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2017年11月30日 (木)

ベルギー奇想の系譜(4)~Ⅱ.19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派、表現主義(2)

Belgfantadel_2 Oyamadaharituke  ジャン・デルヴィルの「赤死病の仮面」という紙に木炭とパステルで描かれた作品です。この人も、以前にベルギー象徴派展でも見ましたが、ロップスと同じで、奇想という衒いで勝負している。言ってみれば素直な変態で、いかにもいう類型的になりそうなデザインで画面を作っています。この作品、木炭で真っ黒になるほど塗りこんで、時にパステルの色が入って、ダークな妖しさを演出しています。死神の姿は、暗い中で顔がぼうっと浮かび上がるようにぼんやりと描かれて、木炭の粗い描線の効果を生かしています。その顔は不気味な感じが募るようにデフォルメされています。この顔の形は小山田二郎の宗教的な作品と外形的に似ている感じがしました。しかし、小山田の作品にある重苦しさとか切迫感は感じられず、その代わりに妖しい美しさといった方向性なのではないかと思いました。
 「ステュムパーリデスの鳥」という紙にチョークで描いた作品。ギリシャ神話の人間を襲うこともある不吉な鳥ということですが、黒い鳥の群れが男の死体にたかっている光景が、不気味な感じです。スプラッター・ホラーの映像を芸術絵画として見ることができるように、美しく仕立てて作品とした感じです。たしかに、奇想で見る人に不気味な印象を抱かせるBelgfantadel2 ために、これでもかというほどの描き方をしています。このストレートさ執拗さ、くどさは、ボスやブリューゲルから一貫しているかもしれません。しかし、デルヴィルは、ボスやブリューゲルに比べて細部への緻密な描きこみや部分的リアルさの追求ではついていけていないので、中途半端な感じがしました。もっと、突き抜けてほしかったというもの足りなさが残りました。
 ベルギー象徴派というとクノップフを筆頭に、ここで見たロップスとかデルヴィルなどが知られているようですが、むしろ強く印象に残ったのは、これから紹介する3人でした。それぞれ静謐な画面なのですが、そのなかに普通じゃない異様なものがあるという作品です。
Belgfantanunk ウィリアム・ドグーヴ・ヌンクの「黒鳥」という作品です。山奥に深く刻まれた渓谷で急流のあとに突然あらわれる静かな凪のような場所の流れでみられるような水面の透明で深いグリーンが、画面全体を覆っていて、夜の森の中の湖の光景なのでしょうが、まるでそういう水の中にいるようなイメージを受けます。このようなグリーンがとても印象的です。画面は暗いのですが、透明さがあって、そこに何があるかは明確に見えるのです。暗くて何も見えないはずの夜の闇なのに、そこにある事物の形が明確に見える。しかも、黒鳥という暗闇に紛れて見えないはずものが、はっきり見える。それとは、分かりませんが、いったんおかしいと気付いたら、それは現実にはありえない、ある種の奇想ということになります。それは、前のところのボスやブリューゲルらの過剰ともいえる賑やかさの対極とも言える静謐で透明な空気感が奇想を作っているのです。この作品の静謐さは、独特の透明なグリーンという色遣いと、さらに幾何学的に整理整頓されているような画面構成によって、余計な情報が切り捨てられていることも原因していると思います。黒鳥の泳いでいる水面と背後の地面との境界は画面に水平な直線で、後景の地平線が奥で、それに平行な水平の線です。これに対して森の樹木は垂直に立っています。画面では水平な線と垂直な線のみで斜線や曲線は見られない、単純化された構成です。この作品では、そこに黒鳥という異分子が入ってきます。これBelgfantanunk2 に対して、同じ作者の「運河」という作品は、水平な線が運河の岸なのでしょう。手前に並木の垂直な線が等間隔で並び、向こう岸には倉庫なのか煉瓦色の建物が長方形で画面を埋めています。その単純な構成が、暗い画面のないで、ひっそりと、くっきり見えています。見る者は、画面が暗いので、自然と目を凝らして見ようとすると、透明感があって、並木も建物もはっきりと見える。どうしても、この作品の前では、目を凝らすので、口数が減って静かになってしまう、というわけではありませんが、画面には静寂感が強いです。
Belgfantathird  ヴァレリウス・ド・サードレールの「フランドルの雪景色」という作品です。ブリューゲルを意識して描かれた作品だそうですが、正反対の印象を与える結果となっているのが面白い。例えば、視線です。ブリューゲルは鳥瞰的な視点で地面にはいつくばるような人々の姿を見下ろすように描いていますが、この作品の視点は低く、むしろ見上げるような視点です。それゆえ、画面の上半分を暗い重厚な空がしめて、地面にのしかかってくるような感じがして、地平線にかすかな太陽の光が明るくなっていて、それで地面の一面の雪の白さが照らし出される。その白と黒の対照が際立ちます。この白と黒の図式的ともいえる対照はマグリットの類型化した画面に通じるところがあるかもしれません。そしてさらに、ブリューゲルとの違いは人影がまったく見られないことです。重くのしかかってくる暗い空と、対照的な白い雪面の冷たい風景には人の姿はなくて、寒々した寂しさを生んでいます。そこは、喜びも悲しみも、笑顔も恐怖も存在しない時間の止まった世界とでもいいましょうか。風景を写生したような、この仮面は現実にありえない世界を作り出しています。
Belgfantaspile  レオン・スピリアールトの「堤防と砂浜」という作品です。墨と水彩による、といってもほとんど色彩感がなく、墨絵のようなモノクロームな夜の海岸で、堤防の直線的な黒い影を境にして、画面上部はどんよりとした雲がたれこめたグレーな世界、下半分は海岸と砂浜なのだろうが。影になって漆黒のなか、ちょうど、月が水平線上にあって(画面上でも上下の境目)、一筋の月光が海面に直線の光線をつくっている。月の光の冷たく冴えたさまが海面上の一筋の直線の光線が走っています。ウィリアム・ドグーヴ・ヌンクの図式的な画面をさらに推し進めて、その上に色彩のいろどりを取り払ってしまったような作品ですが、静謐さとヒンヤリするような冷たい感触、そこに漂う孤独感とか不安さのような雰囲気は、ボスやブリューゲルと対照的な極北といえると思います。スピリアールトの作品が一点しかないのが、本当に残念でした。
 このあと、アンソールの展示が充実していたようですが、私は素通りです。

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