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2017年4月 3日 (月)

瑛九1935→1937─闇の中で「レアル」をさがす(2)~ⅰ.1935「瑛九」以前の杉田秀夫

Eikyucouple  このコーナーの展示は1点しかありません。「二人」という厚紙に描いた油絵作品。いわゆる習作期、摸索期の作品ということでしょう。試行錯誤の繰り返しで、制作の苦しみを伝える書簡が紹介されていました。“とにかくおれは色がつかへぬ…とにかくもうかけぬ所まで今日つついてみた。まつたくわからなくなってしまつた。”そんな書簡の言葉を反映してか、絵の具の塗りは厚く、不透明で、沢山の色を使っています。つまり、絞りきれていない、ということは不必要なものが沢山混じっていて、画家はそれを識別できていないということでしょうか。全体に重苦しい感じです。後の抽象的な作品が好きだから、私も一応は見ますが、これだけを目の前に置かれたら、素通りしてしまうに違いありません。
Benblack  とはいえ、試行錯誤していた時期の作品であるわけですが、20代前半の作品で写実という意識が全く感じられないのが分かります。引用した主催者のあいさつの中の“彼は、簡単に、言葉では言い表せない本当の「レアル=現実」のありかを求めて、理性の光の届かない、無意識の闇の底にまで降りていこうとしました。”という文章ですが、瑛九という人は、現実を表わそうとしていたのだろうかという疑問というのを感じるのです。少なくとも、リアリズム=写実主義というスタイルでなかったことは確かです。では、リアリズムを出発点にそこから展開して、結果として写実主義から離れたのとなってしまったか、例えば、キュビスムのような形態を追求するとか、印象派のように光を分析するとか、セザンヌのように物体の質量や存在感を追求するとかいったことによって、伝統的なリアリズムとは違った描き方に行き着いてしまう、というものではなかったように思えます。というのも、後年の瑛九の作品を見ると、リアルということを感じるのとは別の次元にあるように思えるからです。彼自身の想いとか自由な想像のままに描いているように見えるのです。それは彼の内面で捉えた本質とでも言えるのではないでしょうか。それでは、この展覧会の趣旨を否定しているのか、と言われそうです。それとも、瑛九の制作の遍歴のなかで、この時期には彼なりのリアルを追求していたということなのでしょうか。それは、これからの展示作品を見ながら考えていきたいと思います。
Morandisezn

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