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2017年4月 6日 (木)

瑛九19355→1937─闇の中で「レアル」をさがす(5)~エピローグ.その後の瑛九と山田光春

 このコーナーはエピローグとされて、展示の章立ての番号が付されていません。したがって、この展覧会では、この部分の展示はメインではなく、後日談(エピローグ)という位置づけになるのではないかと思います。しかし、展示されている作品について、この部分展示はレベルが違うので、どうしても、展覧会の企画者の意図はどうあれ、ここに眼が行ってしまう。ここに展示されている作品を見ていると、このような作品があるからこそ、この前に展示されている作品を見る気になる(そうでない人もいると思います)と思います。瑛九という画家は、作品がすべてで、方法論とかコンセプトとかいったことがあったとしてとして、そういうものに則って制作されたのが作品であったとしても、仕上げられた作品は、そういうことを超越してしまって、作品そのものが見るものにとって雄弁(といっても瑛九の作品は静謐な印象ですが)に語りかけてくる。そういうことをいうと、これまでの展示で画家が書簡で語っている言葉の引用などをみてきたのが無意味になってしまいそうですが、実際、ここでの作品だけを見ていると、画家が悩もうが試行錯誤しようが、見ている私には、ここにある作品を見ているだけでよくて、別に画家がどれだけ苦労しようがしまいが、私が見ている作品の印象とか意味づけには関係がないと思わせられるものであると思います。この展覧会を企画した人には申し訳ないと思いますが、それが分かったというだけで、私は、この前の展示を見た意味があると思いました。おそらく、『眠りの理由』も「レアル」も、今後、それだけを、それ自体を見たいと思うことはないと思いますが。
Eikyutravel  「旅人」(左上図)という1957年のリトグラフです。フォト・デッサンの具体物を加工して組み合わせてつくったような形態の名残が残っています。しかし、写真の場合の硬質な物質の肌触りのような感覚はなく、代わりに手書きの不安定な線によって形成された形態は現実味とか物質性をなくさせています。それが、見る者にとっては想像の世界に遊びやすくさせるものになっています。つまり、この作品を見ていると、フォト・デッサンという手法でつくられた画面というものが、見る者にとって、想像の世界に遊びたくても現実の物体の手ざわりがリアルな触感と結びついてしまって想像に飛翔する際の足枷になってしまっていたのが分かるのです。「旅人」でも林立する縦の線は森林の木々のようだし、宙に浮いているような形態は風船のように見えなくもありません。現実の形態とはまったく関係のないものではないかもしませんが、現実の物体として見る者に実感させるものではありません。(ここで現実ということばを頻繁につかっていますが、これまでの展示で瑛九がこだわったレアルということとは違うので、分けて考えて下さい。こちらは日常生活で手にとって触れることのできる物体とか、そんな意味合いで捉えていただきたいと思います)むしろ、この後で見る、点描のような、現実に存在する物体を連想することができないような抽象的な作品に比べれば、想像の足掛かりとなるように機能をしていると思います。そういう点で親しみ易さがある作品ではないかと思います。また、今年の作品の完結している世界のような作品と違って、どこか開かれたところがあるように感じられます。それは、この作品について何が描かれているのかという解釈をすることができるという点です。シュルレアリスムっぽいところというのでしょうか。例えば、風船のように浮かんでいる物体は何を意味するとか、そういう仕方で見る者は想像する筋道を与えられる点が、この作品の親しみ易さになっているのではないかと思います。その半面、そういうように想像を制限されるように感じるものにとっては、作品画面が完結して提示されていない点を一種の不完全さとして見てしまうところもあると思います。ただし、それはあくまでも、この後の作品を見てしまったから言えることです。
