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2017年8月

2017年8月10日 (木)

endless 山田正亮の絵画(7)~Work E ,Work F 1980~1995

Yamada2017worke280  Work Dの小部屋の次は、最後になりますが、大広間に出て、パッと開けるように、大作が展示されていました。それは、Work Dの息苦しさから一気に解放されたような爽快感を伴うものでした。説明によれば、1978年の個展で一躍注目されるようになったといいます。同じ頃にここで展示されているWork Eの作品群に描くものが転換していったということです。“その頃からスタイルは、また大きく変わります。色面は、筆のスクロールを強調した、動きを感じさせるものにとってかわられ、かなり大型のキャンバスが使われるようになります。徹底的に抑制をきかせてきたそれまでの画面と比べると、自由で開放的な表現に向かったといえるでしょう。その気になれば、線や色斑を人間や樹木の姿に見立てることさえできます。ただし、依然としてどの作品も。十字形や長方形、水直線や水平線が、骨格のように絵画を仕切っているのがわかる”と引用しましたが、その通りだと思います。それと、Work Dまでと色調が転換して、透明感がでてきて、鈍さは残しつつも、明るくなったという変化も大きいと思います。
Yamada2017workf116  この展示室に入った際の開放感と、以前に見た府中市美術館の回顧展では、このシリーズの作品の展示はなかったので、意外さに驚いたということもあって、インパクトの大きな展示でした。しかし、そのインパクトが薄れると、画面が大きくなったことと反比例して薄味の印象になったような気がしました。それゆえに、この後、山田はWorkというシリーズを終わらせて、Colorという単色をキャンバスに塗るパターンに転換していったのではないかと思いました。

2017年8月 9日 (水)

endless 山田正亮の絵画(6)~Work D 1970~1979

 Work Cの作品群はストライプだけではないのだけれど、その傾向はこのWork Dにずれ込むように一部重複していると思う。これは、私の主観的解釈かもしれないけれど。広い展示室の壁一面にストライプ作品がズラリと並んだ圧巻から、展示は折り返し点にきたように、小部屋に区分けされたスペースに数点が飾られた落ち着いたものに変わります。これは、展示している近代美術館の演出なのでしょうか、見せ方をかなり考えていて、そこに、この展覧会の主張がよく表われていて、感心しました。それは、この後のWork EとかFの展示と前のWork Cの展示の間にあって、ちょっとした谷間の息抜きのような効果をあげていたからで、この展示の演出(あえてそのように言います)から受ける印象では、相対的に静的な傾向を帯びているようにも見えてくるからです。
Yamada2017workcd259  そのような印象と重なるかもしれませんが、それには前回の展示についてのところで十分に書けなかったところから始めたいと思います。それは身体とか肉体ということです。前回で触れたニーチェの永劫回帰というような、同じこと繰り返しを嫌うということには、それを考えている人が肉体をもって生存している生物であるということが無視されていると思わずにはいられません。生存するということは、一定の行為の際限のない繰り返しであるからです。例えば、食べて排泄するということ、寝て起きるということは、1日というサイクルにして、生きていれば、ずっと繰り返し続けるなければなりません。それが窺えるとは限りませんが、山田のストライプの作品をよく見てると、そのストライプを描いている線とか帯に山田という人間の肉体を濃厚に感じさせるところがあります。それは、例えば、モンドリアンの「コンポジション」のシリーズの作品と比べてみると一目瞭然ですが、両方とも直線と色彩だけで構成されている点で共通点の多いように見える作品ですが。モンドリアンの場合、直線は定規で引いたように真っ直ぐで一様で、筆触も感じさせないように処理されています。いわば、直線という概念を目に見えるように、できるだけ忠実に再現しているようなのです。現在であれば、画家がわざわざ筆で描く必要はなくて、コンピュータで画像をつくっても、むしろその方が忠実に再現できる、という性格のものです。これに対して山田の作品はコンピュータでは再現できない。モンドリアンの直線と違って、山田の線や帯は一様ではなく、厳密には直線になっているかどうか疑わしい。とくに筆触の跡が生々しいほど残されています。それを見ていると、山田が線を描いている肉体を想像できるのです。話しは変わりますが、書道の鑑賞において筆勢を追体験ということがあります。つまり、書かれた字をみて、作者が筆をどのように動かしたかを筆の跡から想像し、その時にどこで息をつめ、息を吐いてというのを想像すると、どこでどのていど気持ちをこめてまで想像できてくる。それを追体験すると、まるで書かれた字を通して作者と共通体験をしてしまうのです。山田のストライプ作品の筆触の乱れ(これは悪い意味ではなく、モンドリアンのように機械的に見せていないという意味合いです)には、彼の肉体の動きだけでなく、肉体をもった精神の張りとか、そういうものを見る者が共通体験できる要素を残しています。だから、あれほど沢山のストライプ作品を描きながら、行き詰ることなく制作を続けることができたのではないかと思います。おそらく、山田がストライプ作品から他のパターンに移行したのは、ストライプに行き詰ったからではないでしょう。
Yamada2017workd087  そして、その移行していった作品たちが、Work Dとして展示されている作品群です。そこには、これまでに比べて静謐な印象、それは機械的なパターンに意識して近づいたように見えるからかもしれませんが、を受けるものでした。例えば、Work D259を見ると、色使いが淡色系の色調になっているからかもしれませんが、穏やかな印象を受けます。それだけでなく、ここにも筆触が現われているのですが、その見え方がWork Cのシリーズと異なってきて、それが穏やかな印象を作り出していると思えます。それは、ある意味では筆触は、Work Cでは、ストライブというパターンでは過剰さとして、そのパターンをはみ出してしまうものとして見えていました。それが、ここでは安定していて、パターンの中に収まって、はみ出してしまうような過剰さが見られなくなっている。また、Work D87という作品では、ストライプのかたちり作品ですが、前に見たWork Cの作品群のように絵の具の厚塗りを重ねたことで生まれる画面の凹凸は見られず、絵の具の垂れもなく、機械的に水平線をひいたような印象です。私の山田の作品の捉え方、何度か述べましたが、何かを描こうとする志向性がなくて、描くという行為を行なった結果が作品として残った。つまりは、描くという画家の肉体の動きの軌跡が作品ということになる。それが山田の表現衝動ともいうべきものではなかったか、と思いながら作品を見ていくと、私なりに辻褄が合うように見えてくるのです。もしそうであるとすれば、前の段落で述べたようなWork Cのストライプにある筆跡という見方は、そこに山田の息遣いから、感情とか、もっというと気のながれのようなものを探ろうとすることに繋がります。それでは、画家が意図しているものでないかもしれませんが、何かを表現することになってしまう。それは、見方をかえれば不純物ということになります。そのような不純物を排除しようとしたのが、ここで展示されているWork Dのシリーズではないか、というように私は見ていました。その結果、描くという身体の行為が当人の気持ちとか思惑といった不確定な不純物を取り去って動きだけを純粋に取り出した。それは、例えば、スポーツのゲーム、例えば、テニスや卓球のゲームでプレイヤーである人たちの気持ちとかそういうものとは無関係に、目にもとまらぬスピードで行きかうボールの動きと、それを生み出しているプレイヤーの肉体の無駄のない動きが美しいのに通じるような、美しさを持つものに近いと思います。つまり、このWork Dの作品群は、展示されている山田の作品のなかで、画家の肉体を反映していて、純粋な美というものに最も近いと思います。そこにある静謐さは、そういう性質のものではないかと思います。しかし、その反面、このWork Dの作品群には、息苦しさを感じることもあります。展示方法がWork Cの場合のように広間にずらっと並んでいるのではなく、仕切られた小部屋に数点ずつあるからかもしれません。想像するに、スポーツの美しさは、実際に動いているのに対して、絵画には動きというものがなくて、静止してしまっているので、どこか閉じ込められたように感じるところがあるのではないか。ある種純粋で完璧なものを求めることは、閉塞感のような息苦しさを伴うところがあるのかもしれません。Work Dの作品には、そういう性格があるように思います。

