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2017年1月19日 (木)

クラーナハ展−500年後の誘惑(4)~3.グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ

Cranachantony  当時の版画は大量に刷られて大衆に行き渡ったメディアのようなもので、そこで画家たちは実験的な表現を試みたと説明されていました。クラーナハは主に木版画を多く手がけたそうです。このような画面で画像として見るとそうでもありませんが、展覧会場で紙に刷られているのを見ると、油絵の作品に比べて小さくて、色もない、またガラスケースに収められたものを遠めに眺めるようになっているので、何とも見難くて、会場では素通りのようなものでした。したがって、軽く触れて、次のコーナーに行きたいと思います。
 「聖アントニウスの誘惑」という作品です。2作品が並べてありますが、左のはマルティン・ショーンガウアー、そして右の作品がクラーナハのものです。聖アントニウスの3世紀の人で、二十歳を過ぎて一念発起して信仰に生きるために苦行を始めます。その第一の苦行において、この作品の題材である「聖アントニウスの誘惑」といわれる、悪魔が現れては、財産、妹のこと、家族の絆、金銭欲、名誉欲、食欲、人生の楽しみごとといった、彼が断ち切っていた現世のもろもろのことをまず最初に、そして最後には美徳のきたなさ、美徳が要求する辛い労働を問題にしながら、苦行をすぐに止めるようにと挑みかかってきたのです。左側のショーンガウアーの作品は中央の老人の姿の聖アントニウスの周囲に群がるように怪物の姿をした悪魔がまとわりついて、アントニウスを引っ張ったり、叩いたりと、様々なことを仕掛けている場面が描かれています。これに対して、同じ題材を扱いながらクラーナハの場合には、ショーンガウアーと同じように怪物たちにまとわり付かれて空中に持ち上げられ、引っ張られ、叩かれと仕打ちを受けていて、それが怪物たちとアントニウスが渾然一体となって見分けがつかなくなっています。一見すると、アントニウスと怪物が融合してしまったように見えます。どこを探しても、眼を凝らしても、ショーンガウアーの作品にあるような老人の姿を見つけることはできないのです。しいて言えば、怪物たちに引っ張られたり、もみくちゃにされる隠者の僧衣があるだけなのです。このクラーナハの作品ではアントニウスという人物が描かれているというよりも、彼の衣装と怪物たちにまとわり付かれ、さまざまに仕打ちをうけるモノがあるだけなのです。そのしるしからアントニウスということが分かるので、ここで敢えてアントニウスを描く必要がないということです。それよりも、ここでショーンガウアーと違って際立っているのは、怪物である悪魔の仕打ちの凄まじさであり、画面の主役はクラーナハの作品では間違いなく怪物たちです。だから、怪物たちの現れている背景の町の風景や手前の樹木を描きこんでいるのです。その対比と、見る者にとっては、現実的な風景の中に怪物がいるかのように見せているで、作品の中に視線を入り込みやすくしていると言えます。

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