことは、できない。と、ここまで言ってみて、これを同じとする音楽もあり得る、ということに気が付きました。しかし、できない、と言った言葉を引っ込めるわけにはいきません。私がこう言うことの、背後には、どうしても[音楽]を、現在自分が好んで聴いているものをもとに考えている、という事態があるようです。つまり、私が[音楽]を語ろうとしても、どうしても、私のよく聴くクラシック音楽を主に念頭にいれて、語ってしまうようです。だから、ここでは、[音楽]全般を考えようという無理はせず、クラシック音楽をもとに考えようと思います。ということは、前の所で考えた、三段階の[音楽]のうちの一般的な音楽を中心にして、考えてみようということです。
①音楽の音と日常の音
 日常生活の中で、人はさまざまな音に取り囲まれて生活しています。これを、音楽の音と分けて考えてみようと思います。日常生活の音は、常に、それが何から発せられたか、という聞かれ方をします。その何かとは、だいたい目に見えるものです。つまり、日常生活の音を聞くということは、見るということを補完するものだと言ってもよさそうです。それは、ヤカンの湯の沸騰の音だったり、硬貨を床に落としてたてる音だったり、親しい人の足音だったりするわけです。日常生活の音は、その音を発生させるものを指示する性質の音です。だから、日常生活の音を聞くために聞くということは、まずないだろうと思います。
 これに対して、音楽の音はどうでしょうか。音楽の音もたしかに物から発せられます。ピアノの音。ヴァイオリンの音。これらは、見るということを補完するだけで終わらないと思います。例えば目を閉じて、音楽を聴く人だっています。音楽の音は、見るということから、ある程度切り離されて、聴くために聴かれる音ではないでしょうか。
②音楽の音は意味をもつ音
 音楽の音と日常の音は違います。しかし、音楽の音もその音楽の脈絡から切り離されて単独に取り出された時には、音楽の音ではなくなってしまうと思います。それとは逆に、単独に鳴っているピアノの音は、それだけでは単なる物理的な音ですが、それがメロディやリズムの中で用いられた時、音楽の音になります。同じ音が、それに与えられた状況によって、単なる物理的な音ともなり、音楽の音ともなるのです。では、この時の音を、音楽の音たらしめるのは何なのでしょうか。
 ピアノでひとつのメロディを弾いたとします。このメロディは、単なる音の連続ではありません。それは、猫が鍵盤の上を歩いて作り出す音の連続とは違うものです。では、この両者の違いはどこにあるのでしょうか。ここで、脇道にそれますが、言語について少々考えてみましょう。例えば、単なる文字の連続である「お」「く」「ん」「が」と、ひとつの言葉「おんがく」との違いは、[意味]の有無にあります。言葉は[意味]を持つ文字の連続なのです。言葉と同様にメロディは[意味]を持った音の連続と考えられます。ということは、音楽の音は[意味]を持った音、と言うことができます。
 (注)[意味]と括弧書きにしたのは、後で出て来る意味という言葉との混同を避けるためです。
③音楽の音と音楽
 前の章で音楽の音はそれ自体が単独では音楽の音として成立しえない、ということを述べました。繰り返すようですが、音楽の音は、音楽の中に位置してはじめて音楽の音なのです。では、逆に音に対して、音楽はどうなのでしょう。音楽は音があって、はじめて私の耳に入ってくるものです。音楽は各個の音によって組み立てられているのでしょうか。私の答は、否です。音楽の音は、音楽があることを前提にしているのですから、音楽が音を前提にするというのは循環論理つまり矛盾していることになってしまいます。煉瓦を一個一個積み上げて家を建てるのとは違うのです。音楽は各個の音によってではなく、音と音とがおりなす関係から構成されていると考えられます。つまり、音楽とは関係という関わり合いが網の目のようになっている、その総体をイメージしてもらうと、分かり易いと思います。それを、体系という言葉で呼ぶことにします。