2017年8月 8日 (火)

endless 山田正亮の絵画(5)~Work C 1960~1969

 いよいよ、圧巻のストライプの洪水ともいえる展示です。山田はストライプの画家といわれてきたと説明されていたようですが、そんな生やさしいものではなくて、ストライプしかない。よくまあ、飽きもせず…。もちろん、そこに並べられた多数の作品は、それぞれに何らかの工夫があったり、作品として個性を備えているのでしょうが、しかし、広い展示室、その部屋に連なる廊下や小さな展示室、そこに水平な直線の帯に色が塗り分けられたキャンバスだけが圧倒的な物量で並べられています。多少の例外はあったのかもしれませんが、10年近い間、山田はストライプの作品をもっぱら、いやそれしか描かなかった。それは、くどいとかしつこいとか執念とか憑かれたとか、様々な形容ができるでしょうが、そういう言い方には狂気を帯びた熱狂というのか、ある種の熱さとか情熱といった、異常な盛り上がりのようなニュアンスがあると思いますが、そんなものが10年近く続くはずがない。そういうところに山田の異常さのようなことを想像することも可能です。だからこそ圧倒されるのです。
Yamada2017workc180  展覧会での解説では、Still Lifeで解体していたのがWork Bで一応の達成を果たしたあと、このWork Cから組立がはじまると説明され、このストライプということについて解説されていました。長くなりますが以下に引用します。
 山田正亮の特にWorkの系列のほとんどの部分にあって、描く出発点においてあらかじめ描くべき形についての枠組みが決められていたという点はあらためて注目に値しよう。─中略─あらかじめやることの大枠は決められており、その枠組みの名かで安心して、ないしは窮屈に堪えつつかれは描き続ける。絵画という形式がすでにしてかなり大きな拘束である。それに加え山田正亮は描かれるべき図柄、イメージをあらかじめ確定してしまうという、さらに大きな拘束を設けたのである。絵画を構築する全体プランがあらかじめ他人事のように設定される。デッサンの放棄、決まった枠組みに絵の具を塗る塗り絵行為とも批判されかねず、「単に塗られた色面としての弱さ」を露呈しかねないこの転換。しかしおそらくそのことによって、むしろかれの絵画の生産性は増大したのではないか。ゲームの規則の明確化、あるいは単純化により、かえってゲームの内実は充実していく。同じ規則の上に展開される微細な差異の集積。それらは塗られる色彩の組み合わせの選択だけにとどまることではなく、キャンバスの目の粗密の洗濯、画面サイズや形状の選択、下地の作り方の違い、グレージングの程度などなどと非常に多岐にわたる。同じストライプのルールのもとであっても、素人目からすれば些細とも思われるこのようなメチエの仕分けの結果により、現にそれぞれの個性と唯一性をもったストライプ作品が生まれる。そうでなければこんなに数を描く必要もないのだ。─中略─一見ただの多色による縞模様だが、少し近寄ってよく見てみると、一本一本の線はとても線とはいえないような、爬行するあぜ道然とした存在感を持ち、息をしているというか、喘ぎつつ進んでいるような紆余曲折を見せている。細部の各層、各色線の逡巡、表出的筆触、絵の具のたれ、ふくらみ、たまり、色線相互の侵食、かすれと透過、薄溶きの褐色の絵の具層の上かけのよる色彩バランスの調整、塗りの隙間からわずかに覗く高明度の下層がひき起こす光の輝き。色彩間の闘争。そこには整然とした知的な営為ではなく、荒れ地を匍匐前進するかのようなとんでもない労働の痕跡がある。真の反復の持続は微細な差異の集積を要求する。画家は、前置きしてのタスクを設定しそこに準拠しつつ、絵画と対話をかさね、絵に尋ねつつ、なんとかして一回性の出来事を紡ぎ続けようとする。
 この説明について、途中を省略しているところもありますが、山田はWork Cのストライプについて、あらかじめ計画をたてて、まるで設計図をもとに製作する労働のように、規格品だからこそ大量生産できるし、量があるから個々の作品の差異を見ることができる。商品としての絵画には、もともと。そのようなところがあり、山田はそういう絵画の面を拡大してみせた。そこに、絵画のありかたを考え直した山田の作品のスタンスのユニークさがあるということでしょうか。部分的に納得できるところがあるし、山田の沢山並べられた作品を前にすると途方にくれてしまうので、このようなガイドがあることはありがたいと思うので、長くなっていますが引用しました。でも、これは展覧会で作品をみている側にとっての作品を見る魅力とか、作品に惹かれるところという視点がありません。研究者とか批評家のひとが作家論を組み立てているようで、この人は、なぜ山田の作品を見て、山田という画家のことを考えているのかという、この説明している人が見えてきません。それは、この引用に対する批判ではなくて、そういう点で参照する程度のものとして引用したということです。そのことを前提にすれば、この引用で触れられていることは参考として使えます。前置きが長くなりました。
 前のWork Bところで、私は山田の作品について、描かれた形をつかった駄洒落のような構成で画面を作っているという言い方をしたことがあります。その前提にあるのは、何か、例えば事物しか物体といった対象を描くというのではなくて、画面に描かれたものがあって、それで作品が出来上がっていくという出来上がり方です。それは、何かを描く絵画ととうことから少し離れて、例えば駄洒落という譬えを用いたからではないですが、言葉遊びのようなこととして考えてみていただいたほうが分かり易いと思います。橋を意味する「はし」という言葉は、しかし、単に言葉の音を聞いただけだけでは「端」という意味にもとれます。だから、一休さんのとんち話で、「橋をわたってはいけない」と言われて、一休さんはどうどうと橋の真ん中を通過したのです。そのとき「はし」という言葉は、その言葉の単独の意味から切り離されました。その意味を規定しているのはその言葉が置かれている文であり、その文が置かれている文脈なのです。一休さんは、言葉を文や文脈から切り離して、別の文脈に置き換えることで別の意味を取り替えてしまいました。ふつうは、そういう言葉─文─文脈で意味が決まってくるということは当然のこととして意識して考えられることはありません。だから一休さんの行為は頓知といわれるわけです。で、何が言いたいのかというと、山田の絵画作品では、絵画で言う当たり前の言葉─文─文脈が実は、山田の作品では、一休さんの頓知のように動かされたり取り替えられたりしたものではないかということなのです。ただし念のために言っておくと、これは山田という画家がそういう考え方で絵画を制作したということではありません。いわゆる作家論を論ずるつもりは毛頭ありません。だから引用した解説の批判ではなくて、これは私にとっての山田のストライプ作品の魅力をストーリーにしようとしているだけです。だから、事実と反することはあると思います。私は、作品を見て、このように楽しんだということで、これは引用した解説には、おそらく最初から顧慮されていなかったことです。
