篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(1)
序章 日本の国家体制と安保法制
著者は、本書は2015年の安保法制をめぐる安倍政権が提起した議論を契機に執筆されたものといいます。著者の立場は安保法制に反対しているわけではないが日本国憲法には国際協調主義が基本精神としてあって、それを蔑ろにすべきでない、というものだと思います。著者は言います。“残念なことに、日本にはまだ積極的に国際の平和と安全に貢献していくほどの準備がない。心の準備がなく、人的資源の準備がなく、大々的な制度の準備に進んでいく機運もない。憲法制定以降、日本は、国際的な平和に貢献していくことを目指してきたはずだ。だが歩みは遅く、違う方向に進んでいるようにすら見える。”
第一節 集団的自衛権をめぐる議論に課せられた歴史的挑戦
本書は、安保法制をめぐる議論の中でも中心的な課題である集団的自衛権に焦点を当てる。その際に、単純な概念整理に留めることなく、憲法第九条との関連で検討するといいます。憲法では集団的自衛権の禁止を明文で規定していませんが、違憲とされています。そう考えられている筋道があって、それを日本の戦後史の中のいくつかの政治的分岐点での言説を拾い上げながら検討していくことを目的とするといいます。その論点の要点を最初に列記します。
その第一は擬人的に語られる「国家」あるいは「国民」という自衛権の主体の問題です。1950年代に政府は、本来は国際法上の概念である自衛権を憲法解釈論に導入し、そこから集団的自衛権を除外するという二段構えの議論を進めました。そこにある構造的な事情として、日本国憲法における「国民」の登場が原因しているといいます。これによって国家を擬人化し、自分で自分を守る権利としての(個別的)自衛権という極度に抽象化された議論が公式解釈となり、国際協調主義の精神が議論されなくなっていった。
第二に、日本が主権回復を果たしたときに設定された国際的安全保障の制度的枠組みが、憲法以外の事情として処理されてしまったという問題です。日本国憲法は戦後日本の主権回復以前に制定されてしまったという時期的な理由から、主権回復の際にサンフランシスコ湖講和条約及び日米安全保障条約が伴ったということから本来であれば、これらは憲法の一部となるべきものであるはずが、憲法外の出来事として扱われてしまった。
第三に、最低限の自衛権という憲法典の条文を超えた概念設定です。自衛隊の創設以降に主張された、憲法で禁止されていない戦力保持があるという第九条第二項解釈が、いつの間にか「最低限の自衛のための戦力なら合憲だ」という特殊な解釈を生み出してしまったという問題です。この最低限であるかという議論が個別か集団かという議論になっていったということです。
これらの概念での問題に対して、政治情勢の変転の影響も忘れることはできません。特に重要なのは、「軽武装・経済成長」という「吉田ドクトリン」が日本を繁栄させたという神話です。極東における軍事欄略のため、そして日本の軍国主義化と共産主義化を防ぐため、アメリカは沖縄を中心とする日本国内の基地の存続を望みました。日本の歴代内閣は、アメリカの意向を逆手に取り、アメリカの安全保障の傘を確保した上で、経済成長に専心して実利を得る外交戦略を実践しようとしました。1960年代前半までの日本政府は、一貫して自衛隊の海外派遣は憲法上許されないとしながら、集団的自衛権それ自体は違憲とは言っていませんでした。しかし、沖縄の返還によりベトナム戦争で米軍基地から爆撃機が出撃しているのに対して、日米安保体制を維持するために、政府は一歩踏み込んだ説明のために集団的自衛権の行使ではないと強調することになりました。ここではじめて集団的自衛権の行使は違憲であるという解釈が定式化していくことになりました。
第二節 日本の国家体制と安全保障
日本は戦争に敗北し、武装解除された後、占領統治下で、戦争放棄・戦力不保持をうたった憲法を制定しました。主権回復にあたっては日米安全保障条約を結び、米軍を駐留させる体制となりました。つまり、表の看板として憲法第九条の平和主義と、裏の基盤として日米同盟によって成立するという不整合な均衡を抱えていました。
そのため、日本は実質的に自国の政府だけで国民を守る仕組みをとっていない国になったわけで、自国の安全をアメリカという他の国に委ねることになったわけです。一方、アメリカにとって在日米軍は、アメリカの軍事戦略において重要な軍事拠点であると同時に、日本が単一の軍事大国として台頭することを防ぐ二重の効果も発揮しているというものです。憲法第九条と日米安保を基軸とする国家体制は、東アジアの国際秩序の構造とも結びついたことにより、ひっそう深い安定性を保ってきました。
これは、戦後の冷戦時代の産物であり、冷戦終結後の時代状況において存続させるためには、再調整は不可避でありました。そのひとつが安保法制ということになります。
第三節 憲法学者と安保法制
安保法制の議論では、ほとんどの憲法学者が違憲と見なしました。しかし、憲法第九条について、多くの憲法学者が思い入れを強く持っている問題である一方で、専門的な研究が深められてきたのか、例えば、過去に日本政府が示したことのない議論が含まれているのに対して、精緻な検討が行われたのかというと、反安保の空気や思い入れに流されてしまったのではないか、と著者は言います。この後、代表的な憲法学者の議論を概観していきます。
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