Eikyusakuhin  「れいめい」(右上図)という作品です。これまで、白黒写真をコラージュしたフォト・デッサンの諸作やペン書きのデッサンを多数見てきたあとで、突然、この油絵に接すると、パッと色彩の鮮やかな世界が広がったというのがショックのように迫ってきます。とくに、この作品では青の鮮やかさ。それは、この展覧会では衝撃的ですらあります。それほどに、作品がどうのこうの云々する以前に、色が迫ってきて、文句を差し挟む余地がないほどきれいなのです。青色が鮮烈ですが、中心近くに黄色や緑色などの小さな水玉が数個あって、それが鮮やかな青に囲まれた中で、妙に印象的なのです。そういう感覚で感じるように見ているだけで、この作品は時間を忘れさせます。
Eikyublue  「青の中の丸」(左中図)という作品は「れいめい」同じように青を基調とした作品です。画面のサイズはより大きくなって、それはスケールとして見る者に迫ってきます。また、「れいめい」では画面が全体として3つの局面によって構成されていました、すなわち同心円構造のようになって、一番外側は白黒の無彩色の世界で、その内側は青地に黒い水玉が入り込んでくるような世界、そして一番内側は薄い青から段階的に白くなっていく地の上で、青から黄色や緑色等の色の水玉が派生するように生まれてくるような世界、そういう多層的な秩序が感じられるコスモスのようでした。これに比べると「青の中の丸」では地は一面の青で、それが大きなサイズの画面一面に広がって、そこに無秩序に不定形の粒が様々に色づけされている。そこに何らかの秩序を見つけることは不可能に近い、そういう画面です。このコーナーでは、いままで3点の作品をとりあげてきていますが、だんだんと言葉で記述するのが難しい作品になってきています。私には、語ることのできる語彙が、それほど多くないので空々しく言葉を重ねるのは作品対して失礼な気がしてきます。ここでひとついえることは、これほど抽象性が高く、色彩が多岐であるにもかかわらず、それぞれの色彩が明確で、はっきりしているということです。そして、画面上の粒のひとつひとつが浮き上がるようにハッキリしている。それが目にちゃんと映るということです。何か当たり前のように思えるかもしれませんが、このように無秩序のような画面で同じような粒が無数にあると、ふつうはひとつひとつがぼんやりと認識されるようになるはずなのです。それに伴うように、粒の色彩が混じってしまうような、全体としてぼんやりとした靄のような印象になってしまいがちなのです。ところが、この作品では、ひとつひとつが隅に至るまで、はっきりと見えてしまう。これは、明らかに意図的に、そのように画面が作られているということです。そのために画家は、画面構成もそうですし、実際に描いているときも、色を塗ることや、筆遣いなどで、こんな大画面にもかかわらず、かなり細かくて注意力を要する作業を強いられたのではないかと思います。それは、抽象的な作品でありながら、曖昧になってムードのように捉えられてしまうことを、瑛九という人は潔しとしなかったのではないかと思えるわけです。あくまでる視覚的に明確であるということ、視覚以外のものに安易によりかかるような妥協をせずに、作品を見るということだけで、そこにイメージをつくりあげるという方向、それが、私には、この展覧会のテーマとして使われている「レアル」ということではないかと思えるのです。
Eikyuafternoon  このほか「午後(虫の不在)」(左下図)という作品。そして「田園」(右下図)という作品。両作品とも大作で、その大画面の前で画面に見入っているうちに時間を忘れてしまいました。このような作品が一面に並んで展示されていたら、どうしよう、作品の傾向は異なりますが、マーク・ロスコの大画面に囲まれた時の静謐さとかある意味では崇高さのような要素に通じるような心持ちになるのではないかと、思わず想像してしまいたくなります。瑛九の大規模な回顧展がもし開かれるようであれば、万難を排して、それこそ数時間、作品群と向き合う準備をして出かけるのではないかと思います。
Eikyupsairal

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コメント

こんにちは。東京はいろいろなアート展が常にあっていいですね。今なら草間彌生さんの展覧会とか時間があったら見に行きたいですね。私が知らないアーティストで興味深い方々もまだまだたくさんいるなァと思いながらも忙しさにかまけてアートを吸引するヒマが全然ないのでもこのブログをナナメ読みして追体験してます(笑)

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