「無知の知」はメタレベルであればこそ
ソクラテス以上の知者はいないという神託を受けて、ソクラテスは、そんなはずはないと、神託の反証を求めてアテナイじゅうの知者を訪ねてまわった。そこで、彼は知者たちが実はよく知らないのに、そうは思っていないことに気づいた。そして、彼は自分が本当はよく知らないということを自覚しているのに、知者たちはそうでない。それがソクラテスと知者たちの違い。そこから、本当はよく知らないのに、すべて知っていると過信して、知ろうとしない傲慢さ怠慢さを戒めているといったような教訓を導くことができる。
このことは、また、アテナイの知者たちは気づかず、ソクラテスが気づいた、その違いはどこにあるのか、ということも考えられるのではないか。もちろん、ソクラテスが最高の知者であって、その他の人はソクラテスほどでもないからだろう。そそういうことではなくて、ソクラテスは自分が知っているかどうか、と自分の知に疑いを持ち、一歩離れて、自分と自分の知を違った視点で、客観的視点で見ようとした。これに対して、他の人たちは自分と自分の知の状態がどのようなのかということを考えるという発想自体がなかった。それは、自分が全て知っているという過信ということだけではなくて、そういうことについて疑ってみるということ自体が存在していなかったということではないのか。すなわち、ソクラテスは知っているということについて、メタレベルで問いかけた、ということではないか。ソクラテスは、その問いを発見した、ということなのだ。
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