 念を押すようですが、ここでの音楽と音とは、全体と部分というようなものではないのです。前章の例を使えば、「おんがく」という言葉に[意味]があって、はじめて文字に[意味]があることになるのです。ここで、[意味]と括弧書きにした理由を明らかにします。通常、意味という語を用いる場合は、言葉の内容を指すことが多いのですが、時に「私がここにいても、[意味]がない」というような使い方をすることがあります。この[意味]は、私がここにいるのは価値がある、というような内容を指すものです。つまり価値を意味付けるのです、ですからここでの[意味]を価値と置き換えても、よいと思います。ですから全体として[意味]があって、その音に[意味]を付与する音楽というものを、価値の体系と言うことができます。音楽の音は、全体としての音楽との関係と、他の音との相互関係のなかで、はじめて、その存在価値が生じると思うのです。ドという音は、それだけでは音楽になれないのです、ほかにミとかソという音があって(あるいはドという音を土台づけるリズムがあって)初めて音楽になるのです。そのとき、ドという音は、音楽があるために必要になる、つまり存在価値が生じるわけです。これは、ドの音のみならず、ミやソの音もそうです。これら、ドミソの音は相互に価値を与え、求めているのです。それぞれの存在価値は互いの関係から生まれ、体系という関係の網の目から生まれる、と言うことができます。ですからここで、音が「在る」ということは「関係付けられて在る」という風に、言い換えることができるのです。
 この存在価値というものは、個々の音に固有ではないことは、もうおわかり頂けたかと思います。ということは、その価値の大小は関係の中で相対的に決定されるわけです。例えば、ピアノの音が美しいと言う時、そのピアノの一音一音が独立して美しいというよりは、全体の音楽を聴いた上で、その音楽との関わりの中で、他の音の兼ね合いながら、美しいと思うわけです。ドの音のみを聞いて美しいと思うのではなく、Aという曲を聴いて、きれいな曲だけど、とりわけ、ドミソの連なりのところが特に美しく、その音色がなんともいえない、というようになると思います。ということで、ひとつの音の固有の性質から、その価値は決まらないと言うことができます。

2017年1月 5日 (木)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(2)~Ⅱ.音楽を三つの段階に分けて考える

 ここではまず、日常使われている[音楽]というものを三つの段階に分けて考えてみようと思います。これは、あくまでもこの先考えを推し進めるための便宜としてなので、何故という理由は棚上げさせておきます。以下、そういう仮定があるとして読んで欲しいと思います。
①一番広い意味での定義
 人間の持つ普遍的な音楽に反応する能力、音を構成する能力、音楽に色々なことを感じとったり籠めたりする能力、およびその活動全般を謂います。これは、人間なら誰もが、潜在的に持っているものです。なお、これが実際にあるかどうかは、あえて考えないで下さい。この定義は、後の二つの段階の前提となるべきものなので、以下そういうものとして議論をすすめます。なお、一番広い意味での定義では言いにくいので、仮に音楽能力と言うことにします。
②一般的な音楽
 音楽についての文化を同じうする各共同体における音楽、つまり、人間が属する社会において、ある音の響きを音楽か雑音か分ける境界線を成り立たしめるバックボーンのようなものを含めて謂います。たとえばAさんの演奏をBさんが聴く場合、二人の間で音楽について共通したものがなければ、その場で演奏は成立しません。この場合の共通した音楽がこの一般的な音楽と思って下さって結構です。
③具体的な音楽
 個々の曲や演奏のことです。ひとつの作品に対する個々の演奏という関係は複雑ですが、ここでは一応棚上げします。
④音楽能力と一般的な音楽
 19世紀のフランスで狼の群れの中で成長した幼児が発見されました。この所謂アヴェロンの野性児は、音楽に対して興味を示さなかったそうです。聴覚そのものは優れていたにもかかわらず、音楽には反応しないのです。おそらく彼も、潜在的に音楽を感じる能力を持っているのでしょうが、それが表に出てこない。人間は社会的動物だと言ったのはアリストテレスですが、音楽がそれとして成り立つためには、人間が構成する社会の存在が不可欠なのだと思います。社会の中で人間は、生まれたての赤ん坊が、模倣や訓練により言語を習得するように、音楽をも身に付けるのだ、と思います。ここで、音楽には訓練ということが必要なことがわかります。アヴェロンの野性児が音楽に反応しなかったのは、必要とされる訓練を欠いていたからなのです。このように人間は誰でも音楽の能力を持ってはいます。しかし、それは潜在的なので、これが表に現われるには、訓練によって社会化しなければなりません。この関係で、潜在的な音楽能力が社会化して顕現したのが一般的な音楽なのです。そしてこの際に顕現せしむるのが社会であり、もっと限定すればその社会のなかで成り立つ文化なのです。
