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2017年9月26日 (火)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(8)

8.解決

分岐問題の解決として、最も簡明な答えは、可能性自体を消してしまうことだ。可能性というものがそもそもン意なら、可能性からの選択もありえなくなります。この場合可能性とは、人間の─言語によって作られた─錯覚ということになるてしょう。一方、実像としての世界は、単線的決定論に従うものになります。

他の解決として、確率が世界の実在的なあり方に関わっているならば、答えは二つに絞られます。説明不可能な偶然を認めるか、多世界説を認めるかのどちらかです。前者は分岐問題に対し、「選択はたしかになされるのであるが、どのようになされるかの答えはない」と応じ、後者は「可能的なすべての世界、それぞれが単線的決定論に従う、選択のなされない世界である」と応じます。

前節での表現によれば、以上の解決は、次のようにまとめられます。錯覚としての可能性理解は、「あるのにない」ものとしての可能性を消去し、それを単に「ない」ものにする。多世界説の承認は、「あるのにない」ものとしての可能性を消去し、それを単に「ある」ものにする。この二つの「解決」がともに単線的決定論に至るものです。

そして説明不可能な偶然の承認は、「あるのにない」ものとしての可能性を説明不可能なままに残す。ここではいわば。説明しないことが唯一の説明なのです。

著者は、これらの解決は十分には見えないといいます。それをこれから探していくことになります。

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