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2017年5月23日 (火)

コンピュータにはできない将棋や囲碁のプレイ つづき

 もともと、囲碁や将棋が日本で長い時間をかけて、独特の発展を遂げて、広く普及したのは、武装集団である武士たちにとって戦場のシミュレーションとして、教育や訓練の働きを持っていたからではないかと思います。囲碁というのは、陣地取りの攻防ですし、将棋は機能の異なる駒を駆使した戦略の駆け引きを抽象化したものだろうと思います。そのうちに、囲碁や将棋をゲームとして楽しまれるようになった、ということを想像します。
 そこで、前回の続きですが、コンピュータによって、このゲームで勝つことを、確実に勝つ、効率的に勝つことを追求することは、戦場のシミュレーションという本来の目的に適ったものと言えると思います。しかし、それでは、そのシミュレーションを実際の戦場に応用できるのでしょうか。囲碁や将棋は、戦場の駆け引きや敵味方の形勢の流れをエッセンスとして取り出したものだろうと思います。しかし、実際の戦場では人間である兵士が動くわけで、ゲームの駒のように疲れ知らずでもなく、決められたとおりに動けない場合も多々あるでしょう。その他にも、ゲームでは切り捨てられた要素が沢山あり、それらは時々刻々変化している、ということでしょう。したがって、囲碁や将棋は、戦場での姿勢とか原則的なところのシミュレーションということでしょうか。しかし、その姿勢とか原則があって、多様な情報を整理して活用し、実際の戦略や行動に移っていくというところでしょうか。そのなかで、囲碁も将棋も二人が相対するという形式の意味というのが、あると思います。それは、戦場では部隊が相対するとき、それぞれの部隊はバラバラではなく統一された行動をとるわけで、それは指揮官が統合しているわけです。そこで、その指揮官はどのような行動を指示するかを予測することになります。その時、指揮官は機械ではないので、予想できないような指示をするかもしれない。というのも、人間は感情によって突飛な判断をすることがある。だから、相手の心を読むといったことを必要とするわけです。囲碁や将棋には、その要素があります。場合によっては、相手の心を読むだけに留まらず、相手の心に何かを書き込もうとすることすらあります。例えば、相手を心理的に追い詰める、騙す、油断させるといったことです。それは、実際の戦場においても、応用可能ではないかと思います。
 そして、現代の囲碁や将棋の棋士たちのゲームを人々が楽しんでいるのも、実は、相対する二人の棋士の心理的な駆け引きを、見ることができる点は大きいと思います。それは、見る側にとっては、物語を生んでいくものでもあると思います。というのも、戦場では天候とか、地形とか兵士の状態(士気、疲労他)などといったゲームに入ってこないことが、現代のゲームではその代わりに別のことがあると想像できるからです。それが、見る者の想像をふくらませて、物語を豊かなものにしています。そうでなければ、将棋や囲碁を題材にしたマンガや映画が生まれることはなかったでしょう。しかし、それらのことはゲームで確実に勝つということとは関係ありません。むしろ邪魔です。だから、コンピュータによって行われるゲームでは、そのような要素か切り捨てられてしまうのでないかと思うのです。そうなった囲碁や将棋を人々は見たいと思うでしょうか。そうなった囲碁や将棋に、人はどのような楽しみを見出すのでしょうか。それがよく分かりません。

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