Yamada2017workc073  回りくどい書き方になっていて、何を言いたいのか分からないと仰る方も多いと思いますが、多分、山田の作品の魅力のユニーさというのが、従来の絵画の魅力を語るというのとは位相が異なっていると思うから、どうしても奥歯にものの挟まったような表現になってしまうのです。例えば、ここで展示されている作品について、それなりにコメントするもできます。この二つ並んだWORK C.73(左側)とWORK C.77(右側)は、両方とも縦長の掛け軸のような画面で、水平なストライプが、左端から右端へ平行に何度も引かれています。個々の水平のストライプは筆で引かれた線もしくは面であっても、それが繰り返されて層を形づくって、結果的に縦長の面を形成するまでになっています。かといってすべての線が横に平行に走っているわけでなく、C.77では中央部分でやや右下がりになっているいるようなところもあります。それだからというわけではありませんが、ストライプは機械的ではなくて、それぞれの線の太さや勢いなどが違っていることから、表情やニュアンスを想像することができます。それに着目すると、単純な画面でありながら簡単には全体を把握できません。個々のストライプは上下に隣り合う色彩との境目が多様な質感や表情を見分けられることができます。また、ところどころに絵の具が残っていたり、絵の具がストライプの水平の向きを断ち切るように垂直方向に垂れ流れてきています。それがアクセントとなって水平のリズムに対する垂直なリズムを作り出して、画面を水平と垂直が交錯してポリリズムのような効果を作っています。そして、2作品が並べて展示されていましたが、サイズが一致しているので、ストライプも一致するかのような錯覚に陥り、そこで、色彩が異なっているので、対照的に見ることができます。C.73は赤、深緑、紺色、青、水色、黒、グレー、白といった色で構成されているのに対して、C.77は黄、草緑、青、水色、黒、グレー、白で構成されています。C.73が赤と緑と青と白の鮮やかな対比によって明るい海と陽光を感じさせるのに対して、C.77は湿潤で温暖な日本的な気候風土を感じさせるところがあります。
 このようにひとつの作品について述べることは出来ますが、ここでC.73あるいはC.77についての語りは、それだけを語っているのではなくて、山田がストライプの作品を沢山制作していて、その作品を見ているということが前提となって、ここでC.73あるいはC.77について書いているということができます。裏を返すと、C.73あるいはC.77について語ろうとすると、その作品だけのことに限って語るということは難しいのです。この作品のことを語ろうとして、いつのまにか山田のストライプ作品の概略を語ってしまうことになるし、この作品の特徴を語ろうとすると、山田のストライプ作品のなかで、他の作品と比べて差異を語ることになってしまうのです。以前に、山田の個々の作品は完結していなくて開かれていると言ったのは、こういうことです。山田の作品だけでなく制作のさいにつけていたノートも展示されていましたが、制作する際にも、この前は、こういうストライブ構成にしたから、今度はこうしようというように考えられていたことが分かります。つまり、先行する作品との差異から、新たな作品が構想されていったということです。そこには、個々の何かを表現して、個々に制作されるというのとはまったく異質な制作動機があるといっていいと思います。強いて言えば、山田の場合にはストライプによって画面を構成するということが、その場合の表現すべきものということになると思います。さきほど一休さんの譬えで、言葉─文─文脈ということをいいましたが、これを絵画にあてはめると、表現─テクスト(個々の作品)─コンテクストと図式に置き換えることができると思います。そこでも普通に絵画を見るときには、テクストをみているのですが、山田の場合にはコンテクストを見ているのではないかと思うのです。あるいは、テクストを見ていてコンテクストを見てしまう。
Yamada2017workc092_2  ここまでは、事実の解釈ということですか、この先は、この解釈を発展させた個人的妄想です。さきほどストーリーとも言いましたが、純粋に私の主観的な感じ方なので、事実とか真実とかいったものとは、そもそも関係なく語っているという前提で、お付き合い願います。何を言いたいかというと、そのように山田の作品を見ることにどのような意味があるのか、ということです。おそらく近代西欧の文化、とくに芸術というのは単純な繰り返しを嫌います。作品の個性とかオリジナリティといったことを強調しますし、パターンの繰り返しをマリネリといって批判するのが常です。その根底には、同じパターンを繰り返すことへの嫌悪があるのではないかと思います。それを思想化したのがニーチェの「永劫回帰」ということでしょうか。同じ毎日をずっと繰り返し続けていくことは地獄のような苦しみだというのです。また、日常生活でも仕事をして生活をすることよりもヴァカンスという、いってみれば繰り返しから抜け出す非日常を大切にしています。繰り返しのなかでも、たとえば、仕事が端的にそうですが、その中でも単純作業と繰り返しの中でも多少の変化をつけられる作業と比べると、単純作業の方が見下されます。後者の場合にはクリエイティブな要素があるとかいって、高級なイメージをもたれています。そういう中で、この展示室のような単調な繰り返しが際限なく並んでいる山田の作品の場合には、そういう近代西欧の文化では、作品とは認められない可能性もあると思います。あるいは、ポップアートのような大量生産の画一性の批判とかいったコンセプトを、そういう文化の人が理解できるような理屈を添付してあげないといけないのかもしれません。そういう点でみれば、山田の作品について、私が見たコンセプトということで繰り返すということは、芸術とかアートといった概念枠からずれていってしまう可能性を多分に秘めていると思います。
 しかし、一方で、たとえば音楽と言っていいのか分かりませんが、ダンスを単純なリズムでステップを踏んで身体を動かしている時に、はまってくると、伴奏の音楽が動向とか関係なくなって、その単純なリズムの繰り返しがここちよくて、それで熱くなっていくことがあります。サンバなんかは、ほとんどリズムだけになるし、阿波踊りなんかもそうです。だから繰り返しは身体的なここちよさに直結するようそは確かにあるのです。前のところで、山田の絵画は、何かを表現するとか言うよりも、筆をもった腕を動かすという身体的に行為がまずあって、その行為、つまり運動の結果として作品が出来上がるということを書きましたが、まさに、ダンスのような身体の運動と、山田の描くということが重なるのではないかと思うのです。その反映として、生まれた結果がストライプというコンセプトではないかと思うのです。
そして、さらに妄想をエスカレートさせます。そういう繰り返しを、私たちは、実はダンスのような特殊なところでなく、日常的に、行なっています。それは、日常の生活パターンです。朝起きて、三度のご飯を食べて、仕事をして、夜寝るというのは、決まったパターンの繰り返しです。私たちの普段の生活は、ニーチェの嫌悪した永劫回帰でもあるわけです。だから、山田のコンテクストというのは、日常生活の繰り返しと重なってくるように思えるのです。おそらく、山田の制作していた行為というのは、日常の毎日の中で、膨大な量の繰り返しを重ねてきたものではないかと思います。山田の作品の背後には、ニーチェでいえば、退屈な毎日の繰り返しが何十、何百、何万、何億と積み重ねられていて、それが直接ストライプとなって表われていると思うのです。そこから、何を読み取るのか、これ以上言葉にすると陳腐になってしまうので、これ以上は進めませんが。そこには、芸術作品の感動とは異質な、しかし、身体とか心を揺さぶることがあるといえるものがあるのです。

