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2017年7月10日 (月)

客観的、抽象的な数字のベースになっている身体感覚の文化ということ

 食事の時に、茶碗でご飯をたべていて、一杯で足りなくて、おかわりをするときに、その茶碗にご飯を一口残して、おかわりを求めますか、それとも茶碗を空っぽにして求めますか。私は、前者が当たり前でしたが、大学の時に友人と旅行していた時に、友人が後者であったのを知って、そういうお代わりの仕方があることを初めて知りました。地方、あるいは育った家庭によって、習慣が違うということです。私の場合は、お代わりを求める時に茶碗に一口残すのは、ご飯が終わっていないからで、食べ終わったときに茶碗を空っぽにする、まあ、そんなことは理屈ではないんですが。しかし、別の考え方では、友人の言では、おかわりを求める時に、ご飯をのこしてあるのは失礼だ、ということだそうです。どちらが正しい、というものでもないだろうと思います。それは、習慣の違いということでしょう。
 似たようなことは、外国、例えば中国や韓国で食事をするとき、全部食べきれないほど出される。それを残すのは失礼と思うのは日本人の慣習で、こっちは食べきれないほどださないのが失礼になるので、むしろ残さなければならないのです。ただ、習慣とは身体感覚で身についてしまったものなので、供された食事を全部おいしくいただくことをしないで残すというのは、何となく、悔いが残るような気がする。
 このようなことは、実際に体験してみて、はじめてそういうものだと実感できるものだろうと思います。机上において情報として得ることができるとしても、具体的に実感することはできないことと思います。それが、抽象化されたり、理論化されていった時に、具体性を欠いた言葉や数字がひとり歩きしたときに、すれ違いが生まれ、その違いは実践の場面で、大きなものとなることがあるのです。
 それは、とくに海外と仕事をする場面で、大事なところで現れるのです。しかし、それに気がつかない人も少なくありません。
 具体的には、企業会計の数字は世界共通で、企業業績については売上高とか利益額などの数字を、国を問わず数値でもって、比較して、良し悪しを判断するだろうし、数字が少なければ、イマイチだろうし、数字が大きければ業績がよいとか実力があるといったことになるものです。日本企業のグループ企業の海外子会社に対しても、その数字によって、ハッパをかけたり、誉めたりします。
 しかし、例えば、中国と日本とでは売上をどの時点で計上するのかという考え方が違うし、それに伴って利益がどう生まれるかという考え方が違うのです。関連して在庫ということの意味が違う。これは、台湾や韓国も、日本よりも中国に考え方が近い。実は、アジアの中で日本の環境というのは特殊なのだ。これは現場に立ち会わないとわからない。立ち会っても分からない人もいますが、それだから問題であると思います。
 中国の慣習では、耐久消費財とか固定資産となるようなものは、あるいは製造業の仕入れ売買のような場合、基本的には代金前払いが原則で、売主は代金を受け取ってから手配して買い手に納品することになっています。そして、代金の支払いを受けた時に売上を計上する、これがルールです。これに対して、日本の場合は売り手が納品し、買い手に代金を請求して、回収することになっています。売上は買い手に納品した時点で計上するのがルールです。何だ、たいそうなことを言っても、そんなに違わないではないかと思われるかもしれません。しかし、これで生まれる実際上の違いは、例えば、納品時に欠品があった時、日本の場合には、欠品は買い手が受け取らないか、あるいは欠品分の代金を払わない。これに対して、中国の場合は売り手は既に代金を受け取っているので、欠品があっても、取り替えないし、代金を返すことなどしない。つまり、買い手は欠品があっても泣き寝入りとなるのです。この場合、買い手は、納品された中に欠品があっても、在庫としては既に金を払っているので、そのまま計上することになる。つまり、在庫が納品の時点で物品と支払った金が合っていない(と見なすのは日本の特殊性)。仮に月末に代金を受け取って、翌日に納品したとすると、売上を計上しても在庫は残っていることになって、その月の利益が一時的に増えることになる。そんなことが通用していると、中国では、生産して納品する業者は、納品した製品に欠品が混じっていても、自分たちがそれで損をすることにはなりません。(最終的には、辻褄があって、めぐりめぐって損をすることにはなるのですが)だから、欠品を減らすことに真摯にならないのです。従って、品質向上への取組みに真剣さや切実さが、どうしても足りなくなるのです。
 中国でこうなってしまっているのは、いくつか理由があります。まず、各企業が正直に帳簿をつけていないこと。そのため、お金が動いた時点で間接税が発生し、領収書と役所に提出しなければならない。企業の帳簿は、その領収書をもとに役所が把握し、企業はそのとおりに帳簿をつけることで、税務当局が企業会計を作っています。その原因は、もともと通貨にたいする信頼性がなくて、その通貨の上に成り立っている企業間の取引の信頼性がうすく、借金の踏み倒しの被害に救済や踏み倒しによる制裁(信用なくした場合に不利になる)といったシステムがしっかりしていないからだ。それには、歴史的な経緯もあるのだけれど。
 だから、数字がいい数値であっても企業の経営の内実や事業の実力はガタガタになっていることは、よくあることだという。それは文化の違いによるものでもあるわけです。

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