無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(4) | トップページ | 青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(6) »

2017年9月23日 (土)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(5)

5.多世界説

将来を確率的法則で見ていく場合、九鬼周蔵の言うように、偶然性を解明の対象とならない予見として可能性から除外することで確率論的な科学は可能になります。このことは、自然現象や人の性格について、確率的法則が多くを教えてくれる事実と矛盾しないし、ある一度限りの諸可能性の選択が偶然によってなされること、その選択の結果が、事前の事柄と何らかの整合性をもつことと矛盾しません。分岐問題における偶然とは、一回ごとの選択の無根拠さをもちながら、法則性や整合性をもち得るものであり、たんなるでたらめとは異なるものです。

確率的法則を世界の実在的なあり方として、分岐問題への返答を考えてみると、二通りの返答が考えられます。第一に、確率的な出来事の生起は偶然によるものであり、いかにして一つの可能性が選ばれるかは説明不可能である、というものです。ここで言われる偶然とは一回ごとの生成における無根拠な選択のことです。分岐問題は、確率因果でも単称因果にかかわります。一回ごとの生成に関しては説明のできない選択が残る。つまり、そのケースの各選択肢にいかなる確率付与がなされたとしても、ある一回の選択においてはどの選択もなされうるのであり、実際になされた選択に関してもその理由を述べることができない、というものです。

第二に、可能性としての歴史はすべて実在するというものです。著者はこれを「多世界説」と呼びます。多世界説では、樹形図に描かれた歴史は、どれも同等に実在するのです。つまり、可能性の樹形図は実在の樹形図ということになってしまうのです。先の病院に行くかどうかという例で考えるなら、歴史Aと歴史Bはともに実在し、歴史Aは病院に行っている私が、歴史Bには病院に行っていない私が存在しています。多世界説が多々思惟のなら分岐問題は成立しません。分岐点においてどちらかの歴史を選択する必要がなくなるからです。

それでも分岐点での選択を考えてみると、歴史Aと歴史Bがそれぞれ実在するならば、樹形図ではなくて、歴史Aと歴史Bは一本の直線がある点で二又に分岐するのではなくて、はじめから二つの直線であらほされるべきです。樹形図において1本の線に見えているところは共有部分で、歴史Aと歴史Bの内容の重複部分と考えられます。そこでは、性質的な内容は一致しても、個別的な実在としては別々のものです。だかに分岐点において突然、歴史が分岐したのではないし、たった今が二つの分裂したのではありません。歴史は独立に二つあり、今の独立に二つあるねということです、

分岐点において歴史が分裂すると考えるなら、それはどういうことなのだろうか。全体が複数化するということなのでしょうか。

時間を樹形図で表現するときには、それは時間が樹形図のようであるということを表わしているはずです。しかし、樹形図というのは、空間的な一定方向へ樹形となっていることを表わしているものです。右の方向が未来の時間的方向として理解されている場合に、それは時間の樹形図であると認められる。それは、樹形であるとは別に、空間のどの方向を時間的な方向とみなすかということが見られるのです。著者は時間の矢という言い方をしていますが、樹形図には、この単線の時間の矢があるので、それを見て時間の分裂を考えるといいます。今という時間が分裂するという発想は時間が単線の矢のようであるということが前提されている。そこでは、分裂を意味づけるためには分裂しない今があることが必要です。つまり、最初から分裂していては分裂できないのです。歴史Aに進んだ今と歴史Bに進んだ今が分裂後もともに未来に進むのは、この分裂しない今の単線の進行が必要です。

その意味で今は分裂しません。歴史は分節するが、今は分裂しない、という折衷案は役に立ちません。この場合、どちらか一方の歴史のみに今が進む理由を明らかにしなければならなくなるからです。したがって、多世界説を採ることで分岐問題を回避しながら、なおかつ歴史の実在的分裂を認めることは、混乱を生むだけだということが明らかになりました。そこで、樹形図に固執することなく、時間や今の複数化を問題として直視すべきです。そのためには、歴史Aと歴史Bが別々の矢印である図にしたがって、考えるべきということになりそうです。二つの歴史は、因果的な断絶にとどきらず、時間的にも断絶しています。にもかかわらず歴史Aと歴史Bが重複部分をもつのは、時間的な重複性によってではなく内容的な重複性─歴史内容の性質的な同一性─によってです。

« 青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(4) | トップページ | 青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(6) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(5):

« 青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(4) | トップページ | 青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(6) »