2017年8月 7日 (月)

endless 山田正亮の絵画(4)~Work B 1956~1959

Yamada2017mond_2  山田は1956年から1995年までの作品にWorkというシリーズ名を与え、そのすべての作品に機械的に番号をふったそうです。このうち、Work Bは1956年から1959までの作品ということです。この後、WorkのシリーズはC、D、E、Fと続いたということです。展示はStill Lifeが広間に一堂に展示されていたのに対して、建物のスペースとレイアウトの都合でしょうか、通路のようなスペースを区切って小部屋にして展示してありました。そのため、Still Lifeや、この後のストライプの作品ように広間にずらっと並べられて物量に圧倒されることはありませんでしたが、通路のような小部屋を経るたびに、この図像にあるようにアラベスク模様のような作品が、ひとつの部屋を通り越しても次の部屋のまたあるという体験をすることができました。小出しにして物量を仄めかされるという体験と言えますか。こういうのは、山歩きするとよくあることなのですが、山を登っていて、上り坂が目の前で切れて、その先の青空がのぞいているのが分かって、これで登りは終わりでと頂上が近いのかと勇躍して、そこまで登ってみると、その先にまた登りがある。それを何度か繰り返すと、その山の大きさや高さを身を以って体感することになります。ここでは、山田の作品の物量を歩いている脚で体感しているというわけです。
 さて、展示の説明では、山田はStill Lifeのシリーズで静物画の中の瓶や果物といったモチーフをその周囲の空間に融解させ、画面を解体していって、その解体から、画面を新たに組立に向かったのがWorkのシリーズといった位置づけがなされているようです。そうなのでしょうか、私の感じたことは、個人的な感想なので一般化できるかは分かりませんが、これまでの前の展示に対する感想を読んでいただいた方には、薄々と匂わせてきたことですが、山田の作品というのは、何かを描くというものではなくて、描くという行為の結果そこにあるというものではないかと思うのです。Still Lifeというのは静物という対象に興味をもってそれを描いたのではなくて、描いていたのがたまたま静物に見えたという程度のもののように見えます。対象を画面に移すのであれば、その通りに写さなくなるのは解体と言えるでしょうが、もともと、そんなことを気にせずに単に筆で絵具を画面に塗るという作業をすることをしていたということで考えると、解体とか組立とかは、あまり関係ないのではないかと思えるのです。色を塗るのに腕を動かすパターンをどうするかという、そういうことてではないのか、むしろ、その腕を動かすという反復を無尽蔵に繰り返すところに山田という画家の最大の特徴があるのではないかと私には思えるのです。
Yamada2017workb125  例えば、Still Lifeで静物画の中の瓶や果物といったモチーフをその周囲の空間に融解させ、画面を解体というのは、別に譬えれば、言葉が表わしている意味を離れて、言葉の響きだけで文章やメッセージを作ってしまう言葉遊びのようなものではないかと思えるのです。つまり、瓶の形や円形といった形がそれと結びついている瓶とは無関係に使われる、形状の駄洒落のようなものです。駄洒落は言葉の意味のズレで笑いを誘いますが、山田の絵画では、それを反復して単純化していくうちに見る者を唖然とさせる迫力を生み出していく(この形式的に単純化された反復を繰り返すことの特徴については、後で別にお話したいと思います)ものではないかと思います。その点が、例えばピエト・モンドリアンが1910年代の初めに樹木の姿を解体するようにして抽象的な表現を試みていったことや、ピカソやブラックがキュビズムにより形態を分析して解して行った、というように対象を捉えようとした追究とは、まったく違うものだと見えました。モンドリアンの場合であれば樹木の形が段々崩れていくのだけれど、その樹木の幹や枝などといった事物の存在が最後の最後まで残っているのが分かります。モンドリアンの画面が楕円になって、視覚のギャンバスの四隅に白が重ねられてボンヤリとしているのは、事物を写そうとする目が残ってしまうのではないかと思えてくるのです。つまり、あくまでも事物の存在を本質に写そうとして、その挙句に抽象的な表現に至ったというようで、そのプロセスの紆余曲折では事物の形を残す葛藤を隠すことができない。そのひとつが目の形の画面であり、樹のプロポーションが最後の最後まで消えないわけです。
Yamada2017workb134  これに対して、山田の場合には、むしろ静物画の様相のStill Lifeが、筆を動かすパターンの結果として静物の瓶や器が画面に残ったというだけで、それは、Still Lifeの画面の端に描かれた事物が端で描ききれず画面で切れてしまうことが、けっこうあったこと、このようなことは、例えばモランディの静物画では例外的なことです。そういうことから、山田は事物の存在を写すことなど、そもそも志向していなかったと思えるのです。だから、静物からアラベスク模様への移行は筆を動かす縦横の動く腕の道筋が似ているから程度のものだったのではないか。
 実際に、展示されている作品を見てみましょう。Work B125あるいはWork B134といった作品では、ジグソーパズルやゲームソフトのテトリスのような、凹凸形や棒状の矩形やクランク形、カギ括弧などの様々な形で中小のサイズとなって線で囲まれて、面になっていたり、なっていなかったりするのが、交錯するように画面に押し込められて、うごめきあっている。しかも、その面が閉じられていなかったり、形が不定形で上下左右にそれぞれに傾いている。それが、明度のヴァリエーションは狭いながら無数の筆触がほどこされて、何重にも塗り重ねられている。それによって、画面の平面の上下左右、そして画面の塗り重なりによる前後の動勢が感じられてくるのです。それが、賑やかさ、ときにはうるさいほどに感じられてくる。それが、一面に並べられて展示されているときの印象です。
Yamada2017workb136  それが、Work B136では、真ん中あたりの少し大きな方形のような面が、明るくなったり暗くなったり、大きくなったり小さくなったり、派生する矩形を伴ったりして、画面に類似した方形と交錯するようになって、さきの2作品のような渾沌に比べて秩序だってきているのに気づくでしょうか。さまざまな諧調のグレーの線が、ほぼ水平と垂直に引かれて、鈍い黄色やグレーや青に塗られた面と重なり合っています。ここでは、曲線や斜線が少なくなって整理されているかのようです。この秩序のようなことがあって、方形の面が細胞分裂するみたいに、相似形のクローンを派生させているようにも見えます。それは、描いている山田の絵筆の自律的な動きが、そのまま画面に表われているように見えます。2作品では個々の面が個別様々な方向に向けて動こうとしていたのに対して、この作品では、そのような個別性は抑えられて全体性への志向が強くなって、線は曲線や斜線が減り水平と垂直の直線に整理され、面も方形に整理され色や明るさのヴァリエィ゜ションの幅が狭くなってきます。それは画面が全体的なまとまりに向かっているかのようです。
Yamada2017workb169  そして、アラベスク模様が並んでいる中に、突然のようにふっとWork B154の矩形のスタティックな作品が、さりげなく現れます。さりげなくです。最初は、「あれ?」と突然変異のような感じです。しかし、これまでのうるさいような並びの中に、ポッとスタティックなひとつがあるのは、考えてみれば異様です。それが、次の小部屋に移ると、その同心の矩形のスタティックの並びにガラッと変わる。これがすごかった。世界が転換した感じでした。深い緑色に厚く塗られたやや縦長の長方形の中の、紺色の正方形といったように、突然単純な画面構成になって、色合いの対比も単純化されて、鮮明になります。しかし、それだけでなく中心の正方形は藍色の線によって縁取られていて、その縁取りはフリーハンドで、ところどころ藍色がはみ出ていて、藍色の方形と周囲の深緑色を繋げられながも、正方形と長方形の位置関係を曖昧にしています。深緑色の背景と藍色の形が、その接点で、互いの境界を伸長しようとせめぎ合っているようです。これは山田が地上にある形を描くというのではなくて、描かれた形がそう見えるということを示していて。山田は、ここでこれを小出しにすることで、そういう描き方に慣れない人々にも違和感を感じさせず、しかし、その本質を失わない技術を掴んでいったのではないかと思います。そこで、表面的な静けさを得ていったのかもしれない。それがWork B169のような長方形の入れ子のような構成で、褐色の線で区切られ、異なる色で塗り分けられています。また、長方形の入れ子の作品と併行して、太い縦線が引かれたものもえがかれていますが。

2017年8月 6日 (日)

