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2017年7月 7日 (金)

北村周一 フラッグ《フェンスぎりぎり》一歩手前(4)

Kitamurainfumi  「または、逃げる韻を踏む日々・AA」という作品です。同じような白一色のモノトーンの作品です。この作品は「小石を繋ぐ」のような規則的なところは、見つかりませんが、表面の凸凹を同じような視点で見ていくと、細部の戯れが見えてきます。北村という人が絵画をどのようにかたちづくってきたかは、私には分かりません。これは、あくまでも作品を、個人的に見ての、主観的な印象で語っています。したがって、事実と違うことがたくさん含まれています。そういうことで語っています。
 これまでロスコとの対比で語ってきましたが、そのことも含めてそもそも論に遡ってみたいと思います。最初にも少し述べましたが、絵画というのは“なにか”を対象として、その“何か”を描いたものです。例えば、人物画は人物を描いたものです。それは、歴史上の事件でも神話や物語の場面でも、人物とか建物とか物体としての“何か”でするそういう絵画は、後年の抽象画との対比で具象画に一括されるようになりました。これに対して抽象画は、具体的な物体を描くことがありません。その代わりに不可思議な図形だったり、模様だったりしても、それは事物を視点を変えて見た“何か”であったり、イメージという“何か”であったり、そのような“何か”を描くものであり、抽象画であろうが具象画であろうが、絵画という点で“何か”を描くという点で一緒です。しかし、ロスコの抽象画は、その“何か”があって、それを描こうとしたというよりは、描かれてしまった画面を見た人が、ある効果を受けた、例えば、瞑想に誘われるという効果がうまれたということから、仮に画家がその効果を認めて、その効果を生み出すことを狙って絵画を制作していこうとした。つまり、“何か”を描くということを否定した。描くということが先にあるという姿勢の転換があったという。絵画のあり方に、ロスコの絵画は特徴があると思います。私は、そのロスコの絵画の在り方に、北村の絵画は近いところがあると思います。しかし、日本の伝統的な絵画には“何か”を描くというあり方が徹底していないところがあると思います。それが余白という“何か”を描かない空白が意識的に画面に導入されているという点に、典型的にあらわれていると思います。北村の作品の姿勢にも、そういうところがあると、私にも見えます。それが、前に少し述べましたが、曖昧さを明瞭にしようとしているというのは、その在り方の具体的な表われではないかと思います。
Eikyusakuhin  この作品で、それが表われているところを見ていきましょう。ここで、もうひとり瑛九という画家の作品と比べて見たくなりました。瑛九は“何か”を描くというあり方でない作品に、多様な色彩という要素を排除していない作品です。そこで、北村の作品を見ていると、作品を全体して構成されていないと感じられます。というよりも、全体としての印象というのが稀薄で、作品を見ていると、細部に視線を導かれます。この作品のように色彩を白一色にして画面の凹凸から生まれる陰影が際立っています。視線は、そこで生まれる細かな陰影の変化に導かれます。ここに、色彩という要素が加われると、むしろ注意が散漫になってしまいます。ここでは、色彩という要素の加わった複雑な構成を作られていません。北村は、菱形を並べて、その変化を積み上げて、結果として全体の画面が出来上がっているように見えます。ここで、私には、この作品で明瞭にみえるのは、そういう一つの単位を素材にして、それを変化させて画面を作っていくということです。言ってみれば、言葉の世界で文章を作っていくときに従う文法のようなものです。その文法に従って出来上がった画面が、結果として、見る者に何がしかの効果を及ぼすということ。それが、北村の絵画の基本的なあり方ではないかと思います。

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