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2017年11月11日 (土)

生誕140年 吉田博展 山と水の風景(1)

2017年7月 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

Yoshidapos 例年であれば梅雨の末期で強い雨が降り続くような時期なのに、東京は梅雨明け直後のような快晴で、猛暑の日々。都心はヒートアイランドの、ムッとした空気が肌にまとわりつくような暑さ。午後の新宿はの人波は、暑さをさらに昂じさせるようで、ほんとに暑い。この美術館は、初めて行くことになるので、不案内な地下道を避けて地上の道を歩いたので、電車を降りてJRの駅から美術館まで、10分足らずの距離を歩いただけで、かなり汗を絞り取られ、すぐには落ち着いて絵画を鑑賞する状態にはなれなかった。新宿西口の高層ビル街の入り口にあたるところの損保会社のビル、美術館の専用玄関が正面の裏手の少し奥まったところに回る。玄関を入るとロビーがあって、展覧会の紹介映像を流していたので、ここで少し涼んで、汗が引くのを待った。(コインロッカーはここのロビーと42階の展示室に上がったところにもある。大荷物でもない限り、あせってロビーで預けることはないと思う。)専用エレベーターで42階に上がると、小さな受付で入場券を買った。受付が小さいのは、前売りや招待券の人が多いからかもしれない。平日の午後で、こんな暑い日にもかかわらず、しかも、展覧会の会期としては始まったばかりであるにもかかわらず、それなりに人は多かった。これ以上増えると落ち着いて見られなくなるかもしれないというくらい。おそらく、会期の終わり頃には、かなり混み合うのではないだろうか。

さて、展覧会の会場に入っていくことにしましょう。美術の知識がほとんどない私には、吉田博という画家をしりませんでした。ポスターの画像と、都心に出か欠けるスケジュールと展覧会の会期が符合してので、寄って見たというのが、この展覧会を訪れた動機です。その画家の紹介も兼ねて、この美術展の趣旨について、主催者のあいさつを引用します。

明治、大正、昭和にかけて風景画の第一人者として活躍した吉田博(1876~1950)の全容を紹介する展覧会を開催します。

福岡県久留米市に生まれた博は、京都の地で三宅克己の水彩画に感銘を受け、以来本格的な洋画修行を始めました。明治27(1894)年に上京して画塾・不同舎に入門、小山正太郎のもとで風景写生に励んで腕を磨きます。明治32(1899)年に渡米、言葉もままならない異国で自作を大いに売って生活の質を得るという快挙をなし、アメリカ各地からロンドンやパリを巡って明治34(1901)年に帰国しました。以後も外遊を重ねて東西の芸術作法を見つめ、内外の風景に取材して水彩画や油彩画を発表、太平洋画会や官展を舞台に活躍を続けました。

とりわけ高山を愛し、常人の足の及ばぬ.深山幽谷に分け入ることで描いた作品は、新たな視界や未知の美を発見した喜びに満ちています。大正後期からは彫師・摺師と組んだ木版画に軸足を移し、伝統的な技術に洋画の表現を融合したかつてない精巧・清新な造形で国内外の版画愛好家を魅了し続けました。

吉田博は生涯、世界における自らの位置を考え続けた画家といってよいでしょう。その思考の跡が、湿潤な日本の風景をみずみずしく描いた水彩画であり、雄大な自然美を登山家ならではの視点からとらえた油彩画であり、浮世絵以来の技術を新解釈した木版画でした。比較的早くに評価の定まった白馬会系の絵描きたちに比し、長く埋もれてきた感のある博の画業は、今の私たちにどう映るでしょうか。「絵の鬼」と呼ばれ、水彩で、油彩で、木版画で世界に挑みづけた画人の「これが日本の洋画だ」という答え─。生誕140年を記念し、代表作に初公開の写生帖などをあわせて展観する大回顧展を、とくとご覧下さい。

このあと、展示されている作品を追いかけるように見ていく際に、具体的に述べていこうと思いますが、吉田博の一連の作品の展示を通した見た全体としての感想を、大雑把に述べておこうと思います。この人は、一芸秀でた一点突破型の人ではないかという印象を受けました。その一点が突出しているので、それ以外のところは下手だったり凡庸なのですが、その一点の印象に引っ張られて、全体として気にならなくなっている。逆に一点を際立たせている、そういうタイプの画家だったように見えました。それゆえ、彼の方向性とか位置ぢけが限定されのは仕方のないことで、例えば、風景画家となったことについても、それ以外の道はなかったのではないかと言う感じがします。それは、作品をみての印象で結果論かもしれませんが。で、彼の突出した点について、最初に述べておきます。これから、彼の作品を見ていきますが、私はのその一点突出という視点てせ見ていくことになりますので、もし、この突出しているということに異論がある片は、この先を読んでも、何の収穫も得られないと思います。で、その突出点てせすかせ、それはスケッチです。そのスケッチのなかでも、建築物のような動かないもの、表面が硬い素材のものの外形を鉛筆で線を引くという点です。硬い線で引かれた輪郭による形の説得力がすごい。例えば、北アルプスの山岳を描いた作品であれば、岩稜のデコボコのひとつひとつの形に、それぞれ意味があるように形が捉えられて、描かれているのです。だから、描かれている山稜を見れば、それがどの山であるかは山登りをしたことのある人であれば、ひと目で分かるのです。それが、この人の山岳風景のすごいところで、他の画家であれば一般的な山の概念を描くのが精一杯のところ、この人は剣岳という特定の山を、その特徴をとらえて、その特徴に固有の意味があるものとして描かれた形にしているのです。おそらく、誰かに習ったというものでなく、画家の生得的な才能なのではないかと思います。しかし、その反面、山岳風景であれば、彩色された山岳の岩稜に、岩の固さとか重さが感じられない、また、その風景に光がさして影ができる、そういうところが感覚できない。形は説得力があるのに、彩色されると平板な画面になってしまう。また、スケッチにおいても、花や人物のような柔らかなものの柔らかさを捉えきれないし、さらに水面のように流れる、つまり動きがあるものの動いているということを捉えきれない。そのうえ、全体としての構図が、つまりは空間の全体の把握の仕方が陳腐で、画家独自の視点を、おそらく、この人は生涯持つことができなかったのではないか、だから、この人の風景画はどこかで見た、悪く言えば絵葉書のようなものになっているのです。ただ、ここで誤解してほしまないのは、だから、この人の作品はつまらないとか魅力がないと言うのではないのです。そういう文句はいくらで言えるにも拘わらず、突出した一点があるがゆえに、他の凡百の画家とは一線を画しているということなのです。

それでは、具体的に作品を見ていきましょう。

第1章 不同舎の時代:1894~1899

第2章 外遊の時代:1900~1906

第3章 画壇の頂へ:1907~1920

第4章 木版画という新世界:1921~1929

第5章 新たな画題を求めて:1930~1937

第6章 戦中と戦後:1938~1950

 

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