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2017年8月 7日 (月)

endless 山田正亮の絵画(4)~Work B 1956~1959

Yamada2017mond_2  山田は1956年から1995年までの作品にWorkというシリーズ名を与え、そのすべての作品に機械的に番号をふったそうです。このうち、Work Bは1956年から1959までの作品ということです。この後、WorkのシリーズはC、D、E、Fと続いたということです。展示はStill Lifeが広間に一堂に展示されていたのに対して、建物のスペースとレイアウトの都合でしょうか、通路のようなスペースを区切って小部屋にして展示してありました。そのため、Still Lifeや、この後のストライプの作品ように広間にずらっと並べられて物量に圧倒されることはありませんでしたが、通路のような小部屋を経るたびに、この図像にあるようにアラベスク模様のような作品が、ひとつの部屋を通り越しても次の部屋のまたあるという体験をすることができました。小出しにして物量を仄めかされるという体験と言えますか。こういうのは、山歩きするとよくあることなのですが、山を登っていて、上り坂が目の前で切れて、その先の青空がのぞいているのが分かって、これで登りは終わりでと頂上が近いのかと勇躍して、そこまで登ってみると、その先にまた登りがある。それを何度か繰り返すと、その山の大きさや高さを身を以って体感することになります。ここでは、山田の作品の物量を歩いている脚で体感しているというわけです。
 さて、展示の説明では、山田はStill Lifeのシリーズで静物画の中の瓶や果物といったモチーフをその周囲の空間に融解させ、画面を解体していって、その解体から、画面を新たに組立に向かったのがWorkのシリーズといった位置づけがなされているようです。そうなのでしょうか、私の感じたことは、個人的な感想なので一般化できるかは分かりませんが、これまでの前の展示に対する感想を読んでいただいた方には、薄々と匂わせてきたことですが、山田の作品というのは、何かを描くというものではなくて、描くという行為の結果そこにあるというものではないかと思うのです。Still Lifeというのは静物という対象に興味をもってそれを描いたのではなくて、描いていたのがたまたま静物に見えたという程度のもののように見えます。対象を画面に移すのであれば、その通りに写さなくなるのは解体と言えるでしょうが、もともと、そんなことを気にせずに単に筆で絵具を画面に塗るという作業をすることをしていたということで考えると、解体とか組立とかは、あまり関係ないのではないかと思えるのです。色を塗るのに腕を動かすパターンをどうするかという、そういうことてではないのか、むしろ、その腕を動かすという反復を無尽蔵に繰り返すところに山田という画家の最大の特徴があるのではないかと私には思えるのです。
Yamada2017workb125  例えば、Still Lifeで静物画の中の瓶や果物といったモチーフをその周囲の空間に融解させ、画面を解体というのは、別に譬えれば、言葉が表わしている意味を離れて、言葉の響きだけで文章やメッセージを作ってしまう言葉遊びのようなものではないかと思えるのです。つまり、瓶の形や円形といった形がそれと結びついている瓶とは無関係に使われる、形状の駄洒落のようなものです。駄洒落は言葉の意味のズレで笑いを誘いますが、山田の絵画では、それを反復して単純化していくうちに見る者を唖然とさせる迫力を生み出していく(この形式的に単純化された反復を繰り返すことの特徴については、後で別にお話したいと思います)ものではないかと思います。その点が、例えばピエト・モンドリアンが1910年代の初めに樹木の姿を解体するようにして抽象的な表現を試みていったことや、ピカソやブラックがキュビズムにより形態を分析して解して行った、というように対象を捉えようとした追究とは、まったく違うものだと見えました。モンドリアンの場合であれば樹木の形が段々崩れていくのだけれど、その樹木の幹や枝などといった事物の存在が最後の最後まで残っているのが分かります。モンドリアンの画面が楕円になって、視覚のギャンバスの四隅に白が重ねられてボンヤリとしているのは、事物を写そうとする目が残ってしまうのではないかと思えてくるのです。つまり、あくまでも事物の存在を本質に写そうとして、その挙句に抽象的な表現に至ったというようで、そのプロセスの紆余曲折では事物の形を残す葛藤を隠すことができない。そのひとつが目の形の画面であり、樹のプロポーションが最後の最後まで消えないわけです。
