アドルフ・ヴェネフリ展 二萬五千頁の王国(1)

アドルフ・ヴェルフリという画家を、私はよく知らなくて、また、この展覧会についてのことも、簡単にパンフレットに紹介があるので引用します。“アウトサイダー・アート/アール・ブリユットの芸術家として世界的に高く評価されながらも、日本ではほとんど知られていないアドルフ・ヴェルフリ(1864~1930)の、日本における初めての大規模な個展です。スイスのベルン郊外に生まれ、孤独で悲惨な幼少期を送ったヴェルフリが絵を描き始めたのは、罪を犯し、精神科病院に収容されて数年後の35歳の時。以後、病室で一心不乱に描き続け、生涯に描いた作品は25,000ページ。余白を残さず、絵と文字と音符で埋め尽くされた作品はどれも、既存の芸術や美術教育の影響を受けることなく生み出された他に類を見ない表現力と、奇想天外な物語性、そして音楽への情熱にあふれています。自分の不幸な生い立ちを魅惑的な冒険記に書き換え、理想の王国を築いて世界征服をたくらみ、音楽監督として作曲に没頭したヴェルフリ。彼が描いたのは空想の世界の出来事ではなく、すべて真実と疑わない自らの姿を投影したものでした。ヴェルフリの初期から晩年までの74点を厳選した本展は、アール・ブリュットの源流をたどる待望の機会です。緻密にして壮大、エキセントリックにしてファンタスティックな創造力を是非その目で確かめて下さい。”この紹介の最初でアウトサイダー・アート/アール・ブリユットと言っていますが、私の理解では、正規の美術教育を受けていない人のアート、とくに何らかの障害によって受けることができなかった人が描き始めたとか、そういったイメージです。ただ、作品を見る側としては、面白ければいいのであって、美術教育なんて人に面白く見せるためにどうすればいいのかを教えるものと、私は思っているので(西欧のアカデミズムはそれだけではないのだろうけれど)、教育を受けたか否かは、とくに関係ないと思っています。むしろ、その教育をうけていないということを殊更に強調するようなところが感じられて、私は、そのことを胡散臭く思っていました。正規の美術教育という段取りを踏んでいないので、型破りのインパクトとか、そこまでしても描きたいという情熱とか、そういうものを期待してのことなでしょうが。また、このヴェルフリや、あるいは話題になったヘンリー・ダーガーなんかも精神障害を抱えた人のケースが多いので、健常者とは違う、ある種の異常さとか、その裏返しで障害者に対する福祉精神とか同情のようなものをスパイスにして、それをウリにしているところが見透かされたりするところがあると思います。上の紹介文にも、そういうテイストが感じられます。どうしても、色眼鏡で見てしまうので、仕方のないことなのでしょうし、また、逆に、殊更にそういうストーリーを拒否するのも、結局同じことになると思います。そんな、めんどくさいことは嫌なので、この手の展覧会は、避けていました。しかし、この展覧会は、面白かったです。
展示は次のような章立てで、ヴェルフリは長大な叙事詩を書いて、絵はその一部だったようですが、私は、絵を見に来たので、それ以外の物語とか、彼が作曲をしたそうですが、それには興味がなくて、絵の部分だけを取り出してみました。展示の章立ては、そういう物語とか、絵も一緒に総合的な作品として、区分しています。しかし、絵の部分だけでは、ワンパターンが執拗に繰り返されるだけなので章立てて分けるのは意味がないと思います。
第1章 初期作品
第2章 揺りかごから墓場まで
第3章 地理と代数のノート
第4章 歌と舞曲の書
第5章 葬送行進曲
第6章 ブロート・クンスト
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