⑤一般的な音楽と具体的な音楽
 社会の中で音楽が成り立つと前章で言いましたが、実際に、それが現われるのは個々の作品や演奏を通じてです。ある社会、例えば、近代ヨーロッパのブルジョワ社会で成立した音楽には、音階の構造、和声の組合せ方、旋律のつくり等々には一定のパターンが、意識的にか無意識のうちにか決まっているように見えます。このパターンを受け入れたことにより、ある和音を不協和音か協和音か感じる(ハモってるとか、そうでないとかです)感覚が形成されるわけです。そして、それが実際の曲や演奏に反映することになります。つまり、作曲家は、このパターンに従って作曲をするわけです。つまり、パターンが作曲という個人の行為を通じて、一つの作品に現われるのです。今の例で19世紀の人には、増四度や長七度等の和音は一般に不協和音に聞こえるらしいのですが、これらの和音というのはジャズなどでは核心となる和音と言うことができるのです。だから、彼らに耽美的なはずのビル・エヴァンスとか聴かせてみたとすると、殆どの人が雑音のように感じることになると思います。しかし、なかで少数の人が、これを新しい響きの音楽だと感じたとしたら、そこからパターンの革新が起こることになります。
 ここで少し整理してみましょう。これまで言ってきたパターンが一般的な音楽で、個々の作品が具体的な音楽です。前章では一般的音楽概念つまりパターンは、人間の音楽の能力の表れでした。しかし、ここでは、このパターンこそが潜在的で、これが顕現したのが具体的な音楽、つまり個々の作品ということになるのです。
 前にもお話しましたが、Aさんの演奏をBさんが聴く場合、二人の間で音楽について共通したもの(一般的な音楽)がなければ、その場で演奏は成立しないのです。しかし、この一般的な音楽はなんら実体があるわけではありません。実体としてあるのは、あくまで個々の作品や演奏です。だから一般的な音楽と具体的な音楽の両者は、持ちつ持たれつの相互依存の関係にあるわけです。時として、実体がないはずのパターンが、さも実体があるかのように、作曲家等の個人に大きなプレッシャーとなって現われ、彼に束縛を感じさせることがあります。しかし、これとても、元々は一つ一つの作品や演奏の積み重ねがそうなったのであるのです。だから、このパターンが変わったり、新しくなるのは、最初は個々の作品や演奏からなのです。いつでも、どこでも、音楽の発展のキッカケは個人の行為です。

2017年1月 4日 (水)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(1)~Ⅰ.音楽を定義するということ

 私は、日常何気なく音楽を聴き、他人と音楽のことについてあれこれ話をしています。その際、何の考えもなく[音楽]という語を使い、[音楽]という対象を語っています。では、この[音楽]とはいったい何なのでしょうか。クラシックという[音楽]と新内という[音楽]を同じように[音楽]として一括りにしています。しかし、本来両者の[音楽]は全く異質ではないでしょうか。ではこれらを一括りにしてしまう[音楽]を、私はどう捉えているのでしょうか。これから皆様と[音楽]の話をしようという手前、このことを明らかにした方がいいと思います。しかしながら、これを定義しようとすると、両掌で水を掬おうとするかのように、[音楽]は試みた定義から零れ出てしまいます。例えば音楽は音によって構成されているものだと定義したとします。これなど、全ての[音楽]に当てはまりそうです。しかし、例えばかつての自由七科のひとつとして位置付けられていた音楽は数学的な調和のモデルとしての側面が強く、実際に音を出すということとは全く別物と考えられていたものでありました。また現代音楽と呼ばれる[音楽]にも、そういうものがあるようです。このようなものにも、通常は[音楽]という形容がされているようです。とすれば、音楽には、音があるかどうかは関係ない。また、音があるからと言って、それが音楽であるとは限りません。そこで、[音楽]を定義するのは論理的には不可能ではないかと思うようになりました。とすれば、せいぜい私などにできるのは、[音楽]の一部のいくつかの特徴を並べ立てるくらいのものなのです。
