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2017年4月 4日 (火)

瑛九19355→1937─闇の中で「レアル」をさがす(3)~ⅱ.1936杉田秀夫が「瑛九」となるとき─『眠りの理由』前後

Eikyusleep3_2  最初のあいさつのところで紹介されていた、フォト・デッサン集『眠りの理由』(左図)の作品が展示されています。フォト・デッサンとは、写真の印画紙の上に様々な物体を直接乗せて感光させ、現像すると、光の当たったところが黒くなり、物体に遮られたところが白く残るというものだそうです。これによって、物体のシルエットによる光と影の構成のようなイメージを得ることができる、ということです。1920年代、この手法をマン・レイはレイヨグラフ(右図)と名づけて盛んに作品を発表したそうです。ちなみに、マン・レイは暗室で作業中に偶然に、この手法を発見したときの模様を次のように追想しています。“ホテルの部屋の鍵、ハンカチ、鉛筆数本、刷毛、蝋燭、紐など、手当たり次第どんなものでも使ってみた。わたしは興奮して無常のよろこびを感じながら更に何枚もプリントをつくってみた。(略)翌朝、壁のうえにこの「レイヨグラフ」(そう呼ぶことに決めたので)を数枚ピンでとめて、成果を検討してみると、びっくりするほど斬新で神秘的なものに見えた”。瑛九は、さらに、既製の物体だけでなく、自ら描いたデッサンを切り抜いて型紙として使用したり、露光を工夫して、複雑で不思議な幻想的イメージを作り出しているとEikyumanrei 言います。たしかに、右図のマン・レイによるレイヨグラフは物体の影が印画紙に露光して、本来の物体の一部が通常の見慣れた見方とは違う角度で写っているため、異化効果を生み出している面白さがあります。これに対して、瑛九のフォト・デッサンは人が踊っている形を模した石器時代のアニミズムの壁画のような形を型紙として、それがシリーズとして、一連の作品の中に角度を変えて、光のよる効果や影の変化に絡むように、まるで音楽の変奏曲のテーマのように繰り返し顔を出して、一連の作品にアクセントを与えています。要するに、瑛九は、マン・レイのような現実の具体物に興味がなかったということではないか、と私には思えます。瑛九が書簡の中に次のような言葉があったということです。“私の求めてゐるのは二十世紀的な機械の交錯の中に作られるメカニズムの絵画的表現なのであります。自動車のまっ黒な冷ややかな皮膚の光や、夜の街頭のめまぐるしく交錯した人工的な光と影は、われわれの機械文化の中に咲いた花なので、われわれの視覚による美もそういった感覚になければならぬと信じ、そういった面を表現する絵画の分野がなければならぬわけであります。そこでかういった新しい表現の手段を私は、光の原理、光のもつ最も微妙な秘密をつかむ印画紙に求めたのであります。”ここで瑛九は視覚の感覚を変えて行くということを述べているところから、見え方とか感覚の仕方が改めていこうとして従来の見えるものではないものを追求しようとしたのではないか。そこで従来の感覚による見えたままであるリアリズムには、もはや従っていないということでしょうか。
 Eikyusleep2 そこで気になるのは、瑛九の『眠りの理由』の一連の作品の手を変え品を変えて登場する踊っているような人の形をした型紙です。これを見て、私が思い出したのは、ジャクソン・ポロックが未だドリッピングの手法を見出す前の初期にアーリー・アメリカンの土俗的な絵画から影響を受けていたころに描いた母型のような形態です。たまたまの偶然に似通ったものとなっているだけなのでしょうけれど。瑛九の場合も、この型紙を計算してのものではなくて、偶然使ったくらいのものではないかと思います。しかし、この偶然ということは、意識していないということで原型のようなものが図らずも現われてしまっていると思います。というのも、さきほどのマン・レイとの比較に戻りますが、マン・レイの場合には物の形を前提にして、その面白い表れ方で遊んでいるという性格のものになっていると思います。これに対して、瑛九の場合は、既存の視覚を否定しようとしていることから、新しい物の形を提示しようとしていて試行錯誤しているようなのです。結果としての作品の見た目は、大きく違わないのですが、瑛九の場合には、無意識につくった型紙という仮の形に光や影の不定形が絡んで、形として固まっていません。そこに、形をつくろうとして、つくれない不安定さを感じさせるのではないかと思うのです。これは、後年のまるでコスモスとでも言いようがない抽象的な作品を知っているがゆえの、遡及的な見方かもしれませんが。
 Eikyudessan そのあとで、ペン書きのフリーハンドのデッサンが何点も展示されていました。神経質なほどの細い線で、走り書きのように書かれたデッサンと言うのが適切なのか。たまたま「デッサン」(右下図)というタイトルで展示されていたので、そう言います。そこには、対象の形を捉えるというデッサン本来の意味からは乖離した、もともとの捉えるべき形がないところで、まるで形がない、不定形をそのまま描こうして試行錯誤しているようなものが数点ありました。そのなかでも、いくつかは形になろうとするものがありましたが、それ続くものがなくて、中途半端な形に行ってしまうよりは潔く捨てられたのでしょう。決して作品としてまとめあげられるものではないのでしょうが、瑛九の試行錯誤の跡が露骨に表われているような気がして、後年の静謐ささえ感じられるコスモスのような抽象画からは想像もできないような、まるで線が蠢いているようなデッサンでした。トラブルさえなければ、このデッサンをもっとみていたかった、と後悔が残ります。
Eikyusleep1_2

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