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2017年3月18日 (土)

吉岡正人展~永遠なる物語をつむぐ画家(3)

Yosioka2017tane  画面の構成とか背景の話をしてきましたが、吉岡の作品に大きな特徴である人物について見ていきましょう。展覧会のチラシでも取り上げられている「種を持つ」(2011年)という作品で見てみましょう。ここでは、目、視線に注目しましょう。画面の中心である女性が正面を向いていますが、この女性の正面に立っても視線をあわせることができないのです。それで、この女性の目をみると、焦点が合っていない、つまり、右目と左目の焦点がずらされているのが分かります。それは、この女性は具体的に、こちらを見ているようには描かれていないのです。では、どこをみているのかというと、どこか遠いところに視線を飛ばしているような印象を受けるのです。この場合、遠くを見るということは、実は、その反対のとても近いところ、すなわち自分の中、内面を見ている。近くを見るときは目の焦点は内側に向いていって、遠くを見るにつれてだんだんと離れていきます。それを自分の中まで見ようと思ったら、真正面よりほんの少し離れることになります。少し斜視みたいな感じになりますが、それがまるで自分の中に視線が向かうような感じにみえてくるのです。それで、片方の目は焦点を合わせながら、もう片方の目は外されている。そうすると目が合っているようでいながら合わない。「なんだかこの人は別のことをかんがえているんだな」というか、ことらを見ていながら心は違うところにある、というように見えてきます。(これは、画家本人が雑誌のインタビューに答えた中で話していることを引用させてもらったので、意識的に描かれていることが分かります。)それが、能面のように喜怒哀楽の感情をあらわさない顔の描き方と相俟って、神秘的な印象を見る者に覚えさせるのではないかと思います。だからこそ、見る者は感情移入するのではなくて、そこから物語を想像する方向で、多少突き放して画面を味わおうとする。その距離感が独特の雰囲気をつくり出すことに貢献しているのではないかと思います。
Yosioka2017secret  「秘密の森」(2003年)という作品は、中央に裸婦がいても肉体性といったものは、ほとんど感じられません。ヨーロッパ絵画で裸婦の理想の美というような身体の姿というのではなくて、他の作品では衣装を見にまとっていたのと同じで、衣服を身につけていないというのも、そのバリエーションというようなのです。それは、ここで描かれている人物が肉体をもった生身の存在ではなくて、ある種の記号のようなものに近いからだと思います。それは、リアルな存在でもなく、理想化された美や理念を表わすものでもないので、その描かれた物を鑑賞する、つまり受け入れるという受け身にとどまるのではなくて、記号であれば、見る者も操作することが可能となるわけです。操作可能などというと、作品を好き勝手に弄ぶように誤解されるかもしれませんが、先ほどから触れていますように、画面から見る者が想像力を働かせる際の余地があるということです。例えば、見る者の思いをそこに仮託して、物語をつむいでいくこともできるわけです。それは、この作品であれば、中心に描かれている女性が見る者に向き合い、自己主張しているのではない、むしろ、見る者を受け入れる余地のある受動てきな面もあるわけです。それが、時に内省的に映ったり、神秘的に映ったりしてくるのではKanzaneji ないかと思います。この作品だからというわけではありませんが、背景の個々のパーツが緻密なほど写実的に描かれているのに、中央の人物が不釣合いなほどデフォルメされたパターンのような記号になっている。それが、違和感というか、現実を超えて非現実な空間を作り出している。また、リアルな細部のパーツの組み合わされる構成の現実性のなさという要素もあるのだけれど。そういうものとして、分野は違うのですがつげ義春というまんが家が一時期、そういう方法で人間の内面の不条理をドラマにして描いていた(画像は「ねじ式」より)のを、思い出します。「ねじ式」はまんがというストーリーの一部ですが、吉岡の作品は一枚の絵でものがたりを想像させるという方向性は正反対ですが、ものがたりの想像がついてまわるという点で通じるところがあると思います。そこに吉岡の神秘とか聖なるイメージというのは、この画面でそのものが描かれているというのではなく、そういう想像から来ていると思います。