 しかし、ここで、私の周囲を見回してみれば、定義が不可能であるはずの[音楽]が氾濫しています。また、他方では[音楽]というものが私にとってあまりに自明でわかりきっているもののように思われるため、今更これを説明しようとしても当惑してしまうばかりという事態も起こりかねません。ということは、[音楽]について、厳密で論理的な形ではないにしろ、それに関わる人たちの間で暗黙のうちにそれが了解されているということではないでしょうか。たとえば、ピアノの鍵盤を猫が歩くのと、ピアニストが弾くのを聞いて、それを単なるピアノの音と見做すか音楽と見做すかは、私にとっては自明のことです。しかし、その区別の基準を明確にするのは難しい。
 以上のことを踏まえて、[音楽]を私なりに定義するとすれば、「音楽とは、音楽以外の何物でもない。」ということになります。これでは論理的には、同語反復でしかないし、そうでなくても、なんだか禅問答みたいです。以下の文章では、この定義の内容について、明らかにしていきたいと思います。その際、[音楽]が自明と一般に受け取られている構造を私なりに考えながらすすめていきたいと思います。

2017年1月 3日 (火)

2016年のベスト・セレクション

 この1年間で印象に残った書籍と音楽を順不同にあげてみました。
 まずは書籍です。
「目の見えない人は世界をどう見ているのか」伊藤亜紗
 視覚の不自由な人というのは、例えば私がアイマスクをして視覚を遮断してしまえば、その体験ができるというのではない。私が普通に感覚を介して情報を得ている中で、視覚からの情報が欠如しているというのではなくて、視覚が不自由な人というのは、そもそも、情報の組み立て方が異なってくる。それは、自分の周囲にひろがる「世界」とか、「情報」とか、その「意味」が異なる。例えば、視覚がある人は視るという視点に視野が限定されてしまうけれど、逆に視覚が不自由な人は視点がないので視野の限定を免れることができる。視覚で空間を把握しようとすると、二つの眼で見て網膜というスクリーンに映して情報を得る(比喩的だけれど)ので、それは写真のようなイメージで空間を二次元の平面に置き換えて処理する傾向がある。富士山のイメージというのは裾野がのびている横からみたプロフィールのような、銭湯のペンキ絵のようなイメージではないだろうか。それこそ平面的になっている。ところが、そういう視覚がないとすると、実際に裾野から坂道を登って行って身体感覚でとらえていくと地面が盛り上がって坂道をつくりだす三次元のイメージとして捉えているという。視覚では富士山の向こう側は見ることができず、そもそも視野で形成される世界には存在場所がない。これに対して、富士山の周囲を一周して坂道の実感を綜合すると円錐として捉える。その両者にとって「空間」というのは、まったく違ったものとして捉えられることになろう。その異世界ともいえる捉え方から、視覚がある私たちの世界はどのようなものなるのか。それは、とても興味深い。
「漢文脈と近代日本」齋藤希史
 古代大和王朝の時に朝鮮を経由して仏教の経典とともに漢字が伝えられた。そのあと、蘇我氏や聖徳太子らの中国等の仏教をはじめとした大陸文化導入政策によって漢文による文書が作られるようになった。時代は下って平安時代に国風文化の風潮の中で漢字から派生するように日本独自の仮名がつくられた。日本史の時間にそのように習った。その際に、漢字が伝来する以前は日本語の文字とか文といったものはどうだったのかは習わなかったし、あまり気にしなかった。おそらく文字のない言語などというものが想像できなかったから気にも留めなかったのだと思う。
 漢字が伝来する以前に、そういうことがあったかどうは措いておいて、漢字による文の体系、つまり漢文が伝播したことによって、当時のアジア地域の普遍言語である漢文に対して地域のローカル言語として当時のヤマトの言葉とか書記ということが初めて意識された。もし、漢文が伝来しなかったら日本語は独自の書記体系を生み出たか疑わしい。
しかし、その漢文が教養とか文化として広まったのは近世以後のことで、それ以前は文書関係の専門職集団や僧侶に限られていた。それが徳川期に武士が行政官僚にシフトし、軍備が不要となった時の権威とかエートスのために漢文や儒学が武士階級に広まった。それを形式化し制度化したのが、江戸中期の寛政の改革における寛政異学の禁だった。これがベースとなって現代の漢文の授業でも使われる返り点や訓読の標準的な形式が整備された。
