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2017年6月 2日 (金)

オルセーのナビ派展「美の預言者たち─ささやきとざわめき」(7)~6.裏側の世界

Nabisdoni6  “ナビ派の美学的理想を育んだのは、哲学や秘教、宗教についての読書であり、かれらは「神殿」とよびならわされたランソンのアトリエで週ごとに行われる会合において、それらについて議論を交わしていた。彼らは芸術家を可視の世界と不可視の世界の仲介者とみなし、夢や、詩や、象徴と関係した主題に熱中した。”と解説されていました。それで、このようなコーナーが設けられているわけです。しかし、画家たちが哲学や宗教を論じようと、不可視のと可視の狭間に立とうと、結局は、作品として画面に画像として表わしたときにどのようなものになるのか、で見る者は作品と接しているのであって、その背後で、画家たちが議論しているとか、そういうことは背景にすぎません。要は、表わされた画面から、見る者が、そういうことに想いを至らさせることができるかどうか、で私は見ているので、そういう作品なのか、というと、これまでの他のコーナーの展示も併せて、ナビ派の作品世界は表層に終始している点に、独自性とか魅力があるので、背後のものは、むしろノイズで、付加価値にもならないのではないか、というのが私の思っているところです。
Mag2015inin  モーリス・ドニの「ミューズたち」という作品です。“マロニエの木々の間に女性が集い、それぞれに過ごしています。椅子に座っている者、立っている者、書を広げている者、踊ったり、語り合ったりしているような姿もあります。真ん中の女性は、スケッチブックを膝に広げ、鉛筆を削っているかのような仕草をしています。描かれているのは、古代ギリシャ神話に登場する技芸の女神(ミューズ)たちですが、同時代の衣装をまとい、現代の物語として描かれています。”という説明がなされています。ここで、この解説に反論するつもりはないですし、タイトルがそうなので、画家はギリシャ神話を主題にして描いたつもりなのでしょう。しかし、これを見る側が、わざわざギリシャ神話の女神を描いていて象徴として見ていくような作品なのでしょうか。私には古典の教養がないからでしょうか、「ミューズたち」という作品タイトル以外にギリシャ神話に関係するものが何もないのです。全体の雰囲気がそうなのかもしれませんが、だから象徴を感じようもないのです。それよりも、構成の面白さのほうが、この作品の魅力なのではないか思えるのです。ルネ・マグリットの「白紙委任状」を想わせるような構成は、マロニエの木の幹と、背景の人物たちが立ち姿であるのが画面のなかで垂直のタテの線となってリズムを作り出していて、その垂直で仕切られた部分がそれぞれのシーンをつくっていて、樹の幹を区切りとして場面転換をするようにシーンが移っていく要素があります。また、木々の枝に繁る葉や地面の落ち葉が模様のような正面の姿の葉の形で、木の幹で仕切られたタテをまたぐようにあって、それぞれのシーンのつなぎの役割を果たしているように見えます。そして、前景の3人の人物のうち2人の女性の着ている衣装の模様とも繋がっているように見えます。また、視点を変えると人物や椅子、木々は、それぞれ太く明確な輪郭線で描かれて、平面のようで、しかる、それぞれが類型的な外形になっています。それらはタペスリーやステンドグラスのデザインのようにパターン化されています。例えば人物はすべて横顔になっているとか、それに対して木の葉は正面の角度ど描かれている。しかし、人物の横顔の輪郭の内側は陰影がつけられて、陰影がつけられ立体的に、割合に写実的で、それぞれの人物の個性が描き分けられています。それだけが、画面の他の部分と異質になっています。そういう視覚的効果が、この作品の特徴ではないかと思います。そして、おそらく、ドニという画家には、この世界が、そういう秩序のように見えていたのではないかとおもえるのです。以前にも、この人は単に目で見ている、いわゆる写実とは違うものを見ていたと、のべましたが、この作品も、そういうところがあって、ドニというひとはには、実際に認識したものを描いたのではないかと思えます。このコーナーは裏側の世界ということになっていますが、私には、ドニという人は表も裏もなくて、ただ表層だけという作品として見ていました。このコーナーは、もっともらしいタイトルなのですが、こじ付けで無理して集めたような感じで、こんな無理してコーナーにしないて、素直に見たほうがいいと思える作品ばかりでした(他のコーナーに比べて、たいしたことはないとは言いませんが)。
 これまでの感想の中でも述べましたが、こうして通してみてみると、ナビ派の特徴は展覧会でも説明されていましたが、私なりにまとめてみると、一般市民に消費される商品として絵画が売られる状況に対応して、画家はパトロンの注文に応じてじっくり作品を仕上げで出来栄えを評価してもらうことから、画廊や展示会に並べて趣向やセンスで購買者の目をひいて購入してもらうということが制作のめざすところになったことに、いち早く対応した人々のひとつがナビ派ではないか、と思います。そのひと目をひくために採ったのが、ナビ派の特徴として説明でも触れられているスタイルだった。だから、徹頭徹尾表層的で、見た目の効果にこだわるというところが、私としては、この展覧会を見ていて強く印象に残りました。

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