Yamada2017workb134  これに対して、山田の場合には、むしろ静物画の様相のStill Lifeが、筆を動かすパターンの結果として静物の瓶や器が画面に残ったというだけで、それは、Still Lifeの画面の端に描かれた事物が端で描ききれず画面で切れてしまうことが、けっこうあったこと、このようなことは、例えばモランディの静物画では例外的なことです。そういうことから、山田は事物の存在を写すことなど、そもそも志向していなかったと思えるのです。だから、静物からアラベスク模様への移行は筆を動かす縦横の動く腕の道筋が似ているから程度のものだったのではないか。
 実際に、展示されている作品を見てみましょう。Work B125あるいはWork B134といった作品では、ジグソーパズルやゲームソフトのテトリスのような、凹凸形や棒状の矩形やクランク形、カギ括弧などの様々な形で中小のサイズとなって線で囲まれて、面になっていたり、なっていなかったりするのが、交錯するように画面に押し込められて、うごめきあっている。しかも、その面が閉じられていなかったり、形が不定形で上下左右にそれぞれに傾いている。それが、明度のヴァリエーションは狭いながら無数の筆触がほどこされて、何重にも塗り重ねられている。それによって、画面の平面の上下左右、そして画面の塗り重なりによる前後の動勢が感じられてくるのです。それが、賑やかさ、ときにはうるさいほどに感じられてくる。それが、一面に並べられて展示されているときの印象です。
Yamada2017workb136  それが、Work B136では、真ん中あたりの少し大きな方形のような面が、明るくなったり暗くなったり、大きくなったり小さくなったり、派生する矩形を伴ったりして、画面に類似した方形と交錯するようになって、さきの2作品のような渾沌に比べて秩序だってきているのに気づくでしょうか。さまざまな諧調のグレーの線が、ほぼ水平と垂直に引かれて、鈍い黄色やグレーや青に塗られた面と重なり合っています。ここでは、曲線や斜線が少なくなって整理されているかのようです。この秩序のようなことがあって、方形の面が細胞分裂するみたいに、相似形のクローンを派生させているようにも見えます。それは、描いている山田の絵筆の自律的な動きが、そのまま画面に表われているように見えます。2作品では個々の面が個別様々な方向に向けて動こうとしていたのに対して、この作品では、そのような個別性は抑えられて全体性への志向が強くなって、線は曲線や斜線が減り水平と垂直の直線に整理され、面も方形に整理され色や明るさのヴァリエィ゜ションの幅が狭くなってきます。それは画面が全体的なまとまりに向かっているかのようです。
Yamada2017workb169  そして、アラベスク模様が並んでいる中に、突然のようにふっとWork B154の矩形のスタティックな作品が、さりげなく現れます。さりげなくです。最初は、「あれ?」と突然変異のような感じです。しかし、これまでのうるさいような並びの中に、ポッとスタティックなひとつがあるのは、考えてみれば異様です。それが、次の小部屋に移ると、その同心の矩形のスタティックの並びにガラッと変わる。これがすごかった。世界が転換した感じでした。深い緑色に厚く塗られたやや縦長の長方形の中の、紺色の正方形といったように、突然単純な画面構成になって、色合いの対比も単純化されて、鮮明になります。しかし、それだけでなく中心の正方形は藍色の線によって縁取られていて、その縁取りはフリーハンドで、ところどころ藍色がはみ出ていて、藍色の方形と周囲の深緑色を繋げられながも、正方形と長方形の位置関係を曖昧にしています。深緑色の背景と藍色の形が、その接点で、互いの境界を伸長しようとせめぎ合っているようです。これは山田が地上にある形を描くというのではなくて、描かれた形がそう見えるということを示していて。山田は、ここでこれを小出しにすることで、そういう描き方に慣れない人々にも違和感を感じさせず、しかし、その本質を失わない技術を掴んでいったのではないかと思います。そこで、表面的な静けさを得ていったのかもしれない。それがWork B169のような長方形の入れ子のような構成で、褐色の線で区切られ、異なる色で塗り分けられています。また、長方形の入れ子の作品と併行して、太い縦線が引かれたものもえがかれていますが。

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