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2017年11月 3日 (金)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(7)

第3章 日米安保は最低限の自衛なのか?─1960年安保改正と高度経済成長の成功体験

第一節 自衛隊の創設と「最低限の自衛力」の誕生

1950年8月、GHQの指示により、日本は警察予備隊を創設しました。アメリカの日本駐在部隊が朝鮮戦争に動員された力の空白を埋めるために急遽つくられた事実上の軍事組織でした。日本の主権回復後には保安隊に改組され、1954年には防衛庁が発足し、自衛隊と海上保安庁という今日に至る体制に改組されました。その間、規模の拡大を続けました。

1950年の旧日米安保条約の前文には、アメリカ合衆国は、日本国が「直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する」という文言がありましたが、1960年の新安保条約では消えてしまいました。日本の主権回復と同時に駐留米軍は規模を大幅に縮小し、その代わりに自衛隊が規模を拡張しました。それ以降、自衛隊と駐在米軍は、ほぼ定まった兵力バランスで、事実上一体の防衛力として存在しています。

自衛隊の創設は戦力不保持を定めた憲法九条二項に違反しているという批判を招きました。当時の吉田内閣は、自衛隊が憲法にいう戦力には該当しないという立場をとりました。「戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるもの」で自国の生存を守る自衛権を行使するためのものだとしました。それは国際紛争解決手段としての武力行使ではないとしました。そして、1954年6月の参議院で「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」を全会一致で可決しました。ただし、この決議では自衛権については触れていないので、自衛権と海外出動は別の次元の問題でありました。

1955年に鳩山首相は、「自衛のため必要最小限の防衛力」を持つことは憲法に反しないという見解を表明します。これ以降、憲法九条二項が保持を禁止する戦力は、吉田内閣の「近代戦争遂行能力」から「自衛のための必要最小限度を超える実力」に、変更され、政府統一見解として、現在に至るまで維持されています。この変更による差は大きなもので、自衛権の行使の問題としての憲法九条二項の戦力に最低限の範囲内という概念が導入されたことによって、そこで留保されていると解釈された自衛隊についても最低限の範囲内という概念が援用されるようになってしまったのです。当時、自衛権はあるが、戦力は持てないという武力なき自衛権論が広く信奉され、社会党も採用する憲法解釈となっていました。しかし鳩山内閣統一見解以来、「最低限」の概念が決定的な敷居となる新しい憲法解釈が公式化していくことになる。そしてほとんど誰も「最低限の自衛」や「最低限の戦力」が何なのかは明確に言えないため、九条をめぐる議論は「最低限」をめぐって隘路に陥っていくのです。

 

第二節 砂川事件最高裁判決

砂川事件とは、1957年7月に米軍立川基地(現在の国営昭和記念公園)拡張に反対するデモ隊の一部が、基地の立ち入り禁止の境界柵を壊して基地内に立ち入ったのを、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法」違反で起訴された事件です。

東京地裁は1959年3月「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、…日本国憲法第九条二項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条に違反する不合理なものである」として全員無罪の判決を下しました。検察側は、直ちに最高裁に跳躍上告し、12月に最高裁は原判決の破棄差し戻しを決定します。最高裁は、憲法九条二項が「保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解するべきである」と判断しました。

地裁判決(伊達判決)、米軍が日本の領土を超えて活動し得ることを定めた「極東条項」をもって日米安保条約は、日本の防衛だけを目的にしたものではなく、日本が戦争に巻き込まれる可能性を高め、憲法の精神に反すると論じました。これに対して、際高裁判決は、全く逆に、国際社会の国際の平和と安全の維持のための政策との連動性を強く意識したもので、少なくとも日米安全保障条約が「集団的安全保障取極」であり、それが合憲であることを認め、そしてあえて「個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができること」を確認したサンフランシスコ講和条約を参照することによって、戦後の日本が日米安保条約を不可欠のものとして存在していることを暗示しました。

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