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2017年1月11日 (水)

独断と偏見により「音楽」とは何かを考えてみる(7)~Ⅴ.再び音楽を定義するということ

 ここまで、勿体をつけて散々迂回をしてきました。そこで、最初のところでの[音楽]の定義に戻ります。
 音楽というものは、視点に基づきかたちとして成立する自由を有しています。だから、基本的な視点の異なるだけ、それに基づいて形成される音楽も異なってくるわけです。それは、砂浜に広げた網が、広げ方によってさまざまな図形を描くのと同じです。
 ここでの違いとは、Ⅱのところで考えた差異という概念を当てはめることが可能です。音楽の音の価値付けは、また各視点による音楽そのものの価値付けにも通ずるというわけです。差異は同一性を前提としている、ということはⅡのところで詳しくお話しました。差を感じるためには、同じ土俵の上で比較してみることが必要なのですから。ということは、色々な人が色々に[音楽]を定義してみせるのも、そこに或る共通なものを前提にしていることになるのです。それが一体何かは、これまでのところで、私なりにお話した通りです。そして、この共通なものこそが、最初のところで定義した「音楽以外の何物でもない」ものである、と私は思います。
 「音楽とは音楽以外の何物でもない」という定義は、一見同語反復に感じられます。しかし、音楽作品で一つの音形が繰り返される度に全体との関係で意味が異なってくるのと同様に、右の定義での二つの「音楽」という言葉は意味が異なるのです。ですから、これは「音楽」の定義の場合としてのみ、同語反復ではないのです。私としては、こういう定義の仕方自体が音楽的な遣り方に思えます。

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