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2017年10月

2017年10月31日 (火)

三浦瑠璃、猪瀬直樹「国民国家のリアリズム」

「国民国家のリアリズム」という本を読みました。

日米安保体制が成立した1950年頃は冷戦体制において日本を資本主義の工場とし、反共の砦とするアメリカの世界戦略の一環だった。その下で、日本は軽武装で浮いた労力とコストを経済成長に集中して復興、繁栄することができた。しかし、ソ連崩壊により冷戦はおわり、アメリカの戦略の転換により、日本が安保体制で守ってもらうためにそれまでなかった条件(日本の負担)をクリアするために憲法を改定する(名目は日本の自立だったり自主憲法だったり)。これに対して、アメリカの傘の下で、世界中の紛争や事態を他人事として遠ざけた安全地帯にいて、そこでの平和は貴重だとしてその体制を維持するための憲法に(平和主義とか戦争をしたくないという名目で)しがみつく。こういう神学論争をたたかわせている。両者とも、実質的には日本がアメリカの傘の下で守ってもらうという点では表裏一体の関係にあるのではないか。

実際のところ、その議論にかまけていて、現実にしわよせがくるのは自衛隊という中途半端に組織ではないかという。例えば、軍隊ではないので衛生兵が現場で治療行為をすることができない。それは医師法違反で、災害救助のさいにも、包帯を巻くといった傷の手当くらいしかできない。また、軍法会議もないので海外への出動の際に武器を使用した場合に正当防衛かどうかの判断をするシステムがない(日本の裁判所には対応能力がない)。安保の議論を名目でなくて、実際的なことに政治家は真剣にとりあげようとしていない、と指摘する。そもそも、軍隊として認められていない自衛隊は、軍隊ではないので、形式的には警察や海上保安庁とおなじように文官という身分でシビリアン・コントロールの対象にならない。これって、私もおかしいと思う。

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(4)

第五節 「八月革命」と「国民主権主義」

日本国憲法の制定時に、当時の東大法学部の憲法学の担当教授であった宮沢俊義によって「八月革命」説が展開されました。八月革命説とは、日本がポツダム宣言を受諾した際に、「天皇が神意にもとづいて日本を統治する」天皇制の神権主義から国民主権主義への転換という根本建前の変転としての革命がおこったという説です。この革命があったということにして、彼は日本国憲法の樹立が可能になったといいます。

しかし、革命ということは、そういうことなのでしょうか。宮沢は「法律学的意味で革命」が起こったという説明が、日本国憲法成立の法理のために必要だという、あとづけの説明ストーリーのような話です。しかし、彼の弟子にあたる憲法学者たちは、これを強く支持しました。

現実には、日本国憲法は、大日本帝国憲法73条の改正手続によって制定されたもので、国民にとっては、憲法制定によって、国民が主権者となったことを知った、いわば八月革命説と逆です。また、ポツダム宣言やアメリカ政府の見解では、無条件降伏した日本に対して、占領軍の連合国最高司令官が、国民の自由意志に従った政体を決めていった、ということで、これとも八月革命説は食い違っています。

宮沢の師にあたる美濃部達吉は、ポツダム宣言受諾が「憲法をも超越した絶対の拘束力」を発揮し、国民に新憲法制定の権力を与えたのは、「憲法違反の革命的行為で、戦敗国として戦勝国の要求に応ずる為」であったと解説しました。つまり、戦争に負けて占領されたのだから仕方がないという事実を認めたわけです。

その後、八月革命説は東大法学部の憲法学者たちに受け継がれていきます。その特徴としてあげられるのは表面的には「憲法改正限界説」を守るものでした。憲法は自らの全面改正を許すものではないので、革命という手続を経ることで可能になったという説明です。しかし、より重要なのは、アメリカによって作られた憲法は無効だという主張に対して、日本国憲法は革命によってつくられた自律的なものだという根拠になりえたというとです。併せて、日米安全保障条約といったアメリカの影を憲法制定の後付けの付属物として取り扱うことを可能にしたということなのです。つまり、八月革命というのは、日本国民が自らの意思で自らの手によって作ったものだ(決してアメリカ人がアメリカの憲法を押し付けたものではない)という物語を確立させるために必要な措置だったというわけです。それゆえに、数十年にわたって宮沢を含む憲法学者たちが憲法典を知的作業の拠り所とすることができたのです。著者は、この八月革命物語の政治的動機こそが、今日にまで至る70年以上もの間、日本の憲法学者が日米安全保障体制の問題と決して折り合いをつけることが出来ない状態に陥った事情を如実に説明する、と言います。

このことは、主権者である国民の権力を制限する立憲主義という転倒したテーゼを、むしろ憲法学者が生み出したのではないか、と著者は指摘します。

選挙についての妄言

有権者は政策には関心がない。地方では人物重視、都市部ではイメージだけの争い。そうなると政治家は全員個人商店になる。そのような現代日本社会の選挙においては、政党は重要でない。

その場合、与党だけが組織として持続可能となる。政権交代を目指す野党は組織としては存続し得えない。なぜなら、選挙に負けた場合、次の選挙まで野党の落選した候補者は、普通は無職で次の選挙まで地道に選挙のための活動を日々続ける必要がある。事務所を借りて、秘書を雇って、家族も養わないといけない。とにかく当選するまであらゆる手段を使って、なんとか生活していかなくてはならない。だから、次回の選挙では是が非でも当選しなければならない。

このとき、日本の政党はあまり助けにならない。金銭的援助がないだけでなく、当選するためには、上述したように個人で、野党のその選挙区の一国一城の主として奮闘しなければならない。しかし、実は城はなく、兵糧もない。政党の評判、イメージが有権者の間で悪ければ、そんな助けにならない党にとどまる意味はないどころか、足かせになる。そこで、風を求めて、政党を移ったり、作ったりすることになる。それが、あっけなく民進党が分解した構造的な原因だ。

与党の自民党は別格として、政党として組織がしっかりしていて、このような人を曲りなりにもサポートして、忠誠心を持てているのは公明党と共産党くらいしかない。

そこで、政権選択という議論には、実体が伴わない。むしろ、政党という組織が実質的に成り立ちえないようになってきている状態で、従来の選挙という制度自体の是非が議論する必要があるのでは

2017年10月30日 (月)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(3)

第三節 「抵抗の憲法学」と権力制限する主権者「国民」

戦後の日本の憲法学界は、この点では戦前の国家観を引き継ぐような、国家の三要素の存在を通説として保持し続けています。しかも、そのひとつが統治権であることが常識として定着しています。ところが、この三要素については憲法典を含めて法律で明記されていません。憲法学者が自分たちで作り上げたものと著者は指摘します。

実定法として国家の成立要件を定めた根拠として、国際法では1933年のモンテビドオ条約があります。そこでは、三つではなく四つの要が定められています。住民、領土、政府、他国との関係を持つ能力の四つです。ところが日本では、国家の三要素となって、政府と他国との関係を持つ能力を合体させた上で主権と言い換えてしまっています。ある憲法学者が執筆した憲法の教科書では、絶対王政によって国家が確立された「領域的支配権」が確立されて、「領土、国民、統治権(主権)」の三要素を持つ国家が生み出されるようになったと断言しています。これらの要素が憲法典に記述がないのは、「憲法の前提ではあるが、憲法のなかで確認するには必ずしも適さない」からだと注釈されています。国家の三要素とは、憲法学者だけが知る「社会的意味での国家」の「歴史的成立」の物語の産物であり、憲法学者だけが知っている憲法の条規を超えた不文の憲法原理なのだと著者は言います。

一方で、この教科書は、国家をヨーロッパ絶対王政と結びつけながら、絶対君主の権力を制限する努力の中から立憲主義が生まれたと説明します。国家はヨーロッパ絶対王政の産物であり、憲法は市民革命の産物です。このような憲法学では立憲主義は戦時(危機の時代)に立ち現れ、平時では隠れています。立憲主義とは権力制限のことだと定義され、市民革命の追求とでも言うべきものとして描かれています。しかし、立憲主義は危機の時代に限られたものでなく、平時の社会秩序の仕組みにも反映されていなくてはなりません、このような矛盾を内包した憲法学は、戦時中の苦い経験を経て国家との関係は錯綜したものとなります。心情的に戦時中の国家統制による弾圧への反動などから、日本の憲法学は「抵抗の憲法学」とも評される特性をもっていて、革命への憧憬を持ち続けていたという側面を指摘します。

憲法学者にとっては抵抗の対象として国家を見ることになってしまいます。かれらの見たい国家というのは絶対王政から続く統治権を本質要素とする権力機構です。彼らの立憲主義が、その国家への抵抗として生きてくるのは、国民が国家に対して革命を起こし、憲法によって国家を制限するというものだからです。前章で説明された憲法の教科書における国家の定義や自衛権は、この抵抗の対象としての国家像としては、たいへん都合の良いものです。憲法によって制限されるために、国家というのは原初的、つまり憲法に先立って絶対的なものとしてに存在していて、それを憲法を作ることによって縛りをかけるということになるのです。それが立憲主義の存在理由なのです。

もともと、自衛権は国際法上の概念です。だから憲法では言及されないのですが、憲法学者は立憲主義のもとで、それを独自に読み替えた、つまり、都合よく利用したのです。

従って、安保法制の議論において、憲法学者も内閣法制局も、その主張は真っ向から対立しているように見えますが、その議論のベースである国家や自衛権とはどのようなものかということは、共通の基盤の上に立っている。つまりは、表裏の関係にあると言えるのです。

 

第四節 日本国憲法と「国民」の登場

「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その権利は国民がこれを享受する」というのは日本国憲法の前文の一部ですが、当初、GHQから英文で示された段階では、「国民」は「人民(people)」でした。アメリカ民主主義の「人民の人民による人民のための政治」の「人民」でした。それが、憲法においては「国民」にすり替わってしまっています。

当時、天皇は国民に含まれるのかどうかということが大問題になり、憲法担当国務大臣が、主権は天皇を含む国民全体にあり、主権は従来から国民全体にあって新憲法でも変化はなく、国体は変化しないと発言しました。このとき、「人民」という言葉が使われていたら、このような発言はできなかったでしょう。「人民」ではなく、「国民」という言葉になったのは、天皇制への配慮と、「人民」という言葉が左翼的なニュアンスの強かったためと言われています。

憲法学者たちには、アメリカの「人民(people)」への理解が欠落していたということも原因していると著者は指摘します。憲法学者たちが勉強した大陸法の伝統とは別種のイギリスの名誉革命期のジョン・ロックによって簡明に表わされた人民は、フランス革命の国民とは違います。イギリスを源とする立憲主義は、チェック・アンド・バランスの国家構成原理ですが、具体的には、政府と人民の二重の最高権力の、どちらか一方が真の権力者というのではなく、複数の最高権力で機能を分けて、それらを意識的に調和させたというものです。そのあらわれがイギリスの混合王政やアメリカの地方分権です。それを日本の憲法学者はフランス国民国家のような鋳型に当てはめて、不十分と決め付けてしまいました。そこで、「人民」より「国民」の方が進んでいると解釈してしまったというわけです。

斉藤章佳「男が痴漢になる理由」

斉藤章佳「男が痴漢になる理由」を読みました。

全部と言いえないが、多くの痴漢は一種の依存症で、“いじめ”とよく似ている。痴漢をする人は、変態性欲の持ち主や性的な欲求不満のたまった人というより、むしろ、逮捕者の最大公約数は「四大卒で会社勤めをする、働きざかりの既婚者男性」つまり、どこにでもいる普通の男性だという。それは、きっかけがあれば、男性なら誰でも痴漢の常習者になる、という。

では、きっかけとは何かといえばストレスだという。勤勉で、ストレスを抱えながらも熱心にコツコツ仕事をするような真面目な男性で、その一方何らかの劣等感を抱えていて自己肯定感が低い人は人間関係が不器用で、ストレスを抱え込んで発散できず、それを誰かに相談できず、しまいには孤立化し、自暴自棄に陥る。その時に、自分より弱い存在を支配したり、押さえつけたりすることで、自分を取り戻す。痴漢は、自分より弱い存在として女性を捉え、いやがることをして、追い詰め、傷つけ、征服し、その結果として優越感を得る。職場や家庭で抑えつけられていると感じている者にとって計り知れない刺激だ。それでストレスは吹っ飛んでしまう。これは“いじめ”のおこる構造とそっくりだと著者はいう。

このように女性を弱い存在とみてしまう。それは男性は女性より上位に立つ存在という深層意識がある。いま、そんなことを口に出すのものはいない。しかし、弱っている時に心の底の本音が出てくる。その本音を作っているのは、日本が、じつのところそういう社会だから、ということも大きく要因している。痴漢の被害者である女性が泣き寝入りしてしまうことに、強い問題意識が社会で共有されていないのがそのあらわれだという。

“いじめ”の加害者がいじめたことを忘れてしまい加害者意識を持っていないのに、被害者は傷つき、トラウマとして一生傷を抱えたり、自殺してしまうことと、痴漢の加害者と被害者との関係はそっくりだ。痴漢の加害者は女性を被害者と考えないという。そこに性的なものは成立しないだろう。

これを読むと、私にも痴漢の常習者に陥る危険に、常に晒されていると、怖ろしくなるほどだ。ただし、痴漢は依存症という見方を過大にすると、すべてが病気のせいとなって被害者は救われないことになるだろう。痴漢が生まれるのは社会の男尊女卑の度合いを量るものさしであるというと、日本という社会の状態が恥ずかしくなる。

 

2017年10月29日 (日)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(2)