 その形式化があったからこそ、その応用として新しい概念を漢字を操作して繰り入れてしまうことが可能になった。それがあったから、幕末から明治の西洋の学問や技術を翻訳する時にヨーロッパ言語を形式の似た漢文に移し替えて、それを漢文の書き下し文(訓読)にして、機械的に日本語化することができたという。
 それだけでなく、公私とか恋愛といったメンタリティも漢文に移し替えて、それを換骨奪胎したからこそ日本語に移し替えることができた。それゆえの歪みも生じることになった弊害はあったかもしれないが。
 たしかに、アイデンティティというのは自分と他者との関係から形成されるものとして考えるとそうだろうし、中国という当時のグローバル・スタンダードのプレッシャーがあったからこそ辺境の日本がアイデンティティを形成することができたということなのだろう。日本という名前にしても、中国から見て、日(太陽)が出てくる本(日の出の方向である東に位置する)というのが由来だというから。
「ボヴァリー夫人論」蓮実重彦
 学生時代の国語の授業で、文章の読解について、文字面だけを追いかけないで行間を読めと、習った。例えば、小説を読むときに表面的なストーリーだけを追いかけるところに留まることなく、作者が何を言いたかったのかというテーマとか主題を追究しろ、と。しかし、現実の実態を見てみると、我々は、その留まっていられないような文字面すらちゃんと読んでいない。たぶん、文字面→行間→主題→作者の思想(メッセージ)といった読解レベルの段階分けができて、後者に行くにしたがってレベルが高くなって、高いレベルを重視するにつれて低レベルの読解が軽視されたのだろう。そして、それに伴って高いレベルの読解による結果が、手っ取り早く取り出され、それが独り歩きしはじめたことによって、段階を進んでいくような読解という作業が軽視されて、読まなくても独り歩きしたメッセージを手に入れることができると勘違いしてしまうことが起こっている。これは、私の想像なのだけれど。
 著者はテクストをちゃんと読めば、『ボヴァリー夫人』という小説は、“田舎の平凡な結婚生活に倦んだ若い女主人公エマ・ボヴァリーが、不倫と借金の末に追い詰められ自殺するまでを描いた(wikipedia)”作品にとどまるものではないと言う。そのシンボリックな実例が、『ボヴァリー夫人』のどこを探しても、“エマ・ボヴァリー”という氏名が出てこない。つまり、作者は“エマ・ボヴァリー”という氏名を使っていないのである。重箱の隅をつつくようなことかもしれないが、実際には作者が使っていない氏名を、作者でもない者がどうしてわざわざ作り出してまで使っているのか。それは、“エマ・ボヴァリー”という氏名が出てこない。つまり、作者は“エマ・ボヴァリー”という『ボヴァリー夫人』についての言説が『ボヴァリー夫人』のテクスト以前に流通して、その言説を得た時点で完結してしまって、実際にテクストを前にしても、テクストを読む以前の言説の先入観で、その先入観の部分だけ都合よく情報として選択して取得しているのだろう。
 だから、著者の、ひたすら『ボヴァリー夫人』というテクストを読むということが、実は過激な行為になってくる。さらに、著者は、小説の作者であるフローベールがいかなる意図をもって文章を書いたのかという穿鑿を排除するという。つまり、テクストを読むという作業が、作者の意図とか意識を超えたところに行ってしまう。そのようにして読み込んだ『ボヴァリー夫人』は、じつに意外な様相で読者に迫ってくる。そのプロセスを追いかけるのは、予定調和でしかないミステリーをはるかに越えるスリルにみちていて、800ページに及ぶ大著だが一気に読めてしまう。
「敗戦後論」加藤典洋
 日本にとって1945年の戦争終結は敗戦であり、占領下にあった。今世紀でも湾岸戦争で敗戦したイラクはアメリカの占領下に入り、形式的な傀儡政権が続いている、これが敗戦ということ。日本の場合は敗戦を終戦と、占領を進駐と言葉を置き換え、事実を隠ぺいした。また、占領を解放と読み替えることも一般化している。これは、横暴な侵略者の専制下、じっと面従腹背を耐え忍ぶというのであれば、敗戦者には敗戦であっても理は自らにあると信じることができる。しかし、その戦争の理は唾棄すべきもの、非理であり不義であると認めざるを得ず、自分を支えていた真理の体系が崩壊した。その具体的な現われが、国を人々を守るために死んでいった人々を否定することになってしまっている。これを著者は「ねじれ」という。例えば、日本国憲法について占領下では、政府に主権がないのだから、主権を回復した時点で、そのままであるにせよ、改定するにせよ、追認か改定を決議する手続が必要ではないかと説く。それを経ないで、護憲の主張する人々は「ねじれ」から逃げているし、改憲の主張をする人々は「ねじれ」を無視していて、どちらも筋を通していないという。それは、社会論理の課題であると同時に、敗戦後を生きる著者をはじめとした個々の人の生き方の問題でもある。
