知の受け方
テストで好成績をとるのと、実践で利用するのとでは同じ情報でも、目の付け所が違うと思う。教科書のポイントを暗記するのか、それをスタートにして枝葉をひろげるのかだ。そういう秀才タイプだろう人と、共に講習会を受けた時に、配布されたレジュメ(パワーポイントをプリントしたもの)を、その人はマーカーでポイントの言葉をマークしていた。しかし、書き込みやメモなどは一切なし。講師は補足説明をけっこうしゃべっていた。例えば、実例とか例外的な事項とか。後で、講習の内容について話したけれど、マークされていたような重要と思われる事項は、レジュメの言葉そのままにひととおり正確に頭に入っていたたいだけれど、それ以外のことはバッサリ切り捨てられていた。効率的だと感心した。しかし、その切り捨てた事例とか、枝葉の事項は、それを自社に状況にもってきて実践するときに、予想外の障害が発生したりするときに役立つものだというのは、私の実践の経験。だから、一緒に受講したレジュメには、ページによって差があるが書き込みをしていた。これを自分でやる場合は、どうなるのか考えながら、話をきいていた。そのかわり、マーカーは使わなかったし、講義されていた事項の説明の言葉は頭に残っていない。それは必要があればレジュメ見ればいい。これでは、この講義について、習得度テストでもやったら、秀才タイプはいい点数をとっただろうし、私は散々な結果になるだろう。学校の授業を受ける人は、この秀才氏のようなのが理想的なんだろうと思う。でもね・・・これは、個人的偏見(僻み)・・・。そういえば、私はマーカーというものを使わない。
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