第1章 自衛権を持っているのは誰なのか?─1945年8月革命と憲法学出生の秘密

第一節 「自衛権」の憲法論への侵入

日本国憲法の制定時には、憲法学者も政府も「自衛権の発動としての戦争」も否定していました。それが1950年の朝鮮戦争の際に警察予備隊の創設が占領軍に指示され、そこから憲法第九条は自衛権を否定していないと政府が解釈を変えていくことになります。憲法学者たちも次第に自衛権の留保を通説としていくようになります。その際に、憲法典に明記されていない推論を手掛かりに、自衛権の歯止めをどうするかの捻出に頭を絞るようになりました。そこで政府が「必要にして最低限の自衛力」ということを言い出します。それが高じて「最低限とは個別的自衛権で、集団的自衛権は最低限ではない」という派生的解釈を生んでいくことになります。これを政府見解容認の憲法学者たちは、この議論を受け入れていきました。しかし、かれらが受け入れる根拠には、いくつかのパターンがあります。

第一の流れは、日本国憲法に内在する論理に反映させて、正当化するというものです。つまり、憲法11条の基本的人権及び13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が、権利享受に必要な環境の整備が憲法によって根拠づけられている、と論ずる方法です。武力攻撃などで基本的人権や幸福追求権が侵害されている状況であれば、政府は積極的な施策を取って状況を改善する義務を負う。というものです。社会契約説によれば、政府は人々の安全を確保する責務を負っています。人々は、自分たち野安全をよりよく守るために信託して政府を設立したという考え方です。その一環として自衛権かある。日本国憲法前文において登場する「信託」概念は、この意味での立憲主義を示しています。政府が信託を受けて行使する自衛権は、憲法11条、13条などとの関連で、その根拠および範囲が設定されるべきものだと著者はいいます。ところが、内閣法制局も、日本の憲法学者も、この考え方をとらないようで、擬人法を多用し、国家法人説を導入して、自衛権などの議論につなげようとします。言ってみれば、国家の自己保存件としての「自衛権」の正当化といえるもので、国民を守るために政府が取る措置を正当化するのではなく、国家あるいは国民が自分自身を守るために取る措置を正当化する概念構成に依拠しているものです。国家が自己保存する権利があって、それが個別的自衛権で、自分が自分自身を守るという国家の自己保存の権利まで憲法は否定していないはず、という論理です。その反面、他者を守る権利を自衛権というわけにはいかなくなるので、個別的自衛権という概念が出てくることになる。

つまり、この立場では、人々と政府との信託関係といったものは度外視されていて、社会契約説に根ざした伝統的な意味での立憲主義は忘れ去れて、ひたすら真の国民主義、国家主義が追求されている、と著者は言います。これは、ドイツ/フランス流の国家法人説および国民主権論を基礎にして憲法の条規をこえた「不文の憲法原理」を中心におく憲法論です。

 

第二節 ドイツ国法学と日本の憲法学、そして内閣法制局

内閣法制局の推論は、国際政治学からみると、国内社会における自然人と、国際社会における国家とを、類似関係に置いて国家の自然権などを説くことは、「国内的類推」と呼ばれ、警戒すべき俗説とされています。自然人と国家は異なり、国内社会秩序と国際社会秩序は異なります。それらを混同しているというのです。国際法においても、国家を正面から擬人化する論調は通説となってはいません。

国家が自衛権を持つという思考はドイツ国法学に特徴的なものです。もともと、大日本帝国憲法がプロシャの憲法をお手本にして作られたことと関連して、戦前の日本の憲法学は東大法学部を頂点とし、ドイツ国法学の影響の下にありました。しかも、内閣法制局の官僚たちの大半は東大法学部の出身者でした。19世紀以前のドイツでは主権をはじめとする国家的な権能は国王という自然人に依拠していました。それに対して国家を一つの法人と見立てる法理論は、ナショナリズムの勃興と経済成長を背景にした近代的なドイツ統一国家に向けたものでした。

天皇機関説で有名な憲法学者美濃部達吉は、ドイツ国法学の権威であったゲオルグ・イェリネックの強い影響を受けていたことで知られていました。イェリネックは、国家の法学的説明としては、「権利主体として国家を把握すること」が最も妥当であると主張しました。「このような集合的統一体は人間個人に劣らず権利主体としての能力をもつ」のであり、「この実体が法秩序が結び付けられる実在」として主張しました。美濃部の天皇機関説は、このような国家法人説から導き出されたものと言えます。美濃部によれば、国民、領土、統治組織の三要件からなる国家は、ひとつの法人として捉えられます。イェリネックによれば、自衛権とは、このような「権利主体としての国家」の基本権ということになります。「総体とその成員の保護、それに加えて、外的侵害に対する自己の領土の防衛は、もっぱら国家に属する。この活動と、これに対応する目的は、国家には、そのもっとも未発達の形態においてすら決して欠けることはなかった」とイェリネックは言います。国家とは独自の権能を独立した法人格を持つ存在であり、それは国内社会における自然人と同じです。このようにイェリネックたちのドイツ国法学の影響が、自衛権を国家の基本権と見なす傾向を強めました。これによって、日本の憲法学者たちが、自衛権は、「伝統的に国家固有の権利」であり、「自然法上の自己保存件として説かれ」てきたと説明するようになりました。

一方、国際法学者もドイツ国法学の強い影響をうけた立作太郎が東大法学部の教授を勤めていました。彼の著作において、国家を美濃部と同じように定義しています。その国家が持つ基本的権利義務について、「国際法規上…、当然に国際法の主体たる国家の法人格に随伴し、他の権利義務関係の基礎となるべき権利義務を以って、国家の基本的権利」と称し、「国際法上の人格権と称する」こともできると言います。そのような国家の基本的権利のひとつとして自衛権及緊急状態行為をあげます。「危害が急迫なる緊急の場合に於て、危害を去るに必要なる行為を行ひ、危害に対して自衛上必要なる処置を行ふは、権利行為として之を認めねばならぬ。是れ狭義の自衛権又は正当防衛である」といいます。

このような二人の法学者がほぼ同時期の東大で講座を担当していたとき学んだ人々が歴代の内閣法制局の長官となっていました。

2017年10月28日 (土)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(1)

序章 日本の国家体制と安保法制

著者は、本書は2015年の安保法制をめぐる安倍政権が提起した議論を契機に執筆されたものといいます。著者の立場は安保法制に反対しているわけではないが日本国憲法には国際協調主義が基本精神としてあって、それを蔑ろにすべきでない、というものだと思います。著者は言います。“残念なことに、日本にはまだ積極的に国際の平和と安全に貢献していくほどの準備がない。心の準備がなく、人的資源の準備がなく、大々的な制度の準備に進んでいく機運もない。憲法制定以降、日本は、国際的な平和に貢献していくことを目指してきたはずだ。だが歩みは遅く、違う方向に進んでいるようにすら見える。”

第一節 集団的自衛権をめぐる議論に課せられた歴史的挑戦

本書は、安保法制をめぐる議論の中でも中心的な課題である集団的自衛権に焦点を当てる。その際に、単純な概念整理に留めることなく、憲法第九条との関連で検討するといいます。憲法では集団的自衛権の禁止を明文で規定していませんが、違憲とされています。そう考えられている筋道があって、それを日本の戦後史の中のいくつかの政治的分岐点での言説を拾い上げながら検討していくことを目的とするといいます。その論点の要点を最初に列記します。

その第一は擬人的に語られる「国家」あるいは「国民」という自衛権の主体の問題です。1950年代に政府は、本来は国際法上の概念である自衛権を憲法解釈論に導入し、そこから集団的自衛権を除外するという二段構えの議論を進めました。そこにある構造的な事情として、日本国憲法における「国民」の登場が原因しているといいます。これによって国家を擬人化し、自分で自分を守る権利としての(個別的)自衛権という極度に抽象化された議論が公式解釈となり、国際協調主義の精神が議論されなくなっていった。

第二に、日本が主権回復を果たしたときに設定された国際的安全保障の制度的枠組みが、憲法以外の事情として処理されてしまったという問題です。日本国憲法は戦後日本の主権回復以前に制定されてしまったという時期的な理由から、主権回復の際にサンフランシスコ湖講和条約及び日米安全保障条約が伴ったということから本来であれば、これらは憲法の一部となるべきものであるはずが、憲法外の出来事として扱われてしまった。

第三に、最低限の自衛権という憲法典の条文を超えた概念設定です。自衛隊の創設以降に主張された、憲法で禁止されていない戦力保持があるという第九条第二項解釈が、いつの間にか「最低限の自衛のための戦力なら合憲だ」という特殊な解釈を生み出してしまったという問題です。この最低限であるかという議論が個別か集団かという議論になっていったということです。

これらの概念での問題に対して、政治情勢の変転の影響も忘れることはできません。特に重要なのは、「軽武装・経済成長」という「吉田ドクトリン」が日本を繁栄させたという神話です。極東における軍事欄略のため、そして日本の軍国主義化と共産主義化を防ぐため、アメリカは沖縄を中心とする日本国内の基地の存続を望みました。日本の歴代内閣は、アメリカの意向を逆手に取り、アメリカの安全保障の傘を確保した上で、経済成長に専心して実利を得る外交戦略を実践しようとしました。1960年代前半までの日本政府は、一貫して自衛隊の海外派遣は憲法上許されないとしながら、集団的自衛権それ自体は違憲とは言っていませんでした。しかし、沖縄の返還によりベトナム戦争で米軍基地から爆撃機が出撃しているのに対して、日米安保体制を維持するために、政府は一歩踏み込んだ説明のために集団的自衛権の行使ではないと強調することになりました。ここではじめて集団的自衛権の行使は違憲であるという解釈が定式化していくことになりました。

 

第二節 日本の国家体制と安全保障

日本は戦争に敗北し、武装解除された後、占領統治下で、戦争放棄・戦力不保持をうたった憲法を制定しました。主権回復にあたっては日米安全保障条約を結び、米軍を駐留させる体制となりました。つまり、表の看板として憲法第九条の平和主義と、裏の基盤として日米同盟によって成立するという不整合な均衡を抱えていました。

そのため、日本は実質的に自国の政府だけで国民を守る仕組みをとっていない国になったわけで、自国の安全をアメリカという他の国に委ねることになったわけです。一方、アメリカにとって在日米軍は、アメリカの軍事戦略において重要な軍事拠点であると同時に、日本が単一の軍事大国として台頭することを防ぐ二重の効果も発揮しているというものです。憲法第九条と日米安保を基軸とする国家体制は、東アジアの国際秩序の構造とも結びついたことにより、ひっそう深い安定性を保ってきました。

これは、戦後の冷戦時代の産物であり、冷戦終結後の時代状況において存続させるためには、再調整は不可避でありました。そのひとつが安保法制ということになります。

 

第三節 憲法学者と安保法制

安保法制の議論では、ほとんどの憲法学者が違憲と見なしました。しかし、憲法第九条について、多くの憲法学者が思い入れを強く持っている問題である一方で、専門的な研究が深められてきたのか、例えば、過去に日本政府が示したことのない議論が含まれているのに対して、精緻な検討が行われたのかというと、反安保の空気や思い入れに流されてしまったのではないか、と著者は言います。この後、代表的な憲法学者の議論を概観していきます。

2017年10月26日 (木)

知の受け方

テストで好成績をとるのと、実践で利用するのとでは同じ情報でも、目の付け所が違うと思う。教科書のポイントを暗記するのか、それをスタートにして枝葉をひろげるのかだ。そういう秀才タイプだろう人と、共に講習会を受けた時に、配布されたレジュメ(パワーポイントをプリントしたもの)を、その人はマーカーでポイントの言葉をマークしていた。しかし、書き込みやメモなどは一切なし。講師は補足説明をけっこうしゃべっていた。例えば、実例とか例外的な事項とか。後で、講習の内容について話したけれど、マークされていたような重要と思われる事項は、レジュメの言葉そのままにひととおり正確に頭に入っていたたいだけれど、それ以外のことはバッサリ切り捨てられていた。効率的だと感心した。しかし、その切り捨てた事例とか、枝葉の事項は、それを自社に状況にもってきて実践するときに、予想外の障害が発生したりするときに役立つものだというのは、私の実践の経験。だから、一緒に受講したレジュメには、ページによって差があるが書き込みをしていた。これを自分でやる場合は、どうなるのか考えながら、話をきいていた。そのかわり、マーカーは使わなかったし、講義されていた事項の説明の言葉は頭に残っていない。それは必要があればレジュメ見ればいい。これでは、この講義について、習得度テストでもやったら、秀才タイプはいい点数をとっただろうし、私は散々な結果になるだろう。学校の授業を受ける人は、この秀才氏のようなのが理想的なんだろうと思う。でもね・・・これは、個人的偏見(僻み)・・・。そういえば、私はマーカーというものを使わない。

無知の知 考 その3

ギリシャ哲学というと、ソクラテス、プラトン、アリストテレスばかりが取り上げられる。当時のソフィストというディベートやプレゼンのテクニックを追求する人たちに対して、その内容の方に目を向けさせたのがソクラテスで、他の2人はその志を引き継いだのが哲学というストーリーが、そこにある。不思議なことに、そのソフィストたち、プロタゴラスやゴルギアスといった人々、また、この3人の前でも後でも哲学者はいた(ピュタゴラス、パルメニデス、プロティノス)のに、その人たちの著作は断片しか残されていないし、それも発掘されたもの。これに対して、プラトンは主要な著作の大半が残されているし、アリストテレスも残された著作は多く、イスラムを経由して近代ヨーロッパに伝えられた。

