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2017年11月 8日 (水)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(11)

第二節 1972年政府見解

1971年のニクソン・ショック。日本に事前通告なしに、訪中とドル金兌換停止宣言。1972年、佐藤政権を継いだ田中政権は日中国交回復を実現した。そうした情勢の中の参議院決算委員会で内閣法制局長が質問に答えたのが1972年の政府見解です。

その特徴として第一に指摘できるのは、「わが国はみずからの存立を全う」するために「自国の平和と安全と維持しその存立を全うするために必要する自衛の措置をとる」という、「国家」が主語をなった論理構成で自衛権が擁護されていることです。ここで「国権の発動として」という文言は、国家が自分自身を守る際に依拠する自然権的な権利というような趣旨で用いられています。国家法人説の擬人法的な発想に基づいて「国家が自分自身を守る自然権」だけが基本権として認められるという論理構成となっています。

第二の特徴として、「必要な自衛の措置」は「必要最小限の範囲にとどまるべき」なので、集団的自衛権は違憲だ、という論理攻勢が定まったことです。国家が自分自身を守るのが自然権的な国権であり、したがって「必要最小限」で「憲法が容認する措置」だという確信に訴える表現があるだけです。

第三の特徴として、憲法十三条を根拠にした自衛権の擁護をしていたということです。初めて集団的自衛権に関する政府見解を文書にするにあたり、憲法典上の根拠を示す試みがなされたということです。

この資料提出に至った委員会での質疑応答のやりとりのなかで「自衛権発動の三要件」を内閣法制局の解釈として明確化して主張しました。「憲法九条が許しているのはせいぜい最小限度のものであって、わが国自身が侵害を受けた場合に、その侵害を阻止し、あるいは防ぐために他に手段がない、そういう場合において、しかもその侵害を防止するために必要最小限度の攻撃に限って行ってもよろしいと、いわゆる自衛権発動の三要件とか、三原則とか申されておりますけれども、そういうものに限って、そういう非常に限定された態様において、日本も武力の行使は許されるものであろう」といういわゆる最小限度論です。

 

第三節 1981年政府見解

1981年5月の議員の質問に対して出された答弁書は。政府の集団的自衛権概念の定義として繰り返し参照される文書です。

「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」

日本政府としては、必要最小限度の範囲が個別的自衛権の行使という概念で説明される範囲と一致するため、集団的自衛権の行使は必要最小度の範囲を超えると定義されると考えられることになります。ここではもはや、なぜ必要最小限度が個別的自衛権と合致するといえるのかについては説明されなくなっています。個別的自衛権と集団的自衛権のそれぞれに必要最小限度があるという考え方も放棄されたようです。

2004年1月予算委員会の答弁で法制局は、かつて集団的自衛権が部分的に行使可能であるという理解があったが、現在は集団的自衛権が実力の行使に係る概念であるという理解が定着したために否定されている、としました。集団的自衛権の全てが違憲であるのは、かつて行使可能とも言われた部分の集団的自衛権を集団的自衛権ではないと考えことによってということになります。言い換えれば、日本政府が理解する意味での集団的自衛権を日本は行使できないという結論ありきの議論になっているわけです。

この底流には、日米安保条約に対する自信を政府が持つようになったことがあります。とにかく、日本は日米安保体制で上手くやってきた。今後も同じ体制で上手くやるべきだ。このような風潮は政府のみならず世論にも流れていました。それが集団的自衛権違憲論による軽武装路線の維持という政策に反映されていたと言えます。

他方、貿易赤字に苦しんでいたアメリカでは、日本政府に対して安保条約にただ乗りしているという批判が艶くなってきていました。

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