 たしかに、日本は近隣諸国を侵略した責任を負っている。著者への批判として、「侵略者である自国の死者への責任とは、死者としての死者への必然的な哀悼や弔いでも、ましてや国際社会の中で彼らをかばうことでもなく、何よりも、侵略者としての彼らの法的・政治的・道義的責任を踏まえて、彼らとともにまた彼らに代わって、被侵略者への償いを、つまり謝罪や補償を実行することでなければならない」という主張は正しい。しかし、この主張は正しいにもかかわらず、正しいからこそ、日本の総意とはならないし、実行されない。それは、論理的にも倫理的にも日本は鈍感で倫理的でないということでしか説明できない。しかも、それを貫徹したとすれば、例えば靖国神社を非とすれば、世界中の戦士の慰霊を否定することになる。現実に「ねじれ」をかかえ、対向していかなければならないのであれば、スタート時点において正しさとは離れた所にいるわけで、正しくあるには無理がある。
この著作は、発表時には、業界で話題となって、保守的とか改憲の主張とか戦後民主主義の否定といった批判がされていたと思うが、そういうのとは物差しをずらして、原点に立ち返ろうとした議論だということが分かる。しかし、個人の生きる姿勢まで遡るというスタンスをとっている限り、そのスタートの理由には遡っていない曖昧さが、最初は感覚、思いつきじゃないかと言われて、それに対する説明が為されていないので、腰砕けのように見えた。それが、真ん中部分の核心部の分かりにくさに通じているように思う。
「日本─呪縛の構図」Rターガートマーフィー
 外国人の著した日本論だろうかと思っていたら、そんな浮ついたものではなく、腰を据えて分析したもので、とくにここ数年の政権や国内企業の経営者の動きを、日本の外で少し距離をおいて見ることによって、日本の新聞等のマスコミとは異なった視点で、全体像を鳥瞰的に呈示してくれたのは、たいへん興味深く読んだ。しかも、読みやすかったので、上下二巻で約600ページ強を一気に読み通すことができた。
 著者によれば、日本は第二次世界大戦の敗戦以来、アメリカに外交や安全保障を依存し、従属国になっている。それは中国などからみれば、主権を持っていないように映るということです。しかし、そのアメリカは日本のことを親身に考えてはおらず、アメリカの利益、さらには最近ではアメリカの対日政策の専門家グループの保身の道具にされているという。他方では、日本の側においても明治維新では元勲たちが主体的なリーダーシップによって責任ある意志決定がされていたが、彼らが亡くなった後、主体的なリーダーシップがいなくなり政権が形骸化してしまった。そこで、本来リーダーシップの下で動く官僚機構が自動的に動くようになり、方向を示す者がいないままなし崩しに戦争に突入してしまった。敗戦後も占領軍は、軍隊と内務省という官僚は解体したが、それ以外の官僚(経済官僚)には手を付けなかった。その官僚機構が、アメリカのリーダーシップに服し、経済や財政という自分たちの持ち分の既得権益を保障してもらった。つまり、アメリカと日本の官僚が保身という共通の利害で、外交と安全保障の面で日本をアメリカに属国にしていたほうがよかったというわけ。いわば、アメリカの軍事官僚や利害関係者の思惑に「呪縛」された状態から、自主性を回復し、従属国から脱却しようとしたのが民主党の鳩山政権で、それに対して、アメリカ政府の態度が冷たく、日本の官僚、司法、マスコミが一世に敵対し、知らずうちに国民も加担してしまうという事態が起きてしまった。この主張は、陰謀史観のようでもあるけれど、呈示されている資料等からは説得力があって、個人的には、目から鱗が落ちるようだった。
 著者は、このような呪縛が、そもそもどうして日本に生じたかを敗戦という事実で偶然に生まれたものではなく、もっと根の深いものだとして、日本の歴史を遠く遡る。日本新の体質として、物事をあるがままに受け入れ、そして心のどこかで矛盾を感じても、それを追及することをしないのが「大人の態度」と考えるような思考様式が国民レベルで内面化されている、という。それは、不祥事を見て見ぬふりをするという面と、大災害で生活が崩壊してしまっても規律や秩序を失わないという面と、両面が表裏一体として表われているという。
