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2017年11月13日 (月)

国会の質問時間枠を取り合うのは筋違い?

国会の質問時間の配分がニュースになっている。国会は何をするところかと言えば、国の方向を様々な立場で議論して、よりよい結論を導くというものではないか、と思う。その際に、質問の時間を予め決めて、政党ごとに配分して、その枠を取り合うというのは筋違いではないかと思う。そもそも時間制限するような性質のことなのだろうか。むしろ結論が出るまで時間などに縛られことなく徹底的に議論するのが筋ではないかと思う。もっというと、あれだけ多数の議員がいて、質問者と回答者だけが発言するという会議なんて、国会以外にはないだろう。普通の会議では、質問者がいて、それに回答がされても、そこから議論が始まっていく、そこでは質問者や回答者以外の参加者が発言して議論が広がり、深まっていく。それが国会や、その委員会では会場に座っている議員は野次るか居眠りをしているだけで、採決の投票するだけではないか。それなら、むしろ、会議という金と労力をかけることは無駄で、質問者と回答者とタイマンでやらせればいい。本当にすべきことは、出席者の発言がまったくない議場で議論が形骸化してしまっているままでいいのか、そこで出席者全員が意見をたたかわすような会議ができるようにすることではないかと思う。

実際、企業の経営の場では、形骸化していた取締役会を活発な議論の場となるように、各企業は取締役会の活性化のために取締役の数を削減したり、権限を委譲したりして社外のメンバーを入れたりして、数年前とは様相を一変させてしまった。国会だって、あの人数で議論は出来ないのだから、議論ができる人数に減らす(とすれば現在の1割未満といったところだろうか)といった根本的な見直しを、どこかの政党が時間枠が何割かなどではなくて、提案しないものだろうか。

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