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2017年3月23日 (木)

ジャズを聴く(43)~バリー・ハリス「バリー・ハリス・アット・ザ・ジャズ・ワークショップ」

Jazharris  バリー・ハリスは、ハンク・ジョーンズの兄弟やトミー・フラナガンらとデトロイトでジャズ・シーンを形成していた。同じデトロイト出身のピアニスト、ハンク・ジョーンズやトミー・フラナガンもバド・パウエルの影響を受けたいわゆるパウエル派と言われる人たちであり、スタイルは似ている。この3人については“玄人受けするミュージシャン”としてある程度ジャズを聴き込んだ人でなければ、それぞれの違いを味わうことは難しいと言う人もいる。彼ら3人とも、若いころは他人の伴奏で数多くのレコーディングに参加している点でも共通していて、そのせいか、バリバリ弾いて、自分の個性を強烈に主張するタイプでなく、共演者を引き立てながら全体の演奏を組み立てていくところも似ている。そういう演奏の性格から特徴的な個性、これといったものを、分かり易く呈示してくれていない。そういうところが“玄人受けするミューしシャン”と称されてしまう由縁だろうと思う。
 この3人を比べて聴いてみると、例えば、バリー・ハリスとトミー・フラナガンを比べると、フラナガンはずっと詩情豊かなスタイリストと思われている。一方ハリスにはバラード演奏も知り尽くしているにもかかわらず、激しいドライブ感を持つピアニストといったイメージがある。ハンク・ジョーンズやフラナガンよりも直系のパウエル派といったイメージが、ハリスの演奏にはある。実際の響きで言うと、ハンクとフラナガンがもっともブルージーな時でも、照り輝く太陽の明るさを感じさせるのに対し、ハリスの演奏はどことなく屈折した、暗いハード・バップ特有のエネルギーを感じさせる。この傾向はとくにミディアム・テンポの曲で現われ、こうした状況でのハリスは、なんともいえぬ魅惑的で深いグルーヴを生み出すといえる。
 ハリスの演奏はビートの表面をなぞったりビートの上に浮いているのではなく、自らをビートにしっかりはめこんでいる。これによって─堅実なベースとツボを押さえた激しいドラミングとともに─重いスイング感をつくり出している。ハリスはフレーズの最初のビートを不意を突いたように激しく叩いているが、しだいにその音量は弱まっていく。こうしたすべての要素が「味わいながら演奏する」というハリスの姿勢を決定的なものにしている。その点で、ハンクやフラナガンよりも、ハリスは激しくスイングするピアニストと言える。
 しかし、バド・パウエルのようなエキセントリックなほどの強引さ、アグレッシブさはなく、他のミュージシャンの演奏を聴いて全体のバランスや調和を考えて、最終的には落ち着くべきところに収まる結果となっている。
Jazharris_workshop_2
Barry Harris At The Jazz Workshop
 Is you or is you ain't my baby   
 Curtain call
 Star eyes
 Moose the Mooche
 Lolita
 Morning coffee
 Don't blame me
 Woody'n you
 Barry Harris (p)
 Sam Jones(b)
 Louis Hayes(ds)
1960年5月15、16日録音
 キャノンボール・アダレイのメンバーたちとのサンフランシスコのライブ録音。これぞピアノ・トリオというような演奏が詰め込まれているのだけれど、正攻法で外連味のないところは、他方で突出したところがなくて、地味な印象を与えてしまうのは惜しい。
 最初の「Is you or is you ain't my baby」は、ライブの劈頭を飾るには地味で、これから始まるぞという迫力に乏しいのだが、古いR&Bナンバーの秘められたペーソスとか、やるせなさみたいな情感を大切したバリー・ハリスの解釈が絶品で、ハリスの抑えたような歌いまわしの魅力が溢れている。同じパウエル派でも、ハンク・ジョーンズやトミー・フナガンのような人であれば、こういうミディアム・テンポの曲では、もうちょっとさわやかさのようなものが感じられるのだけれど、ハリスの演奏は、どことなく屈折した暗いハード・バップ特有のエネルギーを感じさせ、それが魅惑的で深いグルーヴを生み出している。ハリスのバラードは味わいが薄いと言われることがあるが、たしかにフラナガンのような繊細さはないが、このグルーヴをどう感じるかがハリスの歌心を感じられる境目になるのではないか。この後は、正統的ともいえるバップの演奏が続く。正統的だけれど、地味で渋い。「Lolita」はラテン・リズムのテーマから、アドリブに入ってアクセルが入るようにシングル・トーンで突っ走るところは手に汗を握る。ハリスの演奏はビートの表面をなぞったりビートの上に浮いているのではなく、自らをビートにしっかりはめこんでいると言える。ここでは、堅実なベースとツボを押さえた激しいドラミングとのコラボレーションによって、重いスイング感をつくり出している。さらに、ハリスはフレーズの最初のビートを不意を突いたように激しく叩いているが、しだいにその音量は弱まっていく。これを“聴いているとフレーズが吹き飛ばされていくようだ”と評した人もいるが、こうしたすべての要素が“味わいながら演奏する”というハリスの演奏を形作っていると思う。それが、この曲だけでなく、とくにアップ・テンポの演奏に顕著に認められる。

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