endless 山田正亮の絵画(3)~Still Life〔静物画〕1948~1955

Yamada2017stillife06  初期の仕事ということで、抽象画を制作する前はほとんど静物画ばかりを描いていたようで、しかも、これらの作品は実際の写生ではなくて、記憶で描いたということが会場ガイドで説明されていました。多少の風景画や花を描いたものもありましたが、ほとんどすべてといっていいくらいにテーブルに乗った食器のような器物を描いた作品ばかりでした。それが、受付すぐの「Color」が展示されている壁の先の展示室の両側の壁に横一列でずらっと並んでいる光景は、まずインパクトがありました。この画家の印象として、まず作品の量ということは、この後のWorkのシリーズでもそうですが、量に圧倒されます。これだけの量を、しかも、似たような、というよりも、ほとんど同じモチーフで構成で、それが何十と並んでいるわけです。このひとつひとつの作品をひとりアトリエで、来る日も来る日も飽きもせずに、こつこつと描いていたというわけで、その姿を想像するに、どこか尋常でないものを感じてしまいます。私の常識で言えば、これだけ同じようなことを繰り返していれば、やっているうちに習熟していって、もとこなれてきたり、目先を変えようとしたり、それよりも、別の作品を描いたりしたくなるのではないか。それよりも、これだけたくさん描いていれば、描くことが好きなはずとは思うのです、飽くことなくこれだけの作品を制作しているということは、その内容はどうあれ、好きと言い切れるかは分かりませんが、最低限、本人は苦になっていないからできることではないかと思います。しかし、並べられている作品を眺めていて、歓びとか、楽しさのようなものは伝わってこないのです。何か暗くて、重い。奔放さというよりは抑えられたような感じ。お世辞にも見ていて楽しくなるようなものではありません。
Yamada2017stillife51  それでは、見ていて楽しくならないようなものを、わざわざ入場料を払って見に来た私が変なのかということになってしまいますが、それに対して反論するつもりはありません。多分、最初に述べて、再三触れていることですが、この画家の作品を見るというのは、作品の一点一点を愛でるというのではなくて、単純に、この物量に驚くというところに魅力があるのではないかと思います。つまり、その物量に圧倒されるような空間に身を置くということ、その尋常でない空間を体験するというところに在るような気がしました。それは、作風は全く異なりますが、マーク・ロスコの壁面のような茫洋な作品に、その大きさに圧倒されて、しかも室内で囲まれた空間にいると、非日常的な空気に包まれてしまう感覚に囚われるのと似ているような気がします。ロスコが作品の大きさで、そのような空気を醸り出していたのに対して、山田の場合は作品の数で圧倒する、ということになります。だから、ひとつひとつの作品を鑑賞するというのは、山田の作品の場合は向いていないのではないか、そういう性格を、この展示を見ていて感じました。10年以上も前に府中市美術館の展示で、ずらっと並べられたStill Lifeの作品の数と、変わり映えのしない個々の作品にうんざりしたのは、そういうことだったのかと分かったような気がします。
Yamada2017stillife64  これは、似たような静物画をたくさん残したジョルジョ・モランディの場合と比べると分かってもらえるのではないかと思います。昨年の東京ステーション・ギャラーでのモランディの回顧展では、ギャラリーにモランディの静物画が、今回の山田の場合同じように、似たような静物画ずらっと並べられていました。しかし、その場合には個々の静物の微妙な違いを愛でる見方をしていました。それは、作品の画面の中の瓶や食器の配置や並べ方が変わると、画面が変化する、それで多様な作品世界のヴァリエーションがうまれ、その違いや変化を楽しむというものでした。したがって、展示室全体の空間とか空気などは関係なく、近視眼的に個々の作品の前を移動するような見方をすることになります。同じようなテーブル上の器物を描いた静物画でも、山田とモランディとでは、まったく作品のあり方が異なっていて、作品に対する見る側のスタンスも異なるというのは、私の独断と偏見かもしれませんが、その違いは別のところにも反映していると思います。モランディは、アトリエに静物画の題材である瓶や食器を備えていて、それを実際に並べてみて、様々な配置を試み、それをもとに作品を描いていたそうです。これに対して、山田の静物画は最初のところで引用した解説によれば、写生したものではなくて、記憶によって描いたものだそうです。この違いは、単純化すれば、モランディは対象である静物の配置に変化による見え方のヴァリエーションを画面に写すように描いていたのに対して、山田の場合には、沢山の数の作品を描いた、その描いたのが静物だったということではないかと思います。モランディは何かを描くことが、山田は描くことをすることだったのではないか、ということです。
 さっきも言いましたが、そうは言っても山田の作品には、描く楽しさは伝わってきませんでした。それは、山田が義務感でいやいや描いていたというのではなくて、描くことに敢えて楽しむという理由付けをしなくても、習慣のように自然と描いていたのではないかということです。例えば、食事について、毎日の食事はおいしいにこしたことはありませんが、習慣で食べています。これに対して、外食という、わざわざ出かけて食べに行くというのは、おいしさを求めて食べに行くわけです。山田の場合には、描くということは三度の食事のように習慣化されて、おいしさを求めるため以前に、食べるというところまで血肉化していた、それは凄いことと思います。この場合、後で触れると思いますが、山田の場合には、描くというのは塗るということであったはずです、この描くという行為そのものがまずあったので、何を描くかは、その後に来た。そこでは静物を描きたいという動機ではなく、描くことがあって、その描いたのが静物だったということではないか。
Yamadastil97  山田自身ノートなどからは、戦争で焼かれて廃墟のような世界の中で、歴史とか人のあり方とか、それまであったことが崩壊していく中で、形ある実在を手近に感じることができるのは事物しかなかった、というようなことがうかがえるかのもしれません。例えばこのような言葉です。
 “記憶は時をへて消えさることも可能ですが ものごとの始まりは時間をおいて見なければその位置を意識することはできないでせう 最初の風景 レアリテによる認識 そして静物 死んだ自然 形態 与えられる 色彩 その内部の特質を自分で体験した敗戦直前の直後の空白に在る意味を考へて見て下さい すべてを絵画存在の理由にするわけてはありませんが ひとつの現実であることは確かと云えるかもしれません”
 “私の前に風景はなく、静物しかなかった。絵を描き始めた頃はむろん、絵具も画布も不足し粗悪であったが、描いていること自体幸福な時間であり、状況は概念的にとらえることもできないほど現実的であった。生と死の間を彷徨した病後、いくつかの挫折感を味わうことになったが、形体に対する執着は絵画に接近する度合いをさらに深めることになったようだ。”
 ちょっとエエカッコしすぎではないか、と私には、後付けでつくっているように思えます。それよりも、上で述べたような描く、塗るということに関して、その後には抽象的な作品を量産していきますが、未だ山田はそういうのを知らなかったのか、描く、塗るのに都合の良かったのが静物画だったのではないかと思えてきます。風景とか花とか、他の題材を試して見て、静物画であれば、自宅のアトリエで毎日、習慣のように描く、塗るのに適している。
Yamada2017stillife95  そうして描いて、塗っているうちに、その描く、塗るのにやり易いように、少しずつ手の動きがこなれていく、それに従って描かれる画面が変化する。それは描かれた静物画として言えば、単純な構図は変わらないものの、最初のうちは背景はテーブルがあることを示唆するような水平線があるだけで、その上下が塗りつぶされているだけだったのが、静物の背後に額縁が窓枠のようなL字型の帯が描かれて、その帯に囲い込まれたところは手前のとは別の次元というようになって、ついには、静物と背後の区別そのものが消滅してしまって、同時に静物の輪郭線が画面全体で反復されるように拡散して、それが画面を分割し始めていきます。あるいは、左上の静物画の辺りから、その傾向が見えてきますが、リンゴ(他の作品ではレモンなど)のような果物の輪郭と瓶や壺といった容器の注ぎ口が、円形という形態をしていて同じように描かれていって、それが進むとその円形どうしがまるで交換可能なように画面の中で流通するように相似的になって、ついにはその円形が独立するようになって、画面のそこここに円形が散りばめられるようになっていく。例えば一番下の図像である「Still Life no.95」を見ると、画面全体が様々な明るさの緑、黄土色、茶色、青などの色を塗られた中小の面がパズルを当てはめたように覆い尽くしています。しかも、画面全体には中心がなく並列というのか平面的なバラバラに配置されています。水差し、花瓶、ガラス瓶、皿、シャンパングラス、円形の果物といった、これまでの静物画のモチーフが、不完全な輪郭になっているけれど、これまで描かれてきたパターンをなぞっているので、そういう形態と分かるような輪郭線が、同時に直線や曲線として矩形の場面構成のパーツとしても使われています。また、色塗りされた面としても画面で機能して画面全体の色彩と明暗のバランスを取っています。ここでは、静物の置かれた遠近や、静物の大小がバラバラにされて、画面が平面となって細かな面、例えば近接する静物と静物の間の空間は、もともと狭かったのが、さらに線によって分割されたり、その静物の描かれているのが色面となっていて、その色の明るさや色彩の対照で際立たせられたりしています。しかも、その静物の内部も外部の空間と同じように分割され、対照されています。しかも、その内部と外部を区分する輪郭が不完全になっています。つまり、空間と静物の区分が曖昧になっています。例えば真ん中に見える水差しの左半分は周囲の青や緑の明るさに比べて明るいベージュ色で、左側周辺に空間があるのが分かりますが、右下半分が青く暗くなって陥没しているために、この水差しの総体は両義的な曖昧さのなかに宙吊りされている印象なのです。しかも、この水差しの右外側のグレーの面が明るい部分と暗い部分が交錯していて平面的になっていて、しかも一部がシャンパングラスの面に侵入しています。空間だか静物だか曖昧になっています。そういう部分が画面のいたるところにあります。ここから初期の「Work」はすぐそこのところにいます。それは、描く、塗る作業を繰り返すように続けていく際に、何らかのパターン、これが山田の絵画の場合には形式ということになると思います。その形式を形成していくのに、静物画というシンプルな絵画様式は適していたと思います。それが、こりのように変化していくのは、モランディの場合のように、個々の作品の変化が積み重なっていくので、個々の作品で見ていけるというのとは違って、この展示室の空間のように、一堂に介して圧倒的な物量で囲まれると、その作風の変化は展示されている空間に静かなウェイヴとでもいえばいいのか動きを生むことになります。たぶん、それが先ほど触れた、空間をつくる作家ロスコとの違いです。ロスコの作品にはスタティックな静けさがあります。それが見る者を瞑想に誘うところがあります。よく言われる神秘性もそうところから来ているのでしょう。これに対して山田の場合には、ダイナミックな、もっと猥雑なうるさいほどのエネルギーです。それを生み出しているのが、その変化の動きです。そういう動きを生み出すのは、個々の作品が閉じて完結していないからで、それらについては、この後の展示で見ていきたいと思います。

