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2017年11月 6日 (月)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(9)

第六節 集団的自衛システムと最低限の自衛権

このような独特の集団的自衛権の理解に対して、学者たちの理解、解釈も複雑化していきました。

国際法学者の高野雄一は、集団的自衛権それ自体が違憲というよりも、違憲なかたちで集団的自衛権が行使されないかを問題としました。具体的な事例で言えば、明らかに米軍だけに対する攻撃である場合、日本には個別的自衛権を行使する状況がない。しかしそこに明白な日本の法益の侵害があるとすれば、その観点から日本が集団的自衛権を根拠にした行動をとることに合法性が生まれる。このように高野は国際法学者として、仮に日本側に個別的自衛権の行使以上の意図がない場合でも、国際法から見れば集団的自衛権が違法性阻却事由になる場合があることを指摘しました。

国際法学者は、新安保条約は集団的自衛権の論理に一定程度は訴えることなくては運営できないという認識がありました。岸内閣関係者の国会答弁でも、集団的自衛権による整理が図られていないときにはそうすべきだという認識が、共有されていたといいます。ただし政府関係者は、日本は海外派兵を行わず、自国の防衛だけに専心するので、基本的に個別的自衛権の論理だけで説明できることがほとんどであろうとも説明しました。憲法学者であれば、制約された自衛権の制約のされ方に関心があるでしょう。政府の立場は、国際法学者と憲法学者の間で、どっちつかずのものだったといえます。

新安保条約は、条約体制の中に日本国憲法の審査が入ることを明文化し、憲法体制の調和を図る努力をしています。日本への攻撃がない場合の在日米軍の戦闘作戦行動を事前協議対象として、「巻き込まれ」を防ぐ措置としました。しかし結果として、集団的自衛権の理解等のいくつかの論点は曖昧模糊とした状態に戻ることになった。日本の自衛隊は個別的自衛権にのみ基づいて行動することになるでしょう。おそらくは「最低限の実力」組織である個別的自衛権行使者である自衛隊は、世界最強軍隊である米軍の主導の下に、共同作戦を遂行することになります。また日本への攻撃がない場合の米軍の行動に日本は協議の上で同意を与える可能性もあります。それが日本の国家体制の帰結だったと著者は言います。

さらに、「必要にして最低限の自衛権」を行使する「戦力でない軍隊」である自衛隊が、「必要にして最低限」の実力しか持っていないのは、世界最強の軍事組織である米軍のとの共同作戦行動が自明の前提になっているからです。つまり憲法九条の仕組みは、日米安保体制の裏づけがあって初めて運用可能になるものです。換言すれば、「必要にして最低限」個別的自衛権だけを行使しているので違憲の疑いがない自衛隊の活動は、集団的自衛権を行使して主導的に安全保障措置をとる米軍の活動と、「表」では切り離されているが、「裏」では密接不可分に結びついている。「必要にして最低限」の個別的自衛体合憲論は、日米安保条約の集団安全保障に依存して初めて成り立ち得るような理論でしかなかった。といいます。

 

第七節 高度経済成長と矛盾の受容

1960年以降、安保条約は改定されることなく継続します。冷戦時代のアメリカは共産主義勢力の押さえ込みに躍起になっていたので、日本を軍事戦略の不沈空母として活用しつつ、反共の砦として日本国内の共産主義勢力に付け入る隙を与えないことは利益に適うことでした。一方日本にとっては、新安保条約を基盤しながら所得倍増政策のような経済重視政策を推し進めるには好都合でした。高度経済成長の時代には、軽武装と日米安保の組合せが日本の外交政策の基本路線となっていきます。これに対する認知が国内に広がりました。

新安保条約は、憲法九条と結びついて、日本の国家体制を固定化していくことになりました。そして、安保体制下で高度経済成長を経験した多くの日本人は、矛盾の解消ではなく、矛盾の共存することを選び始めました。憲法九条と安保体制という「表」と「裏」の矛盾を抱え込んだ国家体制を、そのまま受け入れることを模索し始めたのです。このような経緯を経て、日本政府は、個別的自衛権だけが憲法九条が許しているものであり、日米安保条約も個別的自衛権にのみかかわっているという整理を確立していこうとしました。

安定期に入った戦後日本の国家体制の中で、憲法九条と安保体制の間の矛盾、例えば集団的自衛権の合憲性と言った問題について内閣法制局が説明する原則論で解決が図られていきます。つまり矛盾に満ちた現実から目をそらし、複雑な説明を施すことを回避するという方法こそが、最善の解決策であるように感じられ始めたわけです。憲法九条と日米安保の落ち着かない共存の中での高度経済成長時代の成功を感じていた当時の人々は、多大な労力を払って矛盾を説明したり、解消しようとしたりする努力を払う意欲も失っていったと考えられます。むしろ矛盾を抱え込みながら、淡々と生き続けていくことを欲していた。集団的自衛権違憲論は、そのような時代の雰囲気の中で生まれていくことになります。それには学者たちも同調していくことになりました。

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