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2017年11月 9日 (木)

言葉は同じでも内容は違うのに伝える

「辛い」ということ。例えば、日本酒の「辛口」に、私たちは何の疑問も感じないと思う。また、カレー・ルーのなかでハウス食品工業の製品でバーモント・カレーの「辛口」とジャワ・カレーの「甘口」を比べたとき、矛盾を感じることはない。(二つの商品を知らないかもしれないが)これらについて、例えば、中国の四川省あたりの人々が、同じ漢字を使っている「辛」は舌がヒリヒリして痺れるような感覚、その典型が唐辛子だという。だから、そういう人が辛口の日本酒を辛いとは感じることはない。むしろ甘いと感じるのではないか。この場合の日本酒の辛口は後味の残らないさわやかさのことを言うのだろう。この時に、同じ「辛」でも、日本人と四川省の人では内容が違っている。しかし、同じ「辛」という言葉を共有しているから、内容が違っているとは考えない。外国語の翻訳も、実はそういうものだ。

いまさらクワインの通約不可能性の議論を持ち出すわけではないか。文化の多様性というのは、「辛」は共通しているということを互いの約束として、実は誤解し合って、そのいわば善意の誤解の上に立って、だって共通の地盤に立てなければ互いの違いを認め合うことが出来ない。この時の共通の地盤、つまりプラットフォームをつくる側と、作られる側があって、作られる側は作る側に譲歩することで、はじめて成立する。このとき、譲歩する側は譲歩していることを自覚しているが、譲歩される側、つまりプラットフォームを作る側は譲歩してもらっていることに、おそらく気づいていない。

これが「辛」だからいいのだけれど、「自由」とか「民主」といった言葉について、このプラットフォームを作った側の人々が、今まで譲歩ばかりされていたのが、こんどは譲歩することを迫られ始めて文化多様性とかグーバリゼーションが、話が違うじゃないかと思い始めている。そんな気がする。

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