そこで、ソクラテスは、本人が著作をしなかったが、プラトンやクセノフォンといった後代の人々が在りし日のソクラテスの姿を著した。それをソクラテス文学という。そのように、この3人は物語がつくられ、それは実証主義的な学問の目でみると歪みがつくられたのかもしれないが、そこから西洋哲学はスタートしているのではないか、という。

例えば、「無知の知」だ。無知とは知をもっていないということだ、そのないということを持っているというのは、なんじゃこれという矛盾ではないか。無知ということを知っているということは、無知をしらない人もいるということで、知らないということを知識として知っている。つまり、知らないということはどういうことかを、知っている。ということは、無知を知らない人は自分が無知であるかどうかを判断できないが、知っている人は判断できるということだ。そんなことは、現実にできっこない、できるとすれば全知全能の神様ぐらいだ。したがって、キリスト教の神学では、神の全能をあらわすものとして、そういうことを言いだす人が出てくる。もし、それを誰か個人、例えばソクラテスが無知を知っているなどというのは、不可能なことを言う傲慢でしかない。

プラトンの「ソクラテスの弁明」は19世紀に再発見されたものだという、そこに、ソクラテスがアテナイ中の知者をまわって、彼らが確かな知をもっていないのに自分は知っていると誤解していることに気づく。そこで、ソクラテスは知ということに対して謙虚になる姿勢、自分は完全には知っていないことを自覚するにいたる。自分が知らないということを自覚することと無知の知とは、同じもののように見えるかもしれないが、実は大きな違いがある。そこに誤解が生じやすくなることになる。むしろ、次のような論語の有名な一節の方が近いのではないか。

子曰く。由よ、汝にこれを知る事を誨えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為す、是知るなり。

 

2017年10月25日 (水)

無知の知 考 その2

「無知の知」という言葉は高校あたりの教科書にも目にしたような記憶があるが、ソクラテスと関係してよく知られた言葉ではないか。しかし、プラトンの著作の中でソクラテスはこの言葉を一言も発していないという。そもそも「無知」というのは何も知らないということで、それに「知」がくっついている、何も知らないことを知っているというのは何か変だ。が、哲学者とか宗教関係が言うと、もっともらしく聞こえてしまって、意味ありげに変化する。何か普通に知っているということより、それでは不十分なのでもっと深く、こっちが真実に知っていることなんだよ、とでも言いたげな深遠な知のようなニュアンス。文献では、「無知の知」という言葉を使ったのは、中世の終わり頃の哲学者ニコラウス・クザーヌス。それが、どうしてかソクラテスの言葉になってしまった。

『ソクラテスの弁明』にも、そのように読むこともできないとはいえない。最高の知者という神託をうけて、ソクラテスはアテナスの知者を訪ねてまわって、その人たちが実はよく知らないということに気づく、というのが、そもそもの発端。でも、の後をよく読めば、本当はよく知らないのに、すべて知っていると過信して、知ろうとしない傲慢さ怠慢さを戒めているようなことは分かる。「無知」というと何も知らないということだが、そうではなくて「よく知らない」つまり、「すべて知っているのではない」という無ではなくて不十分さをソクラテスは言っている。人間が知るということには限界があるということだ。これは、何も哲学に限らず、我々の実感に合致する。例えば、専門的な学問を研究している人であれば、すべてが解明されているなどとは考えないし、知れば知るほど、未知の事柄が新たに増えていく。新しいことを知れば、知らないことが減るはずなのに、却って増えていく。このような、具体的なことに対する知識であれば、私たちだって、友人はAさんを知っているとはいっても、Aさんのすべてを知っているとは思わないだろう。言ってみれば、当たり前のこと。

しかし、その当たり前のことが存外難しい。例えば、私たちは、往々にして恋人のことをすべて知っているかのように行動してしまう。人生を長く生きると世の中のことはだいたい分かっていると思い込む。それに対して、自分の知っていることの限界を自覚するには、知ること以上に知性が問われる。

そのようなソクラテスに従えば、絶対的な善、つまり、誰からみても善であるようなことを知るとは言えないだろう。それは、人間の限界を超えているし、後のキリスト教であれば神の領域だ。おそらく、ここに至って、善のイデアを追究するプラトンとは決定的に対立する。そして、キリスト教とも。

しかし、むしろ、日本的(というものがあるとしてだが)な、ある意味で相対的に考える志向に、意外と親近的なような気がする。

2017年10月24日 (火)

無知の知 考

自分の知っていることの限界を自覚するということは、私は知っているというのは、知識そのものを持っているということはありえず、特定の具体的なことがらの知識ということだ。そうでなければ限界という区分ができない。だから、善ということ、これを仮によいこととか役に立つこととしてみると、個々のその時によって、あることは役立ち、あることは役立たない。また、役立つ人には役立つし、そうでない人には役立たない。つまり、それぞれに善であるということだ。従って、善は個別の具体的事象に限定されて、善と言えることと、そうでないことがある。ここで善を知るということは、そう言えるということだ。だから、どこから見ても善であることは知りえない。

しかし、それでは社会の中で様々な人間関係に対しての、よいこととか役に立つということは追いつかなくなる可能性が高い。社会においては、その時々において、あるいは関係する人々によって、よいこと、役に立つことが様々に変化する。個人と個人の間であれば、その時によいことは、変わらずによいことでありつづける蓋然性が高い。しかし、社会、もっと広げると国家であれば、その時々の状況によって目まぐるしく変化する。例えば、戦争でたくさんの人を殺せば英雄だけれど、平和な時であれば殺人鬼になってしまう。あるいは、団地の自治会で老朽化した建物の維持のために管理費の値上げを提案した場合、それはよいことであるとは限らない。つまり、強硬に反対する者が必ず現れる。その時、このような限界を自覚するような姿勢では、何が善であるかを知る、というより、そもそも知る対象に入ってこない。ソクラテスがアテナイの市民でありながら、市民の義務である政治への参加に消極的であった(それが彼が裁判で告発された理由の一つだ)。

そこには、どうしても個々の具体的な事象を超えた、上から押し付けるような真理が必要なのだ。ルソーが民主制においては多数派の意見とはべつに一般意思があるといったような。そして、やっかいなことに社会の理想とか未来の夢といったことは、そういう超越なしには成り立ちえない。いうなれば、ソクラテスは身の丈を知る堅実で謙虚な姿勢といえるが、大それた夢を描くということはできない。それが、プラトンやアリストテレスには物足りなかったのではないか。

2017年10月23日 (月)

「無知の知」はメタレベルであればこそ

ソクラテス以上の知者はいないという神託を受けて、ソクラテスは、そんなはずはないと、神託の反証を求めてアテナイじゅうの知者を訪ねてまわった。そこで、彼は知者たちが実はよく知らないのに、そうは思っていないことに気づいた。そして、彼は自分が本当はよく知らないということを自覚しているのに、知者たちはそうでない。それがソクラテスと知者たちの違い。そこから、本当はよく知らないのに、すべて知っていると過信して、知ろうとしない傲慢さ怠慢さを戒めているといったような教訓を導くことができる。

このことは、また、アテナイの知者たちは気づかず、ソクラテスが気づいた、その違いはどこにあるのか、ということも考えられるのではないか。もちろん、ソクラテスが最高の知者であって、その他の人はソクラテスほどでもないからだろう。そそういうことではなくて、ソクラテスは自分が知っているかどうか、と自分の知に疑いを持ち、一歩離れて、自分と自分の知を違った視点で、客観的視点で見ようとした。これに対して、他の人たちは自分と自分の知の状態がどのようなのかということを考えるという発想自体がなかった。それは、自分が全て知っているという過信ということだけではなくて、そういうことについて疑ってみるということ自体が存在していなかったということではないのか。すなわち、ソクラテスは知っているということについて、メタレベルで問いかけた、ということではないか。ソクラテスは、その問いを発見した、ということなのだ。

2017年10月22日 (日)

マニュアルは作ることに意味がある?

 哲学書というのは、哲学者がこれまで考えられていなかったことを問い、その問いというのは従来の言葉にはないことであることがおおい。そこでは言葉にならないような形になっていないことを、言葉をつくりながら問いにしていくプロセスで生まれるものであることが多い。だから、哲学書を読むということは、たんにそこに書かれていることを読解するというのではなくて、そこをスタートラインにして自分で考えてみるということがあってはじめて理解が始まる。
 だから、単に書物を適当に読み流すとか、原本に当たらず解説書や入門書だけに頼って理解したような気になるということをすると、その書物が一般にどのように受け容れられているのかという程度の理解の限界を越えることはできない。それにもかかわらず、そういう読み方をした人は書物を理解したと考えてしまう。そう考えることによって、哲学書の内容を明らかにしたのではなく、むしろ隠蔽してしまうことになる。そこで哲学書は矮小化され、縮小再生産されていく。
 これは何も哲学書にかぎったことではなく、本というものには、そういうところがある。それだけではない。企業等の業務マニュアルにも、そういうところがあると思う。マニュアルというのは、単に書かれている文字を読んで、形式的に、その通りに作業をするものにとどまるものではない。それだけでは、縮小再生産に陥る。具体的には、作業を形式的に行うだけで、この行動の意味とか理由といったことなどが消失してしまい、形式化した前例となってしまう。それを防ぐには、マニュアルを読むだけでなく、マニュアルを作った人の作成したことを自分なりに考えて追体験することが必要ではないかと思う。マニュアルというのは、作ってある通りに作業するものではなくて、作業をしている人が自分で作るものではないかということだ。

2017年10月21日 (土)

改革は現状維持?保守主義は現状維持とは違う

 「改革」とか「革命」というと従来の制度や状況をひっくり返してしまうほど大きく変えてしまうことだ。実際にそれが起こったときには、それまで通りの生活ができなくなることもあり得る。それは既得権益とまではいかないかもしれないが、安息だった生活がたちゆかなくなる可能性もある。だから、そういうことは社会の中で恵まれていない階級や集団を代表する政治家によって主張されるのが常だったはず。しかし、政権政党の政治家や都の首長が真っ先に主張する。もし、自身を含めた制度の革命をするとすれば、自身の地位を失うことも含まれることになる。革命の第一歩は政権を変えることであるはずだからだ。それを主張するということは、それは選挙民の人気取りができるからだろう。しかし、政権政党を支持している人々は何かしらの既得権益を有する人々のはずで、革命となれば、その人々の既得権益を否定しかねないはず。それにもかかわらず人気取りになると思われているのは、実は改革とか革命というのが、実のところ現状維持の意味に変質してしまっているからではないかと考えられる。既得権があって現状維持を続けていて、社会の変化から取り残されることになって、それまで手をこまねいて(さぼって)いたとこに、目先を変えて新たな現状維持を提案する。そうすると、人々は一時的な戸惑いはあるが、結果として、おなじような生活を続けられるということになる。
 そんな改革などになるまえに、現状維持に甘んじていないで、絶えず見直していく、そこには既得権益にならないように不断の競争にさらしていく、その典型が市場の自由競争だけれど、そうであれば適者生存で、社会の変化から取り残されることはない。しかし、既得権益を固定化したい人にとっては安心できない日々が続くことになる。それは制度を改革することにはならないが。こういう考え方を保守主義という。これに対して、前者の改革を求めるのは、革命主義とか、革新とか改革派という。近代社会では、現状維持は衰微と同じで、保守主義は社会が進歩しなければならないとうのが原則だからだ。その意味で、日本のいわゆる保守政党が保守主義とは言えないのではないか、と思うことがある。

2017年10月19日 (木)

コンビニのおにぎりは、おにぎりではない?

ひょんなことから、コンビニでおにぎりを買った。おそらく初めてことになると思うが、一般化しているようだけれど、あれを“おにぎり”というのには、大きな違和感を持った。まず、ご飯が変!!一見白いご飯なのだけれど、ご飯の味ではなくて、何か分からない味付けがしてあって気味が悪い。また、おにぎりというだけあって、ギュッとご飯を握って圧縮するからかたくなって歯ごたえがある。圧縮で味が変化する、と思っていた。コンビニで買ったおにぎりは、にぎった形跡がない。掴んでいると形が崩れてしまうフニャフニャさで、おにぎりの味わいがなかった。ご飯の味がなくなって、にぎった味わいになっていない。おにぎりという食べ物の本質的な概念が変質してしまったことを実感した。美味しいとか、不味いという以前の問題。お米がかわいそうだと思った。

2017年10月16日 (月)

選挙雑感

そもそも政治というのは、「折り合い」で、Aという主張とBという主張があって、議論が始まる。その議論の中で、Aの側の人はBの人がなぜBという主張をしているのかを学び、Bを少しずつ理解する。Bの側人もAの主張を学んで、理解する。さらに、AにもBにも与しないCという少数者や少数意見があることを知り、なぜそれが見過ごされていたかも学ぶ。そういう議論を踏まえた上で、現実的な結論をもたらすために多数決をする。そのプロセス、多数決という結果が民主主義なんじゃなく、多数決にいく「途中」が民主主義の本質だ。(小池さんのいうアウフヘーベンというのは、政治の場合、このような議論(熟議)をするということになるのではないか。)

と考えると、相手と自分たちを敵味方に分けて罵り合うような党派的な行動は、民主主義の理想の姿からはほど遠いと思ってもいい。選挙を戦いになぞらえて、敵の大将の首を奪うこと(政権を奪取すること)自体を目的することは、目的と手段の取り違えと考えることは妄想だろうか。

ただ、争点といって対立を煽るのではなく、「人にはいろんな目的があっていい」「社会にもいろんな目的があってしかるべきで、もう少しゆるやかに考えましょう」という多様性を確保する。相手を尊重する。それこそがリベラル(自由)ではないか。多様だからこそ、社会は良い発展を遂げられる。自由な社会ということを、そう考えるのは、世間離れした空論だろうか。表面的にけれど、選挙におけるそれぞれの主張を仄聞していると、あさましいと正直思ってしまい、現実的な対応をいけないときに無責任になってしまうのだろうけれど。