2017年8月 5日 (土)

endless 山田正亮の絵画(2)~Color 1997~2001

 Yamada2017color1 まず、会場に入るとゲートのようにして壁が作ってあり、その左右に横一列に、およそ60cmくらいのそれほど大きくはないキャンバスの作品が並んでいました。私は、はじめ気がつきませんでした。それほどさりげない感じで、存在を主張していないようでしたからです。というのも、以前に府中市美術館の展覧会のときに見た「Color」が2m近い大きさのものと、もっと大きい見上げるようなものだったインパクトが強く残っていたからでもあります。
しかも、このシリーズの作品は山田の最晩年の作品で、100点以上制作されているはずですが、今回は、この入り口のところに小さい作品が数点展示されているだけです。この後、画家の制作遍歴を追いかけるように作品が展示されていきますが、その最後のところには展示されていなくて、この最初の入り口のところに目立たない形で置かれていました。この展示の仕方には、おそらく何らかの意図てきなものがあると思います。まあ、そんなことを最初から考えてしまうと、作品を見ていけなくなってしまうので、覚えていたら展示の最後のところで、とのことを思い出して考えてみたいと思います。
 「Color 油彩作品の制作年は、画面に塗布されたいくつかの色調が或る様相を現す時期として記述される。
 作品はさらに数色の位置から統一する色彩に収斂されてゆく過程に、概ね、1~2年の時間を要した。その領域は存在についての一形態と重なり、完、未完の意味作用から離れる。」
 本人のノートの言葉らしいのですが、見ていただくと分かるように、単色を一面に塗ったというのではなくて、画面に何層にも色を塗り重ねていったものと思われます、しかも、このノートの言葉によれば、そのために1~2年という時間をかけたということです。塗っては確かめの繰り返しで、画家が納得するまでに、それだけの時間をかけたということでしょうか。それは、作品を見ていると、とくに端部には下層に塗られた色が表われていたりして分かります。塗り方についても、塗りむらを残したりして、単に色を塗ったものではなくて、微妙な陰影(というのか)を作り出しています。おそらく、これは画家が計画したものではなくて、偶然生まれたものではないか、そういうところに身体性とか偶然性が出ていて、山田は、それを取り込んで言ったのではないかと思います。引用した画家の言葉の中に“完、未完の意味作用から離れる”とありましたから、もしかしたら、これらの作品については通常の意味での完成作品という見方は当てはまらないかもしれません。山田は、1~2年という時間に限定することなく、気が向けば、いつでも、これらの上からさらに色を塗り重ねたかもしれません。絶えず生成するというような性格を持たせようとしていたかもしれない、ふと思いました。
 この「Color」のシリーズについては、2005年の府中市美術館で見た際と同じように、私自身の乏しい知識の中でマレーヴィチのシュプレマティスム絵画で真っ黒とか真っ白の方形の作品を思い出しました。10年以上経っても相変わらず進歩がないとは思いますが、山田の「Color」はそれとは、全く異なるものであることは、今回よく分かりました。シュプレマティスムについては、マレーヴィチは「絵画は具体的なものをそれらしく描く、つまり再現することにこだわる限りいつまでも奴隷の状態にある」と考えたそうである。物の効用を考えるとか、物の表面的部分を見るのではなく、そのものの本質を見ること、これが大切であるという。本質を見るということは余分なもの、不純なものを取り除いた「感覚」=「純粋な感覚」の中にあるといいます。マレーヴィチは「シュプレマティスムの名のもとに私が言いたいのは、創造的な芸術においては純粋な感覚だけが、最も良い次元に到達できるものだということです。・・・大切なのは感覚そのものです。そして、それは、感覚を生じさせる環境とは全く切り離されているのです」という。つまり、マレーヴィチの場合には、純粋を突き詰めて不純物を取り除いて抽象的な理念にまで至ってしまうものといえます。マレーヴィチの言葉に「純粋な感覚」とあるのは、現実に感覚することよりも感覚という概念とか理念に近いものになっていると思います。従って、黒一色の方形の画面についても、黒という色について、人が現実に見ている黒という色は不純物が混入していて純粋な黒ではないのです。しかし、マレーヴィチの言葉に従えば、現実名はありえない純粋な黒を求めることになるのではないか。それを突き詰めれば、実際に描くとか、作品という物体を見るということは不純ということになります。そういうところに行き着いてしまう方向性がシュプレマティスムにはあると思います。
 一方、山田の「Color」は一見では単色に塗り込められているようにも見えなくもありませんが、求める方向は純粋とは正反対です。だいたい、この「Color」という作品を見ていて、人というものは云々と言いたくなりますが、綺麗に一様に色が塗られているところよりは、縁のあたりの塗り漏れなのか他の色が現われていたり、何箇所かある塗りむらのようなところで、下に塗られている色が透けて見えていたりするところに視線が行ってしまうものです。おそらく、山田は意図的にそうしていると思われます。当然、これは山田が意識的にやっていることでしょう。このことだけでも、マレーヴィチの純粋な理念を目指すのと全く方向が異なることが分かります。山田のそういうところを、私は塗りむらという言葉でいいましたが、それはマレーヴィチのような純粋さの立場から言うとそういう言葉を使ってしまうので、山田の作品に沿って言えば、塗りむらというマイナスのニュアンスの言葉でない言葉を使うべきなのかもしれません。
 それは、さっきも言いましたが、作品が完成することなく生成過程にあるというスタンスではないか、ということです。そして、そこから見えてくることは、例えば、この作品では、平面として奥行きのような三次元の立体性を放棄してしまっていますが、その代わりに結果として時間を表わしているといえるのではないかということ。つまり、何層にも塗られた色が画面の各処で垣間見せることで、過去の「Color」を想像させると、今見ている作品の表面の下には別の「Color」が表わされている。それを垣間見ることで、複層的にふたつの時期の作品を結果的に見ていることになると思います。また、もしかしたら、その垣間見ている表面はふたつ下かもしれないし、もっと下かもしれない、とすると過去が交錯していることになります。つまり、この「Color」には複数の時間が交錯しながら凝縮して詰め込まれていて、それが、画面の各処に配された綻びのような箇所から見ると、一気に噴出してくる構造になっているといえないでしょうか。私は、その時間を追いかけるのは楽しいと言えます。
また、そのような構造は山田があらかじめ計画したものではあるのかもしれませんが、それ以上に、どのように綻びをつくっていくかは絵筆を持っている手という肉体の即興的な動きに拠るところが大きいのではないか、ということです。そこに肉体的な要素、その肉体が動いているというダイナミックな要素があるということです。
 おっと、入り口にさりげなく展示してあって、私自身最初は見過ごしてしまったような作品について、書きすぎたかもしれません。

2017年8月 4日 (金)

endless 山田正亮の絵画(1)

