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2017年10月31日 (火)

三浦瑠璃、猪瀬直樹「国民国家のリアリズム」

「国民国家のリアリズム」という本を読みました。

日米安保体制が成立した1950年頃は冷戦体制において日本を資本主義の工場とし、反共の砦とするアメリカの世界戦略の一環だった。その下で、日本は軽武装で浮いた労力とコストを経済成長に集中して復興、繁栄することができた。しかし、ソ連崩壊により冷戦はおわり、アメリカの戦略の転換により、日本が安保体制で守ってもらうためにそれまでなかった条件(日本の負担)をクリアするために憲法を改定する(名目は日本の自立だったり自主憲法だったり)。これに対して、アメリカの傘の下で、世界中の紛争や事態を他人事として遠ざけた安全地帯にいて、そこでの平和は貴重だとしてその体制を維持するための憲法に(平和主義とか戦争をしたくないという名目で)しがみつく。こういう神学論争をたたかわせている。両者とも、実質的には日本がアメリカの傘の下で守ってもらうという点では表裏一体の関係にあるのではないか。

実際のところ、その議論にかまけていて、現実にしわよせがくるのは自衛隊という中途半端に組織ではないかという。例えば、軍隊ではないので衛生兵が現場で治療行為をすることができない。それは医師法違反で、災害救助のさいにも、包帯を巻くといった傷の手当くらいしかできない。また、軍法会議もないので海外への出動の際に武器を使用した場合に正当防衛かどうかの判断をするシステムがない(日本の裁判所には対応能力がない)。安保の議論を名目でなくて、実際的なことに政治家は真剣にとりあげようとしていない、と指摘する。そもそも、軍隊として認められていない自衛隊は、軍隊ではないので、形式的には警察や海上保安庁とおなじように文官という身分でシビリアン・コントロールの対象にならない。これって、私もおかしいと思う。

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