一部の階層とか集団(企業、宗教団体、組合、諸団体、その他それぞれに既得権益をもつ人々)の利益を代弁し、それを政策として発表し、それを実現させる政治をしようとすると、選挙は戦争に例えられるようになり、自分が有利になるために手段を選ばず、フェイク・ニュースの応酬や一票の格差が平等でないということになったりする。

議員が熟議をすれば考えを変える可能性があるし、そうであれば公約はそれほど意味がないから、政策を信任する選挙などは自由でも民主的でもないことになる。そこでできるのは熟議ができる人を選ぶということになるのではないかと思う。

そこでできるのは熟議ができる人を選ぶということになるのではないかと思う。その場合、何を話しているか(政策、政治的主張)ではなくて、いかに話しているか(お仕着せや借り物ではなく、ちゃんと自分の言葉で話すことができる、しかし、そういう人は、ほとんどいないが)をポイントにすることになるのではないかと思う。

2017年10月14日 (土)

「篠田桃紅 昔日の彼方に」展(3)

Shinodaomnipotence  「Omnipotence/無限のちから」という作品です。ほとんど同じパターンの形を「Avanti/さきがけ」に見ることができます。そこでは、書の勢いや墨の濃淡やにじみやかすれといった、結果としてあらわれたものが異なっていることから印象に差異が生まれているように見えます。そして、使っている色の変化が、その効果を補完するように強めていると思います。篠田の最大の特徴は、この差異の味わいにあると思います。あえて抽象的な言葉あそびのように語ることにしますが、篠田のこのような特徴は、正統的な西洋の絵画の伝統から言えば、何も表現しようとしない空虚なものと言われかねません。それが日本という辺境地域の作家であることと、書道という西洋絵画とは異なる伝統を源としている要素があるというコンセプトからのエキゾティシズムが、東洋趣味に起因する特殊なものと、受け取られた。例えば、空虚さは東洋的な禅の「無」とか「わびさび」とでも形容できるような特殊なものとして印象の差異化を作りだした。そのイメージは、筆の勢いや墨の濃淡やにじみやかすれといった伝統的な西洋絵画ではノイズとなるものが、個性をアピールする有効なツールとなっている点がさらにユニークさなった。浅はかで知ったかぶりのコメントかもしれませんが。例えば、ロラン・バルトが『表層の帝国』で俳句を賛美していることとの共通性が、そこにある。もしかしたら、篠田は、それを意識して作品を制作している、というように、私には見えました。それは、何度も繰り返していますが、この人には強い批評性がある、ということです。
Shinodastone  「甃(いし)のうへ」という作品です。三好達治の『測量船』に収められた
  “あはれ花びらながれ
  をみなごに花びらながれ
  をみなごしめやかに語らひあゆみ
  うららかの跫音〔あしおと〕空にながれ
  をりふしに瞳をあげて
  翳〔かげ〕りなきみ寺の春をすぎゆくなり
  み寺の甍〔いらか〕みどりにうるほひ
  廂〔ひさし〕々に
  風鐸〔ふうたく〕のすがたしづかなれば
  ひとりなる
  わが身の影をあゆまする甃〔いし〕のうへ”
 という詩を題材としているというようです。本人は書として書いたのか、絵として描いたのか、そういう区分はしていないでしょうから、おそらく、その境界線にいるというスタンスではないかと思います。べつに、私がジャンルに固執する必要はないのですが、この作品をみようとすると、そのような境界線にいるということ、書でも絵画でもありうるという両者に共通している感覚的な美意識で見てしまうように思います。回りくどい言い方になっていますが、書であれば、書に特有の、書でしかありえないような特化した接し方、同じような絵画特有の接し方で、接しようとすると肩透かしをくってしまう。そのかわりに、新たな接し方を創造したということなのでしょう。例えば、この作品であれば、書かれている文字を私は読むことができませんでした。それは、書においても珍しいことではありませんが、その文字、あるいは文字のあつまった言葉、その言葉の集まった文章を全体として、流れというものがあります。それは、筆の勢いだったり、墨のにじみやかすれでから読み取るわけです。それが全体として、ひとつの流れのように、そこに筆を執って書いている人の、力の入り具合がわかり、そこに、その人の呼吸や気の流れ、身体の緊張などが想像できます。当然、人の呼吸は、波のようにリズムをもって流動するものですが、そのリズムに同化できることによって身体的なリズムで共感することができるわけです。それは、ダンスや音楽に近い感覚です。ところが、私が共感できないのかもしれませんが、この作品には、そういうリズムが聴こえてこないのです。先ほど説明した筆の勢いだったり、墨のにじみやかすれのヴァリエイションは多彩で、それ以外にも、線の太さや濃淡の変化が、字の大きさや形とマッチするように考えられて、組合せの多彩さは、見ていて飽きることがありません。しかし、それらが、ひとつひとつ独立している。言い換えるとバラバラで、全体として流れとなっているようには思えない。一種のパズルのようなのです。しかし、別の見方をすれば、細部をピックアップして、その意匠を吟味する、その細部の感覚は繊細で、美しいと感覚できるように構築されていると思います。その具体的なあらわれとして、一種シンボリックなあらわれですが、線が直線的で、直線の屈曲で字などの形がつくられているのです。曲線の滑らかさは注意深く排除されているように見えます。直線を屈曲させると、区切りをつくり、屈曲点の間は区切りのなかで明確に独立します。従って、明確に整理された構築が細部を見やすくします。そこで、細部に手をかければかけるほど際立たせることができる。その反面、曲線は区切りを生まず、ポイントは流れてしまいます。そのため、区切りは曖昧になります。しかし、そこにシロクロをはっきりつけられない微妙にニュアンスがうまれます。もともと人の身体とは、そういう割り切れないところがあり、それが共感を呼ぶことになるというわけです。だから、作品に対するスタンスとして、身体的に共感して没入するのではなくて、距離を置いて分析的に鑑賞するという接し方に近くなると思います。私には、その距離を、どの程度にとるのがいいのか、ベストポジションを見つけることができませんでした。
Shinodared  「Vermillion Harvestみなぎる朱」という作品です。「Mounment/いしぶみ」が水平の直線のヴァリエイションであれば、この作品は垂直の直線のヴァリエイションです。たしかに、このように並べると、それぞれの線の細部の違いを際立たせることが容易になります。そして、筆による線の太さ、濃淡、にじみ、かすれといった細部は偶然的な要素を加味すれば、ヴァリエイションは無限に近くなります。そこでできたものから、審美的な批評によって選別して作品とする。そうすると、一定水準の作品の量産が可能となる。このような言い方は篠田を貶める言い方と誤解されるかもしれません。しかし、それは可能性をひろげることになるわけです。これは、事実そうであることは違うでしょうが、私が、篠田の作品を見ていると、そのようなストーリーを想像してしまうのです。しかも、そのような捏造したストーリーは、私が篠田の作品から受けるイメージに相応しいものとして、納得する手助けとなるのです。

2017年10月13日 (金)

「篠田桃紅 昔日の彼方に」展(2)

Shinodamounment  「Mounment/いしぶみ」という作品は、展覧会のパンフレットでフィーチャーされている作品です。無造作に左から右に水平に幅広い横帯が引かれています。おそらく、筆で引かれた面で、墨がにじんだり、かすれたりしています。水墨画のようなモノクロームのなかで唯一、真ん中に細い赤い横線が引かれています。それが印象的のようです。しかし、私には、篠田が、このような幅広い横帯を引いたというモティーフで作品を制作したのか、理由が分からないのです。作品表現に関して言葉で論理的に説明できるものではないとは思っています。だから、べつに説明できなくてもいいのですが、篠田がこの作品を制作したということに違和感、とまではいかないまでも、ちぐはぐした感じをもってしまうのです。具体的なあらわれとして、この作品と似たような作品が見つけられないのです。正統的な抽象画家で名の知れた人々を見渡すと、その画家なりのパターンをもっていて、そのパターンを繰り返すようにして似た作品を量産するものです。抽象画というのは、何を描くのかという対象があらかじめ与えられているわけではないので、自分で描くことができるもの、自分の技量を最大限に活かすことができるもの、そういう自分の描く範囲、限界を手探りしながら、描くものや描きたいものを見つけていく。何でも描いていい、というのは、実は何も描けないというところから、描くものを見出していくための、取っ掛かりを何かの偶然に見出して、それを繰り返していくことによって、その方向性で手探りしていくことが、何をみつけだしていく。それが似たような作品をパターンのように制作していくことにあらわれると思います。ところが、今回の展覧会では、篠田の作品には、そういうパターンを見出せませんでした。それは、展示作品数は少ないし、体系的な回顧展のような展示の仕方をしていないようなので、この展覧会での展示を見た印象のみで語っているので、誤解をしているのかもしれないことは、お断りしておきます。
Shinodaflamboyance  「Flamboyance/はなやか」は在原業平の有名な短歌を書いたものです。“ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは”という百人一首にも入っている短歌です。同じ短歌を書いた作品として、「Momiji/もみじ」のほか、いくつか作品が展示されていました。私には、書を見る目がないのかもしれませんが、の二つの作品を見比べて見ると、着せ替え人形のような気がします。それは、短歌を書いた文字(書)はひとつの形のモチーフとして、その色や大きさの変化を与えたり、背景を替えて、その組合せによってヴァリエイションを作り出しているように見えます。これは、私の個人的な見方なのでしょうが、百人一首の人気歌で、知っている人知っているし、比較的よく知られている歌なので、その短歌が書かれていることを知れば、歌の内容や詠み人である業平という歌人、あるいは伊勢物語のエピソード、それを連想させるような舞台装置のような背景の図像から、持っている情報を引き出して、それをもって作品の印象に加えていく。そういう効果を見る人に及ぼすように考えられて画面がデザインされているように見えました。
 少ない作品数でもって即断してしまうのは、誤解の危険が大きいのかもしれませんが、間違っていれば、後で修正すればいいので、敢えて、ここでとりあえず表明しておくことにします。この人の作品は、表層の効果に特化したもので、作者は、ある程度は即興的に制作をして結果オーライで出来上がったものを拾い上げて、その段階で厳しく取捨選択をして、残ったものを作品として残している。そんなようなものに見えました。したがって、この人の作品には、強い批評性、それは対象に対する批評性ではなくて、自身に対する批評性を感じました。それは、この二つの作品の背景の使い方もそうだし、「Mounment/いしぶみ」でもそうなのですが、これを表現したいとか、伝えたいんだというようなオリジナリティというより、それはインパクトと同時に反発をもまぬくものであるわけで、そういうことは避けて、どこかで見たような既視感を覚えるような感じで、抵抗感は大きくないので比較的安心感をもって接していて、その表層での効果を考えて画面を作られている。マーケティングでいえば、全く新たな市場を作るような、強力ではあるがリスクがある製品ではなくて、既存市場において売れ筋とは一線を画すけれど、一定の収益が計算できるニッチでシェアを確保することを目指す、といった性格ではないかという印象です。そこに、篠田という人の批評性があるように思えました。
Shinodamomiji  「Mounment/いしぶみ」では繰り返しの試行錯誤が感じられなくて、「Flamboyance/はなやか」と「Momiji/もみじ」は着せ替え人形のようなパターンの焼き直しというコメントは、矛盾していると受け取られる人も多いのではないかと思いますが、上述の意味合いで考えていただければ、感じ取ってもらえるのではないかと思います。つまり、前者は何を描くかという点のこと、つまり新しい市場を開拓することに関して述べているのに対して、後者は既存市場の中で差異化によりシェアを確保することに関して述べていると理解していただければ、矛盾しているこにはならないのではないか、ということです。

2017年10月12日 (木)

「篠田桃紅 昔日の彼方に」展(1)

2017年5月 菊池寛実記念 智美術館
Shinodapos  欧米と違って、日本人のコレクションは公的な政府や美術館のような団体に寄付されるのではなくて、財団法人を設立して個人美術館をつくることが多いという。東京には、そういう美術館がたくさんある。そういう美術館の傾向として、瀟洒で凝ったデザインの建物で、しゃれたカフェが併設されているという場合が多い。そのうえ、都会の隠れ家でもないが、土地勘のある人でないと分かりづらいようなところにあって、「東京に、こんなところがあった!」とでもいうような意外性を訪れる人に印象付けるようなとろがある。残念だけれど、こういうものは、私には、絵画を見る場合に邪魔になってしょうがない。だから、個人美術館は好きではない。この美術館も、そういうのに典型的にあてはまるものだった。まず、都会に土地勘のない私には、行きにくいことこの上ない。ちょうど昼間で、暑い日だったので、地下鉄の駅から歩いて、何度も道を探して迷った。漸く、玄関にたどり着いた時には、汗をかいていた。
 篠田桃紅という人についての知識も情報も、私は持っていないので、どういう作品を制作しているのかについては、展覧会パンフレットの紹介を引用します。“篠田桃紅氏(1913年~)は書家だあり、また「墨象」と呼ばれる墨の色と線による抽象画によって国際的な評価を受ける芸術家です。幼年時に手ほどきを受けて以来、ほぼ独学で書を学んだ篠田氏は、1956年からの二年間を単身ニューヨークで過ごし、当時先端の美術に刺激を受けつつ、墨による表現を広げていきます。瑞々しく、潤いを感じさせる淡墨から、濃墨の力強い黒、鮮やかな朱や金銀泥など、篠田氏の引く線は豊かな表現を見せ、紙の上に無限の響きを奏でます。日々の心象や思いを筆に託し生み出される作品は、今日まで半世紀を超えて多くの人の心を捉えてきました。”私は、何かの折に、この展覧会のことが紹介されていたのを見て、抽象画のような作品があるので興味を持ったのが動機です。この引用を読む限りでは、この人は、抽象画というような美術史的なアプローチをとっていないので、絵画の伝統とはべつのところがでてきたエキゾティックな要素とか、アウトサイダー・アートのようなニュアンスなのかもしれないと思いました。書家から始まったとも紹介されていましたが、今回展示されている作品を、私は書とは思えなかったので、独学ともありましたが、書とも絵画とも、それらの伝統的な概念とはべつのところで制作をしている人で、たまたま出来上がった作品を現代アートとして発表している、というもののように思えました。別にジャンルに拘るわけではないのですが、私が、この人の作品を見ていて、さきほどもチラッといいましたが、絵画とも書とも見えないので、どのように見ていいのか、そのとっかかりがつかめず、ただ、入場料を払って入館したので、すぐに出て行ってしまうのはもったいないので、もとをとろうと、しばらく館内にいて、作品を眺めていました。

