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2017年9月18日 (月)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(2)

第1章 分岐問題

ここでは、これまで自由意志/決定論の対立として論じられてきた問題を、自由とは何かという議論をいったん保留し、諸可能性からの現実の選択という形態、それが分岐問題ですが、として議論を始めます。結論として、この分岐問題への返答は二つに絞られます。諸可能性の分岐そのものを消去し、歴史は実在としてだけでなく可能性としても単一であるとするか(単線的決定論)、説明不能な偶然を認め、それによってのみ諸可能性の選択はなされる、というどちらかです。前者の返答は法則的決定論の正否とは独立なものです。他方、偶然の承認は分岐問題への一種の降伏を意味します。興味深いのはこの二つの返答がともに、諸可能性の一つを現実化する要因を世界から消去するということです。これを無自由と、著者は呼びます。

1.導入

人は、日常の生活においても、何かを行動する時には、その決定をする。しかし、その決断をした瞬間を特定することはできない、と著者はいいます。例えば風邪をひいて病院に行くかどうか迷っている時には、症状はどのくらい重いか、スケジュールは空いているか、評判の良い病院はあるかといったこと等のいろいろな事柄がでてきますが、最終的にどの時点で、何を重視して決断したのかはハッキリしません。どんなに強い思いをこめて、病院に行くと宣言しても、どんなに深く考えて病院に行くべきだと判断しても、結局は病院に行かないかもしれません。

 

2.問題の構造

著者は、この決断のときは選択の時でもあるとして、樹形図を考えます。たとえば、歴史の可能性は樹形図として表現できるといいます。過去から未来に向かって枝が分岐していく形。その樹形図のどの地点から身とも過去の歴史はひと通りですが、未来の歴史は枝分かれのように分岐していくつもあります。そこで人間は決断をすることによって、このたくさんの可能性の枝から、ただ一つの現実にとる枝を選択してくというように見えます。

そこで著者は問いかける。それは本当だろうか。もし人間の決断によって枝が選ばれたのだとしたら、その決断は樹形図のどこにあるのでしょうか。

前章の例を振り返ってみましょう。私が病院に行ったのは、熱が39度を超えたから。体温計を見た瞬間、私は病院に行く決断をして、その後すぐに家を出た。まさにその瞬間が病院に行く歴史が選択された。こうして見ると、体温計を見た瞬間が、決断の瞬間で、この瞬間が、病院に行く歴史と行かない歴史の分岐点に当たるということになるでしょうか。

しかし、この考えは、実は上手くいかないのです。枝分かれしたどちらの歴史にも、分岐点が含まれているからです。決断という分岐点は歴史Aとは繋がっていても、歴史Bには繋がらないはずです。しかし、「病院に行く」という歴史Aと「病院に行かない」という歴史Bはどらも、それらの歴史の分岐点を歴史の一部として共有しています。だから、この分岐点上での決断によって歴史Bではなく、歴史Aに進むことはありえないということになります。

分岐点上のすべての出来事は両方の歴史に存在していることになります。「決断Xによって病院に行った」「決断Xなしには病院に行かなかった」このようなことが可能になるのは、決断Xが分岐点よりも後に、つまり歴史Aのほうだけに存在する場合となります。ところがこの場合には、決断Xは歴史の選択に関わっていないことになります。なぜなら、決断Xが実現したのは、歴史Aがすでに選ばれた後だったからです。

歴史の分岐という考えは謎めいたものだす。それが分岐であるからには、分岐後のどの未来から見ても、分岐点までの歴史は同一のはずです。しかし同一の歴史から、いったい何を根拠にしてその後の歴史が選ばれるのでしょうか。無根拠な歴史の選択は、選択というより偶然に過ぎないのではないか。だが決断のような狭義の根拠は分裂後の歴史にしか見当たりません。しかもそれは歴史を選ぶものではありません。それでは人間は、どのようにして歴史を選択するのでしょうか。

この問題は、一般的なもので、決断Xの代わりに任意の出来事Xを置いても、同じ問題が発生します。出来事Xが分岐点上にあるなら、出来事Xによって歴史Aが選ばれたということはできないでしょう。なぜなら、その出来事Xは歴史Bにも含まれるものだからです。そして出来事Xが分岐点より後にあるとしても、出来事Xによって歴史Aが選ばれたとはいえません。出来事Xは、すでに歴史Aが選ばれた後に起こったのですから。

分岐点での歴史選択の問題は、意思決定の場面に限らず、可能的な歴史が選ばれるあらゆる場面で発生します。著者は、これを分岐問題と呼びます。

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