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2017年11月 9日 (木)

言葉は通じていても、意味は共有していない

花子さんが、付き合っている彼氏とは別の男性と二人きりで酒を飲んでいるところを目撃され、「君は浮気をしている」と彼氏に難詰されたとする。彼女は「浮気なんかしていない」と答えるが、彼氏は「浮気している」と譲らない。彼女は、単に二人で酒を飲んだだけで浮気したわけではない。彼はそれこそが浮気だという。二人の言っていることはそれぞれ間違っているわけではない。だから、二人の議論は、どちらかが間違っていて、その誤りをただすということには至らないので平行線のままだ。このとき二人の間で「浮気」という言葉がともに使われているが、意味・内容ですれ違っている。しかし、二人は共通であると錯覚している。だから彼は彼女を難詰したのだ。彼が難詰したのは、彼女が非を認め謝罪することを期待してのことだろう。だから、彼女は自分に非がないこと、自分の行為は浮気にあたらないことを説明しなければならない。この場合、二人とも正しいにもかかわらず、二人の正しさは、この議論の場では平等ではない。この議論の方向は、仮に彼氏が正しいという設定でスタートし、それに対して彼女はその設定をひっくり返して、彼女の正しさを通せるかどうか、という方向だ。この時、彼氏は「浮気」ということについて、自分の使っている以外の意味内容があるとは想定もできない。きのうの投稿でいうと、彼氏はプラットフォームを作る側の人と言える。

きのうの異なる文化の接触もそうだけれど、人と人との言葉のやりとりについても、実は同じことがいえる。

多様性とかダイバーシティなどいって、企業では外国人の雇用とか試みしているというけれど、普通に人と人との使っている言葉の意味ですら違っているのだから、いま、現に企業の中にいる既存の社員などの人々の、そういう違いについて、果たして、違う方も正しいということに気がついているのか。気がついて、それをすくいあげる努力をしているのだろうか。そこからでも多様性はあると思うのだが。足許を見ろと言いたい気がする。

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