2017年10月11日 (水)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(22)

5.擬人化される脳

この幼児を不自由と見なしうるのは、幼児からすれば超越的な位置にいる自由の担い手、すなわち大人です。幼児を客体と見なす主な理由はその知的能力の低さということなるでしょうが、かといって、幼児は知的能力の低さのみによって不自由なのではないし、幼児と対比された大人も、幼児にはない知的能力をもっていることによって自由なのではありません。幼児と大人を対比するとき、私たちは自らを大人の側に重ねて事情を理解する。そのとき大人の側には知的能力だけでなく、われわれの自由が与えられていて、この付与が幼児にできないことができる大人を、幼児にはない自由を持った大人として理解させるとともに、その自由との対比のもとで、幼児を不自由と見なすことを可能にします。

このとき、私たちはこの大人を擬人化しているということがてきます。これは、通常の意味での擬人化、つまり、人間が持っているある具体的能力を、人間以外の対象に与える擬人化、ではありません。火星人やプログラムを儀人化するとき、われわれは自由とは何かを理解したうえでのその能力をそれらに与えるのではなく、、自由とは何かが分からないままに火星人やプログラムに自由を与える。重要なのは、この意味付与をする視点の位置で、火星人の事例では、その視点は火星人の内部に、プログラムの事例ではプログラムの世界の外部にあります。火星人の事例が超越論敵なのは、視点のこの位置によるものです。われわれ人間は火星人の自由に支配されることによって「本当は不自由」なものとなりますが、しかし火星人の超越的な自由とは何なのかは決して説明されず、われわれはただ、われわれの自由を火星人に譲り渡すことでも超越論的に不自由な存在となるわけです。

これは、日々の生活に直結してきています。というのも、今日の脳科学の発展は、とうにんではなく「脳がさせている」という種類の認識が、あらゆる人間の様々な行為についてあてはまるということなってきています。脳が火星人のような「させる」側のものとして、すなわち操作の主体として擬人化されることで、その支配下にあるすべての人間は「本当は不自由な存在」とみなされるというわけです。重要なのは、そのような脳-人間関係の理解が、火星人やプログラムの事例と同じように─自由とは何なのかの解明を保留したまま進行する点です。脳は、我々を不自由にさせる主体としてのみ、擬人的に自由の側に位置できます。つまり、人間は自らの自由をそれが何なのか不明確なままに脳に比喩的に譲渡するすることにより「不自由」な存在となりますが、この構図はどこまでも、我々人間の側から意味を与えられたのです。脳がわれわれに何かを「させる」ことができるのは、脳を自由の主体として擬人化しうる限りにおいてのことです。その擬人化が終わるとき「させる/される」という観点もまた消えることになります。人間が自ら完全に不自由と見なし、脳に比喩的に譲渡しうる自由がその概念的源泉において枯渇した際には、もはや脳が「させる」側にあることの意味を理解することもなくなるでしょう。

 

6.フランクファート・ケース再考

7.自由とは何だったのか

自由という概念をアマルガム(合金)として、自由のさまざまな成分には人称性が伴い、そのひとつに目を向けると、自由と似ても似つかないものに見えると著者は言います。

著者はアマルガムとしての自由の図式化を試みますが、三種類の人称(一人称、二人称、三人称)を頂点とする三角形です。われわれが自由と呼ぶものは、このそれぞれの頂点から提供された頂点のアマルガムであって、そのうちの単一の頂点からのみ捉えられる者ではないといいます。ここに自由の豊潤さがある反面、不安定な合金としての脆さがある。というのも、各人称の純粋な中間点に我々は立ちことができない、それゆえに我々は随時この三角形のどこか一点を自由としてとりだすほかはないからだ。つまり、われわれは、一人称かニ人称か三人称かのいずれかの場合でしか在ることはないということです。それらから独立した純粋に存在することはないということです。

その詳しい説明を著者は進めていきますが、全体として、自由は、各部分の成分が不均一なアマルガムの総体出合って、自由の成分比率として唯一正しいものはないと言います。そして、その総体としての自由は、不自由と相反するものではなく、(むしろ不自由はその一部である無自由と反する)世界が自由であることは、アマルガム全体の無化を意味する。つまり、われわれが自由であるとは、三角形全体の内部を動き続けることであり、そのどこか特定の一点を、自由として固守することではありません。

人間の経験がいずれかの人称的観点らみに固定されていたら、自由意志論は難問とはならず、そもそもそれほどの形而上学的概念にすることもなかったといいます。しかし、人間の経験は、三つの人称的世界を出入りする形態をとっており、そうした出入りを続ける人間が正常な人間であり、それは反応的態度の実践者でもあるのです。この正常な人間というのは自由な人間ということになります。これは、このような人々の知的能力の高さが自由をもたらすということではなく、このような正常な人間に共通している知的限界である特定の人称的観点のみを徹底することができないことが、無自由ではない、自由の世界の住人にしている、と著者は言います。

 

8.悟りと欺き

ここで述べられていることを知るとは、いったいどういうことだろうか、と著者は最後に問いかけます。それを知ることで、生活に何か変化はあるというのでしょぅか。すなわち、自分が無自由な世界の住人であると知ることによって。

ここで述べられてきたのは、運命の受容の勧めではないし、自由意志を持たない存在としての無我の境地に至ることでもない。そのような悟りへの意図は、無自由な世界に生きる無自由な私にとって無縁のものであり、ここでの議論の精神をその根底において裏切るものだといいます。なぜならそこでは、私は自由ではないと知ることで何らかの救いを得ようとする自由が、まさに私の自由として用いられているからです。

 

2017年10月10日 (火)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(21)

4.なぜ道徳的であるべきか

一般に倫理は一人称的観点から基礎付けられている。この私が倫理的でなければならない理由の探求から、すべての人々が倫理的であるべき理由を得ようとしている。現実問題として、私以外のすべての人々が倫理的であってほしい理由は、第一にほかならぬ私が害されないためだろう。そして、私的な反応的態度としての怒りを公的な道徳的態度に結びつけることで、私を害した人物を他の多くの人々ともに糾弾できる状況を得ることができる。しかし、これは利己主義そのものだろう。そこで倫理的な基礎付けでは見えなくされる

なぜ道徳的でなければならないか、という問いに対しては、人間一般が道徳性を持つことが、人間一般にとって高利性を持つという議論がある。しかし、これでは人間一般ではなく、私が道徳的でなければならない理由にはなりません。これに対して、著者は二つの答えを提示します。道徳的になるか否かを自由に選択できる私は、すでに二人称化された私であり、他者から見た他者なのであるから、人間一般が道徳的であるべき理由と同じ理由のもとで、道徳的であるべきだ、というものです。この答えは、私もまた社会的存在であるから他者のことを考慮すべきだ、といった答えとは微妙に異なります。私が私を自由と見なす以上、私が他者から道徳性を求められる主体(他者から見た他者)であることを、私はすでに知っており、だからこそ私は私を自由と見なしえた、という点こそが重要です。この点をおさえた後でなら、「私が道徳的であるべきことは知っているが、しかし、道徳的判断を他の価値判断よりつねに優先すべき理由はない」と考えることはできるし、そのようなことは私以外の他者にもできる。

そして、もう一つの答えは、複雑なものとなります。「なぜ私は道徳的でなければならないか」という表現で問われているのは、この、内側のない、まったく一般性を持たない存在である私がなぜ道徳的であるべきか、ということです。したがって、人間一般が道徳的でなければならない理由は答えにはなりません。そこで、私たちは、次のようにして分岐問題と再び向き合うことになります。

内側のないものとしての私は、ある時間のある場所の身体を中心に、すべてをあからさまにして「立ち現れ」ています。心の隠された面などは、そこにはありません。「私の心のすべてを私が知っているわけではない」と答えるのは、私を二人称化し、私の言動・思考の系列に合理的な解釈を与えようとするときです。すなわち、自由な私がなぜあんなことをしたのかが私には分からず、その理由は私にも隠された私の内面にあると答えたときのように。しかし、わたしのそのような二人称化を経ることなく、「立ち現れ」るものをただ眺めるかぎり、すべてはありのままにある。

このような私の内側のなさは、現実性、そして現在性、つまり今であること、と重なります。現実における現在はすべてありのままにあり、その背後には何もありません。分岐問題をやり過ごすために選択の起点を隠す場所はありません。これは時間分岐図での主体の定位と現実の現在の形而上学的な定位の違いを読み取ることができます。他者=主体=自由が時間の影響であるとかれば、私=現実=現在は時間の核です。前者は後者によって開かれた時間分岐図への寄生物ですが、その寄生物の力がなければ、私は自由な主体にかれません。

内側のない私が、可能性の時間分岐において特定の方向に進むべき理由があるのだろうか。現実における現在をその私と重ね見るとき、道徳的理由であれ他の理由であれ、未来選択の理由はありません。「なぜ私は道徳的でなければならないか」という問いが、内側のない私の次元にて受け止められたとき、その意味での私は無自由であって、選択肢を自分で「選ぶ」ことはありません。この現実の歴史における私が道徳的な人間であったなら私は道徳的であろうし、不道徳な人間であったなら私は不道徳ということになるでしょう。

まったく当然のことながら、この次元における私が道徳的であるべき理由は存在しません。その私はもう主体ではなく、自由と不自由の埒外にいます。それは、道徳への自由も不道徳への自由ももたず、より正確に言えば、道徳への不自由や不道徳への不自由も持ちません。内側がないとはそういうことで、自由とは他者のことであねとは、ここでの叙述の反転したものです。

もし子どもが「なぜ悪いことをしてはならないか」を聞いてきたら、その子どもが、自分は悪いことをすることもしないこともできると考えて、その意味で当人を自由と見なしているのであれば、もはや、このような問いを実践的に問わないはずです。実践的な問いとなりうるのは、ある特定の行為が悪いか否かであり、そして、ある観点における悪と別の観点における悪(例えば公共的な損害と私的な損害)のどちらを避けるべきかというようなものです。この領域を超えて「なぜ悪いことをしてはならないか」と問うのは、なぜ私を自由と見なさなければならないのかを問うことであり、そこに答えるべき答えはありません。

2017年10月 9日 (月)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(20)

3.二人称の自由

決定論内部で峻別可能な「できる」「できない」の区別があったとしても、その区別をただちに「自由」「不自由」の区別に置き換える議論には、他者への反応的態度に導くものが介在しなければ成立し得ない、と著者は言います。

著者は、他者が他者であること自体に求めます。それは、他者の人称的な不可視性に反応的態度への誘因に見出されます。この実践上の反応的態度とは、自分自身や見知らぬ他者を含めた主体一般への態度であると同時に、何よりも目の前の特定の他者への態度です。それが道徳的態度に移行するには主体の一般化が不可欠です。つまり、他者にとっての他者としての自分や、まったく私と接点のない不特定の他者をも含めた主体に対する反応的態度を育てることで自責や公憤ということが生じると著者は言います。この反応的態度源泉はあくまでも目の前の具体的な他者であり、それこそが第一義の主体です。この観点に立つとき、私自身や見知らぬ他者といった主体は、事後的に構成された抽象物としての主体ということになります。

雪や金魚や文房具に対しては怒りを抱くことはないけれど、われわれは他者という対象に対しては怒りを持つのは、その対象に対する最上級の存在論的承認ということができます。人々がしばしば、無視されるよりは憎まれることをむしろ望むというのは、そこに理由があるということでしょう。その一連の過程は、不可視な内側があるものとしての他者の承認です。その承認は、単なる物体としての身体運動を自由意志に身体運動に変えるのです。

同じことは私についても当てはまります。ある一人称主体としての「私」が私自身を自由と見なすとき、つまりは、私が私のある行為を自由意志によるものであったと理解するとき、私は私を他者としているわけです。他者にとっての他者であるものとして、私を見ているというわけです。ここでは、私が私を他者として見ることで、自由意志の非存在を不可視とする領域を確保できる点が重要です。

私が私の一人称経験のみを見る限り、そこに不可視のものはありません。私が他者に腹を立てるのは、何か観察可能な立腹すべき事実があることに加えて、人称的に不可視な領域(内面)があり、そこに立腹すべき事実、例えば悪意による行為選択を想像するからではないかと考えられます。そうであるなら、自由意志というのは、本質的に二人称的なものであり、二人称性の承認自体が自由意志の承認と結合しているということになります。いわば、自由とは他人のことなのです。これを著者はニ人称的自由と呼びます。