個人的には、歴史を遡る分析には、偏りがあり、知識が足りていないので目配りができていないと思わざるをえないところは残念で、司馬遼太郎を生半可に消化しているような印象で、そこがひっかかったが、著者の視点と、(鳩山政権について以外にも)現状の捉え方は、興味深く、説得力があった。
 へんな想像かもしれないが、取締役会で、社外取締役に求められる意見というのは、著者がこの本で日本について語っているようなスタンスの取り方のようなのではないかと思った。この部分は、蛇足。
「愛国、革命、民主:日本史から世界を考える」三谷博
明治維新を他国の近代社会への革命との比較で考え、それをもって現代を見ようとした著作。
 論点は多彩で興味深く、それをフィードバックして明治維新に再び目を向けると、その特異性が際立ってくるという、読書の楽しみを満喫させてくれる著作。
ナショナリズムと民主化との関係は、現代では相反する対立的に扱われるが、明治維新においてはナショナリズムこそが民主化を進めていた、という事実。幕末からの幕府という将軍を頂点とした権威主義的体制が崩壊した大きな要因に公論とか公議ということがあったという。これは、現在の視点では民主的な議論といったことになるかもしれないが、当時は、老中の寄合の結論を将軍が決裁するという手続が幕府の当初からあって、その展開と考えればいい。これは現代でいえば、会社の決定手続きに置き換えれば稟議制に近い。これが幕府の体制が形骸化するにつれて、形式化が進み、将軍といえども、この手続きを踏まないと権力を行使できなくなっていった。つまり、正当性の根拠が手続を踏むこと。外観からは近代ヨーロッパの民主政体の法の支配とっくりな形ができていた。その体制が成熟化したころにペリーの来航があり、老中の安倍正弘が前例を破り広く意見を求めたことを契機にいわゆる雄藩の大名が、その手続に参加しようとした。そうなると実力のある大名が新たに幕政に参加しようとするのと、従来の小藩の大名で実力のない老中との権力争いが生じ、将軍の継承争いも絡み、対立が先鋭化する。この雄藩の家来の西郷隆盛や橋本佐内、あるいは水戸の藩士たちが藩主のために根回しの奔走していたのが、ボトムアップの議論の発生を促す。このとき、雄藩の大名たちが自身の政策的意見の根拠としたのが、国のため、いわゆる人為的なナショナリズムであった。ただ、幕府内で、その主張するためには幕府=国としてしまうと改革ができない。そこで持ち出したのが天皇という別の権威だった。それが勤皇ということでだった。一方、ボトムアップの方向の議論が広がり長州などではエスカレートしていく。そして、正しい主張をしているのだから手段は正当化できると暴力と結びついていき、そのプロセスで勤皇が尊王に変質していった。それが討幕に発展していく。つまり将軍は公論の邪魔になるという正当化。ここに民主は出てこない。
 それが民主と結びつくのは、明治維新後の自由民権運動。こんどは反政府の主張は薩長の専横は国のためにならない公議を歪めるという、討幕の論理を逆に突きつけていく。この自由民権運動を支援したのが、地方の有力者、豪商や地主といった武士以外の人々。かれらは経済活動に従事していたので、内乱は経済活動の障害となることから、内乱を嫌い、議会での討論を支持、これが全国展開する。これが西欧列強からは市民に見えた。それを目ざとく発見した伊藤博文のような元勲たちが、西欧への受け狙いと、著者はエエカッコしいとか見栄を張ったという言い方をするが、後世へのかっこうつけのような、いい意味での矜持があったから、国会開設を決断したのではないか、という。
 一部を抜き出しただけだけれど、NHKの大河ドラマのような怒鳴り散らしながら若い男の子が刀を振り回す幕末ドラマなんぞより、意外性もあるし、展開に手に汗握るほどの面白さがある。
 次に音楽は、よく聴いたものもあれば、数回しか聴かなくても強烈な印象を残したものもあります。ただし、この1年間でリリースされたものとは限りません。
「LIVE AT WEMBLEY」BABYMETAL
プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」ユージャ・ワン
「Zephyros」藤井聡子
「25」アデル

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