無料ブログはココログ

« 東京の電車内の静けさとか異様に見えることがある | トップページ | 失敗することのむずかしさ »

2017年11月 5日 (日)

篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(8)

第三節 田中最高裁長官の「世界法の理論」

この最高裁判決には田中裁判長の長大な補足意見が附せられていました。当時の田中裁判長の行動は事前に中日米国大使と会談するなど裁判長としては問題のあるものだったようですが、それだけ政治的影響の大きく、アメリカ側の関心も高かったのです。

田中は、補足意見の中で自説を述べます。国家は、自国の防衛力の充実だけでなく、国連の集団安全保障や友好諸国との安全保障のための条約の締結などの手段を、自衛のためにとることができるか、「一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある」。なぜなら「一国の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす」からです。したがって防衛の義務は、「諸国民の間に存在する相互依存、連帯関係の基礎である自然的、世界的に道徳秩序すなわち国際協同体の理念から生ずる」のであり、それは「憲法前文の国際協調主義の精神」とも合致する。もし政府がこの精神に沿う措置を取るならば、それは政府が課せられた責任を全うするために行う「政治的な裁量行為の範囲に属する」行為である。日米安保条約が「憲法九条の平和主義的精神」と整合性を持つのは、それが「日本への侵略を誘発」する「力の空白状態」を防ぐためのものだからです。その結果、アメリカ合衆国軍隊が日本国内に駐留しても、違憲ではない。憲法九条によって、「わが国が平和と安全のための国際協同体に対する義務を当然免除されたものと誤解してはならない」。「我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない」。

 

第四節 二つの法体系論

砂川事件において最高裁が検察の主張を全面的に受け入れる立場をとったことにより、保守と革新の分断が進められることになりました。

共産主義系の憲法学者長谷川正安は「二つの法体系」論を表明しました。彼は、日本には、「矛盾する二つの法体系の並存をゆるしている支配体制」があると言います。「その一つは、憲法を最高法規として、法律-命令とつづく憲法体系であり、他は、安保条約を最高法規として、行政協定-特別法とつづく安保体系である」。前者の憲法体系においては、「反戦・平和主義と反ファッショ・民主主義を基本原則としている」が、安保体系は、「日本におけるアメリカ軍だけの、目的・数・期間その他ほとんど無制限な軍事行動を承認し、その障害になる国民の民主的権利は、制限されるのが当然」視されている。長谷川はそう言います。「まだ完全独立国ではないが完全な被占領国でもない日本のような国家は、従属国と呼ぶのがもっとも適当であろう。憲法体系と安保体系という矛盾した二つの法体系の並存は、まさに、従属国に特有のあり方である」。

砂川事件における伊達判決と最高裁判決の間の相違は、長谷川によれば、「二つの法体系の矛盾の産物」ということになります。そこでは「二つの法体系の併存」は日本の主権回復時から始まっており、「その萌芽はすでに占領中、管理法体系と憲法体系の二重構造として存在していた」。つまり、「連合国占領軍に従属しながらも、日本政府が憲法にもとづいて統治を行うことを認めたことが、法体系の二重構造を生んだ」と言います。

しかし、このような二つの法体系の概念はマルクス主義系憲法学者を越えては広がりませんでした。また、このような二つの法体系が、社会の変化により消滅したのでもない。あったのは解釈論の変化であり左翼系の学説や言説の地盤沈下です。それは、間違っていたからでなく、政治的な闘争に勝てなかったからだと著者は言います。多くの日本人は矛盾になれてしまって、このたびの安保法制をめぐる議論等が起こったときには、あらためて新鮮な発見をしたかのように矛盾を感じる、ということなのかもしれません。

 

第五節 安保改定と集団的自衛権

1960年、日米安全保障条約が改定されます。当時、この改定を推進した自民党の政治家たちの間では、米国と共同して防衛行動をとることが、集団的自衛権の行使に当たるという認識がもたれていたといいます。同時に、単に他国を防衛することだけを目的にした行動は憲法が許していないという見解も確認されていました。他国を防衛するために海外で軍事行動をすることは合憲ではないという考え方が、単純に個別的自衛権だから合憲、集団的自衛権だから違憲という言い方では説明されていないことに注意が必要です。

この60年の改定安保条約は、より対称性を高めたものだと言われます。旧条約では、アメリカは基地を保有し続けながら、日本防衛の義務を負っていない点が問題視されていました。「物と人との交換」という論理をいっそう鮮明にして、アメリカ側から日本防衛に対する義務を引き出すことが、1960年の新日米安保条約の大きな狙いだったと言えます。結果として、新安保条約では5条に次のような文言が挿入されました。「各締約国は、日本国憲法の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」。

これによってアメリカの軍事基地の維持は恒久的なものとなりましたが、それは旧条約においても状況は同じだったと考えられます。このようなアメリカの譲歩は、日本で、社会党や共産党による旧安保条約に対する批判にさらされた自民党政権を手助けする目的があった。日本側としては、旧安保条約はアメリカによる占領統治体制の継続を正当化するものに過ぎないという批判があり、新安保条約では、日本防衛の義務をアメリカに確約させるという日本側の利益をもって、対米従属という野党勢力の批判をかわすことが意図されていました。日本での共産主義勢力伸長の可能性を示唆しながら、アメリカの防衛関与だけを維持する冷戦時代特有の事情に依拠した日本の対米外交が結実したのが、この新安保条約だと著者はいいます。

集団的自衛権にもとづいてアメリカと日本は共同防衛するが、しかし日本は決して海外派兵はしない、という理解が、新日米安全保障条約で岸内閣が示した基本線でありました。

« 東京の電車内の静けさとか異様に見えることがある | トップページ | 失敗することのむずかしさ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 篠田英朗「集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保」(8):

« 東京の電車内の静けさとか異様に見えることがある | トップページ | 失敗することのむずかしさ »