他者に不可視な領域があることは、他者の外面的な行動が不条理であることとは別のことです。立腹すべき事実の想像の場合には、他者の行動に何らかの規則性を見出そうとします。それは合理性の承認に結びつくもので、例えば、性格、好み、信念などとして理解されることになるものです。もし、他人の行為が規則的に、機械のように、全部分かってしまうのであれば、立腹すべき事実を想像することはできなくなります。

このような構図は、自己知覚理論を図地反転させたものに当てはまります。自分自身を他者として見ることで自己認知の材料を増やすのではなく、逆にその材料を減らす、つまりは自分自身に不可視な領域を設ける、これによって、自己を自由と見なすことができるようになるからです。行為者がある行為の理由を考えることには二つの意味があると著者はいいます。一つは、行為者自身にしか観察できない内面的過程を言語化することで、外面的(行動主義的)な行為の記述を詳細に補うこと。すなわち、一般的な意味での動機などょ語ることです、もう一つは分岐問題との関連において、そのような内面的過程のうちに行為の本当の要因が実際にはなくても、他者から人称的に秘匿されている内面的過程の存在が示されることで、そこに本当のよういんがあるかのように自他に信じさせることできるわけです。

著者はまとめます。人称的に不可視な他者の内面のうちに行為の本当の要因があると信じること─実際にはなくてもあると信じること─、それによって私は他者を自由な主体と見なす。すなわち他者を、両立的自由をもつだけでなく、諸可能性の選択をなす自由意志をもつものと見なす。そして自分自身をも、他者にとっての他者とみなすこと─そして他者からも他者として扱われること─によって、私は私自身を自由な主体と見なす。いわば認知的エラーとそのエラーの存在への無知が、人間を自由な存在としている。

2017年10月 8日 (日)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(19)

2.ストローソンとデネット

ストローソンの「自由と怒り」について、雪や金魚や文房具などに対してわれわれは反応的態度をとらず、客体への態度─処置や管理や回避といった─をとります。たとえそれらの事物によって何らかの害を受けたとしても、他者に害されたときのような怒りを抱くことはありません。誰かがあなたを突き飛ばしたとして、あなたが反応的態度をとらず─怒りを感じず─客体への態度をとることがある。あなたを突き飛ばした人物が幼児やある種の精神薄弱であるようなとき、あなたはその人物に対して客体への態度をとることがあるでしょう。彼らを遠ざけたり、訓練したりすることはできるけれど、それは機械の不具合に対処するようなものであり自由な主への態度ではありません。また、誰かが転倒しそうになってあなたを突き飛ばしたような場合にも、あなたは客体に対する態度をとることがあります。

しかし、すべての人間対して客体への態度のみをとることはできないでしょう。われわれが客体への態度をとるのは、上述の二種類の場合であり、その場合において用いられている基準は、決定論の正否と関わりがないからと言えます。たとえば、幼児と成人との区別は、一般的な知的能力の差によっているのであって、決定論とは関係ありません。

ここで興味深いのは決定論のなかで峻別することが可能な「できる」「できない」の違いがあるということです。例えば、デネットによるコンピュータによるチェス対局の議論です。このプログラムは、決定論的メカニズムに従っています。同じ状況では、必ず同じ手を指すということです。そこで、二つのチェス・プログラム、AとBを繰り返し対局させるとします。擬似乱数や学習機能を利用することで、AとBは毎回異なる内容のチェスを指すことができますが、積み重ねられた対局の内容全体は法則的に決定されています。それぞれのプログラムの優劣により、AとBの対戦成績に大きな差が生じるというとき、AがBより強い理由として、それが法則的決定論に従っていたていたというのは、デネットは馬鹿げていると言います。AがBより強いのは、Bよりも優れた何らかの特性を備えているからです。例えば、定跡の膨大なデータベースであったり、局面の優劣を数値化する採点システムであったりといったものです。その意味でAはBと異なり、多彩な城跡を駆使し、形成を的確に判断することもできるわけです。たとえ法則的決定論の内部においても、AにはBにできないことが「できる」と述べることは意味を持つわけです。

決定論的世界では、幼児や精神薄弱者だけでなくあらゆる人間は、定められたことしかではない前提です。しかしそのような世界でも、幼児や精神薄弱者にはできないことを通常の成人はできる、というような「できる」ということに意味があるのは確実です。人は、まさにその事実によって、ある人物に反応的態度をとめか客体への態度をとるかを日々判断しています。

将棋やチェスの棋譜においては、分岐問題すべてかき消されています。棋譜はその本性上、可能性の時間分岐点を記述しません。例えば、将棋の初期局面から先手は三十数種類の手のうちのひとつを指し、後手もまたそれらの手に対して、それぞれ三十種類の手のうちの手を指すことができます。棋譜ではこのプロセスが「▲7六歩 △8四歩」といったように記されます。ここには▲7六歩と△8四歩の間の分岐点や、そこでの選択については記されていません。つまり何が決定的な選択要因であったかについて棋譜が教えてくれるものはありません。

「▲7六歩 △8四歩」という棋譜は,30×30通りの指し手の中から、ただ一通りだけ選ばれたものと言えます。表面上、ここには「▲7六歩 △8四歩」という情報しか表れていませんが、そこには残りの指し手の可能性が背景情報として含まれています。棋譜は、そこに書かれた現実だけでなく、書かれていない他の可能性にも言及したものとして読まれていると言えます。このような背景の可能性を網羅できるか否かに、将棋と人生の違いがあると著者は言います。人生においては、実行された選択のほかにどのような選択が可能であったかを、将棋のように網羅的にすることはできません。

2017年10月 7日 (土)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(18)

第4章 無自由世界

1.他我問題の反転

心理学と神経科学の側面から、人間の意思決定においては、自覚的な決断の意識に先立ち、潜在的心理過程や脳神経活動が生じており、それらが実際の選択をひき起こしていること。自覚的意識はそうした諸原因を取り逃がしており、むしろ、選択が実際になされたあとから事後遡及的に不正確な理由が作られる。つまり、諸可能性のひとつを現実化する心理的決断などもともと存在しないという説です。しかし、これまでの議論から、たとえ心理的な決断が存在しないとしても、分岐問題は生じているわけです。

分岐問題への回答を多寡占的決定論に求めるとき、諸可能性の分岐は消失し、「未来の諸可能性のひとつを自由に選び取る主体」も「未来の可能性の一つを不自由に押し付けられる客体」も姿を消してしまいます。このとき人間は、決定するもの/決定されるものとしての、自由/不自由の対の外部におり、言わば、無自由な世界の住人となっています。すべての出来事は起こるままに起こるし、とくに、時間非対称な決定/被決定関係は維持し得ないでしょう。このような世界の描像は、一般的な意味での決定論を超えたものです。

他方で、分岐問題の回答を偶然(=分岐)の存在に求めるとき、可能性の現実化には常に、無根拠な偶然が介在することになります。あなたはいま手を上げることも上げないこともできたのだとすれば、そのどちらかが現実的であることには、一回性をもった偶然が関わることになります。そこに選択の主体はおらず、誰かの選択を押し付けられる客体も存在しません。心理的・神経科学的要因を持ち出しても、このことに影響はない。このような世界の描像は、諸可能性の分岐が存在する点で単線的決定論と異なるものの、すべての出来事はやはり起こるままに起こるということです。この場合でも、人間は、決定/被決定関係としての自由/不自由の埒外にあるという点で、無自由な世界の住人であると言えます。

これは、自由意志が偶然の一種でありうるということを否定するものではありません。この場合、自由意志と偶然は何か同じものの二つの側面でありうるということです。

三人称的観点における一回性を持った無根拠な偶然は、他の成分と協働しなければ、自由意志は見なせない。それを考えていくのが本章です。

最初の心理学、神経科学の知見を他我問題との関連で分岐問題に結び付けて考えていきます。そもそも、他我問題は、二人称的な他我の不可視性に由来するといいます。この場合の二人称は、目の前の他者それ自体を意味していて、これに対して一人称は私自身を意味しています。ある一人称主体としての「私」は、他者の意識がどのようなものかを知りません。他者がどれほど痛そうにしても、その痛みを私が感じることはできません。他者がどれほど痛そうにしても、その痛みを私が感じることはできず、私に分かるのはその他者が痛みに関して私と同じ振る舞いをすることだけです。視覚についても、聴覚についても、主観的経験は文字通り主観の中だけで限られます。その意味で、私は他者の存在を真に知ることはできません。

ここで注目すべきことは、自由意志と意識がその可視性について、人称的に逆転しているということです。この場合、自由意志についての可視性とは、その非存在についての可視性です。自分自身において自由意志の存在は疑わしい。これは第2章での議論ですが、内面観察をすればするほど、身体運動の感覚や姿勢変化の予期を超えた、自由意志の内観とは何かが分からなくなっていきました。自己内省によって捉えた自由感については無知ゆえの錯覚である可能性が否定できず、より深刻な問題として、分岐問題と直面したのです。すなわち、諸可能性選択の起点を時間分岐図に定位できないということです。結局のところ、行為者の一人称的な意識の内部に、自由意志の存在根拠を見出すことは難しいということです。もしも、他者の意識が見えたとしたら、一人称の場合と同じ結論となったでしょぅ。しかし、二人称の不可視性を確認したばかりです。他者の意識は見えません。ここで、他者の意識が見えないからこそ他者の身体運動の背後に自由意志のはたらきを想定すると考える余裕が生まれる余地があることになります。

2017年10月 6日 (金)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(17)

7.過去可能性

前節での考察は、過去が諸可能性もつことを前提としていました。しかし、可能性とは実現可能性のことであるなら、過去はすでに決定されていることだから、あてはまらないという議論があります。この同じ議論は過去だけでなく、現在にも同じように当てはまるでしょう。また、この議論の前提となっている単線的決定論が正しいとすれば、過去・現在にいての諸可能性がないのと同じに未来についての諸可能性もないことになります。そして、現実に選ばれなかった過去の可能性が消失すると考えることは、過去時点のみの可能的歴史が消失すると考えることとは異なります。過去における可能性の分岐の消失は、消失した枝の先にある歴史全体の消失を意味します。それゆえ、過去の可能性の消失は、ありえた現在や、ありえた未来の消失を含みます。例えば、人は過去になした行為について後悔するとき、過去になし得たほかの行為の可能性について考慮するとともに、そちらの可能性によって開きえた未来についても、失われた未来として、考慮して、むしろそれこそが後悔の引き金となるからです。

現実化しなかった過去の諸可能性は、今から現実化することはありえいので、もう可能なものではなくなっているでしょう。この過去の可能性はもう「ない」ですが、「あった」のであって、最初からなかったのではありません、そうでなければ過去についての反事実的な仮想のすべては、たんなる空想と同じになってしまいます、

過去の反事実的な諸可能性は、もはや実現可能性ではありません。しかし実現可能性だったものでもあります。それらは今後も瑛九に、実現可能だったものであり続けます。アリストテレスはもはや存在しませんが、彼はかつて存在していました。かつて存在したものについて語ることは、そもそも存在しないものについて語ることとは異なります。

それゆえ、過去の反事実的な可能性の枝は保持されます。現在から見た諸可能性の樹は刻々と縮小し続けますが、時制眺望的な見た諸可能性の樹は変化しません。そしいこのことは、論理的可能性に対する実現可能性の先行という見解と矛盾しません。

 

8.補遺

著者は、分岐問題を通じて、この世界は無自由な世界かもしれないと疑ってきたと言います。もしそかれが事実だとすれば、可能や必然といった様相概念を無知ゆえの錯覚として、そま原因を検討すべきと言います。

この章で様相について考察したのは、そのためでもありました。可能性というものが、すべて幻だとするなら、その幻の源泉のひとつは時間の動性にあると。ある全体が他の全体になることを動的に捉えることなしに、可能性の幻視は生じないと。

過去から未来へと続く時間系列は、可能的な今の系列と見なされます。いま現実に今ではない過去や未来の時点も、今であることが可能なのだから、それらは可能的な今たと言えます。これは私でない他者を可能的な私と見なす議論につながるものです。どの過去やどの未来も、たまたま今になったりならなかったりするのではなく、いわば必然に(その時点において)今となる。どの他者も、たまたま私になったりならなかったりするのではなく、いほば必然的に(その人物において)私となる。こうした指標詞は明らかに現実とは異なる構造を持っています。にもかかわらず、今になることや私になることを可能性の現実化に喩えるのは、可能性という幻に関する言語の越境を許している。

この越境は、時間的動性の無視によるものです。未来が「今」に「なる」ことを可能性の現実化に喩えるとき、言語的な「ありうる」は「なりうる」に先立つように見えるし、それどころか、「なる」にさえ先立ってしまうように見えます。つまり、論理的可能性が様相とと無縁な単なる動性(時間的推移)に対してさえ、先立つかのような構図が得られる。

たとえ、この世界が本当は自由でなく、様相概念のすべては錯覚だとしても、未来が「今」に「なる」ことを同様の錯覚として片付けるべきではない。「ありうる」と「なりうる」がともに幻だとしても、「なる」が幻であるとは限らない。むしろ「なる」だけは生き残ったとき、私たちは無自由な世界を垣間見て、特殊な洞察を得られるのではないか。

2017年10月 5日 (木)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(16)

5.現実と可能性の紐帯

現実世界にいる「私」は、私や私の周辺についての指標的な知識を持ち、この現実世界にいることを知っています。その「知識」は、論理や文法や生活形式の外にあり、もちろん自然法則についても、その外にあるわけです。この現実世界とまったく同じ論理・文法・生活形式そして自然法則に支えられた諸可能世界があるとして─それらの諸可能性はタイプ的な無矛盾性のもとで開かれる─それらの諸可能世界のどこに私がいるのかを、タイプ的な知識から知ることはできません。

