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2017年6月13日 (火)

オリンピックとかのイベントに期待するのはやめた方がいい?

 パンダの出産があったというニュースがありました。これはたいへん、おめでたいことだとは思います(ただ私には全く興味がもてないものですが)。そのもの珍しさ、いってみれば非日常的なイベントに引き寄せられる野次馬のような人々で動物園の入場者が普段を大きく上回り、動物園周辺の土産物店や飲食店が波及効果で売上が増えたり、便乗商品がつくられて一定の売上をあげたりする。いわばパンダ出産による経済効果が試算されていて、267億円にもなるそうです。大金です。関係者には切実で利益は喉から手が出るほど欲しいとは思います。でもそれは一過性のもので、その事業自体が拡大するわけではないのです。他方で、一時的ではあっても売上規模が増えれば、それに対応して従業員をふやしたり、規模を拡大しなければならなくなるでしょう。つまり、コスト構造も大きくなるわけです。だけど、売上増大が一過性であれば、イベントが終わると売上規模は元に戻って、少ない規模に減ってしまいます。その一方でコスト構造を拡大させたのを元に戻すことは、縮小させることになります。しかし、これは場合によってはリストラ(レイオフ)を伴うなど困難なことです。いったん大きくしてしまったのを、縮めるというのは大変なことなのです。かつて、バブル景気が崩壊して以来、日本企業は縮小に苦吟してきました。当時は、足掻くように本業以外に手を出して、多角化を図ることにより、縮小から逃げようとして失敗を重ねました。それだけ、やりたくないのです。そこで、売上規模を落とさないように、新たなイベントを求めて、一過性の売上の夢をもう一度と、図ることになるわけです。それが繰り返されると、一種の麻薬中毒のような事業運営に陥る危険もある。実際のところ、地方のシャッター商店街の活性化策でイベントを始めたはいいが、イベント頼みに陥って、イベントを開かないと集客できないようになり、イベントを絶やさないようにしているうちに商店街の本業と両立できず、人々は疲れてしまい、次第に本業が等閑になって、却って疲弊を早めたというケースもあるということを聞きます。
 オリンピックや万博も経済効果に期待する向きもあるようだけれど、イベント頼みになる危険は高いのではないか。イベントが終わった後の、つまりは祭りの後の喪失感が蔓延することは避けられない。これも同じです。
 地道に収入を重ねていたサラリーマンが、ある日宝くじで一等を当てて、億単位の多額な賞金を得たとして、それはおめでたいことでしょうが。いわばあぶく銭です。何もしないで、大金を得ることができしまうと、毎日セコく働くのがバカバカしくなって、他方で金遣いが荒くなって浪費癖が抜けなくなり、生活が荒れて、しまいには身を持ち崩すといった例が多いと聞きます。イベント頼みの事業と同じように、私には見えます。
 道徳めいたタテマエかもしれないませんが、脇見などしないで普段の日常的な事業を成長させることを、進める方が好ましいと思うのです。これは、私の偏見なのだろうし、良い悪いではなくて、好き嫌いで書いています。

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