掴みどころのない話かもしれませんが、吉岡がヨーロッパに研修に行った際に、現地の聖堂などで壁画やイコンといった神秘的で神聖な絵画に触れてきたのではないかと思います。それらは、中世の頃から人々の信仰の対象として思いを向けられてきたものです。そういう思いを受けて絵画には独特の雰囲気、オーラのようなものをまとっていた。それが神秘性や神聖さを歴史をへて形作ってきたというものだと思います。それを、現代で即時的につくることはできない。その代わりということでもないのですが、そういう雰囲気を現在で描いたものがもともと備えるということはありえないので、見る者がそういう想像を見ているなかで付加して見ることでなら、代替的に可能となりうる。それを吉岡は意図的にやろうとしたとまではいいません。しかし、そういう要素があるので、吉岡の作品の神秘性や神聖さは、そういうところがあると思います。
Yosioka2017edge  「水のほとり」(2009年)という作品は、金箔が一面に貼られた、まばゆい背景を水の流れに見立てて、そのほとり静かに佇む女性を描いた作品です。この作品は、画面の大半に金箔が貼られ、それを水の流れに見立てて、その流れがS字を描いているところなど、私には、江戸時代の琳派、例えば尾形光琳の紅白梅図屏風を思い出させるところがあります。ただ、尾形光琳の場合には水の流れのところには渦のような文様があって、動きを入れ込んでいるのに対して、この作品では、金箔がベタッと貼ってあって、動きのない静けさになっている。つまり時が止まっているような世界になっています。それは、あえて言えば、動かすということになると、動く方向を入れなくてはならなくなるので、見る者の想像を限定してしまうことになるので、限定しなければ、見る者は、あらゆる方向に想像することが可能となります。また、動かさないままでいることもできる。したがって、そういう動きの可能性を潜在させた静止という捉え方をしています。敷衍して言えば、あらゆる時の可能性がここにはあるということです。それは、何も、この作品に限らず、この人の作品に底流しているものではないかと思います。
Yosioka2017tree  「大樹の丘」(2010年)という作品を見てみましょう。メインは中央の縦に画面を貫く大樹の幹と、その前に女性の正面立像が、ほぼシンメトリカルにあるものです。ここまでにも、何点も見てきた吉岡の作品の典型的なパターンを踏んだ作品です。この作品では、女性の背後の大樹の幹が執拗に細かく描写されていて、迫真さがあり、それが過剰なほどで、それが写実的なリアルな樹を越えて、アニミズム的な何かが宿っている雰囲気を感じさせます。しかし、その割には、画面からはみ出ようとするほどの自然の生命の横溢のように動きは感じられず、スタティックな静けさがあります。その前に、前にも述べましたが、その前にたっている女性は、内省的といえば言えますが、むしろ虚ろな感じもします。それは、細部をこれだけ執拗なほど描いていて、構図にスッキリ収まっているということで、それゆえに、この作品は構図ということが大きなポイントになっているのではないかと思われてきます。吉岡とは異質な雰囲気の画家で小山田二郎という画家がいて、この人がある時期にシンメトリカルな構図を前Oyamadaharituke 面に出して、吉岡とは異なる幻想性、象徴性をもって、そこに宗教性が秘められているような作品を描きました。例えば「ピエタ」という作品です。これは、キリストと聖母マリアの二人が二等辺三角形の幾何学的な構図に収まっている構成になっています。しかし、構図の作品でありながら両者の印象は正反対といえるほど違います。小山田の「ピエタ」は中心の大きな三角形の中に様々な大きさの三角形が配置されていて、それらの位置関係やバランスが作品に強い緊張感を作り出していて、見る者は異様に張り詰めた感じを受けます。これに対して、吉岡の「大樹の丘」の構成はシンプルと言えます。小山田のような構成上の緊張関係は作られていないようです。「大樹の丘」の場合には、シンプルな構図に各パーツが収まって、そのなかでそれぞれが役割を全うするように描きこまれてします。細部が描きこまれてはいますが、それが過度に主張して画面に対立関係をつくりだすことは周到に避けられているように見えます。それゆえに、小山田の作品にあるような峻厳さのようなものはなく、その代わりに瞑想に誘うような静謐さがあるわけです。両者を比べると、見る者が作品にたいしてとる距離感が違うことが分かります。

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