ここで重要なことは、私や私の周辺についての現実的で指標的な知識でさえも、それを世界の事実として述語的に記述したら、一種のタイプ化してしまうということです。つまり、現実世界についての個別的知識も、言葉にしてしまうと、その言葉のうえでは、複数の諸可能的世界においても成立しうるタイプ的知識に読みかえられてしまうということです。この個別性を尊重することが、個別的知識の由縁ですから(たとえばこつなんかが代表的でしょうか)、この現実世界の内部から「これが現実であり、私だ」と直接示されるわけです。しかし、そのこと自体を世界について言葉にして表現することはできません。

最初のそれらの諸可能世界のどこに私がいるのかを、タイプ的な知識から知ることはできませんに戻りましょう。例えば、「ここに私の手がある」「私の名前はLWである」「私は月に行ったことがない」といった知識をどれだけ並べてみても、それらをもとに諸可能世界のどこに私がいるのかを知ることはできません。これらの条件を満たす「LW」が、この現実世界と同じ論理や法則のもとで生きている諸可能世界は、論理的可能性のもとで無数にあります。「私はここにいる」と手をあげたとしても、同じように手をあげている可能世界は無数にあります。そして私自身ですら、それら私の無数の「私」のうち、どれが私なのかを、記述的知識によって知ることはできません。現実にいずれかの人物であることによってしか、どれが私であるのかは分からず、「ここにいる」と手をあげているから、それが私なのではないのです。

これが私なのは、たんに(諸可能性のなかでタイプ的に)手をあげているからではなく、現実手をあげているすんらい゛ありも私的な個別的知識とは、どんなこれなのかを知っていることです。だからこそ、その個別的知識は通常の意味での知識ではありえず、他の、通常の知識を知識たらしめる、基礎としての知の「河床」になるといいます。すなわそれは、そもそも何かが(現実が)在ることについての、知識以前の知識です。

信長タイプについて我々が何を知ろうとも、現実の信長という人物をつかまえることはできません。それどころか、現実の信長という人物が存在することさえ保証できません。現実の信長についての諸可能性を知るには、信長タイプについての諸可能性を現実の信長という人物の現実性へとつなげ、その現実性の内側から諸可能性を開かなくてはなりません。それこそが、時間が様相に先立つという言い方で著者が述べたかったことだと著者はいいます。

 

6.言語的弁別

分岐問題における二叉の分岐図は、ふたつの歴史集合の樹形図として読むことを考えてきました。他方、これを原理的な可能性として考えれば、未来の諸可能性の分岐を、歴史集合ではなく個別の歴史として描くことが可能であることになります。歴史のあらゆる細部に関して完全な言語的弁別を行い、それに応じて樹形図を描くならば、そして、あらゆる分岐が何らかの命題の真偽によって弁別できるなら、この樹形図は二叉の分岐(真か偽)のみで構成されるものとなるでしょう。

そうであれば、世界を構成する原子的な要素は、樹形図における二叉の分岐の真偽に対応する事態ということができます。もし、このように考えるのであれば、世界の原子的要素である諸事態は、真偽それぞれの実現確率が純粋に二分の一となるかもしれません。しかしこのような枝の個別化は、実践上不可能です。諸可能性の弁別はその目的に応じた粗さをもち、弁別されるのは、ある集合と他の集合です。私がこれから病院に行くことは、「病院に行く」諸可能的未来のうちどれか一つへ進むことであり、これと見定めた個別の未来に進むことではないのです。

それゆえ、最初に見た樹形図は可能性の樹形図で、その可能性の弁別が言語的かつ実践的になされているならば、どの枝も諸可能的歴史の集合の略記とみなすことができるということです。それゆえ、未来の細部について完全な記述を与えられることはない。

これから私が病院に行くとして、「病院に行く」歴史には無数の諸可能性があります。百歩で病院に着く歴史と百一歩で病院に行く歴史とは別の歴史です。また診察時に、シチリアの火山が噴火している歴史もまた、別の歴史です。私が自宅に戻った瞬間も飼い猫の毛がちょうど何本であるかによっても、歴史は無数の諸可能性を持っています。

この歴史のような直示的表現に頼ることなく、諸可能性としての歴史からただひとつの歴史を指示するには、諸可能性のあらゆる言語的弁別に対して特定の記述を考えて当てはめていかなければなりません。たとえば、先ほどの私は何歩で歩いて病院に着いたか、診察時に火山は噴火したか、帰宅時に猫の毛は何本あったか、ひのような問いにいちいち答えねばならない。これは不可能であり、このような言語的弁別をどこまで繰り返しても、ただ一つの歴史にいきつくとはありません。また、未来の場合と同様に記憶の集積でなし得るのは、過去の諸可能性を絞り込むところまでです。

過去の諸可能性が無数にあるとき、現実の過去を指示する唯一の方法は、直示的表現を用いることです。いま私のいる「この歴史」こそが現実の歴史であるという事実によって、「この歴史」における過去は、現実の過去となります。つまり、「この今」と地続きの過去こそが現実の過去というわけです。そうであれば、そうした過去への直示は、「この今」への直示に依存することになります。しかし今への直示についても、過去と同様の指摘ができます。樹形図上の枝は可能的集合であるから、個別的時点としての「この今」は、樹形図上のどの点とも同一ではありえないことになります。どの点も可能的瞬間の集合であるためです。とはいっても、「この今」は、その集合つまりは点の内部にはあるといえるとおもいます、それがどこに在るのか知るのに、私たちは自分の周囲、つまり「この今」がどのような内容の世界かを見ることで、樹形図のどこにいるかを探るでしょう、とはいえ、このような作業続けても、個別的な点に至ることはなく、指示集合が絞り込まれるのが精一杯です。したがって、「この今」の直示とは、樹形図上の一点を捉えることではなく、樹形図上のどこかは不明でも、定まった位置を持つものとしてそれを指すこと、そしてその一点を含むものとして歴史集合としての枝を思考することです。

これは指標詞に類する指示ですが、通常の直示も本質的に同じ作業を伴うと著者はいいます。「この今」の直示とは、樹形図上のどこかは不明でも、定まった位置を持つものして、示すことです。そしてむしろ、その一点を含むものとして、歴史集合としのて枝をし行為猫とです。

目の前の何らかの対象を指すことは、その対象の諸性質だけでなく、まさにその対象が含まれるただ一つの個別的な今(現実)を指すことでもあるからです。そうでないなら、その対象と実践的に識別不可能なほど類似した諸可能的対象のうち、どれがその対象なのかはけっして定まらない。「私」が指したものがそれなだ、と言えるのは、その「私」が「この今の私」としてすでに把握されているときだけです。

すでに述べたように、「この今」を樹形図上に個別に定位することはできません。にもかかわらず、それは形而上学的に定位されており、諸可能性の樹形図はむしろ、その定位を核に構成されます。すなわち、「この今」を含む何らかの枝がまず存在し、その枝のもつ諸特徴が他の可能性と弁別されることで、樹形図は時間的に展開していく。一般に、面識された対象には認識を超えた無数の細部があるとされるが、この形而上学的な信頼は、「この今」の定位への信頼と通底している。「この今」が樹形図上の一点に形而上学的に定位されるとき、その点から他の点への時間的連続性をもって、「この歴史」の全体が思考される。もし分岐が未来方向にしかないなら、「この今」の定位によって同時に、「この歴史」の過去もひと通りに決まる。

2017年10月 4日 (水)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(15)

3.論理的可能性

ある言語を「知っている」と言うとき。われわれはあたかもその言語について、有意味かつ可能な語の配列のすべてを手にしているかのように考えます。誰一人並べたことがなく、これからも誰一人並べることのない語の配列、つまり時間的には一度も実現されていない配列、もそれが有意味な文ならば可能的にある。すなわち、言語を知る者にとって、すべての有意味な文は、ないのにある。

例えば、足し算を知っていると言うとき、私たちはあたかも足し算について、有意味かつ可能な語の配列のすべてを手にしているかのように考えます。すなわち、足し算を知る者にとって、すべての有意味な足し算はないのにある。たとえば、792792+790661=1583453という足し算が、いま初めて達成されたものだったとしても、それ以前にもこの足し算は有意味な文としてあった、ということを私たちは、もともと知っていた、ということです。

ある言語における有意味な文の集合に関して、その言語を知る人は、任意の語の配列がその集合に属する文か否かをかなり正確に峻別できる。そしてその能力は、これまで現実に並べられた配列だけでなく、これから現実に並べられるかもしれない可能的な語の配列にも適用され、その適用の正確性について言語使用者は高い自負をもっている。このとき、その人物はあたかもその言語について、有意味な語の配列のすべてを可能的に手にしているかのように見える。

このような有意味かつ可能な語の配列は時間的に実現されるものでしょう。それゆえ論理的可能性は、それが語の配列可能性に依拠する以上、語の配列の時間的な実現可能性にも依拠せざるをえません。にもかかわらず、上の例のようように、私たちがある言語を本当に知っているのならば、論理的可能性は実現可能性から切り離されたものとなるでしょう。そのとき、語の有意味な配列可能性は、それが時間的に実現し得るからではなく、無時間的に成立し得るからこそ可能であると見なされます。これが様相の無時間化であり実現に関わらない可能性です。

では、西から陽が昇るというような常識とかけ離れていても論理的に矛盾がなければ良いということになる。

論理的可能性とは有意味かつ可能な語の配列のなかから無矛盾な諸命題を抽出した際、それらによって表象される事態のこです。そしてこの抽出においては、明示的な矛盾の有無だけでなく、非明示的な矛盾の有無が、つまり、ある性質と他の性質との矛盾の有無が問題になります。「白いライオン」は無矛盾ですが、「丸い四角」が矛盾ということになるのは、白いこととライオンであることのあいだに矛盾が生じていないのに対して、丸いことと四角いことのあいだには矛盾が生じると見なされるからです。こうして、論理的に可能な事態はタイプ的に構成され、論理的可能性の画定がこのタイプ的構成を要するというわけです。

 

4.タイプからトークンへ

固有名が用いられるときも、実質上、上記はあてはまるでしょう。織田信長についての論理的可能性は、信長のタイプ的な特性、例えば人間であることなどによって定まるのであり、それゆえ信長のある特性をもとに示された論理的可能性は、同じ特性をもつ別の存在にも当てはまることになります。この場合の信長の論理的可能性にどれだけの制限がかけられるのでしょうか。結局、それは個々人の直観に委ねられているということてしょうか。

ライプニッツによれば、主語概念(この場合の信長)には、その主語に現実に結びつくすべての述語が内属している。例えば、信長にとって、桶狭間の戦いで勝利したこと、比叡山を焼き討ちにしたこと、明智光秀に裏切られたことは、分析的に真です。それでは、信長が桶狭間で敗れた可能性については、現実世界以外の可能世界にいる、現実の信長にそっくりな人物(信長の対応者)についての事実といういうことになります。この場合、他の諸可能世界にいる信長は、現実の信長の諸性質をほとんど満たす人物です。ここで肝心なのは、いったん信長タイプ論理的可能性に吸収されることになるということです。信長という概念による論理的可能性は信長タイプに制約されます。だから、論理的に可能な事態は、この世の信長という個人との直接のつながりを持たない。信長タイプが百歳まで生きることが論理的に可能であるからと言って、その可能性はまだ、現実の信長その人に繋がっていません。そこには、普遍と個体との紐帯がないと著者はいいます。

現実の信長は信長タイプの一例ということになります。したがって、百歳であることが信長タイプにとって無矛盾であるなら、現実の信長も百歳であることが可能だということになります、しかし、現実の信長は五十歳で死んだのであり、それが事実であるからには、信長という人物が百歳でありえたという意味理解を拒むことができます。

現実の信長が個人として百歳でありえたということの正確な意味は、それが百歳になりえるということです。それが単に信長タイプの一例であるだけでなく、その個人自体として実現可能性をもつということです。その意味で、信長個人の実現可能性も、信長タイプの論理的可能性の内にありるます。

現実の信長その人についての論理的可能性というのは、ありません。そして、信長タイプについての論理的可能性現実の信長に結び付けるには、論理的可能性(ありうる)を実現可能性(なりうる)に昇格させなければならないということになります。

2017年10月 3日 (火)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(14)

第3章 実現可能性

1.時間と様相

時間と様相(可能性様相)について、分岐問題の直観と対応して考えていきます。可能世界意味論は量的かつ静的(無時間的)に様相を扱う、と著者はいいます。静的に並んだ可能世界のうち、一つ以上で成り立つならば可能、すべて成り立つなら必然といった数量的把握に対して、可能性とは、未来へと世界が変化していく中で選ばれていくものではないかか、と問いかけます。

可能世界意味論では、ある世界から別の世界への到達可能性が話題にされます。しかし、現実主義において、別々であれば全体が別の全体になることはありえないことです。著者は、全体としてのある世界が別様の世界でありえたかどうかは、その世界内のある個体が別様でありえたかどうかにも関わります。例えば、眼の前の飼い猫について、この猫が我が家の飼い猫でなかった可能性はどうでしょうか。今現在の日時において、この猫が、我が家の猫でない可能性を認めるためには、そのような可能世界がたんに存在するだけでは足りず、さらに、この現実世界がその可能世界でありえたのでなければなりません。というのも、考慮されているのは、この特定の猫の可能性だからです。この猫の対応者がどこかの世界にいるだけでは足りないし、この猫の反事実的可能性の表象─それは猫でない─が現実世界内にあるだけでも足りないのです。そうてはなく、この猫があの猫(我が家の猫でない可能性としての猫)でありえたが問題なのあって、この猫があの猫になりえたか、すなわち、この世界があの世界になりえたかが問題になるのです。

