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2017年1月 5日 (木)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(2)~Ⅱ.音楽を三つの段階に分けて考える

 ここではまず、日常使われている[音楽]というものを三つの段階に分けて考えてみようと思います。これは、あくまでもこの先考えを推し進めるための便宜としてなので、何故という理由は棚上げさせておきます。以下、そういう仮定があるとして読んで欲しいと思います。
①一番広い意味での定義
 人間の持つ普遍的な音楽に反応する能力、音を構成する能力、音楽に色々なことを感じとったり籠めたりする能力、およびその活動全般を謂います。これは、人間なら誰もが、潜在的に持っているものです。なお、これが実際にあるかどうかは、あえて考えないで下さい。この定義は、後の二つの段階の前提となるべきものなので、以下そういうものとして議論をすすめます。なお、一番広い意味での定義では言いにくいので、仮に音楽能力と言うことにします。
②一般的な音楽
 音楽についての文化を同じうする各共同体における音楽、つまり、人間が属する社会において、ある音の響きを音楽か雑音か分ける境界線を成り立たしめるバックボーンのようなものを含めて謂います。たとえばAさんの演奏をBさんが聴く場合、二人の間で音楽について共通したものがなければ、その場で演奏は成立しません。この場合の共通した音楽がこの一般的な音楽と思って下さって結構です。
③具体的な音楽
 個々の曲や演奏のことです。ひとつの作品に対する個々の演奏という関係は複雑ですが、ここでは一応棚上げします。
④音楽能力と一般的な音楽
 19世紀のフランスで狼の群れの中で成長した幼児が発見されました。この所謂アヴェロンの野性児は、音楽に対して興味を示さなかったそうです。聴覚そのものは優れていたにもかかわらず、音楽には反応しないのです。おそらく彼も、潜在的に音楽を感じる能力を持っているのでしょうが、それが表に出てこない。人間は社会的動物だと言ったのはアリストテレスですが、音楽がそれとして成り立つためには、人間が構成する社会の存在が不可欠なのだと思います。社会の中で人間は、生まれたての赤ん坊が、模倣や訓練により言語を習得するように、音楽をも身に付けるのだ、と思います。ここで、音楽には訓練ということが必要なことがわかります。アヴェロンの野性児が音楽に反応しなかったのは、必要とされる訓練を欠いていたからなのです。このように人間は誰でも音楽の能力を持ってはいます。しかし、それは潜在的なので、これが表に現われるには、訓練によって社会化しなければなりません。この関係で、潜在的な音楽能力が社会化して顕現したのが一般的な音楽なのです。そしてこの際に顕現せしむるのが社会であり、もっと限定すればその社会のなかで成り立つ文化なのです。
⑤一般的な音楽と具体的な音楽
 社会の中で音楽が成り立つと前章で言いましたが、実際に、それが現われるのは個々の作品や演奏を通じてです。ある社会、例えば、近代ヨーロッパのブルジョワ社会で成立した音楽には、音階の構造、和声の組合せ方、旋律のつくり等々には一定のパターンが、意識的にか無意識のうちにか決まっているように見えます。このパターンを受け入れたことにより、ある和音を不協和音か協和音か感じる(ハモってるとか、そうでないとかです)感覚が形成されるわけです。そして、それが実際の曲や演奏に反映することになります。つまり、作曲家は、このパターンに従って作曲をするわけです。つまり、パターンが作曲という個人の行為を通じて、一つの作品に現われるのです。今の例で19世紀の人には、増四度や長七度等の和音は一般に不協和音に聞こえるらしいのですが、これらの和音というのはジャズなどでは核心となる和音と言うことができるのです。だから、彼らに耽美的なはずのビル・エヴァンスとか聴かせてみたとすると、殆どの人が雑音のように感じることになると思います。しかし、なかで少数の人が、これを新しい響きの音楽だと感じたとしたら、そこからパターンの革新が起こることになります。
 ここで少し整理してみましょう。これまで言ってきたパターンが一般的な音楽で、個々の作品が具体的な音楽です。前章では一般的音楽概念つまりパターンは、人間の音楽の能力の表れでした。しかし、ここでは、このパターンこそが潜在的で、これが顕現したのが具体的な音楽、つまり個々の作品ということになるのです。
 前にもお話しましたが、Aさんの演奏をBさんが聴く場合、二人の間で音楽について共通したもの(一般的な音楽)がなければ、その場で演奏は成立しないのです。しかし、この一般的な音楽はなんら実体があるわけではありません。実体としてあるのは、あくまで個々の作品や演奏です。だから一般的な音楽と具体的な音楽の両者は、持ちつ持たれつの相互依存の関係にあるわけです。時として、実体がないはずのパターンが、さも実体があるかのように、作曲家等の個人に大きなプレッシャーとなって現われ、彼に束縛を感じさせることがあります。しかし、これとても、元々は一つ一つの作品や演奏の積み重ねがそうなったのであるのです。だから、このパターンが変わったり、新しくなるのは、最初は個々の作品や演奏からなのです。いつでも、どこでも、音楽の発展のキッカケは個人の行為です。

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