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2017年9月12日 (火)

倫理はエゴイズム?

 人を害してはいけない、殺してはいけないといったようなルールに従うとか、倫理的でいるということの動機として、私が、そうであろうとすることからスタートして、みんなもそうだというように考えると、その動機には、私が害されないためというエゴイズムが見えてくる。私が、他人を害さない、殺さない、というのは、私が他人を害したり殺したりすることができるのに、私の意志であえて、そうしないということは、そこには自由があって、そこであえて倫理的であることを選択したということだ。しかし、これを正しいことだからと、他人に求めた場合、私を含めた他人が人を害さないという場合、私自身の身を守ることが目的でもある。そして、それを他人に求める場合には、正しいこと、倫理だから守らねばならないということになって、私自身の身を守るという自己保存の動機を隠すことができる。そして、私を害した、あるいは害しようとした他人を糾弾しようとして、私の個人的な怒りの発露を倫理というタテマエで正しいことをしていることにすることができる。
 おかしな議論に見えるかもしれないが、結果的に、誰もが他人を害することはないし、殺すこともないという社会は安全で安心して暮らせる社会だろう。しかし、他人を害してはならない、殺してはいけないという社会は安全を強制される社会。実際に、違いはないように見えるかもしれない。
 しかし、ことの内容の善悪とか正邪を別に措いて、現在の東アジアの情勢について、孤立した国、あるいは指導者に周りの国々が寄ってたかって正しさを押し付けている、と外形上は、そういう構造に見える。これと同じ構造を、日本の1930年代に見てしまうのだ。当時の日本の指導者というのは、フランクリン・ルーズベルトなどからは現在の金正恩と同じように見えていたのではないか。いわゆるABCD包囲網は、現在の経済制裁と同じようではないだろうか(だから戦前の日本を正当化しようと考える人は論理的に北朝鮮の現在を認めざるを得ないはずだ)。その90年前の日本が行き着いた先は真珠湾攻撃だったのは歴史の教訓。あのとき、どうして戦争を避けられなかったのか、といことについて散々分析や検証が行われてきたものを、教訓として、生かすべき時ではないのか。
 この国は正しくないことをしているというのは簡単で、周囲の国は正しいから制裁することができる、ということだ。ただ、私たちは北朝鮮ではない側にいるということ。どっちが正しいとか正しくないとは、こっちの側で言っていること。
 だからといって、北朝鮮に妥協しろというのではない。生産性のない戯言ではあるのだけれど

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少し違うような気がしますが、うまくいえません。

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