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2017年7月 4日 (火)

北村周一 フラッグ《フェンスぎりぎり》一歩手前(1)

2017年5月 武蔵野市立吉祥寺美術館
Kitamurapos  都心での仕事を夕方に終わられて、帰宅する途中に立ち寄った美術館。この美術館は開館時間が、平日でも19時30分までなので、丸の内で5時に仕事が終わってからでも、少し駆け足になるが立ち寄ることができる。それは、とてもありがたい。場所は、吉祥寺駅から歩いて数分の、駅前繁華街の商業ビルの最上階にある。繁華街の喧騒を抜けるのを少し我慢して(渋谷のBUKAMURAに行く途中のゴミゴミした環境に比べれば、まだましだ)、エレベーターで最上階に上がると、デパートのフロアのような、小さなギャリーがある。仕事が終わって、家に帰る前に、立ち寄って絵を見て過ごすには、ちょうどよい大きさかもしれない。入場料も、常設展100円、企画展300円と安い。これは、私のような人間にとっては、立ち寄り易いことこの上ない、しかも過去の展覧会の履歴を見ると、面白そうな企画が並んでいたので、今後、また来たいと思った。
 さて、北村周一という画家については、私は初めて作品に接する人なので、画家の紹介を兼ねて、主催者のあいさつを引用します。“個展を軸に作品の発表を続けている画家、北村周一(1952年生まれ)。「フラッグ《フェンスぎりぎり》」という奇抜な展覧会のタイトルは、2008年の個展から一貫して彼が使い続けているものです。「フラッグ」とは、「上下左右に動く二本の線が一点で交差しようとするとき、その交差の直前(一歩手前)に発現する空間」についての北村独自の呼称であり、彼の作品に通底する空間概念です。彼がつくりだす画面において、「フラッグ」はさまざまな様態に展開されている。北村の作品には、「小石を繋ぐ」「縁側」「ライン消し」などのように、しばしば画面からは思いもよらない題名が与えられています。題名は、作品の背後に存在する彼自身の経験や思考の痕跡を示すものであり、彼にとっては作品を「名づける」ということも大きな意味を持っているのです。このことは、彼が日頃から取り組んでいる短歌とも深く関わっています。自らの仕事について、「ごくあたりまえのこと、基本的なことを、堂々巡りに見えることを恐れず、繰り返す」行為であると語る北村。彼の主題は、「フラッグ」のように、日常ではごくあたりまえのように目にしていながら省みられることがない、そんな事象のうちにあります。本展は、都内の美術館では初の個展となります。北村周一の特異な仕事の一端に触れる好機です。”
 このあいさつは、ある程度北村の作品に親しんでいる人向けのおしゃべりで、初めて彼の作品に接する人には、北村の作品とは、どのようなものなのかは分かりようもありません。私たちが絵画を見るという経験をするときのことを考えてみましょう。例えば、私がダ=ヴィンチの「モナ・リザ」という絵画を知らなくて、初めて見た際には、それまでの似たような絵画を見た経験をなぞるように見ることになるでしょう。それまで、私が女性をモデルにした人物画を何度か見たことがあり、その時に、どのように絵画を見たのかという経験をパターンとして蓄積しています。そこで、私が「モナ・リザ」に初めて出会ったときに、中央に女性が描かれていること、女性は半身像で、斜め正面でこちらを向いていること、背景に景色が描かれていることを、それとすぐに把握することができます。その場合、そのほかの把握の仕方、例えば、地味な色だけを見て、その色で編んだ模様として捉えることは、ありえません。「モナ・リザ」という作品が、とりあえず人物を描いた作品であり、そのような形を描いていることを前提にして、作品を見ていきます。それは、私たちが作品を見ていくための手掛かりのようなものです。抽象画の場合は、それとは少し違います。その手掛かりとしての何かのパターンが決まっていないのです。それが「分からない」という言われるひとつの原因ではないかと思います。しかし、逆に言えば、そのような経験したことのない出会いによって、新たに経験をつくるということが抽象画を見る場合に可能になるということでもあります。とは言っても、抽象画の有名な作品は、そのパターンが出来合いで用意されていることもあって、それに乗ることもできるということもあります。また、人というのは、どうしても過去の似たような経験のパターンをアレンジして当てはめようとします。目で見るということは、具体的に事物を見ることです。だから、抽象画といえども、見るのは具体的な何かです。それは、上のあいさつにあるような抽象的な言葉ではありません。そのような言葉になるのは、具体的に何かを見て、それに対して言葉で意味づけをしたときに、初めてでてくるものです。このあいさつには、その見た何かが省略されています。その何かを、私なりに考えながら、感想を綴って行きたいと思います。

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