無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(1) | トップページ | 斉藤章佳「男が痴漢になる理由」 »

2017年10月29日 (日)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(2)

第1章 自衛権を持っているのは誰なのか?─1945年8月革命と憲法学出生の秘密

第一節 「自衛権」の憲法論への侵入

日本国憲法の制定時には、憲法学者も政府も「自衛権の発動としての戦争」も否定していました。それが1950年の朝鮮戦争の際に警察予備隊の創設が占領軍に指示され、そこから憲法第九条は自衛権を否定していないと政府が解釈を変えていくことになります。憲法学者たちも次第に自衛権の留保を通説としていくようになります。その際に、憲法典に明記されていない推論を手掛かりに、自衛権の歯止めをどうするかの捻出に頭を絞るようになりました。そこで政府が「必要にして最低限の自衛力」ということを言い出します。それが高じて「最低限とは個別的自衛権で、集団的自衛権は最低限ではない」という派生的解釈を生んでいくことになります。これを政府見解容認の憲法学者たちは、この議論を受け入れていきました。しかし、かれらが受け入れる根拠には、いくつかのパターンがあります。

第一の流れは、日本国憲法に内在する論理に反映させて、正当化するというものです。つまり、憲法11条の基本的人権及び13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が、権利享受に必要な環境の整備が憲法によって根拠づけられている、と論ずる方法です。武力攻撃などで基本的人権や幸福追求権が侵害されている状況であれば、政府は積極的な施策を取って状況を改善する義務を負う。というものです。社会契約説によれば、政府は人々の安全を確保する責務を負っています。人々は、自分たち野安全をよりよく守るために信託して政府を設立したという考え方です。その一環として自衛権かある。日本国憲法前文において登場する「信託」概念は、この意味での立憲主義を示しています。政府が信託を受けて行使する自衛権は、憲法11条、13条などとの関連で、その根拠および範囲が設定されるべきものだと著者はいいます。ところが、内閣法制局も、日本の憲法学者も、この考え方をとらないようで、擬人法を多用し、国家法人説を導入して、自衛権などの議論につなげようとします。言ってみれば、国家の自己保存件としての「自衛権」の正当化といえるもので、国民を守るために政府が取る措置を正当化するのではなく、国家あるいは国民が自分自身を守るために取る措置を正当化する概念構成に依拠しているものです。国家が自己保存する権利があって、それが個別的自衛権で、自分が自分自身を守るという国家の自己保存の権利まで憲法は否定していないはず、という論理です。その反面、他者を守る権利を自衛権というわけにはいかなくなるので、個別的自衛権という概念が出てくることになる。

つまり、この立場では、人々と政府との信託関係といったものは度外視されていて、社会契約説に根ざした伝統的な意味での立憲主義は忘れ去れて、ひたすら真の国民主義、国家主義が追求されている、と著者は言います。これは、ドイツ/フランス流の国家法人説および国民主権論を基礎にして憲法の条規をこえた「不文の憲法原理」を中心におく憲法論です。

 

第二節 ドイツ国法学と日本の憲法学、そして内閣法制局

内閣法制局の推論は、国際政治学からみると、国内社会における自然人と、国際社会における国家とを、類似関係に置いて国家の自然権などを説くことは、「国内的類推」と呼ばれ、警戒すべき俗説とされています。自然人と国家は異なり、国内社会秩序と国際社会秩序は異なります。それらを混同しているというのです。国際法においても、国家を正面から擬人化する論調は通説となってはいません。

国家が自衛権を持つという思考はドイツ国法学に特徴的なものです。もともと、大日本帝国憲法がプロシャの憲法をお手本にして作られたことと関連して、戦前の日本の憲法学は東大法学部を頂点とし、ドイツ国法学の影響の下にありました。しかも、内閣法制局の官僚たちの大半は東大法学部の出身者でした。19世紀以前のドイツでは主権をはじめとする国家的な権能は国王という自然人に依拠していました。それに対して国家を一つの法人と見立てる法理論は、ナショナリズムの勃興と経済成長を背景にした近代的なドイツ統一国家に向けたものでした。

天皇機関説で有名な憲法学者美濃部達吉は、ドイツ国法学の権威であったゲオルグ・イェリネックの強い影響を受けていたことで知られていました。イェリネックは、国家の法学的説明としては、「権利主体として国家を把握すること」が最も妥当であると主張しました。「このような集合的統一体は人間個人に劣らず権利主体としての能力をもつ」のであり、「この実体が法秩序が結び付けられる実在」として主張しました。美濃部の天皇機関説は、このような国家法人説から導き出されたものと言えます。美濃部によれば、国民、領土、統治組織の三要件からなる国家は、ひとつの法人として捉えられます。イェリネックによれば、自衛権とは、このような「権利主体としての国家」の基本権ということになります。「総体とその成員の保護、それに加えて、外的侵害に対する自己の領土の防衛は、もっぱら国家に属する。この活動と、これに対応する目的は、国家には、そのもっとも未発達の形態においてすら決して欠けることはなかった」とイェリネックは言います。国家とは独自の権能を独立した法人格を持つ存在であり、それは国内社会における自然人と同じです。このようにイェリネックたちのドイツ国法学の影響が、自衛権を国家の基本権と見なす傾向を強めました。これによって、日本の憲法学者たちが、自衛権は、「伝統的に国家固有の権利」であり、「自然法上の自己保存件として説かれ」てきたと説明するようになりました。

一方、国際法学者もドイツ国法学の強い影響をうけた立作太郎が東大法学部の教授を勤めていました。彼の著作において、国家を美濃部と同じように定義しています。その国家が持つ基本的権利義務について、「国際法規上…、当然に国際法の主体たる国家の法人格に随伴し、他の権利義務関係の基礎となるべき権利義務を以って、国家の基本的権利」と称し、「国際法上の人格権と称する」こともできると言います。そのような国家の基本的権利のひとつとして自衛権及緊急状態行為をあげます。「危害が急迫なる緊急の場合に於て、危害を去るに必要なる行為を行ひ、危害に対して自衛上必要なる処置を行ふは、権利行為として之を認めねばならぬ。是れ狭義の自衛権又は正当防衛である」といいます。

このような二人の法学者がほぼ同時期の東大で講座を担当していたとき学んだ人々が歴代の内閣法制局の長官となっていました。

« 篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(1) | トップページ | 斉藤章佳「男が痴漢になる理由」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(2):

« 篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(1) | トップページ | 斉藤章佳「男が痴漢になる理由」 »