2017年1月 東京国立近代美術館
Yamada2017pos  都心の用事が思いのほか早く終わったので、近代美術館は5時に閉館となるので30分前に受付すれば間に合うと思い、駆けつけた。地下鉄の竹橋の駅はいつも風が強くて、煽られてしまうほどだが、今日は冬の冷たい風がかなり堪える。駅から堀端を歩くが、いつもは目に付くランナーも、これだけ寒いとほとんどいない。時刻も4時過ぎということで、近代美術館は閑散としていた。近代日本画の大家なんかの企画展であれば、受付やロビーは人ごみとなっているのだが、山田は知名度がないからか、展示会場の入り口が分かり難いところでまよっていたら、わざわざ受付のチケットのもぎりの係りの人が案内してくれた。会場に入ったら人影は皆無。人影は私のほかに美術館の係の人が要所に座っているだけ。区切られた展示室にはいると、座っていた係の人があわてて立ち上がるのが気になってしまう。それほど人影がない。近代美術館の企画展の展示室は広い。そこで見渡す限り係のひとを除いて私一人しかいないという、贅沢といえば贅沢、しかし、なれないせいもあり違和感もなきしもあらず。ひろい室内に私の靴音だけが響いて、普通の革靴なのに、アンプで増幅しているのかと思うほど高く響いている。それだけ静寂ということで、自分の息をする音も響いてしまいそうな環境。そこで見た作品は…。そういう環境、雰囲気もあったと思う。しかし、それだけではなく、そこで見たものは、いや、そこに私がいたところは、異世界とでも言う他ない異様なしかし、ゾクゾクするような、ワクワクするような、一言「スゲエ!」という以外に何も言えないようなものだった。ストライプの画家ということが展覧会のポスターなどにあったが(山田は決してそれだけの画家ではないのだけれど)、そのストライプが半端でなく、広い展示室の壁一面に、遠くから見た限りでは、どれも同じように見えてしまう色違いの細い横線がびっしり引かれただけの作品が数十点並べられていて、それは壮観という他ないのだが、その部屋の真ん中にいて、見渡す限りストライプで、他に誰もいない、私一人だけで、そこで時間が経っていくのを茫然として佇んでいる(こんな空間にいて、一枚一枚作品を鑑賞するなんていうこと、私にはできなかった。こんな空間があったのか、という感じ。そんな落ち着いて、作品に距離を置いて観察するように…そんな心境ではなかった)そこで時間が過ぎていく、これは妄想なのだろうけれど、普通じゃない空間が、そこにあったと思う。いつもと違って、かなり混乱した書き方で。実際の作品のこととか、何も分からなく、情緒的な印象をおしゃべりしてしまっていることも、私自身いつもはないことという自覚もある。
Yamadatenrankai  山田正亮の回顧展は2005年の府中市美術館で見たので2回目で、初めての画家というわけではないのだけれど、しかしかといって好きな画家にも入ってはこないが、気になる画家ではあった。しかし、この展覧会は、以前に見た時の印象を覆すものだった。(その時の印象は別のところに書いたので、こちらを参照いただきたい。)府中市美術館の時は初期の具象的な静物画から形態が崩れて、消失していくまでが多数の作品が展示されていたのと、当時の最新作で「color」のシリーズの巨大な作品が展示されていたのが、今回は初期作品の展示は多くなく、巨大な「color」の作品の展示はなかった。そのかわりに府中市美術館の時に比べてストライプの作品の展示が凄かったのと、その後の作品の展示があったことが大きな違いだった。そのあたり、具体的な展示されているものを語っていくのは、この後で、私自身の印象を、もう少し落ち着いて反芻しながら書いていきたいと思います。
 山田正亮という画家については、以前の府中市美術館の展覧会の感想も参考としていただくといいかもしれませんが、主催者のあいさつの中で紹介されていますので、以下に引用します。
 「山田正亮(1929~2010)は50年以上にもわたってコンスタントに、5,000点を超える絵画作品を制作し続けました。終戦直後の混乱期、生きる指針を求め、「絵画との契約」という独特な思いをもちながら、描くことに身を託したこの画家は、長い不遇の時期にあってもひたすら描き続け、やがて1978年、東京の康画廊での個展で一躍注目を浴びました。1980~90年代を通じ多くの美術館に作品が収蔵されるなど高い評価を受け、生前の2005年には府中市美術館で初期作と近作による個展が開催されています。
 山田正亮の活動は大きく3つの時期に分けられます。活動の初期、1948年から1955年までには、画家自身が「記憶から描いた」と述べている静物画Still Lifeのシリーズが描かれています。瓶や果物など個別の要素は年を経るごとに徐々に解体され、まわりの空間と溶け合っていきます。そして、背景と事物が一体化した1956年、山田正亮の仕事の格といえるWorkのシリーズが始まります。このシリーズの作品のすべてには、1950年代ではWork B、1960年代ではWork Cというように年代を表わすアルファベットを付し、そのあとに通し番号をふる、機械的なタイトルが与えられています。Workのシリーズは、ストライプやクロス(十字架)といった直線的なモチーフに基づきながら、1990年代のWork Fにいたるまで間断なく継続されました。1995年、山田正亮はWorkのシリーズに自ら終止符を打ちますが、その2年後の1997年、画面をほぼ一色で塗り込めるColorのシリーズによって制作が再開され、2001年まで続いてきました。」
 展覧会チラシの説明は、もう少し主体的に、この画家に対するスタンスが表われていますので、こちらも参考に
 もし仮にいきるということが、つきつめると起きて食べ寝ることの繰り返しであるならば、画家山田正亮(1929~2010)は、「絵画と契約する」ことによって、生きることに絵を描く営みをも加えてしまった人間です。50年以上ものあいだ、絶え間なく描き続けられた絵画作品の数は、ほぼ5,000点。彼は世俗や流行に背を向け、誰かにおもねることもなく、東京の郊外に構えたアトリエで、ひとりで制作を続けたのです。(中略)
 山田正亮の一点一点の作品は、常に熟練の技巧によって丹念に描きこまれた高質なものですが、その一方で彼は、自らの全作品をひとかたまりのものとしてとらえ、その全体の持続と整合性こそがまるでひとつの作品であるというような独特な姿勢を保ち続けました。それは、一見すると作者の意図の通りに編集された、クールな知的探究のようにも見えます。しかし、50年に及ぶ作家と絵画のやり取りは、実際には決して平坦なものではありえず、掌握しきれない偶然や矛盾、飛躍や相克のドラマに満ちてもいたはずです。作家の没後6年を経て、山田正亮の仕事を鳥瞰できるようになったいま、私たちは、夥しく繁茂する彼の絵画の総体を、作家の色どりある生きざまの発露としてあじわうことができるでしょう。
とこのようなアグレッシヴなメッセージが発せられるのは珍しいことだと思います。いや、展覧会は、本来主催するキュレーターの思いのようなものがあるはずなので、開催すること自体に、作品を選択するに、その人の主体的な選択があるはずなので、このように発信してくれることは大歓迎です。そのように、主催者に書かせてしまう山田の作品群に、そうさせるものがあるということだと思います。
 このチラシの紹介の中で触れられていましたが、山田は“自らの全作品をひとかたまりのものとしてとらえ、その全体の持続と整合性こそがまるでひとつの作品であるというような独特な姿勢”をもっていたといいます。それは、上述のように、私が展示室で感じた異世界に取り残されたような感覚と通じているのではないかと思います。例えば、山田のストライプに似ていると言えるかは議論が分かれるかもしれませんが、直線だけを用いて画面を構成した「コンポジション」という作品をたくさん制作したモンドリアンと比べると、そういう面が際立つのではないかと思います。モンドリアンの「コンポジション」も山田に負けないほど多数になっているはずですが、それを集めて一堂に会して一室の壁にずらっと並べてみて、つまり、この展覧会での山田のストライプ作品「work」を一面に並べたのと同じようにしてみて、果たして異世界に連れて行ってくれるかということを考えてみました。多分、そういうは起こらないのではないか。それが私の結論です。それはモンドリアンの「コンポジション」はひとつひとつの作品が完結しているからです。ひとつひとつの作品が、その中で完結した閉じた世界を形作っていて自立している。それは、他所からの干渉を許さない確固とした世界です。そういう世界が横並びに展示されていても、それぞれの作品が完結しているため、ひとつひとつが独立しているのです。そこで多数の作品が展示されていても、そこには多数の作品が並んでいるということなのです。これに対して、山田の「work」の場合には、モンドリアンの「コンポジション」とは違って、それぞれの作品が完結していないとは言いませんが、並べると相互に干渉し合うようなのです。それぞれの作品が個々に閉じてしまっていないで開いている感じなのです。ある作品の右側にどんなストライプの作品が置かれているかで、その作品の見え方が変わってくる。あるいは、その作品が端にあるか、真ん中で両側に作品が並んでいるかによっても変わる。そしてまた、展示室の向かい側に展示されている作品によっても変わる。そのように、展示されている空間で、それぞれの作品の位置関係や他の作品との関係が網の目のように張り巡らされて、絡み合っている、その関係が全体として、その室内にいる私を取り囲んで迫ってくるそういう空間を作り出しているのです。モンドリアンの作品が「コンポジション」というタイトルで名詞が使われていて、静止しているという物であるのに対して、山田の作品のタイトルは「work」という作品という名詞でもありますが、働くという動詞でもあり、そういう働きかけの意味も含んでいるというのは象徴的なことかもしれません。
Benmond  これでは、印象を情緒的に言葉にしているだけで、実際の作品がどのようなものであるのかが分かりません。このような書き方をしてしまうと山田の個々の作品を取り出して、語ることは無意味のように思われるとしてか、それは誤解です。個々の作品について、語ることはできるし、そういう作品でもあります。ただ、それだけでは終わっていない。それが山田の作品の特徴ではないかということなのです。それを、これから語っていきたいと思います。ただし、全体のマスということが、どうしても入ってくるので、あまり細かくかたることはないかもしれません。いつものように展示の順にしたがっていきたいと思います。さしあたっては、次のような章立てになっています。
  Color 1997~2001
  Still Life〔静物画〕1948~1955
  Chronology〔作品の変遷〕1948~2001
  Work B 1956~1959
  Work C 1960~1969
  Work D 1970~1979
  Work E ,Work F 1980~1995

2017年8月 3日 (木)

