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2017年10月30日 (月)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(3)

第三節 「抵抗の憲法学」と権力制限する主権者「国民」

戦後の日本の憲法学界は、この点では戦前の国家観を引き継ぐような、国家の三要素の存在を通説として保持し続けています。しかも、そのひとつが統治権であることが常識として定着しています。ところが、この三要素については憲法典を含めて法律で明記されていません。憲法学者が自分たちで作り上げたものと著者は指摘します。

実定法として国家の成立要件を定めた根拠として、国際法では1933年のモンテビドオ条約があります。そこでは、三つではなく四つの要が定められています。住民、領土、政府、他国との関係を持つ能力の四つです。ところが日本では、国家の三要素となって、政府と他国との関係を持つ能力を合体させた上で主権と言い換えてしまっています。ある憲法学者が執筆した憲法の教科書では、絶対王政によって国家が確立された「領域的支配権」が確立されて、「領土、国民、統治権(主権)」の三要素を持つ国家が生み出されるようになったと断言しています。これらの要素が憲法典に記述がないのは、「憲法の前提ではあるが、憲法のなかで確認するには必ずしも適さない」からだと注釈されています。国家の三要素とは、憲法学者だけが知る「社会的意味での国家」の「歴史的成立」の物語の産物であり、憲法学者だけが知っている憲法の条規を超えた不文の憲法原理なのだと著者は言います。

一方で、この教科書は、国家をヨーロッパ絶対王政と結びつけながら、絶対君主の権力を制限する努力の中から立憲主義が生まれたと説明します。国家はヨーロッパ絶対王政の産物であり、憲法は市民革命の産物です。このような憲法学では立憲主義は戦時(危機の時代)に立ち現れ、平時では隠れています。立憲主義とは権力制限のことだと定義され、市民革命の追求とでも言うべきものとして描かれています。しかし、立憲主義は危機の時代に限られたものでなく、平時の社会秩序の仕組みにも反映されていなくてはなりません、このような矛盾を内包した憲法学は、戦時中の苦い経験を経て国家との関係は錯綜したものとなります。心情的に戦時中の国家統制による弾圧への反動などから、日本の憲法学は「抵抗の憲法学」とも評される特性をもっていて、革命への憧憬を持ち続けていたという側面を指摘します。

憲法学者にとっては抵抗の対象として国家を見ることになってしまいます。かれらの見たい国家というのは絶対王政から続く統治権を本質要素とする権力機構です。彼らの立憲主義が、その国家への抵抗として生きてくるのは、国民が国家に対して革命を起こし、憲法によって国家を制限するというものだからです。前章で説明された憲法の教科書における国家の定義や自衛権は、この抵抗の対象としての国家像としては、たいへん都合の良いものです。憲法によって制限されるために、国家というのは原初的、つまり憲法に先立って絶対的なものとしてに存在していて、それを憲法を作ることによって縛りをかけるということになるのです。それが立憲主義の存在理由なのです。

もともと、自衛権は国際法上の概念です。だから憲法では言及されないのですが、憲法学者は立憲主義のもとで、それを独自に読み替えた、つまり、都合よく利用したのです。

従って、安保法制の議論において、憲法学者も内閣法制局も、その主張は真っ向から対立しているように見えますが、その議論のベースである国家や自衛権とはどのようなものかということは、共通の基盤の上に立っている。つまりは、表裏の関係にあると言えるのです。

 

第四節 日本国憲法と「国民」の登場

「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その権利は国民がこれを享受する」というのは日本国憲法の前文の一部ですが、当初、GHQから英文で示された段階では、「国民」は「人民(people)」でした。アメリカ民主主義の「人民の人民による人民のための政治」の「人民」でした。それが、憲法においては「国民」にすり替わってしまっています。

当時、天皇は国民に含まれるのかどうかということが大問題になり、憲法担当国務大臣が、主権は天皇を含む国民全体にあり、主権は従来から国民全体にあって新憲法でも変化はなく、国体は変化しないと発言しました。このとき、「人民」という言葉が使われていたら、このような発言はできなかったでしょう。「人民」ではなく、「国民」という言葉になったのは、天皇制への配慮と、「人民」という言葉が左翼的なニュアンスの強かったためと言われています。

憲法学者たちには、アメリカの「人民(people)」への理解が欠落していたということも原因していると著者は指摘します。憲法学者たちが勉強した大陸法の伝統とは別種のイギリスの名誉革命期のジョン・ロックによって簡明に表わされた人民は、フランス革命の国民とは違います。イギリスを源とする立憲主義は、チェック・アンド・バランスの国家構成原理ですが、具体的には、政府と人民の二重の最高権力の、どちらか一方が真の権力者というのではなく、複数の最高権力で機能を分けて、それらを意識的に調和させたというものです。そのあらわれがイギリスの混合王政やアメリカの地方分権です。それを日本の憲法学者はフランス国民国家のような鋳型に当てはめて、不十分と決め付けてしまいました。そこで、「人民」より「国民」の方が進んでいると解釈してしまったというわけです。

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