この場合、この世界が別の世界でありえたことを静的に掴むことはできるのだろうか。ある全体が別の全体でもありえたことを、あくまで静的に捉えようとすれば、二つの全体はトークン的に断絶してしまいます。

ルイスは現実を指標詞とみなしました。指標詞とは全体としての世界を現象的に制限します。「今」だけ、「ここ」だけ、「私」だけがすべて、と言った形です。客観的な全体を見るなら当然こんなことはいえません。にもかかわらず、今、ここ、私において現実に世界が開かれているとして、この制限された世界こそが全体と言いたくなる現象論の引かれることも事実です。

しかし、このような指標詞のなかで、「今」だけは動的で違うと著者はいいます。ある全体が別の全体でありうることは、ある全体が別の全体になりうることと独立に理解できません。この直観は、形而上学と認識論をつなげます。というのも、何らかの指標的制限において全体としての世界が与えられているとき、その全体以外に他の全体があることをわれわれは決して認識できないはずですが、時間の流れの認識はその特別な例外に見えるからです。

 

2.スコトゥスとアリストテレス

他の可能世界を実際に見ることはできません。この現実世界も含めて、諸可能世界は、どれもそれ自体として全体であって、私は一度にひとつの全体しか見ることができません。私が、この世界にいるかぎり、この世界が全体なのであり、この世界から他の全体を見ることはできません。もし仮に、あちらの全体が見えたのなら、そのときは、こちらの全体が見えない。というよりは、あちらの全体が、こちらの全体になっているということなのです。

他の可能世界の認識不可能性は、ある全体から他の全体を見ることができないということです。しかし、そうであるにもかかわらず、どうして私たちは、可能性について様々な認識(諸可能世界)を語ることができるのでしょうか。それには、何らかの手段で他の全体を見ているからに他なりません。その手段として考えられるのは時間認識以外にないというのが著者の主張です。概念的分析を行うなら、まず「ありうる」があって、そこに「なる(時間的推移)」が加わることによって「なりうる」が理解される。そこで様相は時間に先立つということになります。ここで全体としての世界について「ありうる」を理解するためには、「なりうる」の認識が不可欠です。その「なりうる」から「なる」を引くことで、「ありうる」を得ることができる。そのプロセスは、時間が様相に先立つことを示している、と著者はいいます。一般には、様相は時間的推移と切り離された概念であって、無時間的ということは論理的なものです。しかし、これは言語によって時間的な全体の推移を、無時間的な全体の推移(=論理可能性)に作り変えられているからだ、と著者はいいます。これは哲学史を遡れば、中世のドゥンス・スコトゥス以降、必然性・偶然性といった様相概念を時間の流れから切り離し(時間的に継起する因果関係に依拠したものでない)、ある瞬間において成立する様相概念をうちたてた、と著者はいいます。それが可能世界の先駆になった。

アリストテレスは、ある時点で何か、たとえばAが実現した場合、A以外の可能性はその時点で消滅する、と考えていた。つまりそれまではいくつかの可能性があったとしても、現実がその一つとして実現したとき、他の可能性はすべてつぶれている。

原因の一瞬のはたらきのうちで偶然か必然かが区別できるためには、言い換えると、結果を待たずにその区別ができるとすれば、原因自体において、両者が区別できなければならない。つまり、原因がはたらいた時点において、それが偶然であるか、必然であるかが見分けられなければならない。それゆえスコトゥスは、偶然の特徴を「同じ瞬間にAであると同時に非Aでありうる事象」と規定した。他方、この特徴をもたない事象は必然的な事象である、

2017年10月 2日 (月)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(13)

8.それぞれの値段

著者は思考実験を試みます。すなわち、人間に劣らぬ知性をもった異星人が、実際の人間の生活を見ずに、人間の書いた哲学書などを大量に精査したとする。その結果、自由と決定論をめぐる論争に対して、どのようなことを言うだろうか。

異星人は人間社会で倫理を維持させることに利害関係がないので、倫理に反する見解も、事実の追求において躊躇なく掘り下げていく。例えば、分岐問題について、諸可能性のひとつを現実化する力を持った出来事は、歴史の中に時間的に存在しえない。人間の行為によってであれ、他のいかなる自然現象によってであれ、それによって諸可能性の一つが現実化されるというとはありえず、このことは法則的に決定論の正否にかかわりはない。それゆえ、他行為可能性と起点性をあわせもつものとしての自由意志は、それが偶然の一種でないならば、実在しない。

このような見解を、ここではEと呼ぶことにします。このような見解は社会が倫理的にたちゆかなくなるようなものなので、人間であれば、賛成しないでしょう。しかし、異星人にはそんなことを気にしません。ここで、Eの内容を吟味すれば、自由意志か実在か非実在かについても、自由意志が責任の帰属に必要か否かについても、中立的であることが分かります。

社会に現実に生きる人間は、このような態度をとることは難しいでしょう。社会が倫理的であり、様々な規範が守られていることによって、自身の生きる場所を得ています。しかし、この世界が倫理的である理由や、そうでなければならない理由を与えるような形で、つまり、自由に対する規制の側から、自由や決定論について考えるのは難しい。すなわち、今日までの社会が倫理的であり、そして社会がこれからもつねに倫理的でなければならないのなら、倫理が可能であるための有責性の基盤(自由)を人間は普遍的にもたねばならないか、あるいは有責性なしでの倫理の基盤を新たに人間は見つけねばならない。だが、ごく単純な事実として、社会がこれからも常に倫理的でなければならない脱倫理的な(そして自然的な)理由はなく、それゆえ、倫理を可能にするような何かの性質・能力を人間がもつことに必然性はない人間が今日、自由の理念をもっていることは、世界がその理念を可能とするような構造を必然的にもつことをまったく保証しない。

進化論的な生存競争の観点から、ある種の利他行為に関する人間の性質・能力が自然淘汰において有利だとしても、これは変わりません。今日の人間たちには倫理的な生存戦略といっても、その戦略自体は倫理的でも非倫理的でもなく、生存に有利であるから、それに従って社会の倫理ができているということです。そもそも、自然界は、人間社会が倫理的であれ非倫理的であれ、存続することに関心がなく、明日人類が滅んでも、それだけのことだからです。

Eがもし正しいとして、倫理の維持を望む一般的人間にとって、安上がりなのは、どのようなケースか、著者は様々なケースを考えてゆきます。

そのなかで、カントのニ世界論はきわめてコストの高い回答ということになります。自由意志も偶然も働く余地のない決定論的世界(現象界)のほかに、自由意志の働くもうひとつの世界(仮想界)が必要なのだから。この要請はカントにとって、倫理が可能であるための超越論的条件です。しかし、社会が常に倫理的であるなければならない理由はないという単純な事実の前では、カントの回答はコストが高いだけでなく、異星人や自然界のような倫理と関係ない存在にとっては説得力をもちません。

2017年10月 1日 (日)

青山拓央「時間と自由意志─自由は存在するか」(12)

6.両立的責任

フランクファート・ケースを考えてみましょう。ある行為者がMaをなし、その後、妨害を受けることなしにAを実現したのですが、その行為者がMaではなくてMaをなしたとしても、その行為者はAを実現してしまう。なぜなら、その行為者がどのような意志をもつのか監視している人物が存在し、、行為者がMa'をなしたときに限り、それを取り消して行為Aを決意させるような強制を行為者に対してなすことなるからです。そのため、この行為者がAを実現しなかった可能性はないことになります。フランクファートはこの事例をもとに、在る行為が有責であるために他行為可能性は必要ないと述べました。というのも、現実に生じた出来事、つまり、Maののち強制なしにAを実現したこと、を見るなら、行為者はAの実現に関して有責だと思われるからです。

これを殺人事件に当てはめて考えると分かり易いかもしれません。人物X、Y、Zがいて、Yに殺意を抱いていたZが、同じくYに殺意を抱いていたXの様子を観察し、XがYを殺そうとしなかったときにのみ、Xの決意を操作する、つまり、Yを殺す決意をさせる、といった場合です。この状況下でXは、自分自身の決意でYを殺した場合でもYを殺さない可能性(他行為可能性)はなかったとなかったことになるということです。強制のなさを意味づけるのに、強制によってある行為をなしえなかった反事実可能性を、決定論的世界では、確保することが困難です。したがって、フランクファーストの事例において自由(責任)が他行為不可能性と両立するとしても、決定論と両立するとは限らない、そうであれば、この事例で両立的自由は認められないということです。

この事例の核心は、(強制なしの)MaからAに至る可能的歴史と、Maから強制を経てAに至る可能的歴史を時間的に分岐させ、Aが生じない歴史を諸可能性から消去することにあります。このようにしてAの有無に関しては「有」以外の他行為可能性はなくなります。そもそも、このケースは単線的決定論とはあいいれないかたちです。MaからAにいたる歴史が現実的であれば、Ma'から強制を経てAに至ることはありえなません。行為ということで身体的行為にのみ限るとするなら(つまり、MaやMa'を行為にふくめないなら)、この事例は、他行為可能性のなさが責任と両立しうる余地があることを示しています。

自由の規定から非決定論的な「邪魔のなさ」の条件を排除することはできます。そして、反事実的可能性の承認を一切排除することもできるでしよう。しかし、そのようにして得られた規定の有用性は疑わしいものであり、とくに、責任をめぐる倫理的実践とそれを調和させることは困難です。たとえば、身勝手な理由から殺人を犯した人物を咎めるさい、私たちはその人物に対し、今後それと同タイプの行為(身勝手な殺人)を慎むことのみを求めているわけではありません。その殺人について、それをしないこともできたのに、、それをしたことへの自責を求める。すなわち、当該の行為は避けえたと信じられていなければならず、そこでは決定論と非両立的な反事実的可能性の承認がかかけます

 

7.偶然の自由

私たちは「偶然」ということを価値のない単なるものとことしまいがちです。ここで言う「価値のない」とは、偶然によってもたらされた結果です。私たちは、偶然そのものに積極的な価値を見出すことは稀です。しかし、分岐問題に関連して、偶然の生成はかけがえのないものになります。すなわち、単線的決定論を採らずに分岐問題を回収させうる唯一のものだからです。

自由意志を偶然の一種とする見解、とくに確率的偶然の一種とする見解に対して著者は好意的にみています。この見解によれば、偶然というものが仮に存在するなら、自由意志はその一種であることによって、ようやく本当に存在することができる。偶然の一種であることは、自由意志にとって存在への限られた道である、ということなると言います。

一般に、たんなる偶然は自由の基盤にはなりえないという直感的発言における偶然は、純粋な偶然(=分岐)として思い描かれているわけではありません。それは、サイコロやくじ引きによる人工的偶然と同等のものとして想定されているようです。このようなものは、さいの目などの結果は人為的決定でないことを人々に直観させるための道具でしかありません。サイコロとは、いつ、だれがそれを振ろうと振るものの意図の等確立性の中に霧散してしまうことを人々に直観させる道具で、その目的に特化して、六つの面が同じ面積になっていたりします。「類似の出来事がもたらす結果の時間的分布」が確立の正体である、と著者はいいます。全く同一の出来事は、言葉の通り歴史上一度しか起こらないとすれば、確率とは、私たちが異なる出来事を「ほぼ同じ」だとみなす傾向性になるでしょぅ。例えば、コインを投げて表と裏が出る確率が五分五分のように見えるのは、表が出るときの投げ方と裏が出るときの投げ方が私たちにとって五分五分の比率で同じ投げ方のように見えるからです。同じことはサイコロやくじ引きにも当てはまります。これは偶然の典型例とは言えません。

もし自由意志が確率的偶然の一種であるなら、法則性の観点からも、単なる偶然ではないことになります。確率的偶然のもとで行為する人間はでたらめな乱数の操り人形ではありません。なぜなら確率的偶然の個々の事例は非決定でありながら、事例の集団は法則性を持つことができるからです。すなわち、人間は大まかには規則的に振舞い、細部においては偶然的に振舞うものなのです。一方、この集団的な法則性はも複数の人物間にだけでなく、一人の人物においても見出されます。例えば、ある人物の別々の時点における行為を集積した場合、そこにしばしば何らかの法則性が見られます。私たちは、それを「性格」と呼んでいます。自分や他者が「性格」をもっているからには、今から自分が何を行い、他者が何を行うか、まったく不明ということはありえません。ともに合理性や計画性を持った諸選択のあいだで偶然が働くことは可能であるのは、その働きが「性格」の確率的傾向に沿うからです。しかし、直観的な先入観でみれば、偶然はどこまでいっても「たんなる偶然」で、実質的働きをもたないものとして把握されているのに対して、原因は決してたんなるものではありえず、実質的働きを持つものとして把握されています。事実、無根拠な現実化としての偶然は少なくとも三人称的に観点において、主体性をもちえないように見えます。

自由意志と偶然は、通名をもたない何か同じものの、二つの異なった現われでありうる、と著者はいいます。時間分岐、すなわち諸可能性から一つの現実が生じることを、その原因のなさ、無根拠さのもとで捉えたとき、その生成はたんなる偶然とみなされるというわけです。そこには何かを決める主体も、主体に操られる客体もありません。他方それを、諸可能性の選択や、自らを生み出す力のもとで捉えたとき、擬人化を経た偶然は、「起点」とみなされることになります、これが自由意志です。

著者はいいます。自由意志は偶然の一種でありうる。とはいえ、偶然によって自由のすべてが説明されるとは考えない。偶然は通常考えられている以上に重要な自由の一成分でありうるが、それは偶然がその他の部分と共働するときに限られている。確率的法則の介在はその一例である。

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