『石油の呪い─国家の発展経路はいかに決定されるか』マイケル・ロス

 「芝浜」という落語。立川談志が得意にしていた噺なので、ご存知の人も少なくないと思う。酒に溺れて落ち目になった棒手振りの魚屋が、魚河岸に仕入れに行く途中の芝浜で大金の入った財布を拾う。その金で大宴会を開いて眠ってしまった彼は、目覚めた時に女房から、財布等ないといわれる。そこで追い詰められた彼は、性根を入れ替え、酒を断って正業に励む。その甲斐があって商売が繁盛したある日、女房は、実は財布はあったが隠していたと真実を明かされる。この財布の金に手をつければ、彼は働くことがバカバカしくなって、堕落するだろうから、敢えて嘘をついたのだった。現実に、海外では大型の宝くじに当たって億万長者になった者は、破産して家族離散といったような身を持ち崩すことが多いという。
 これは、個人に限らず、国の経済にも当てはまる。発展途上国で、貴重な天然資源が発見されると、それにより潤沢に資金を確保できて、基幹産業とすることで経済成長に向けて、他国との競争で有利になって社会が向上していくはずなのに、奇妙なことに政治的に有害な結果を導き、歪んだ社会がエスカレートしてしまう。それを「石油の呪い」として分析する。
 例えば、貧しい前近代の社会が経済的に豊かになる時、とくに女性がそうだが家族の生活は劇的に変化する。貧しい途上国(明治期の日本もそうだった)では低廉な労働力を生かした輸出により外貨を蓄積して産業を育成する。その典型が繊維服飾産業だ。そこで活用されるのは地方の若い独身女性だ。ここでは特殊な技能や訓練、あるいは教育を求められない。また多大な筋力も要しない。必要なのは集約的労働のための時間とまとまった人数、統率に従うこと(従順さ、男性のような余計な手間がかからないこと)、そして低賃金。彼女たちは工場での労働を通じて自身を獲得するととともに、家庭の中では作れなかった新しい社会関係を築き、健康や避妊などに関する新しい情報を獲得し、またそれまで従う相手だった男性と交渉する術を学ぶ。若い女性たちから徐々に意識が変わり始める。親は娘たちが家計に貢献することを理解するようになると、学校に通わせるようになる。就学、就労は女性の晩婚化を促し、出産数の低下を招く。こうして家族の人数は減少し、大家族にはならなくなり、核家族に至る。
 教科書のような図式だけれど、しかし、石油資源を手にしたことにより、そういう初期の蓄積を経ないで、経済を作ってしまった社会では、女性を経済的な戦力として参加させる機会を失ってしまう。石油で得た豊富な資金で、労働力のニーズは増えず、しかも賃金は増える。そこで女性は専業主婦として家庭に閉じ込められ、男子の収入は増えるので、家父長制の家族制度は、むしろ強化される。その環境では新たな裾野産業は育ちにくくなり、産業界での新陳代謝は鈍くなり、社会の流動性は減退する。全体として、前近代的な伝統社会が強化されてしまうことになる。それが中東や北アフリカの産油国では、伝統的な部族社会での家父長的な家族が権威を失わない。
 個人でも国でも、地道にコツコツ努力して実績を積み上げていくのが、いいんだよ、という当たり前の処世訓がオチ。

2017年8月 2日 (水)

AIに人間が負けるというのは「能力」の定義が関係する? 続き

 人間の棋士に対してAIが将棋に勝つということは、将棋というゲームの勝ち負けということだけを抽出した純粋状態なおいて、そのための「能力」ということを設定したということだ。しかし、プロの棋士としての本質とは、その一部ではあるかもしれないが、別物であるということ。従って、AIが将棋で棋士に勝つものであるとしても、名人戦のトーナメントを棋士にかわって、AIのトーナメントになることはない。
 おそらく、企業のおれる採用や人事評価のさいにキーとされている「能力」もそのような純粋化されたフィクションを、みんなで信じて、そういうものだとして則っている、と思えるところがある。それは、慥かにフェアであるという外見を保つのに好都合なのだ。例えば、大学の入学試験において問われる学力という能力。これはフェアであるだろうと見えるし、点数化できるので合否の評価判断が容易だ。しかし、どこの大学でも掲げている教育理念では、このような人格を育てるとか教養をもたせるといったことが謳われていて、それは学力をその人の人生のなかでどのように生かしていくかということなのだ。そこで、学力のあるなしは、関係ない。むしろ、理念で考えれば、そういう教育に向いている人をセレクションするほうが本質的で、そのためには、その人がどのような人格形成をしてきたか、によるべきではないか。そのために有効なのは、その人の文化的な背景、例えば出身地、階層、性別、民族、宗教といったこと。つまり、それで選別すると差別になるような要素だ。そして、その内容を効率的に判断する方法として考えられるのはコネ、つまり、その人をよく知っている人で、信用できる人のお墨付きだ。
 それを企業の人事において行うということには、十分合理性はあると思う。本質的でもある。暴論だろうけれど。

2017年8月 1日 (火)

AIに人間が負けるというのは「能力」の定義が関係する?

 チェスや囲碁、将棋でコンピュータが人間のトップ・プレイヤーを破ることが日常化しているが、そのうちAI将棋の開発者は、ディープ・ラーニングは一定の枠内で収集された過去のデータを学習するもので、将棋の過去のデータを学習し、その応用問題を解いているものだという。つまり、従来のパターンのブラッシュ・アップを突き詰めたものだ。
 現在、企業においても、ビッグデータ解析などで効率を高め生産性を上げることはできる。しかし、それは新しい価値や需要を生み出すものではない。例えば、来店客の購買データをAIで解析し、品ぞろえの効率化をしたとする。だが過去の来店客のデータを解析しても、「店に来たことのない客」や「未来の新製品への反応」はわからない。そうである以上、「固定客にもっと買わせる品ぞろえ」はできるだろうが、顧客の新規開拓や、新製品の開発には直結しない。結果的に、需要や価値を新しく生むことにはつながりにくい。過去のデータから、統計的に例外でも重要な事例に着目し、価値を与えることは人間にできても、コンピュータにはできない。
 そこでは、従来からの仕事を続ける、前例通りとか、ことは人はコンピュータに勝てないし、取って替わられるのかもしれない。現在の雰囲気は「AIですごいイノベーションを起こせば逆転満塁ホームランが打てるという青写真を描こうとしている」というものだという人がいるが、そうだと思う。それは、実際には現状の延命に過ぎず、本質的に保守的な姿勢ではないか。
 AIがディープ・ラーニングなどによってビッグデータというような大量のデータを解析して、例えば将棋や囲碁では、人間のトップに打ち勝つようになっている。企業の現場でも、生産性の向上を図るとか、事務系の人員を少なくとも20%は削減できるとか、事業システムの変革が議論されている。
 上のことに関連して、そういうAIが強さを発揮することというのは、企業が従業員に仕事の進め方で推奨するPDCAをまわすことができること、やるべきことを分析して、具体化し、目標を数量化して、段階的に達成を積み上げ、実績は達成度ではかるということではないか。つまり、企業に勤めて仕事を進めている人の大半が、進めている仕事の進め方の姿勢や、それで人事評価なんかをされていることは、AIに、より適していることにはならないか。戯言かもしれないが、人間は、そのAIがまわすPDCAをうまく使うこと、PDCAを回す前段階の新たな価値を生み出すとか、いずれにせよ、そういう枠の外側に位置できるか、ということになるのではないか。
 例えば、将棋の世界で、藤井四段が将棋ソフトの成果をとり入れて定石に全く新しい視点で価値付与をしようとしている。その新しさで先輩棋士に連勝した。
 そう考えると、企業の現場で求められている「能力」という考え方が変化しようとしているような気がする。
 将棋というゲームに勝つ能力では人間よりもAIの方が優れている。棋士というのは、将棋で相手に勝つということをするもの。したがって、将棋に勝つという能力に優れているのであれば、将棋というゲームの世界において、人間の棋士をリストラしてすべてAIに置き換えればいい。それが能力主義ということを論理的に考えればそうなるでしょうが、実際に、将棋の世界ではそうならない。それは、人間の機械に対する差別意識からなのか。これは、企業の現場でもいえる。能力主義とか、能力重視といって、採用や人事評価において、能力だけで評価するということがフェアであるといわれている。しかし、実際に、それだけで評価している企業はないだろう。それは、能力という考え方がそもそもおかしいのではないか。あるいは。能力といって、そこで求める内容が間違っているのではないか。
 例えば、将棋の棋士は将棋というゲームをする。勝つと賞金を得る。それが棋士というプロの生きる糧だ。だから、将棋に勝つことが必須で、そのための能力を磨いている。しかし、このときの能力は十分であって必要ではないのではないか。それは、棋士が得る賞金はどこから来るのか。それは将棋連盟から。その将棋連盟はどこから収入を得ているのかというと、将棋の大会を主催したり後援する新聞、放送、そして企業からの契約金だ。つまり、宣伝なのだ。とどのつまりは、棋士とは企業のサンドイッチマンなのだ。将棋に勝つということは、その宣伝効果、つまりネームバリューの手段ということだ。したがって、棋士にとって必要な能力は、そのサンドイッチマンとしての存在に関わること。極論をいえば、プロの棋士のプロたる由縁は、将棋をすることではなく、将棋により企業の宣伝をすることであるはずなのだ。そして、これはAIにはできない。だから、AIに取って代わられることはありえないのだ。
 そう考えると、企業現場で、いま、能力として求められ評価されていることは、十分でしかないものといえないか。

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