佐藤友亮「身体知性─医師が見つけた身体と感情の深いつながり」
佐藤友亮「身体知性─医師が見つけた身体と感情の深いつながり」を読んだ。
医学部での医者になるための第一歩、解剖学の実習ではスケッチが必修ということで、その最初の頃の学生たちは「見たまま」を写生するのだが、絵の巧拙は別にして、不定形なぐしゃぐしゃの絵画を描いていたのだが、実習が進むと器官の機能や相互のつながりを把握していくと、人体の構造が反映されるような図を描くようになるという。学生たちは、「見たまま」を見たのではなく、「そういうものが見えるはずだと信じているもの」を見ていた。解剖学的な知識が身についてくると人間の身体を解剖学的に、つまり医学的に把握する。それが医師の認識の第一歩。そして、数年間、知識をたっぷり蓄積して、現場の医師として患者の前に立つとき、知識の隙間、つまり患者の症状は医学の知識の分類に当てはまらないので原因を特定できない、さらに予測が出来ない、という場面に遭遇することになる。その時に、医学部では習わなかった現場の医師の経験、つまり医師の身体感覚を身につけなければならなくなる。
近代の自然科学の中心である医学の体現者である医師の現場では、近代思想の基本である心身二元論が成り立たないところであったということ。この現場では知性は身体感覚と切り離すことはできないものとして成立している。それを著者は身体知性と呼ぶが、身体と切り離せない以上、感情とも切り離せない。そこでは、感情に左右されない分離独立した知来ということが医師の現実では機能しないことになる。
著者は、このようなところから知性のあり方を考え直し、模索しようとする。
このあと、著者は東洋的な思考の再評価をしようとしているが、医学部の知識を作っていることばやロジックで、それをしようとしているようで、接ぎ木のような発想なのか、それはちぐはぐな二兎を追う者は一兎も得ず、ということになりかねない気がした。
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